古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
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ジュミラック・パピルスについて 2
(以下、各本の該当箇所を抜粋&まとめ)
●
Handbook of Egyptian Mythology
Geraldine Pinch,2002
p80
多くの神話で、特にジュミラック・パピルスで顕著に、オシリスの身体を破壊しようとするセトに対処している。
遺体はトトの魔法と、墓の保護者としてのアヌビスの獰猛性によってうまく保護される。*
p103
上第12州でアンティ(ネムティ)の神像が銀で作られたことについて、
この神が(ジュミラック・パピルスによると)雌牛のハトホル女神の頭部を切り落とした罰で、皮と肉を剥ぎ取られたためであるとする。
【 ※神の骨は銀でできていると考えられていたため。普通神像は金(=神の肉)で作られる。アンティの神像は、肉(金)が剥ぎ取られ骨(銀)が残った状態を表している。ただし、別のバージョンで、ネムティとして表現されるこの神は、ホルスとセトの裁判を行っている離島への渡し守であり、イシスを近づけぬよう命じられていたが、老婆に化けたイシス女神に黄金の指輪を示され、離島に渡してしまう。
そのためにイシスに騙され怒ったセトが、この神を罰するよう求め、爪(隼の姿なので)を切り落とされたという。これらに共通するのは、この神を祀る第12州では黄金がタブーであり、神像に銀を使用しているという事実を説明していること。
アンティについての記述は
The Routledge Dictionary of Egyptian Gods and Goddess
George Hartに詳しく、
p23には、これらに加えて
アヌビスに関係する呪物『イミウト(首を切った動物の肉を棒に吊るし、流れ出る血を下の器で受け取るもの)』の説明も含まれている、と記してある。
(罰として剥ぎ取られたアンティ神の皮と肉であるという説明)
また、『雌牛女神の首を切った』ことが上第22州の牛頭の像にあらわされている(雌牛の頭部像があったらしい)。
↑
ジュミラック・パピルスでは
「アンティがAtfihのある上第22州で犯した罪によって皮と肉をはがされ、それを吊るされたこと」
「アンティが罪を犯した後、トトがAtfihの牛女神の頭部を元に戻したこと」
についてが書かれ、二つを総合して上のようなことが判断される。】*
P132
ホルスの目がセトにえぐられ、山肌に埋められ、そこから睡蓮が生じた、というたエピソードについて、
ジュミラック・パピルスでは、ホルスの目を入れた箱を山肌に埋めるのはアヌビスだった。
ホルスの目は(トトやハトホルにガゼルのミルクを注がれたのでなく)、イシスが水を注ぐことで復活し、そこから最初のぶどうのつるが生えたという。
このことは、ワインや食物、香料を『ホルスの目』として神殿で神に献上することを説明していると見られる。
ホルスの埋められた目から有用な植物が生じるという考えは、彼の父オシリスの身体から穀物が生じるとした神話と類似している。
***
●
Magic in Ancient EGYPT
Geraldine Pinch
p39
ジュミラック・パピルス内では、
アヌビスはホルス軍のリーダーとして表現され、
その残忍さはセトに匹敵します。*
p51
(ジュミラック・パピルスでは)
セトがかつて、オシリスを殺したあと自身をヒョウに変身させて逃げ、
アヌビスがそれを捕まえ、押した烙印が、ヒョウの柄になったことから、
ヒョウの皮を儀式時に身につけるのは、こうしたセトへの勝利を記念したためだと説明しました。(ヒョウやその他の動物の柄は、かなり初期の儀式物にも見られ、それらは死者の領域でもある夜空の星とみなされていました)
*
p110
ジュミラック・パピルスには
オシリスを守る魔法の効果を持つものをセトとその一味が盗み出そうとする様子が描かれています。
***
●
EGYPTIAN MYTH
A Very Short Introduction
