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●ピラミッドは8月23日に建てられた?
http://www.gulfnews.com/region/Egypt/10346772.html
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はじめの一撃は、ギザ知事サイード・アブデュル・アジーズからで、
先月の初め、ピラミッドで有名なこの都市はギザの日を8月23日に祝うだろうと発表しました。
彼は、
この決定が考古学者および天文学者のパネル研究によって完全に得られた結果(大ピラミッドの建設は8月23日に始まったと結論を下した)に基づいたものであると説明しました。
「その研究は不正確です」エジプト考古最高評議の長官、ハワス氏は言いました。「古代の歴史に、いつ大ピラミッドが建てられたかを明らかにするものはありません。大ピラミッドがナイルの氾濫時、仕事がないときにに建てられたとする確信は、完全に誤っています」
「考古学的な発見は、ピラミッドの建造が年間にかけて行われたことを示しました。よって、研究は考古学的資料にしっかりと基づいていないのです。また、古代エジプトの歴史の記録についていえば、SCA(エジプト考古最高評議)だけがこれを施行する権限をもっています」
古代世界の七不思議のリストでトップに上げられる大ピラミッドは、クフ王のピラミッドとしても知られ、カイロの西にあるギザの地で13エーカーものエリアを覆っています。その高さは、元は146mで、その天辺の浸食の結果137mとなっています。この建造者であるクフ(紀元前2589~2566)は、エジプト学者によれば、第4王朝の二代目の統治者だということです。
いつ大ピラミッドの建造が始まったか、明白な証拠がないと知って、
カイロ大学の考古学の教授アブドゥール・ヘリム・ノア・アル・ディーン氏(論争の的になっている研究に参加した)は、彼は同僚と科学的な
アプローチを適応したと主張します。
「われわれは考古学的、そして天文学的な手がかりに因っています」
カイロ大学の考古学の教授アル・ディーン氏は言いました。「たとえば、大ピラミッドのある部屋の内部では、『クフ王の治世16年、氾濫季第一月』と読める、この記念物を建造した人たちによる記録があるのです。それは、増水が――石のブロックを運ぶ船を助け、この地に漕ぎ込むために――このエリアを覆い隠す必要があったことを示します」と彼は説明しました。
「われわれは、いくつか天文学的な計算結果をも導き出しました。それによって、ピラミッドは8月の22~24日の間に建てられたという結論を下したのです。われわれはだいたいの日にちとして、23日を選びました」
論争は、文化大臣であるファルーク・ホスニ氏を介在させ、
ギザ知事に、「徹底的な調査のためより多くの時間を残す」ため、将来のギザの日の祝賀をすべてキャンセルするようにという要求を促しました。
知事は引き下がりました。
独立した新聞「アル・ユム・アル・サベ」は今週、こう推測しました。
ホスニ氏はUNESCO長官のポストを争っているため、イスラエル人(彼らは先祖がギザのピラミッドを建築したと主張している)を怒らせたくなかったのだろう、と。
「彼(ホスニ氏)は、きたるUNESCOの選出に当たり、ユダヤ人の票を必要としています」その新聞はホスニの文化省に付属する SCAの匿名の先任上位職員の言葉を引用し報告しました。
リポートは、論争のタイミングがホスニにとって折が悪かったのだろうと付け加えました。
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増水時にやっていたと思ってたんですが、
年間通してやってたんですか……?
ピラミッド建築にかかった年数などから算出してるのかもしれないですね……。
記述って言うのは、やっぱり「重量軽減の間」とか言われるあそこの石のどこかにでもあったのでしょうか。
といっても、どれだけ時間がかかったかは、どう作られたかから計算されるでしょうし、そっちもはっきりしていない以上、まだ分からないかも……?
でも、
ギザの知事が、その地の目玉を売りにできない(売りって……)っていうのは、なんだかなあと思ったりです。
お祝いって、何するんでしょうね。
観光客にはよかったかもです。……いや分かりませんが。