古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
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●DNAチャートと家計図
★DNAチャート。
http://forum.egyptiandreams.co.uk/viewtopic.php?t=4854&sid=f44491159fbc7463d769a096afd09905
テュヤとユヤ(アメンヘテプ3世の正妃ティイの、両親)由来のものとか、
アメンヘテプ3世由来のものが、
色分けされている(左に一覧が)ので、よくよく見ると、なんとなーく分かる部分も。
テュヤとユヤは、お互い同じものを持ってないし、
アメンヘテプ3世も、この二人のは持ってない。
ティイ(KV35 the Elder Lady)は、テュヤとユヤのを持っていて、アメンヘテプ3世のを持っていない。
当たり前なんですけど、
こうしてみると、「なるほど、そうやって分かるのか!」と……。
いやあ、普通の親子関係なら、確かにこれではっきりしそうです。
というか、図がすごく分かりやすい……。
KV21の二つ以外は、テュヤとユヤの、さらにアメンヘテプ3世のを持ってるんですね。
KV21の二つは、テュヤのは持っているけど、ユヤのは持っていなくて……、しかもアメンヘテプ3世の持ってるやつを含んでる。
でもユヤのはここで見つからなかっただけかも、と。
少ないですものね、KV21の二つのミイラからのデータ。
ツタンカーメンの墓に収められていた胎児(父親はツタンカーメン)の母親が、
このKV21Aであるらしいです(この辺もちょっとよく分からないですが)。
それがとくに、このKV21Aをアンケセナーメンとする理由になってるわけですが、
でもよくよく見ると、
アクエンアテンとされている、KV55と「よく似て」いる(つまり、兄弟姉妹の関係のように見えて)、
KV55をはじめ、その姉妹で妻(ツタンカーメンの母)なKV35YL(the Younger Lady)、さらにツタンカーメン自身とも、けっこう、似た感じなんですよね。
どっちかっていうと、アクエンアテンの娘というより、アメンヘテプ3世の娘みたいに見えるなあ、と。
KV21Bも、それとよく似てる感じ。
といっても、とにかくデータがはっきりしないですから……。
★もうひとつ、家計図。
http://forum.egyptiandreams.co.uk/viewtopic.php?t=4855
こっちのか系図のほうが細かい気がしますが、
なんか……もうよく分かりません(笑)。
一番上あたりの、人物が少ないのについて、なんとなく「そうなのかな?」という程度です!
誰かわかる人のためにリンクしておこう、みたいな。
ネフェルティティがアイの娘という説、知らなかったです。
***
あと、
KV55=アクエンアテンというのは、
100%とはいえないようで、(論文では「アクエンアテンと思われる」と書いてあり、やはりスメンクカラーその他の可能性がある)
このあたりはまだまだ議論されそうです。
違ったら面白いと思ってます(笑)。
以上、みくしでいろいろ意見を聞きながら。
自分ひとりだと、こんな表見ても引いてしまうだけだったと思います。はい。感謝します。
素人なので、よくは分かりません。
知ってる方の意見を聞いて、学びたいと思っています。
***
いままでぽちっと拍手してくださった方、ありがとうございます!