Geraldine Pinch
p63
ジュミラック・パピルスには、ジャッカル州(上第17州)の地名、儀式、特徴的な(変わった)植物、鉱物、地形状の特徴などを説明する神話・伝説が多く書かれています。
一つの章に書かれているところによると、
セトが自軍をある山に集めたとき、アヌビスは夜に彼らを攻撃し、一撃で彼らの頭をすべて切り落としました。
そのとき山に赤い血が流れ、そのために、その山では赤い鉱物が取れるのだ、とあります。
これはまったくローカルな神話ですが、しかし国家的な神話エピソード(ホルスとセトの争い)の形がとられています。このパピルスに書かれた物語のほとんどが、元の神話を「地域化」させたものです。
ジャッカル州の川岸、町、丘などが、
オシリスの埋葬のための、セトを打ち負かすための、イシスとホルスが勝利するための舞台となりました。*
p98ジュミラック・パピルスはホルスの目についてやオシリスの身体についての物語を地域化して、いくつか含んでいます。
そのうち一つに、
オシリスの身体を勝手にさわろうとしたセトがアヌビスに罰せられるものがあります。
セトの肉は焼かれ、その匂いが天のラーにまで届きました。
ヒョウの姿をしたセトの皮は切り取られ、烙印を押され、アヌビスにマントとして羽織られます。これは、神官がヒョウ柄のマントを羽織っていることを説明したものです。
*****
断片だけ集めるといろいろあるような気がします…。
なのに探している箇所がなかなか出てこない(笑)
トトがラーの供物をちょろまかしてる、とバビが告発する、という話は
Daily life of the Egyptian Gods
Dimitri Meeks, Christine Favard-Meeks
p44
にありましたが
ちょろまかしたかどうかは明記されてないようです。
ただし、『ちょろまかしたのを知ってるぞ(だから告発されたくなかったら言うこと聞いてね)』という内容の護符があるようです。
ジュミラック・パピルスは関係ないかも…? 何に書かれていたのか分かりません。
何かの由来を説明しているとか神話らしくて好きです。
こういう物語がたくさんあるのかな…。
また気が向いたら調べるとします。
ジュミラック・パピルスについて
Jumilhac papyrus
●基本情報
プトレマイオス期後(紀元前一世紀)
9m ルーブル
ヒエログリフの簡略形で書かれ、死者の書のような挿絵付の、
神話の地理的論文である。
上エジプト第17州のインプウト(ジャッカルの都市)にて美しいヒエラティックで書かれたもので、この州と第18州についてさまざまな伝説を記している。
パピルスには、
復興主義の下、古王国時代のもの(それらは虫食いなどの損傷を受けていた)を写し取ったものである、とかかれている。
3つの部分からなり、第一部は諸州の神々について、第二部は諸州の聖なるもの(例、聖樹、聖湖、宗教的タブーなど)について、第三部は各礼拝地のリストについて書かれている。
はじめの持ち主が23のシートに切り分けたらしい。のちにヴァンディエ(Jacques Vandier フランスのエジプト考古学者。1952-1978)が受け取り、彼による論文が1961年フランスで発表された。
The Jumilhac Papyrus, CNRS, Paris, 1961
●画像
●内容について
(さまざまな記述の抜粋)
Egypt, trunk of the tree: a modern survey of an ancient land, Volume 2 By Simson R. Najovits
(著者はラジオフランスインターナショナルの元編集長で、作家)
(※かなり省略してまとめています)
セトが無秩序、不毛、悪と同化しているだけでなく、ありえそうな調和(和解)を全然ふくんでいない。
少なくとも8度は殺され、毎度生き返っていた。セトは、二元論の両立を証明するため、正義の裏に必ず存在せねばならない概念を表現したものだった。
セトがついに王位を得たのは、オシリスの臓物を盗むことによってだった。そうしてエジプト全土への影響力を再び得た。
