古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●SCA、ルーブルに調査の許可を保留
http://drhawass.com/blog/press-release-egypt-suspends-archaeological-cooperation-louvre
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「エジプト考古最高評議(SCA)の常設委員会がルーブル美術館との考古学の共同作業を停止するとした決定は、エジプト文化大臣ファルーク・ホスニが立候補していた最近のUNESCO長官選とは一切関係ありません」
と、ザヒ・ハワス博士(SCA長官)が発表しました。
彼はまた、そのような決定がUNESCOの選挙より8ヶ月も前に当たる一月の時点で、すでにルーブルの動きに応じていたと加えました。
ルーブルは、テーベの15番墓(ルクソール西岸にあるドラ・アブ・エル=ナガの貴族Tetikyの墓)から持ち出された壁画の5つの部分を買いました。
当時ルーヴルの古代エジプト部門の学芸員だったクリスチャン・ジーグラー氏が、伝えられるところでは、これらの断片が1980年に盗まれたことを知っていたという事実にも関わらず、断片が不法に国から持ち出され、ルーヴルに売られました。【※訳の間違いがあり、西村先生に修正して頂きました。ありがとうございます!】
ハワス氏は、2009年1月にドラ・アブ・エル=ナガで作業していたドイツの調査隊が知らせるまで、SCAはそれらの部分をルーブルが所有していたということを知らなかったと述べました。
SCAはこれらの証拠をルーブルに提示し、盗まれた部分安全に戻すための友好的な手段をすべて試みてきました。しかしながらルーブルは、科学的権威やフランスの文化省からの賛同を得られるまではなんの処置をもとりえないと主張したのです。
「これらの手順は、すべての問題について早く解決させるために避けられないものかもしれません」とハワス氏は言います。「しかしルーブル側は、それらの手順の実行を遅らせたのです。ルーブルには1980年代に成立し、2002年に再び出された規則や法――博物館は盗品をすべて元の土地に戻さねばならないという条件を要求したもの――を執行せねばなりません」
ハワス氏は、SCAが不法な取引への関与のために学者や博物館に対して考古学的協力を保留したのは、今回が初めてではない、と断言しました。常設委員会は似たような決定をアメリカのセントルイス美術館(カー・ネフェル・ネフェルの盗品マスクを所蔵)にも下しています。SCAはそのマスクが1930年にサッカラから盗み出されたことを証明する必要書類をすべて提出しましたが、セントルイス美術館はそれをエジプトに返すことを拒みました。
SCAはオクスフォードのアシュモリアン博物館にも、所蔵品のうちのエジプトから不法に持ち出されたものについて返却されるまでの間、調査停止を下したことがあります。
似通ったことが、違法な遺物の取り扱いに関与したと思われるいくつかの外国の考古学の調査、ブリュッセルの王立美術館(ベルギー王立美術館)に対してもなされました。
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ほとんどが
「ルーブルだけが特別じゃないんだから!」という感じの内容ですが……。
途中の文の意味が分からなくてすみません……。
●王家の谷でオストラコンなど発見
http://drhawass.com/blog/video-new-inscribed-finds-valley-kings
ザヒ博士のサイト、9月17日の記事です。
