古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●第22王朝オソルコン2世のブロック発掘
2011.6.27
ザヒ・ハワス博士のブログ
http://www.drhawass.com/blog/press-release-latest-archaeological-discovery-san-el-hagar
(上の記事をおおまかに訳します)
フランスの考古学チームが
サン・エルハガル(タニス、下エジプト東部デルタ)で何百もの彩色また刻銘のある石灰石のブロックを見つけました。
ほとんどは、第22王朝の王、オソルコン2世に属するもので、
女神ムトの神殿か礼拝堂に使用された可能性があるとしています。
チームは発掘は完了しており、これから研究を進め再建を目指し、
どちらかを確かめたいとしています。フランス発掘チームのディレクター、Philippe Brissaud博士は
これらを聖なる湖の壁をなしていたものと見ており、
湖は30×12mで深さ6mほどと考えられるといいます。
チームは120ほどのブロックの洗浄を終えていますが、そのうち78個に碑文が刻まれています。
碑文に書かれた「イシェル湖の女主人ムト」という肩書きは、第21,22王朝の間にこの女神と湖を示していたものですが、そのうち二つは、オソルコン3世か4世のものです。ここサン・エルハガルは
「北のテーベ」とも呼ばれ
第21~22王朝には、王都となった場所です。
アメン神の神殿跡が多く見つかっている場所で、ブロックは
後代またプトレマイオス期に再使用されていたようです。
****
・AFP通信の記事(王を刻んだブロックの画像あり)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2809074/7433326
・Past Preserves(大きめの画像3つ、上記のものと、彩色ブロック、発掘現場の画像あり)
http://pastpreservers.blogspot.com/2011/06/latest-archaeological-discovery-from.html
●新しく見つかったラクガキを解読!?
クフ王のピラミッドの
シャフト奥で見つかった(取っ手のある石の奥の空間で)
建設者のラクガキか、サインみたいなものが見つかったことについて
解読されたようです!
早かったですね……。
参考サイトはこちら↓
http://news.discovery.com/archaeology/pyramid-hieroglyph-markings-archaeologist-110607.html
・これは、数字のサインだった
・ヒエラティックで書かれており、右から左へ、100、20、1と読める。
・120(キュービット)を示しており、それはこのシャフトの長さである。
・121は11×11。7,9,11の倍数はピラミッドによく使われている。
これは
古代エジプト数学の専門家、ルカ・ミアテロ(Luca Miatello)氏の指摘です。
どうやら、ザヒ・ハワス博士らも、この左二つについては「“21”と読める」と報告していたようです。
ヒエログリフの専門家、James P. Allen教授も同じ見解のようです。
*
長さを示した。
なるほど、という感じで……。
はじめからこの長さって決めていたんですね。
線の位置があれっ?て感じとか、100がはっきり分からないとかあるですが……(笑)。
↑ヒエラティックと比べてみました…。
ヒエラティック数字の一覧はこちら。
http://www-history.mcs.st-and.ac.uk/HistTopics/Egyptian_numerals.html
http://www.britannica.com/EBchecked/media/68835/
◆ジェディ・プロジェクトのこれから
ロボットに高解像度のカメラを装着して、8月には更に詳しく調べる予定、とのことです。
****
ブログの関連記事
・王妃の間、シェフト内(ジェディ・プロジェクト動画)
http://siryoumemo.blog.shinobi.jp/Entry/198/
・クフ王のピラミッドで小さな発見
http://siryoumemo.blog.shinobi.jp/Entry/195/
●クフ王のピラミッドで小さな発見
長らくお待たせいたしました。
日本でもテレビで放送されました、クフ王のピラミッド、王妃の間のシャフト奥にあった、取っ手つきの石。
だいぶ前にされた調査で、あれが今どうなってるのか、
新しく開発された機械に『ジェディ』(ウエストカー・パピルスという、クフ王が登場する物語に出てきた大賢者)の名前をつけ、ジェディ・プロジェクトと命名されたこの調査企画!
やっと、小さくはありますが、
「何か」を見せてくれましたよ!