すごく励まされてます。
マイペースですが、ぼちぼちやるです。
●ツタンカーメンのDNA調査について
http://www.archaeology.org/online/features/tutdna/
***
by Mark Rose
ツタンカーメンの片方の足の骨の退化は非常に顕著です。
マラリヤの遺伝的証拠はツタンカーメンのミイラと他の三つで見つかっているそうです。
研究者は、骨の退化と骨折に、マラリヤが加わったことで、亡くなったのではないかと推測します。
いくつかの説は、ツタンカーメンが「虚弱であった」と示唆します。3、4月にのせた「戦士ツタンカーメン」説を正面から否定するそれは、少々過剰ではないかと思っています。
<虚弱というほどではないのでは、という考えでしょうか>
KV55墓からのミイラがアクエンアテン――多くの人々に、ツタンカーメンの父であると考えられている――だという認識の是認に、少々戸惑っています。なぜなら、そのミイラの推定死亡年齢が、歯学と骨解剖学上の評価によると、若すぎるからです。それは20丁度か、それよりほんの少し年上程度です。しかしアクエンアテンは30代半ばでなくてはならないと考えています。
この、KV55のミイラが、スメンクカラー――ツタンカーメンの兄弟の可能性のある――であるかどうか、DNAの結果に基づいて識別しているのかということについて、私にははっきりしないように思えます。(私はこの点についてプロジェクトのDNAの専門家にE-mailしました)
驚いたのは、KV35から見つかった「若い女性」と呼ばれるミイラが、ツタンカーメンの母らしい、といわれていることです。
多くの人々が、彼をアクエンアテンとネフェルティティの息子であると信じていました。<知らなかった……>
この認識は数年前、1999年にマリアンヌ・ルーバンによって示唆され、ジョアン・フレッチャーの著書『ネフェルティティを求めて』の中で、この論客は繰り返されました。フレッチャーの仕事には問題があったので、多くのエジプト学者たちがそれを拒絶しました。
その間に、SCA長官であったザヒ・ハワス博士がそれを、「純粋なフィクション」とレッテルを貼ったのです。詳細については、私の『ネフェルティティを求めて』のレビューを見てください。
彼らは、それ(ツタンカーメンの母)はキヤ――著名な第二王妃――であると言いたかったのだと思います。キヤが外国の姫であると言う人もいますが、ここディスカバリーのwebサイト上のツタンカーメンの家系図は、KV55のものと、KV35の若い女性のものは血縁関係にあると示唆しています、ですから・・・
KV35のミイラ「年上の女性」が王妃ティエ――ツタンカーメンの祖母――と識別されることは、そんなに予想外のことでもありませんでした。これは長く、その可能性が高いとされていたものです。
****
アクエンアテンのミイラとか……
スメンクカラーとか……
どうなってるんでしょうね。
●EMP:Q&Abyザヒ・ハワス
http://content.usatoday.com/communities/sciencefair/post/2010/02/q--a-egypts-zawi-hawass-on-king-tut-findings/1
インタビューです。
***
◆1
Q:分子エジプト学の役割は?
A:分子エジプト学は我々が多くのエジプト学の謎を解明するのを助けるための大きな見込みを示します。
我々は家族関係について、またいくつかの疾患についても、多くのことを知ることができます。
科学的に調査することで、それはエジプト学の助けとなり、また歴史の再構築のための科学捜査法について、より大きく、新しい役割を開くことができます。
◆2
Q:これらの結果が第18王朝の王家についての見解にどのように影響するでしょう?
A:18王朝には多くの謎があり、
ツタンカーメンの属していたアマルナ時代は特に曖昧でした。
ツタンカーメン一族についてのプロジェクトで、我々はツタンカーメンの母と妻の識別するため調査を続行し、また他の家族関係をも研究するつもりです。
◆3
Q:ほかの王族(王族でないものも)についての同様の検査の前途はどれくらい有望ですか?
A:ええ、我々は他の家族関係も研究するつもりです。
次にはラムセス2世の一族(いくつか明らかにしなければならない謎がある)を研究する予定です。
我々はアクエンアテンやティイにしたように、
王のミイラの隠し墓に、新王国時代(ツタンカーメンやラムセス2世の時代)が終わった後隠された、他の、はっきり識別されていないミイラの、名前を特定できればと望んでいます。
これらのミイラは、後の神官によって夜中に隠されたのです。そのため、いくつか間違えてしまっているのです。彼らも我々と同じ、人間ですから。
我々は、真実を写し取るために、科学を用いられればと考えています。
◆4
Q:この研究について他にどの点が重要だと考えますか?
