古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
19王朝プタハメスの墓、発見
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http://drhawass.com/blog/press-release-discovery-tomb-ptahmes
訳します。
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カイロ大学考古学学部がサッカラで新しい墓を発見しました。
調査隊はサッカラのウナス王のピラミッドの傾斜路の南側にある、第19王朝のトップの官僚たちの埋葬地で、プタハ-メス、軍の指揮官であり王家の書記だったという人物の墓を見つけました。
文化大臣ファルーク・ホスニが今日加えた内容によると、
その墓は第19王朝の後半(BC1203-1186)に位置づけられるといいます。
エジプト考古最高評議会(SCA)の事務局長ザヒ・ハワス博士が説明するには、
墓は70mの長さで、多くの通路と礼拝堂を備えており、
この構造はアクエンアテン王の治世に生きた、王の印章持ちプタハ-イム-ウイヤ(Im Wiya)のものとよく似ている、ということです。
プタハ-イム-ウイヤの墓は2007年にサッカラにおいて、オランダの調査隊に発見されました。
カイロ大学考古学学部の前学部長Ola El-Egezi博士は、
墓の所有者がいくつもの政治ポストについていた――世継ぎの王子、王家の書記、プタハ神殿の監督官などを含む――ことによって卓越した形をしているといいます。
続けて、この発掘でステラもいくつかみつかったといいます。
それらの中に、テーベの三柱神(アメン、ムトそしてコンス)の前に死者とその家族のいる場面画で特徴付けられる未完成のステラが含まれています。
このようなステラは、El-Egezi女史が言うには、19王朝の後半に、アメン信仰が復活したことを明らかにするそうです。
調査隊の代理人であるアフメド・サイード博士は、
発掘の間に、墓主やその妻の彫像の破片がいくつか発見されたといいます。
彩色された、彼の妻かまたは娘のものらしい頭部像も、死者のものである石灰岩の像の下部と一緒に発見されています。
陶製の容器、シャブティの小像および護符もまた砂の中から見つかっています。
調査隊の一員であるヘバ・ムウスタファ博士は、
墓の柱はキリスト紀元に礼拝堂を建てるために再利用されたといいます。またこの墓は19世紀に強盗に遭い、それが壁に悪影響を及ぼしました。墓の破片のいくつかは墓内部の残骸の中で見つかりました。ムスタファ氏は、復旧のためにこれらの欠片をすべて集めている、といいました。
プタハメスの墓の発掘作業は、
死者の石棺とその葬祭道具の置かれた埋葬室へ通じるメインシャフトを見つけるために、続けられるでしょう。
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もう一つニュース記事(下記URL)があるんですが
新しい内容が合ったら、明日以降に加えます。
イスマイリアで19王朝の墓発見
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http://drhawass.com/blog/press-release-new-tomb-discovered-ismailia
2010年4月14日の記事です、すみません!