しかしセトは結局、ほんの一時的に王位を継いだだけだった。イシスが彼を噛み千切り、ヒョウに姿を変えたセトはアヌビスに焼き殺される(セトの肉の焼ける臭いをラーや他の神々も楽しんでいる)。
セトは再びよみがえり、この件でイシスを強姦しようと雄牛の姿で追い回すが、イシスは尾がナイフになった犬に姿を変えて逃げ、セトは結局イシスを捕まえることができず、砂漠の大地に射精する。そこでイシスがセトである雄牛を軽蔑する声を上げる。イシスは蛇に姿を変え、セトをかみ殺す。
セトを殺し、セトが生き返るのを繰り返し、アヌビスは隼の姿でホルスの目を回復させ、トトと協力してオシリスを復活させると、セトを砂漠へおいやろうとする。
セトはトトの書物(裁判の記録?)を盗んだりしたが、最後に大きな戦いがあり、ホルスがセトを殺すことで幕を下ろした。
セトの信仰地も、州も荒廃させ、名を削り、像を壊し、セトの手を切り落としてメスケティウ(天の大熊座)に送り、セトはそこで悪(霊?)に守られ、ほかの神がやってくるのを妨げる。
***
The Gazelle in Ancient Egyptian Art
Image and Meaning
Asa Strandberg
Uppsala,2009
http://www.scribd.com/doc/56724102/Full-Text-01
p168-174
(※ガゼルがテーマの論文で、gHs=ゲヘスはガゼルを表す語であることから、gHst=ゲヘセトという地名に注目しているようです)
このパピルスに書かれていたのは主に自然についての神話で、
地域の伝統によってホルス神と密接に関係するようになったアヌビス神の形によって特徴付けられる、オシリスの死と再生の物語のいちバージョンに関連しています。その中には「Gehesetゲヘセト」に言及した部分が二箇所あり、
イシス女神がセトとその一味から死んだ夫(オシリス)を保護する役割を含みます。
女神はセトを積極的に追い、(そのために)さまざまなものに変身します。
はじめは獰猛な雌ライオンのセクメト、そしてナイフのような尾を持つ犬(Tsm=チェセム)、そして最後に蛇(Hfty=ヘフティ)です。
どの外観でも、彼女はハトホルに関連付けられています。wnn Sm[-s] mHtt n spAt
そうして彼女は州の北へと向かった。
ir.n-s khpr-s m Hfty
彼女は蛇に姿を変えた。
aK.n-s n Dw pn Hr mHtt spAt tn
彼女は州の北のこの山へと入っていった。
Hr rs Hsyw stS m tw-sn tp wkhA
夜にセトとその共謀者が出掛けたときに、それが見えるようにするために。
Dd.tw n-s Hwt Hr nb gHst
このために、彼女は「ハトホル、ゲヘセトの女主人」と呼ばれる。
《ジュミラックⅢ、7-8》女神はセトの同盟者たちを監視し続け、それから彼女は(敵を)打ちます。
akha.n Ddb-s r Aw-sn
彼女は彼ら(敵)に対し怒っていた。
aK.n-s mtwt-s m Haw-sn
彼女は手足に毒を塗ったので
khp-sn Hr am sp wa
彼ら(敵)は一度ですぐに倒れる。
wnn snf-sn khr Hr Dw pn
彼らの血がこの山に流れ落ち、
khp[r] prS m gHst
ゲヘセトのジュニパーベリー(ヒノキ科の針葉樹ネズの実)となった。
《ジュラミックⅢ、10-12》このパピルスの文章の最後のセクションは、ヴァンディエによって『ゲヘセト』という題をあてられている。
そこにはイシスの変身の物語が書かれ、更なる仕上げを加えています。ir gHst
ゲヘセトに関して言えば、
Hwt nTrt n Hwt Hr gHst
ゲヘセトのハトホルの神殿であり
Hwt Hry tp tAwy
二国の長の家であり
Hwt iart sH nTr n Hwt Hr m st tn
ウラエウスの家はこの地のハトホルの聖なる小屋(の名前)である。
Ast pw ir.n-s khpr-s m [i]art
イシスはウラエウスに変身した。
sgd.n-s r smAyw stS