*
何の話だろう、という方のために
過去記事はこちら。
http://siryoumemo.blog.shinobi.jp/Entry/76/
王妃の間、南のほうのシャフトですね。
すっかり忘れていましたが、これ(取っ手のついた石)に、穴を開けたのでした。
すると、また向こうに、第二のブロックが。
こりゃ、たとえ取っ手つきの石を壊しても、先には進めないな、という……。
そこでどうやら、カメラを使って穴の向こうを撮影してみたらしいのです。
***
まずは、図で見てみたいと思います。 http://www.newscientist.com/articleimages/mg21028144.500/0-first-images-from-great-pyramids-chamber-of-secrets.html
こうしてみると
まあ、だいぶ上のほうに登ったものですねえ……。
ここまでくると、このシャフトが秘密の部屋に通じている……というのは、ちょっと考えにくいかもですね。
そして
この、取っ手のある石も、図で見るとあまり分厚くなく。
穴を空けた先、少し向こうに、これによるとずいぶん大きくて分厚そうなブロックがあるようです。
(実際、どれだけ大きかったり厚かったりするかは、まだ分かってませんが……)
本文を読むと、このブロックは磨かれていないものだということです。
この、
取っ手のあった石と、ブロックの間に、空間が出来ていて、
その空間を「secret chember(隠された部屋)」と表現していますがどう見ても部屋ではないですよね。 部屋ではなく、空間という意味がちゃんとありました。知識不足ですみません。
しかし!
ここでの「発見」はそういうことではなく、
この空間の、床の部分に、
何か書かれたあとのようなものを見つけた(カメラがとらえた)と、言うんですね。
その画像が、こちら
http://www.newscientist.com/articleimages/mg21028144.500/2-first-images-from-great-pyramids-chamber-of-secrets.html
はい
正直、何かさっぱりわかりません。
線のようなものと、丸の下に紐が二本伸びてるようなものが見えるような…。
色が赤茶色で、
ラクガキや、どちらかというと「印」みたいだな、と。
これは、例えば王の間の上部、重量軽減の間と呼ばれている部分にみられる
建設当時の、労働者のラクガキというか、チーム名というか、
あれみたいなもんじゃないかな、と。
これみたいな。(遊学舎/吉村作治エジプト博物館 http://www.yugakusha.net/study/yoshimura_egypt/200807/200807-2.html より)
ついでにクフ王のピラミッド内部の落書きについてはこちら
http://siryoumemo.blog.shinobi.jp/Entry/186/
ということで
新しい画像で見られた赤茶のなにかが
ヒエログリフだったとしても
これだけじゃなんて書いてあるのかわからないですね…
とにかく
「このピラミッドが建てられた後、約4500年間、誰の目にも触れることがなかった!」
というのは、まあ、本当……だと思います。場所が場所だけに。
エジプト学者には
これが解読されれば、このシャフトの存在理由が明かされるかもしれない、といっている人がいるそうですが
そこまでの期待はしないでおきます……。
*
もう1つの小さな発見は
このカメラが、取っ手のついた石の、裏側も撮影したということですが、
この石は、表を見たときから、上質の石灰石、おそらく古代エジプト時代でも質が高い石が取れることで有名だったトゥーラ産のものだろうと言われていました。
表が、きれいに磨かれていたんですよね。
そして裏のほうはというと、
こちらも、またきれいに磨いてあったそうで……
まあ、どっちが裏か表かはわからないですが。
そんなわけで
この石が「無意味」なものだったり
ただの「止め石」だったりは、しないんじゃないか、と考えられているようです。
***
一番上の、
参考サイトの一部をちょっと訳してみます。
Kate Spence, an Egyptologist at the University of Cambridge who was not involved in the study, suspects that since the narrow tunnels can serve no practical purpose, they are almost certainly symbolic. "The metal pins look like symbolic door handles, and the shafts from the Queen's Chamber are oriented north-south, not east-west, so I strongly suspect that their function is symbolic and relates to the stars, not the sun," she says.