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私は今、王家の谷を一年半ほど発掘しています。エジプト人ばかりのチームがそこで作業するのは初めてで、彼らと作業しています。
われわれの発掘は、これらの墓を建造した労働者たちの生活などについての新しい証拠を見つけるために続けられています。
多くの石灰石の小破片(オストラコンと呼ばれるもの)や銘のある陶器の破片など、多くの人工品が明らかになっています。これらの銘は、労働者の生活の様子をより明らかにしてくれるため、非常に価値があります。
とても興味深いもののひとつが、墓の計画を記した石灰石の欠片で、労働者によって3000年も前に描かれたものです。
他にも、ウェレト・ヘメト・ネチェルヘメト・ネチェル・ウレト(偉大なる神妻の意)という肩書きを含む銘を刻んだ欠片があります。この肩書きは未知の王妃ティイ(Tiy)のものです。ここでの作業で、この王妃についての証拠をもっと見つけたいと考えています。
労働者の一人によって捨てられたらしい、大きな女性のスケッチのある破片は楽しいものです。これはその労働者の彼女を描いたものだったら面白いと思っています。
陶器の破片には、興味深い組み合わせのカルトゥーシュが、二つ、並んでいるのを見ることができます。
ひとつはハトシェプスト(女性のファラオ)で、もうひとつはその後継者、トトメス3世です。
トトメス3世が王座に上ったとき、ハトシェプストのモニュメントを破壊するよう命じたものだと、長いこと考えられていました。ですがこの欠片は、そういった考えが間違いであり、破壊は彼の治世の終わりごろ、彼の息子アメンヘテプ2世が継ぐころに起こったものだということがより考えられてきます。損傷は、おそらく女性のファラオを見たくないという人々によって起こされたという方が、より考えられます。
見つけたオストラコンのうちのひとつ、ヒエラティックの書かれたものからは、労働者がどれだけ多くの食物を与えられていたかを知らせる表があります。われわれは、これらの労働者がここで働いている間、墓に近い小屋で生活していたことを知っています。今、どれだけの食料が役立てられたかを知ることができました。
われわれの発見のすべてが、特にこれらのヒエラティックの銘やスケッチが、労働者たちの生活と同様に、彼らの建てた墓の主の生活を伝えてくれるため、とても重要であると考えています。
私はこれらが王家の谷での発掘で発見できたことを嬉しく思います。この発掘は、貴族や労働者の生活についての新しい証拠を見つけるために続けられるでしょう。
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女性を描いたオストラコンのらくがき、面白いですね!
こんなにおなかが丸いし、あまり美人とはいえないですよね。風刺画の様にも思えちゃうのですが……。
彼女を書いたのだとしたら、それは、目に付かないうちに捨てて正解ですよね(笑)。
hemet netjerとありましたが、ネチェルって英語表記でこうなのか、それとも打ち間違いなのか……こういうの、なかなか慣れないです。
しかもヘメトとネチェルの読み順は分かるんですが、ウェレトから先に読むんですね……。うーん、難しい。慣れかな。
西村先生から以下のようなご指摘を頂きました。
「偉大な神の妻」の読み方は、ヘメト・ネチェル・ウレト(Hmt-nTr wrt)です。英語で表記すると、hemet-netjer wretです。
ということで、本文を修正しておきました。
netjerは英語の表記なのですね!!
はじめにネトジェルと訳して、映像を見てから修正したのは内緒です(バレバレ・笑)。
いつもありがとうございます!
●ピラミッドは8月23日に建てられた?