彼女はセトの仲間たちから身を隠した。
nbt Hwt im r gs-s
ネフティスは彼女の側にいた。
wnn smAyw Hr snt Hr-s n rkh-sn
(セトの)仲間たちが彼女の傍を知らずに通り過ぎたとき、
aHa psH-s sn r Aw-sn
彼女は彼ら全員に噛み付いた。
aA-s khAwy-S r Hr-sn
彼女は彼らの手足に2本の槍を投げつけた。
khr snf-sn Hr Dw pn prS
彼らの血はこの山に落ち、流れ、
khpr mwt-sn hr a
彼らの死はすぐに訪れた。
《ジュミラックⅩⅢ、10-15》この一節は言葉遊びを含んでおり、
血の流れ(grS=ゲレシュ)をゲヘセト山の上のジュニパーベリーと(grS)結び付けます。
ゲヘセトに言及した最後の部分は文章の一部に見ることができ、
ヴァンディエによってスケッチとともに注釈されています。
シートⅨの下の部分と所定のセクションXLVIIに見られるように、文章は墓地に葬られる神の描写からはじめられています。
HAt m Sw SAa n wsir nfrw r Hr sA Ast
「シューと共に始まり、オシリスと共に続き、そしてイシスの子ホルスと共に終わる」
文章は続いてそこに葬られた神々をリストにし、それにはゲヘセトのハトホルも含まれます(《Ⅸ、6》)。
この文章の中に見られるゲヘセトについての議論で、ヴァンディエはそれを、ゲヘセトのハトホルと、ウラエウスの神殿がある地域に、信仰上の関係があったことから、「une existence reelle(実在のものである)」と記しています。
ジュラミック・パピルスにおけるゲヘセトが、早期のテキストに見られるものとは違った、神話的な位置づけを持っていることは明白です。
そこはハトホルとしてのイシスが、セトからオシリスを守った場所なのです。
このバージョンにはホルスが奇妙なほど欠けています(描かれていません)。これにはむしろ、オシリスを守る役としてのイシス=ハトホルが描かれています。
彼女が蛇(khfty)の姿でセトを打ち破るというくだりは、この地域にウラエウスの神殿があることから、彼女は実際ウラエウスであるという意味合いを含んでいると考えるのに十分ふさわしいでしょう。
ジュミラック・パピルスにおけるゲヘセトは、イシスが自分自身を太陽の目と関連付けて変身させた場所で、同時に神々の最後の休息の場(墓)でもありました。7.2.8 ゲヘスティ―結びの言葉
ゲヘスティと呼ばれる、二頭の雌ガゼルの地は、
二千年以上の間をあけて、オシリス神話の重要な地として再び生じます。
ピラミッドテキスト上で、オシリスが探され、発見され復活した場所であることから、ゲヘスティは主に復活の場所として、コフィンテキストやマイの「オシリス賛歌」などで個別参照されます。同様に、パ・ディ・セマ・タァウィの石棺の後頭部にいるネフティスと関連づけて、ゲヘスティが死者が起き上がる場所であるということを含蓄しています。ジュミラックの証拠は、イシス=ハトホルの変身と、セトとその一味の敗北と関連付けていることで、ゲヘセトにわずかに異なる焦点を与えます。実際の信仰の場としてとらえるとき、ゲヘセトはppr mrw――今日のコミル(エスナとエドフの間)――と結び付けられていました。そこはグレコ・ローマン期のネフティス信仰センターで、ガゼルのカタコンベ(地下墓地)のある地域でもありました。
その代わりの地として考えられていたのは、pr anKtであり、女神アヌキス(アンケト)の信仰地でした。
******
ジュミラック・パピルスについて
まとめて書かれた、自分に読める本が見当たらなかったので
偏った情報ですみません。
アヌビス神の信仰地というか、
ヘルモポリスの北、第17,18州あたりの地域の信仰の様子を記したものなのでしょうか。
アヌビス神がよく出てくるようです。
あと、この地域にハトホルの神殿があるとかで
ハトホルをイシスと結びつけて、この地が神話的にどのような役割を持っていたのかを記してあったりするようです。
「神々の最後の休息の地」というのが、アヌビスの信仰地らしい気がしてしまいました。