ケンブリッジ大学のエジプト学者、ケイト・スペンスは、
(この調査には参加していませんでしたが)
この狭いトンネルには実用的な目的はなく、ほぼ確実に象徴的なものであろうといいます。
「金属のピンは象徴的な扉のハンドルのようだし、王妃の間から伸びるシャフトは東西ではなく南北を指し示しています。
ですから私は、これらの機能は象徴的なもので、太陽ではなく星々に関係しているのではないかという考えを強くしています」
ピラミッドテキストに、王来世に旅立つとき開くべき扉があるという記述がある、
とのことだったですよね。
この部分は、「なぜ王の間には扉がないのか」という疑問を呼んでいましたが
このページに、参考になりそうなことが書いてありました。
While the King's Chamber originally contained Khufu's sarcophagus and possibly his mummy, the Queen's Chamber probably didn't contain the remains of a queen: Khufu's wives were interred in three smaller pyramids of their own. Instead, Spence speculates that the Queen's Chamber may have contained a "ka" statue of the pharaoh. In this interpretation the shafts were built to allow Khufu's ka, or spirit, to cross to the afterlife.
王の間はもともとクフ王の石棺やおそらくミイラも収められていたと考えられますが、
王妃の間はたぶん王妃の遺物が収められていたわけではないでしょう。
というのは、クフ王の妻たちは自分たち用の三つの小さなピラミッドに入っているからです。
しかしながら、スペンスは王妃の間が王の「カー」の像を収めた場所であると推測しています。
この説をとれば、このシャフトは王のカーまたは魂が来世へと旅立つ時に通れるようにするためのものだということになります。
カーの像。なるほどという感じです。
ジェセル王のピラミッド複合体にもカーの像があったですよね。
穴から覗けて(いや覗くのはカーのつもりなんでしょうが)、その手前に置かれた供物を受け取るんですよね。
でもピラミッドの中に用意しちゃって、供物を受け取れたのかな…。
またそういうことについて、考え方が変わったのかもしれませんね。
あまり詳しく知らないので、それまでやその後と比較したり出来ないんですが……。
スペンス女史は
このシャフトは第二のブロックで「終わり」であり、この先には部屋などない、と言っています。
そしてもう一言。
"However, it's fascinating from a symbolic point of view, and this sort of work will allow us to get at the intention behind the construction of the pyramid."
「しかしながら、これは象徴的な視点で見るととても魅力的で、この種の仕事はピラミッド建立の意図を私たちに知らせてくれるでしょう」
一方、
ザヒ・ハワス博士の見解はこうです。
...no other pyramid is known to have a tunnel and doorway like this, which, he says, suggests there could be a hidden room. "The King's Chamber may have been a dummy room, since the most important thing in the mind of the ancient Egyptians was to hide the burial chamber," he says. "We have a story that the magician Djedi met Khufu, who was searching for the god Thoth so he could find the secret of hiding his pyramid. Based on that maybe there is something hidden in the pyramid."
他のピラミッドにはこのような、隠された部屋があることを示唆するようなトンネルや戸口はない、と彼は言います。
「王の間はおそらくダミーだ。古代エジプト人の最も大事にしていたことは、埋葬室を隠すことだったのだから」と、彼。「ピラミッド隠蔽のための秘密を見つけるため、トト神を探し求めていたクフ王が、魔法使いジェディと出会う話を、われわれは知っています。ですから、ピラミッドには何か隠されているものがあるはずなのです」
何か悲痛に響く感じが……
いやでも、あるかもしれないと個人的には思っていますし、あってほしいですね。
例えこれが、それを示唆するものでないとしても。
可能性はまだある、と思っています。
それより
スペンス女史の言っていたとおり
たったこれだけのラクガキでも、情報には違いないですよね。
何より、扉のように見せた石の存在は、やはり無意味とは思えず、そこから「何のために~」の答えが少しでも見えてくるのではないかと。
また、
北側シャフトにも同じような扉があるとのこと、
そちらも調べるのでしょうか、気になります。
ところで
北は、北極星の存在で納得いくんですが、
南は……なんだろう。船に乗る? なぜ南?
疑問は尽きません。
******《追記》******
こちら Discovery News も参考に。
http://news.discovery.com/archaeology/pyramids-hieroglyphs-robot-mystery-110526.html
下のほうを見ると、
次はこの空間の奥にあるもうひとつの石の厚みを調べるようです。
超音波で「叩く」のだとか。
それによって、分厚いブロックか、薄い石なのか、わかるようです。
薄ければ、その先も穴を開けてみようと思うでしょうね、たぶん……。
その次は、北側を調べる予定だそうです。
予定としては、この2011年の終わりまでに調査を終えたいとしています。
●クフ王のピラミッドには「二つの“控えの間”」がある?