A:私はこの研究をエジプトで、エジプト人のチームによって行えたということも、とても誇りに思っています。
国際的なコンサルタントの参加は、これらの過程に欠かせませんでした。しかし我々のチームはエジプト人のチームであり、これはこれからにとって非常に重要なことです。
***
名前の分かっていないミイラに名前を与えること。
エジプト学のためであり、また、故人のためでもあるのかなと。思いました。
●EMPこれまでの成果(簡単に)
http://drhawass.com/blog/press-release-press-conference-be-held-egyptian-museum
簡単に訳すと、こんな感じ。
↓
ザヒ・ハワス博士率いるエジプシャン・マミー・プロジェクト(EMP)では、
2005年にツタンカーメンのミイラのCTスキャンを行い、
彼が19歳でなくなり、それは後頭部の強打が死因ではないということ、
後頭部の穴は18王朝のうちに、ミイラ化のための液体を挿入するために開けられたのだろうということを明らかにしました。
また同時に、若い王が死の直前かもう少し前から、左足を骨折していたことが分かったのです。
また、第2プロジェクトでは、王家の谷60号墓で発見された異物の中から、ハトシェプスト女王のミイラの識別に成功しています。
**
カイロ博物館で、日本時間の今日夕方6時くらいに、記者会見があるとか。
(くうっ、忙しいときに……)
また記事があがったら訳したいです。
サア・イセトの墓を開く
●
http://drhawass.com/blog/opening-tomb-sa-iset
(ザヒ・ハワス博士のブログ)
***
最近私は、ダハシュールへゆき、大臣サア・イセトの墓を調査しました。
巨大な石棺の蓋を動かし、そこに含まれていたものを発見しました。
この墓は1890年代にジャック・ド・モルガンによって発見され、その後長い間失われていました。
エジプト人考古学者が2006年、ダハシュールのこの遺跡を調査中に、再び発見したのです。
我々がこの墓を再発見し、この石棺の蓋を開くことはとても重要なことでした。
ドモルガンは4つの葬祭ステラを1890年代に発見しています(現在はエジプト博物館にある)。
ステラと墓の銘文から、サア・イセトが中王国時代、第12王朝の王アメンエムハト2世の治世に大臣であったことが分かりました。
不完全な記録から、我々はドモルガンが石棺の蓋を開いていたことを理解しましたが、これを確かにし、またもし何か中に残っていれば発見したいと考えたのです。
サア・イセトの埋葬室はアーチ型天井を持っており、ピラミッドテキストが刻まれています。
埋葬室のスタイルとヒエログリフの特色は、ウナス王(第5王朝最後の王)のピラミッドの複製です。
ピラミッドテキストが刻まれた中王国時代の墓として、この墓はユニークで、とても興味深い例を示してくれます。中王国時代にはコフィンテキストがずっと一般的で、ピラミッドテキストが刻まれるのは非常に稀だからです。
コフィンテキストとは、古王国時代のピラミッドテキストが、中王国時代に変化した(非エリート層に人気だった)ものでした。
新王国時代には、これらの葬祭テキストは墓壁に刻む葬祭書にふさわしいものに変わっていきました。
サア・イセトの石棺の蓋を開けることはとても難しい状況となっています。というのは、13トンもの粗い花崗岩が四面すべての壁に接しているからです。蓋を注意深く開けないと、壁の銘に傷がつくでしょう。
私はこの遺跡担当の考古学者と、巨石の扱いに慣れた家族出身のReis Talalとに相談しました。
彼とその兄弟アハムドはいままで重い石棺を動かすのによく協力してくれています。彼はバハリヤ・オアシスにある知事ジェドコンス・エフアンクの石棺を動かすのを助けてくれましたし、テティの衛星ピラミッドの石棺の蓋も動かしてくれました。
Reis Talalは、墓の外側に相当する重りを備えた滑車システムのプランを提示しました。これを用いれば、蓋はまっすぐ持ち上がり、壁は保護されるでしょう。
作業の準備に数日費やしましたが、いったんすべてが適切に準備されると、石棺を持ち上げるのには10分足らずですみました。
我々は何か驚くべきものがあるのではと期待して中を覗きました。
しかし、そこは空でした。
ドモルガンは確かに、どうにかしてこの蓋を持ち上げ、真下にあったものを発掘したのでしょう。
忘れてはならないのは、
この墓はそれでも、このデザインとピラミッドテキストのために、とても価値あるものであり、
この墓を完璧に研究することは、アメンエムハトにせいの治世と中王国時代など、サア・イセトの生きた時代についての多くの情報を明らかにしてくれる、ということです。
***
中王国時代の墓にピラミッドテキストがあるなんて! とびっくりして訳してみました。
ウナスのそのままなんですね……。まったく同じにしてあるのかな。
入って行って写してきたんですね~……。
ウナスのピラミッドテキストは、あのカーエムワセト王子が復旧したと聞いたのですが、
文字はそのまま彫りなおしたのか、文法とか変わってるのかとか、密かに気になっています……。
これと比べれば分かるのかな(比べなくても新王国時代の文法ではないってすぐ分かるんだろうな……たぶん)。
とにかく、綺麗ですよね。
写真が綺麗だったので、つい。
素朴な疑問2。
サア・イセトのイセトってイシスですか。
ありそうな名前だけど……。
☆追記。
名前はやはり「イシスの息子」だそうです! ありがとうございましたっ!