でも残念なことに、アヌビスについてあまり載っている資料を探せませんでした……。
アンプとバタの物語も、まさにこの地域のことのようで、このジュミラック・パピルスをとりあげて物語を説明したものもあるようです。
もともと、ベボとトトのエピソードを探していたのですが……。
ベボ(バビ、ババイ。ヒヒの神)が「トトはラーの供物を密かに横取りしてる」と告発したことに、トトが腹を立てたとか、それがまた事実だったとか、事実かどうかはっきりしないうちにトトが話をそらして、ラーが「トトは悪くない」と言っちゃったとか、そういうエピソードをどこかで見たのですが…(訳があいまいで・汗)、
裏が取れないうちにどこで見たか忘れてしまったので、また探してみます……。
また見つけたら記事にします。
●日本語で読める本
・『古代エジプトの性』リーセ・マニケ著、酒井伝六訳
p90に「牡牛に化けたセトに追いかけられ、ナイフを尻尾につけたイシスが気付かれず逃げ切ると、セトが地面に精射、それがベドデド・カウ(西瓜?)になる、というエピソード(Simson R. Najovitsのものに説明があったもの)と《Ⅲ、1-6》
p212に精力旺盛なベボ神について、トト神に逆らったため魔法で懲らしめられるエピソード《ⅩⅥ、15-21》が載っています。
また、
・『エジプトの神々』フランソワ・ドマ著、大島清次訳
p74、第16州の下流の岩窟神殿について、それがハトホルの神殿であり、
「この地にいるハトル、それはイシス、そのときかの女がその母サクメトの姿におごそかに変容して、災いのセトとその一党をのみつくそうとする・・・」(ヴァンディエ訳)
とパピルスの内容を伝えている( Asa Strandbergにものに書かれている、イシスが「はじめは獰猛な雌ライオンのセクメト」に変身してセトを追う、という部分)。
http://www.philae.nu/akhet/DistantOne.html
下の枠の中の、お話を訳します。
枠の下に書かれている数冊の本を参考に、筆者が再構築したものだそうです。
少しだけ(訳しやすく、また読みやすくするため)変えているところもあるのでご了承ください。
****
女神の帰還
(自由訳)とても機嫌のいいときはハトホル、あまり良くないときはセクメト、それらの中間ではテフヌトという名の、偉大な女神がいました。
父王ラーがケメトの地(エジプト)を心配する様子に飽き飽きして、ある日女神は、ライオンの姿ひとつでヌビアへと去っていってしまいました。
そこでほかの雌ライオンたちのように歩き回り、狩をし、気分よく自由に過ごしていました。国では誰もがハトホルがいなくなったことを悲しんでしました。
国は陰鬱になり誰もパーティーをしなくなりました。誰もがつまらなそうに時を過ごしています。
ラーはトトを呼びつけ、女神を追って連れ戻すよう命じました。
「何でも約束してよい」ラーはいいます。「連れ戻さねばならんのだ。彼女のスカートめくり(※)がなくては、何も楽しめんじゃないか」(※ [『ホルスとセトの争い』の神話の中で]ラーがひどく落ち込んだときに、ハトホルが彼の前でスカートをめくってみせて元気付けた、という一説がありましたよね)
そうして、トトはヒヒの姿をして行きました。
何日も放浪した後、
彼はその女神がおいしい食事の後ぼんやりと岩影で、歯をつつきながらゆったりと休んでいるのを見つけました。
彼は注意深く近づくと、息をおおきく吸って、(ここでラスタ(ジャマイカ)風のかつらと訛りを想像して…)トト「やあ、ハトホル!」
大きな雌ライオンはゆっくりとまぶたを持ち上げると、小さなヒヒを見遣りました。小さなヒヒはちょっとだけもじもじし始めました。それから、彼女は見るだけで畏怖の念を抱かせたので、彼は神であるにもかかわらず、話を続ける前に数歩引き下がりました。
トト「やあ、こんなふうにだらだら遊ぶのはやめて、戻ってきたらどうだい?」
女神は答えず、ハエを払うために尻尾をゆらゆらさせるだけでした。
トトは足の間で自分の尻尾をいじると、唇をなめて、もう一度話しかけました。トト「ラーは君にどうしても戻ってほしいって。ねえ!