イスマイリア=スエズ運河西岸中部の県(県っていうんだ!)。
途中から訳します。
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ザヒ・ハワス博士が報告するには、
これは下エジプトで始めて発見されたラムセス時代の墓であるということです。
墓はとても高質で、ラムセス時代から知られている場面を刻み、美しく飾られているといいます。
この墓に加え、発掘ではローマ時代の墓を35もみつけています。
発掘では、ヒクソスの首都アヴァリス(Het-Waretヘト‐ワレト?)の名を刻んだ石灰石のステラも発見されました。そこには、19王朝の王(名前は記されていない)の前にセト神を表現しています。このステラはヒクソスの首都アヴァリス(シャルキーヤのテル・エル=ダバ)とテル・エル=マスクタ(イスマリア)との関係を示しています。
下エジプトの遺物管理者モハメド・アブデルMaqsud博士は、
この墓の中から大きな石灰岩製の棺が発見され、それは墓主ケン・アムンのものであったと伝えます。
彼は19王朝の王の記録の監督者でした。棺はその内側と外側の表面に銘を残していました。墓壁には、墓主のやその妻イシスの肩書き(イシスは「アトゥム神の歌い手」)が刻まれていました。
墓には異なる宗教・信仰の場面が浮き彫りで刻まれています。そのうち最も重要な場面は、死者を悼む一人の女性のものと、死者の書の第125章(審判の儀式)でした。それ以外の重要なシーンは、ホルスの4人の息子のものや、牝牛の姿をしたハトホル女神がデルタの湿原から姿を表しているものです。
墓の中のこれらの場面や肩書きは、ケン・アムンが王の記録を担当していた重要な人物であったことを示します。
この墓の発見は、
この地域とエジプトの東部境界の関係と共に、デルタの歴史とこの地域の配置に関する情報を提供するでしょう。
この遺跡での発掘調査は続けられ、この墓の復旧と保存が始められるでしょう。そしてこの墓と景観はモハメド・アブデルMaqsud博士の監督の下、完全に文書化され、登録されるでしょう。
テル・エル=マスクタはスエズ運河に繋がるナイル川の東の支流近くのWadi Tumilat に位置します。
スエズ運河が構築されていた時、多くのスフィンクス像(ラムセス二世の)およびステラが発見されました。
古代のテル・エル=マスクタはラムセス時代、アトゥムの神殿を備えた居住区であったことはよく知られています。そこには守備隊も備えられ、それはエジプトの軍隊が東へ遠征するための装備を供給しました。
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アトゥム神殿がデルタの東の端にあったんですか……(知らなかった)。
お墓の壁画の写真、もっとほしいですね……。
●他の記事。
お墓は日干し煉瓦で造られ、石のドームの型天井を備えた長方形のものだそうです。
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同じ記事の下のほうに、アクエンアテンのつま先が戻されたとか書いてるのは……なんだろう。
あ、これだ。
http://news.discovery.com/archaeology/king-tuts-dads-toe-returns-home.html
1907年に骨を検査している間に盗まれたとか。
うわー……。本当につま先なんだ……。
●第6王朝の王妃ベヘヌウの埋葬室
(2010.3.3)
http://drhawass.com/blog/press-release-burial-chamber-queen-behenu-discovered
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サッカラのフランス調査隊が王妃ベヘヌウの埋葬室を発見しました。
しかし彼女がペピ1世の妻か、それともペピ2世の妻であったのかは、まだはっきりしていません(どちらも第6王朝の統治者)。
この埋葬室は、調査隊が南サッカラのエル=シャワフ地域にあるベヘヌウのピラミッド(ペピ1世のピラミッドの西にある)の砂を清掃していたときに見つかったものです。
埋葬室は、ピラミッドテキストの刻まれている二つの内壁を除いて、ひどく破壊されている、とハワス氏は加えました。
ピラミッドテキストは、第5,6王朝(紀元前2465-2150)の王家の墓に広く用いられたもので、はじめに見つかったのは、サッカラのウナス王のピラミッド(第5王朝最後の王)の内部からでした。
ピラミッドテキストは王の遺物を保護し、死後その肉体をよみがえらせ、天に昇るのを助けることに関する呪文で構成された、宗教テキストです。
呪文は死後王が通るとされるすべての道に描かれます。傾斜路、階段、はしごにいたるまで、そして最も重要なことには、続き階段にも描かれたということです。(すみません、続き階段flightがどういう部分かわからなかったです)
呪文は助けの神々を呼び出すことにも使われ、彼らが応じない場合脅すようなことさえ書かれていました。
調査隊の代表であるフィリップ・コロンバート博士は、
埋葬室の更なる発掘によって石棺にたどり着いたといいます。
「それは保存状態の良好な、花崗岩の石棺で、王妃の異なった肩書きが見られますが、彼女の夫については何も知らせてくれません」
フランスの調査隊はサッカラのペピ1世の埋葬地帯で作業しており、2007年に25メートルのベヘヌウのピラミッドとピラミッドテキストの破片を発見していました。
ここでは1989年より合計7つの王妃のピラミッド(ペピ1世および2世の)が発見されています。
それらのピラミッドは、Inenek, Nubunet, Meretites II, Ankhespepy III, Mihaと、あとはっきり誰か分かっていない王妃のものと考えられています。
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http://news.yahoo.com/s/ap/20100303/ap_on_re_mi_ea/ml_egypt_antiquities
"We are excited because the texts are well conserved," he told The Associated Press, adding that the queen's titles were written on the walls of the 33 by 16 foot (10 meter by 5 meter) burial chamber inside her small pyramid.