動画(フランスのニュース番組?)3Dで分かり易いです(本文中にもあり)。
http://bit.ly/eHbMan
ピエール・ウーダン氏の説だそうです。(こちらは、ニュースを見てのまとめブログ)
http://perspectives.3ds.com/surprise/khufu%e2%80%99s-secret-rooms/
意訳します。
****
(ピラミッドの)建設に内部回廊を用いていたという説を立ち上げたことによって、
ジャン・ピエール・ウーダン氏は“欠けている何か”を明らかにすることが出来たと考えています。
友人マハディ Tayoubi とダッソーシステムズのリチャード・ブライトナーがそれ手伝いました。
ほとんどの人々が、
クフ王のピラミッドの王の間は内側から閉じられたのだと信じています。
しかしもしそうならば、そこにはたくさんの死者の遺体が残されてなければなりません。ところが、王のもの以外の骨はひとつも見つかっていないのです。
(王の骨は見つかってるんですか)
ウーダンは、部屋は外側から――物理的にはまだ突き止めていない、もしくは探索されていない、ある通路から――閉じられたと信じています。
通路、それは二つの葬祭前室に繋がるものです。
葬祭前室とは……?
(クフ王のピラミッドの)断面図には、王の間と、大回廊、王妃の間、そして未完成の地下の間だけが示されています。
ウーダン氏にはクフ王の父がどのように彼の埋葬施設、赤のピラミッドを設計・建設したかを検討するための天才的なアイデアをもっていました。
彼の父が死んだ日、クフは自分自身のピラミッドを建てる計画をスタートする必要がありました。そのために、クフが(父のものを建てることで)堅実な経験をすでに得た建築者を雇ったというのは論理的な考えです。そして、赤のピラミッドにはクフのものと関連付けられていそうにないある証拠が含まれているのです。
それが、二つの「葬祭前室」と通路です。
葬祭用の通路と前室は、儀式の間用いられた道具や葬祭家具などを運び入れ、蓄えておくために不可欠です。王がいつ亡くなるかは予測不可能なので、その前に全てを用意しておく必要があるのです。
前室の位置は、儀式のための道具を王の間に滑り込ませるための物流的戦略上、(王の間の)すぐ傍にあるでしょう。儀式のあと、彼らは前室に引き上げ、接合部の通路から、最後の花崗岩の石を設置し、永遠に王を来世に封じるのです。
ウーダン氏はどうやって彼の説を検証するのか?
決定的な証拠となるのは、物的な証明のみ。
しかし、ソフトウェアでのシミュレーションが説得してくれます。
赤のピラミッドと同じ寸法の、そして同じ建築要素をもつ前室を、クフ王の(ピラミッドの)3Dモデルに持ってくるとで、ウーダン氏そしてリチャード、マハディはその問いに対する答えを見つけました。
例えば、すでに探査された(王妃の間から通じる)通気口の独特のねじれとその方向は、ちょうど前室のコンポーネント(構成要素)を避けるためだということが分かるのです。
これらのことは、フランスのニュースビデオを見るとよく分かります。
http://bit.ly/eHbMan
******
個人のブログみたいなので、この辺で。
2011年1/27日の記事です。ニュースも同じ日なのかな…?
言葉は分からないけど、見るとよく分かります。
特に、通気口の「ねじれ」を根拠にしているところが興味深いです。
今分かっているのが全てではないかも。
みんな、そうかもしれないと思いながら、調べる方法が見つからない。
これも、実際どう確かめることが出来るだろう……?