どの宮殿もがらんとしてるし、誰も踊らない。ビールなんて全部飲まずに放ったらかし。スカートめくりもないし……どこに行ってもつまらなくて、どこへ行っても哀しい感じがするんだよ。」ハトホルは前足を伸ばすと、あくびをしながら、
女神「ふああああああああああ……。そうは思わないわ。うまいことに、ここには影もあるし、捕まえられるのを待ってるような間抜けなアンテロープもたくさんいるしね」
トトは少しそわそわしてきました。ご存知のように、彼は上からこんな命令を受けているのですからね。
トト「だ、だだだだ、だけど……、ラーは、ほ、本当に、君を連れて帰らないと怒っちゃうよ」
ハトホルは喉を鳴らすと、くつろぐように体勢を少し変えてから言いました。
女神「背中を掻くならバステトに頼んだらって、パパに伝えて。あたし今そんな気分じゃないから」
トト「で、でも……、そうしたら、ラーはバステトが君の神殿で踊るのを許しちゃうんじゃないかなあ……」
ハトホルはまた喉を鳴らすだけ。
トトは知恵を引き出さなければなりませんでした。トト「ねえ、そうだよ、僕と一緒に戻ったら、もう一生仕事をしなくていいって!約束するよ!」
ハトホルは興味無さそうな様子でしたが、トトは彼女の金の瞳にほんのわずかな光をとらえました。それに賭けるように、彼は続けます。
トト「そ、そそ、それから……大きな宴をひらくよ! 君は歌って踊って……え、え、えっと、好きなだけビールやワインを飲めるんだよ!」
彼はダンスに誘うような楽しげなステップを踏んでみせました。女神はもちろんのってきませんでしたが、しかし少しだけ、顔をこちらに向けました。
女神「……スカートめくりも?」
トト「そう!! スカートめくりも、もちろん!」
女神「あたしがやりたいと思ったら、いつでも……毎日でも?」
トト「毎日、そうとも! やりたいと思っただけ、いくらでも!」
女神「約束する?」
トト「約束するとも、ラーの言葉にかけて!」
それは魅力的な話でした。もちろんそうでしょう。
彼女はゆっくり立ち上がり、伸びをして衣服を整え始めました。女神がトトについて出発するまでに、ずいぶんかかりました。戻りつくまでの長旅の間、彼女の気持ちは何度も揺らぎました。一人っきりで砂漠や枯れ谷をさまよって、狩りに夢中になるのはどんなに楽しかったことか……彼女は一人で考えます。
ところが、トトは彼女を引き付ける方法をおさえていました。
この雌ライオンが伏せてしまったり、戻ろうとしたときはいつでも、トトが、動物と、彼らがどう人を扱ったかという話を、そしてそのときマアトがどのように取り成したかもしくは成さなかったかを、話して聞かせました。
それらはたいてい上手くいきました。トトの賢い語り口に乗せられて、セクメト/ハトホルはすっかり、なぜ自分が立ち止まったのかを忘れてしまい、代わりにトトがゆっくりしかし確実に帰路をたどってゆくのに付いていっているのでした。ケメトの国境で、女神はライオンの容姿を脱ぎ捨て、いつも彼女が着ていたようなゆったりとした、薄い衣に身を包み、シストルムを手にして、期待に満ちた目でトトを見ると、
女神「約束を忘れないで。ビール、ワイン、音楽、踊り、歌それからスカートめくり。仕事は無しよ!」
トト「ああ、わかった!