「テキストがよく保存されているので、興奮しています」と(フィリップ・ロンバート博士は)AP通信に語りました。
また、彼女の小さなピラミッドの中にある埋葬室の、10×5メートルの壁に王妃の肩書きが書かれていると言い足しました。Collombert said the mission has worked in the area since 1988 and has unearthed seven pyramids belonging to queens from the dynasty, but this is only the second pyramid with religious texts on the walls.
コロンバートが言うには、
調査隊は1988年よりこの地域で作業をはじめ、この(第6)王朝に属する7つの王妃のピラミッドを発見しているが、
これはそのうち二つ目の、宗教テキストが壁に刻まれたピラミッドだ、ということです。
◇ベヘヌウ王妃のピラミッド・テキスト訳
http://news.discovery.com/archaeology/egyptian-queen-offered-bread-jug-of-beer-at-funeral.html
途中から訳します。
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ディスカバリー・ニュースは
ピラミッドテキスト学者のtopの一人である、ジェームス・P・アレン氏、
ブラウン大学のエジプト学と古代西アジア研究の主任である氏に、新しく発見されたヒエログリフの翻訳を頼みました。
ジェームス・P・アレン、『古代エジプトのピラミッド・テキスト』の著者。
「写真は、供物の教義として知られるテキスト、常に古王国時代のピラミッドの埋葬室・北の壁に刻まれていたものを示しています。
この教義は、すべて二人称で記述されており、そのため、元は実際に、葬儀中に読経神官によって唱えられていたものでした。
供物の教義は、すばらしい食事の準備と提示に伴いました。
たとえば、ベヘヌウ王妃の場合、
唱えること:
オシリス・ベヘヌウ、ホルスの目を受け取れ
それを口に集めよ。
四度示す。
一塊のパンと一杯のビール。
供物は通常、『ホルスの目』と呼ばれていました。隼の神ホルスの目が敵であるセトによって奪われ、後に回復されたという神話に基づいています。
この教義は他のピラミッドからよく証明されているもので、私が見たところでは、ベヘヌウの文は新しいものを大して加えることがないでしょう。
しかし、ヒエログリフはとても綺麗に彫られているため、そこから、古王国時代にこのテキストがどう使われ、誰のために使われたのかを、知ることができるでしょう。」
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2007年に発見されたピラミッド、でよかったんでしょうか。
石棺があった、というわりに、写真がなくて残念です。
●続・ツタンカーメンDNA調査
ナショナルジオグラフィック・ニュース(日本語)より
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100217001&expand
DNA調査によれば彼女(注:ツタンカーメンの母親)はアメンホテップ3世とティイの娘で、夫アクエンアテンとは同父母の“きょうだい”にあたる。
なんと、父も母も同じきょうだいなんですか。
なんかこの辺、ごちゃごちゃしていて分かりづらいですが、
ティイはツタンカーメンのおばあちゃんで、
この「old Lady」といわれてる方なのですね。
髪ふっさふさの。
DNAの状態がかなり良い状態だったとか……。
家系図どこかで作ってないかな……。
あと、これですよね。
さらにツタンカーメンの父は“奇形のエジプト王”ではなかったこともわかった。豊かな腰と腹部、女性化乳房の特徴である胸部の隆起などアクエンアテンの像に見られる女性的な特徴は、遺伝性疾患のためであったとする説もこの研究で覆された。
医療用スキャナーを使いアクエンアテンの遺体を分析したが、そういう異常は見つからなかった。ハワス氏が率いる研究チームは、在位中に作られたアクエンアテン像に女性的な特徴があるのは宗教上の理由や政治的理由によるものと結論づけた。
遺伝性疾患ではなかったんですね。
「アクエンアテンは創造神アテン(男でも女でもない)に自らをなぞらえたため、ああいう、女性的な体系で描かれた」
という話なんですが、
当時の図像でああいう体型なのって、アクエンアテンだけじゃないですよね……?