http://www.gulfnews.com/region/Egypt/10346772.html
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はじめの一撃は、ギザ知事サイード・アブデュル・アジーズからで、
先月の初め、ピラミッドで有名なこの都市はギザの日を8月23日に祝うだろうと発表しました。
彼は、
この決定が考古学者および天文学者のパネル研究によって完全に得られた結果(大ピラミッドの建設は8月23日に始まったと結論を下した)に基づいたものであると説明しました。
「その研究は不正確です」エジプト考古最高評議の長官、ハワス氏は言いました。「古代の歴史に、いつ大ピラミッドが建てられたかを明らかにするものはありません。大ピラミッドがナイルの氾濫時、仕事がないときにに建てられたとする確信は、完全に誤っています」
「考古学的な発見は、ピラミッドの建造が年間にかけて行われたことを示しました。よって、研究は考古学的資料にしっかりと基づいていないのです。また、古代エジプトの歴史の記録についていえば、SCA(エジプト考古最高評議)だけがこれを施行する権限をもっています」
古代世界の七不思議のリストでトップに上げられる大ピラミッドは、クフ王のピラミッドとしても知られ、カイロの西にあるギザの地で13エーカーものエリアを覆っています。その高さは、元は146mで、その天辺の浸食の結果137mとなっています。この建造者であるクフ(紀元前2589~2566)は、エジプト学者によれば、第4王朝の二代目の統治者だということです。
いつ大ピラミッドの建造が始まったか、明白な証拠がないと知って、
カイロ大学の考古学の教授アブドゥール・ヘリム・ノア・アル・ディーン氏(論争の的になっている研究に参加した)は、彼は同僚と科学的な
アプローチを適応したと主張します。
「われわれは考古学的、そして天文学的な手がかりに因っています」
カイロ大学の考古学の教授アル・ディーン氏は言いました。「たとえば、大ピラミッドのある部屋の内部では、『クフ王の治世16年、氾濫季第一月』と読める、この記念物を建造した人たちによる記録があるのです。それは、増水が――石のブロックを運ぶ船を助け、この地に漕ぎ込むために――このエリアを覆い隠す必要があったことを示します」と彼は説明しました。
「われわれは、いくつか天文学的な計算結果をも導き出しました。それによって、ピラミッドは8月の22~24日の間に建てられたという結論を下したのです。われわれはだいたいの日にちとして、23日を選びました」
論争は、文化大臣であるファルーク・ホスニ氏を介在させ、
ギザ知事に、「徹底的な調査のためより多くの時間を残す」ため、将来のギザの日の祝賀をすべてキャンセルするようにという要求を促しました。
知事は引き下がりました。
独立した新聞「アル・ユム・アル・サベ」は今週、こう推測しました。
ホスニ氏はUNESCO長官のポストを争っているため、イスラエル人(彼らは先祖がギザのピラミッドを建築したと主張している)を怒らせたくなかったのだろう、と。
「彼(ホスニ氏)は、きたるUNESCOの選出に当たり、ユダヤ人の票を必要としています」その新聞はホスニの文化省に付属する SCAの匿名の先任上位職員の言葉を引用し報告しました。
リポートは、論争のタイミングがホスニにとって折が悪かったのだろうと付け加えました。
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増水時にやっていたと思ってたんですが、
年間通してやってたんですか……?
ピラミッド建築にかかった年数などから算出してるのかもしれないですね……。
記述って言うのは、やっぱり「重量軽減の間」とか言われるあそこの石のどこかにでもあったのでしょうか。
といっても、どれだけ時間がかかったかは、どう作られたかから計算されるでしょうし、そっちもはっきりしていない以上、まだ分からないかも……?
でも、
ギザの知事が、その地の目玉を売りにできない(売りって……)っていうのは、なんだかなあと思ったりです。
お祝いって、何するんでしょうね。
観光客にはよかったかもです。……いや分かりませんが。
●王家の谷・壁画の損害
http://www.rfi.fr/actuen/articles/116/article_4817.asp
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このまま観光のために開かれ続けては、観光客の呼吸が王家の谷の華麗な壁画を殺してしまうかもしれない――エジプトの考古物の長、ザヒ・ハワス博士は言います。
少ない換気と観光客の息は、墓の彫刻や彩られた装飾に損害を与えます。
「湿気と菌類のレベルは訪問者の呼吸のために上昇しています。これは墓が150~500年の間に失われることを意味します」
ハワス氏は言いました。
ネフェルタリ王妃やツタンカーメン王などの伝説的なファラオの埋葬地を含む墓地は、巨大な観光名所です。
エジプト考古最高評議会は、換気装置を設置し、訪問者数を制限し、いくつかの墓を閉じることにより、墓とミイラを保護することを決定しました。
ネフェルタリ、セティ1世、ツタンカーメン王の墓は訪問者の目(と息)からブロックされるでしょう。しかしハワス氏は、同一のレプリカが一般に公開されるようになると言います。
「専門のチームが近々、レーザー技法を用いてこれらの墓を調査し、レプリカを作ろうとしています。それは王家の谷の近くで訪問者に公開されるようになるでしょう」と、彼は加えました。
ツタンカーメン王の墓を含む墓地は、1922年、英国の考古学者ハワード・カーターによって発見され、黄金と準貴石などで包まれた少年王の華麗な石棺が見つかると、国際的な興奮を巻き起こしました。
ツタンカーメンは18王朝のファラオで、紀元前1333年にエジプトの王座に9歳で就き、紀元前1324年に19歳で謎の死を遂げました。
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テーベ・マッピング・プロジェクトって、もしかしてこのためにやってるんでしょうか……。
なんだか、大きな転換期に来ているような気がします。
確かに、今までレプリカなしにそのまま公開していたというのは、保存を考えると無茶なことだったのかもしれません。
数年したら、見れなくなるものも増えるかもしえませんね。
その前に、できれば、見ておきたいなあと思ってしまいます……。
http://dsc.discovery.com/news/2009/08/19/pharoah-tomb-zoom.html
トトメス三世……かな? トトメス四世のものでした(汗)すみません!