王の間から伸びる通気口の先の、とってのある扉の向こうもまだ分かってませんが、
これは、図で言うとどの辺になるのでしょうね。
あわせて考えてみたいですね(関係ないかもですが)。
こちらにも記事があるので、一応あげておきます。
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5iMCQvP84YQG7b1iyE8bP_uI0PlXw?docId=CNG.b27ce982d5a2c46fdde0c964ca0fcea9.ca1_
関連記事が出たら、チェックしたいです。
●屈折ピラミッドの「船着場」?発見
http://heritage-key.com/blogs/owenjarus/huge-structure-discovered-near-snefrus-bent-pyramid-egypt-may-be-ancient-harbour?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+hkblogs+(Heritage+Key+-+Blogs)&utm_content=Google+Reader
2010.8.25の記事です。
要訳します。
****
ドイツ考古学学会のカイロ支部とベルリンのフリー大学?は
磁気探査とボーリングコアの探査を使って
スネフェルの屈折ピラミッド付近で巨大な建造物を発見しました。
おそらく古代の船着場だろうと考えられるそれは、
ピラミッドの神殿のうちひとつと140mの参道で結ばれています。
それ自体はまだほとんど発掘されておらず、参道の一部のみが掘り出されています。
建造物は90×145mのU字型で、
日干し煉瓦で造られており、東側の壁がありません。
「これは船着場か、それに似た何かであったように思われます」
カイロのドイツ考古学学会ニコル・アレクサニアン博士は言います。
運河を引いてこの地域に船が入ってきた可能性がある、とのこと。
船着場は後代のピラミッドで知られ、
ファラオの遺体を受け入れる役目があったと考えられています。
しかしながら、この新しく発見された構造が屈折ピラミッドの創設者(スネフェル王)の埋葬のために使われたというのは、考えられません。エジプト学者の間では、(スネフェル王は)最終的に赤のピラミッド(屈折ピラミッドより2km北に位置する)に埋葬されたと広く信じられているのです。
スネフェルは第4王朝の初めの統治者であり、
ダハシュールに2つ、メイドゥムに1つのピラミッドを建造しました。
これらは初めて作られた「“真正”ピラミッド」――側面が滑らかなもの――として知られています。
彼の死後、息子のクフが王座を継ぎ、ギザの大ピラミッドを建造しました。
<140mの屋根付き参道>
参道は神殿の真東に伸び、アーチ型の屋根を持っていました。
これはピラミッド複合体に屋根ありの参道が使われた初めの例となります。
「壁は3m近くと驚くほど高く作られています」
アレクサニアン博士は言います。
「驚くほど切り立っていて、まるでトンネルのようだわ」
参道の内部には2.5m幅の通路が残っています。壁は長い間維持されてきたらしい、装飾のない白と黄の漆喰で一列になっています。
「漆喰が4層になるため、何度か修復されたことが分かります」
「異なる層の漆喰の風化状態をみると、参道はかなりの期間、少なくとも40年間は使われてきたと推測されます」
<屈折ピラミッドの建造>
考古学者は、スネフェルがなぜ4つもピラミッドを建造したのか、まだはっきりとは分かっていません。
屈折ピラミッドは、その名が示すように変わった角度をしていますが、建築中に角度を変えたように見えます。
これは、労後者たちが新しい建築技術を得ようとして失敗したことを示唆しています。
しかしながら、ドイツの調査隊による調査は、台地の地質がこのピラミッドの変わった角度に意味づけをすることをほのめかします。
「地面は安定していなければならない――これが、屈折ピラミッドの抱えた問題でした」アレクサニアン博士は言います。
「そこは石だけではなく“taffla”――泥のような部分もあったのです」
「この影響を受け、ピラミッドの基礎作りが困難となり、角度を変更することになったのです」
<大地を平らにする>
ピラミッド建設者が台地を平らに変えたという証拠――東側から石を採掘した――もあります。
調査隊は会議に、ピラミッドの台地の地形を「川の経路や溝の侵食、土壌浸食の過程だけを考慮に入れて説明するのは難しい」と抽象的に書いています。
よって、「ピラミッド台地は直接人の工的なレリーフ型の効果を考えられたのではないか」
つまり、「台地の形状を人為的に変えた」ということです。
アレクサニアン博士が言うには、
台地を平坦にすることは「耕作地から見ればずっとドラマティックに見える」からだという。
古代の人々は平らで、角のとがった、頂上にはピラミッドが建ち、もしかしたらそこへ運河が伸びていたものを、見ていたかもしれません。
その光景は4600年前の人々に畏怖の念をいだかせたことでしょう。
***
訳してみたものの、よく分からなかったのですが(汗)
ピラミッドを建てるときに平らにするというのは、普通のことではなかったのかな、とか
そうしてみたものの、人工では土台が不安定で、そのため角度を変更して安定を図ったのかなとか
勝手に想像していますが……。