王と王妃と子供たちの図とか、みんな同じ体型ですよ。
なんだか、全体的にあんな感じなイメージがあるんですが、美術様式が変わっただけとか、そういうふうには考えられないのでしょうか。
曲線の美に目覚めちゃったとかじゃないですかね~……。
本来ファラオは力強いのが良いとされていたのに、
アマルナ美術=写実的なら、実際多くの疾患を抱えていた王が、力強い感じでなく、痩せていて、それを隠さず表現してた、とか……。
美術なんで、作った(描いた・彫った)人は、その「型」の中で、自分のできる最高の美を表現するはずだから、
まったく同じでは、なかったでしょうが……。
もしくはその「型」が、男女差別をなくそう、みたいなものだったのかな。
いや、どっちでもいいんですが……
なんかしっくり来なくて。
とにかく、認識を改めます……!
●ツタンカーメンの父と死因
これまでいろいろと議論の的になっていたことについて、
分かってきたことがあるようです。
17日付の米医学誌「ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション」によると、
ツタンカーメンについて、科学的な調査の結果以下のようなことが分かったそうです。
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http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2696217/5331084
「これまでに多くの研究者たちが、戦車からの落下、馬などの動物に蹴られた、敗血症、大腿骨骨折に伴う脂肪塞栓症、後頭部殴打による殺害、毒殺などの仮説を立ててきた」
が、
威厳のある王というこれまでの描写よりもむしろ、「若く虚弱で、骨壊死症のために歩くのに杖を必要とし、ときにフライバーグ病(第2ケーラー病)の痛みに苦しみ、右足は欠指症で、左足は内反足だった」
父親については
遺伝子指紋法によりY染色体の部分情報から、古代エジプトで宗教を改革しようとしたアクエンアテン(Akhenaten)王(紀元前1351~1334年)が、ツタンカーメンの父であると特定。母はアクエンアテン王の姉妹であるとした。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100217-00000027-jij-int
「歩くのにつえをついていた虚弱な王だった」としている。
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●ナショナルジオグラフィックの記事
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2010021701
ツタンカーメンの母のミイラ(名前は不明・アクエンアテンのきょうだい)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2010021702&expand
ツタンカーメンの母親は、アクエンアテンの正妃で美しい胸像で有名なネフェルティティだとの説もあった。しかし、ネフェルティティとアクエンアテンに血縁関係があったことを示す史料が無いため、今回の発見でこの説は見直しを迫られそうだ。
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パパはアクエンアテンでしたね……。
女性のような体つきを実際にしていたという証拠は発見されていない、とのことです。
ツタンカーメンとアンケセナーメンは普通に姉弟婚ということだったのですね。
また記事探してきます。
※2/18追記
フライバーグ病(第2ケーラー病)は、
足の人差し指にあたる指の、付け根の部分の骨に異常が起こる病気で、
10代の、特に女性に多いと(現代では?)されています。
うずくような痛みを伴い、歩行が困難になるとのこと。
そして、骨折は、左大腿骨でしたよね。
亡くなる数日前かそれくらいに骨折しただろうというし、
杖は、骨折するより前から(フライバーグ病のために?)使っていたかもですよね。
足の障害が多いですね……。
18王朝って、近親婚のし過ぎで滅びちゃったのかな。