こんなのも、見れなくなるんですね……。
もっと綺麗に復元されるのでしょうが……。
●ルクソール地区の開発
http://drhawass.com/blog/press-release-new-developments-luxor
(2009年8月17日)
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エジプト考古最高評議会(SCA)の長官、ザヒ・ハワス博士と、ルクソール最高評議会(LSC)の長であるサミル・ファラグ博士は、
ルクソールの西岸及び東岸の異なる遺跡発掘現場での開発計画がいくつか完成したことを祝い、
また、進行中のプロジェクト(予算は合計でLE?1億2700万)を訪れるでしょう。
アブル・ハガグ El-Loxoriモスクを含んだそれらのプロジェクトは、ルクソール神殿の入り口を変え、デル・エル・バハリの神殿周辺を開発し、ハワード・カーターのレストハウスを今後博物館とするため復旧し、王家の谷に新しい照明システムを設置しました。
アブル・ハガグ・モスクは1286年、スンニ派の首長アブル・ハガグを記念するために建設されました。時の経過とともに、モスクの壁や基礎は損傷を受けてきました。割れ目が壁の至る所に広がり、Mayda’a(水飲み場)からの水が基礎の部分に漏れ出しています。
14か月とLE 1340万をかけた復旧作業がはじまり、モスクを元の壮観へ戻そうとしています。割れ目はいま取り除かれ、基礎は強化され、水飲み場は一新されました。モスクのオープン・コートが開発され、火災警報システムが設置されています。モスクのドームも、モスクを構築するために1286年に再利用されたファラオ時代の柱も、同様に修復されました。
ルクソール神殿の入り口もまた変更されました。
このプロジェクトはLE 72億6000万、18カ月もかかりました。
さらに、デル・エル・バハリ周辺地域は過去15カ月、LE 98億5000万かけて開発されています。
その狙いは、神殿の周辺からすべての無許可の行商人たち(記念物を守るための安全圏を侵食してしまう)を立ち退かせること。そして、神殿に通じる道をすべて舗装しなおすとともに、公的なビジターズ・センターを、カフェテリア、書店、52のバザーを建設することです。
カーターのレストハウスは、1990年代初頭にハワード・カーターの王家の谷での発掘中の住居として使われていたものですが、修復され、彼が発掘中に用いた道具や器具を展示する博物館になります。このプロジェクトはLE 112万1000かけ、4か月続きました。これは今後開かれます。
最後のプロジェクトは、王家の谷に新しい照明システムを設置したことを含みます。この新しいシステムはこれからテストされるでしょう。
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ほんとにビジターズ・センターを作るんですね。ものすごく変わってしまいそうですね。
その前に一度行きたいなあ……。
お金の話が多いですね……。
すごいかかってますね。びっくりします……。