でも、ひとつだけ。そのライオンみたいな臭いのままで、ラーの前に行く気ではないでしょう?」トトは安全な距離をとって――エジプトに入ったばかりのところにある、フィラエ島のイシス神殿の屋根の上から――そういいました。
雌ライオンはみるみる先ほどの、上品とはいえない容姿に戻りました。女神「それって、あたしが臭うって意味!?」
低くうなりながら女神はいいます。
トトは急いで塔門に飛び降り、西の柱廊の屋根へと飛び移ると、彼は女神に背を向け、下の水をじっと見つめました。
低い音が彼の肩を掠めると、その瞬間、彼は声を上げます。
トト「うわあ、すごい!」本当はセクメトが、自分の清潔さについてケチをつけられたことに対して怒っている以外には何も起きていないのですが、トトは自分の見ているものにすっかり惹きつけられたというふりをして、また言いました。
トト「僕は……僕は今まで見たことないよ、こんな……こんな美人なひと!」
セクメトは疑いをもって止まりました。《美人ですって? どこに?》
彼女はいつも見かけには少し気を遣っていましたし、実際(多くの女性がそうであるように)にとても美人でした。そしてまた、そういったことを比較することにも敏感でした。彼女に言わせると、たとえライオンの姿をしていても、もちろん自然体でも、自分より美しいものなどいるはずがないのです。トト「「あそこだよ、この下の水の中。ほらその下に、ほんとに素敵なかわい娘ちゃんが見える。今まで見たこともないくらい素敵だ!」
女神「水の中に?」女神が近づいてきました。
トト「そう、そう。ここに登ってきて、自分で見てごらん」
セクメトが飛び上がります。そうして、二人が西の柱廊の頂から揃って水をのぞきこみました。
女神「何も見えないわ!」
トト「そこだよ、そこ! もうちょっと屈んで、よく見て!」
セクメトが水に映った自分の姿を目にすると、女神は興味を持ってもう少し身を屈めようとしました。
そうです、これこそがトトが企てたことです。ほんのわずかな「助け手」により、女神は地上から冷たい水中へと見事に落ちてしまいました。
えー、もう…、とかぶつぶつ言いながら、女神はしばらくフィラエの池で泳いでいましたが、だんだん落ち着いてきました。
岸に上がるころには、完全に優しい、楽しげなハトホル女神に戻っていて、ライオンのような臭いも姿も、すっかり落とし去っていました。そして彼らが行くところはどこでも、ラーの宮殿に戻る旅の間、人々は宴と花や美味しい食べ物やワインの供物を捧げました。
両国のすべて、南の急流から北のデルタまで、人々はこの女神の帰還を喜び祝い、それは毎年この日に続けて祝われることになりましたとさ。
おしまい。
******
すみません訳が適当で。雰囲気だけ見てください。
序盤のトトやセクメトの動物的しぐさと、「女神がトトによって怒らされる」ところは、面白いですね!
実際にこの通りだったか、原文を見ていないのでわかりませんが……。
読み物としては本当に面白いです。トト神が意外に小物で(笑)。でも、上手く知恵を絞ってるのは、こうだからこそ引き立つんでしょうか。
しかし、実際に「トトがセクメトを怒らせた」という途中のエピソード、
どうして、わざわざ怒らせちゃうんでしょうね。
たぶん、きっと、トトが「月をなだめる」という神話上の役割を表現する必要があったんじゃないかと思いますが……。(欠けた月を戻したり、とにかく、月の満ち欠けが正常に推移するようにするのも、彼の役目ですよね。)
水の中に自分の姿を映して~なんて、今やっちゃうとベタな展開ですが、なるほどという感じです。なにより、やりそう。
トトがヒヒの姿で登場するのは共通のようです。「2」を見ると、なるほどという感じです。
これが、シューやオヌリスだったら、どうなっているんでしょう? 気になるところです。
**
遠方の女神、
別名『放浪の女神』、『遠方のものの帰還』、『眼の帰還』。
『セクメトの人類虐殺神話』の続きのように語られるこの『遠方の女神』の神話ですが
たしかに、赤い酒を血と間違えて酔っ払ってしまったことを、騙されてしまったと考えれば、『遠方~』の女神が(騙した)ラーに怒るのも納得です。
(ただし、ものによっては、酔ったセクメトはおとなしい女神に戻りますね)
けれど、1,2でみてきたように、
