古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
イスマイリアで19王朝の墓発見
●
http://drhawass.com/blog/press-release-new-tomb-discovered-ismailia
2010年4月14日の記事です、すみません!
イスマイリア=スエズ運河西岸中部の県(県っていうんだ!)。
途中から訳します。
***
ザヒ・ハワス博士が報告するには、
これは下エジプトで始めて発見されたラムセス時代の墓であるということです。
墓はとても高質で、ラムセス時代から知られている場面を刻み、美しく飾られているといいます。
この墓に加え、発掘ではローマ時代の墓を35もみつけています。
発掘では、ヒクソスの首都アヴァリス(Het-Waretヘト‐ワレト?)の名を刻んだ石灰石のステラも発見されました。そこには、19王朝の王(名前は記されていない)の前にセト神を表現しています。このステラはヒクソスの首都アヴァリス(シャルキーヤのテル・エル=ダバ)とテル・エル=マスクタ(イスマリア)との関係を示しています。
下エジプトの遺物管理者モハメド・アブデルMaqsud博士は、
この墓の中から大きな石灰岩製の棺が発見され、それは墓主ケン・アムンのものであったと伝えます。
彼は19王朝の王の記録の監督者でした。棺はその内側と外側の表面に銘を残していました。墓壁には、墓主のやその妻イシスの肩書き(イシスは「アトゥム神の歌い手」)が刻まれていました。
墓には異なる宗教・信仰の場面が浮き彫りで刻まれています。そのうち最も重要な場面は、死者を悼む一人の女性のものと、死者の書の第125章(審判の儀式)でした。それ以外の重要なシーンは、ホルスの4人の息子のものや、牝牛の姿をしたハトホル女神がデルタの湿原から姿を表しているものです。
墓の中のこれらの場面や肩書きは、ケン・アムンが王の記録を担当していた重要な人物であったことを示します。
この墓の発見は、
この地域とエジプトの東部境界の関係と共に、デルタの歴史とこの地域の配置に関する情報を提供するでしょう。
この遺跡での発掘調査は続けられ、この墓の復旧と保存が始められるでしょう。そしてこの墓と景観はモハメド・アブデルMaqsud博士の監督の下、完全に文書化され、登録されるでしょう。
テル・エル=マスクタはスエズ運河に繋がるナイル川の東の支流近くのWadi Tumilat に位置します。
スエズ運河が構築されていた時、多くのスフィンクス像(ラムセス二世の)およびステラが発見されました。
古代のテル・エル=マスクタはラムセス時代、アトゥムの神殿を備えた居住区であったことはよく知られています。そこには守備隊も備えられ、それはエジプトの軍隊が東へ遠征するための装備を供給しました。
***
アトゥム神殿がデルタの東の端にあったんですか……(知らなかった)。
お墓の壁画の写真、もっとほしいですね……。
●他の記事。
お墓は日干し煉瓦で造られ、石のドームの型天井を備えた長方形のものだそうです。
*
同じ記事の下のほうに、アクエンアテンのつま先が戻されたとか書いてるのは……なんだろう。
あ、これだ。
http://news.discovery.com/archaeology/king-tuts-dads-toe-returns-home.html
1907年に骨を検査している間に盗まれたとか。
うわー……。本当につま先なんだ……。