古くからさまざまに言及されているこの『遠方の女神』、創造主の眼としてのこの女神は、どうやらはじめは「シューとテフヌトを探すために送ったもの」であり、
見つけ出して戻ってきたら、自分の居場所がなかった(新しい眼を作っていた)ことに対する怒り、というふうに見ることもできますよね。
このサイトの書き手は、
「神々が地上を治めていた神話の時代」と「人が現れ、神が天に引退した時代」を分けて考え、
『遠方~』の神話が前者であれば、人類虐殺神話の後であるはずがない、「だって人間を殺せますか?(存在しないのに)」
と指摘しています。面白いです。
セクメトの人類虐殺神話で、ラーが天に昇る(王を引退する)ので、もし「それ以降」だとしたら、ラーが「陛下」として登場しないかもしれませんね。
ただ、
「神話は神話であり、人間には完全に理解することはできない」
…まあ、そうですよね。突き詰めて考えないほうがいいのでしょう。
とりあえず、この二つは同じラーの眼の神話ではありますが、
この二つの神話が続けて描かれる例はないようですし、
また、遠方の女神の出だしは、女神が怒ったという事は書かれていますが、その理由はまず書かれていないようです。
●遠方の女神2
もう少し詳しいものがあったので。
Agyptologische Tempeltagung: structuring religion : Leuven, 28. September-1. Oktober 2005
のp155~186
On the Heels of the Wandering Goddess: The Myth and the Festival at the Temples of the Wadi el-Hallel and Dendera
byBarbara A. Richter
気が向いたところだけ部分訳します(汗)。
****
プトレマイオス期に最も重要なお祭りだったもののひとつは、『放浪の女神の帰還』の大祭でした。
それはデンデラで「ヘブ、アア・ウル・アアウル」と呼ばれるたいへん大きなお祭りで、
太陽神ラーの娘(彼の眼)がヌビアの砂漠から戻ったことを祝って、楽しそうに行列を作り、聖船を聖なる池を進み、その間じゅう歌い、踊り、食べそして(お酒を)飲むうというような内容でした。
この大祭または神話の証拠は、少なくともプトレマイオス期の22もの神殿(ナイル川沿いの、北はブバスティスから南はエル・ダッカまで)でみられます。・・・
2. 神話
ユンカー(ヘルマン・ユンカー Hermann Junker 1877-1962)のものを要約すると、
『放浪の女神』は太陽神ラーがまだ地上を治めていたころの伝説。
ラーの眼は雌ライオンのテフヌトとしてあらわされ、何らかの理由で怒り、南(Bougemボウゲム とか Kenesetケネセト とかいう神話上の場所)へ向かう。
敵から身を守るために必要なので、テフヌトを戻すため彼女の兄である力強いライオン神シューと、賢者トトに協力を要請。
トトは彼女に娯楽、供物、神殿を約束し、ワインの入ったメヌウ壷と、ウェンシェブ――秩序ある時の象徴(新王国時代の「シュベト」。ヒエログリフは、トトが時を支配する時にとるヒヒの姿と、永遠の時と空間のシンボル「ヘンティ」、そして「ヘブ(祭)」を表す籠で構成される。これは、秩序ある時が毎年繰り返されること、昼と夜のサイクル、宇宙の秩序と保護を象徴していると考えられている)――をプレゼントする。
←ウェンシェブ
最終的に帰るよう説得され、女神はフィラエでお祭りの行列につき、Abatonの聖なる池で自ら身を清め、ラーがその腕に迎えるための美しい女性に姿を変えた。
彼女をなだめたことで、宇宙の秩序も回復した。
そうして彼女は聖船に乗り、ナイルを下る旅を続け、女神が泊まるどの地でも大きな祭りを設けて彼女を迎えた。
娘の帰還を誇り、ラーは祭りの創立を布告する。彼女が肉や香料やワインなどのすばらしい供物とともに、増水の到来を、そしてエジプトにおけるすべての奇跡を、見ることができるように。
2.1 神話のもっとも初期の証拠と学術的解釈
・・・
ピラミッドテキスト(呪文405)によるとラーの眼は「ハトホルの角の上にあるもの、年を戻すもの」であり、
ゼーテ (クルト・ゼーテ Kurt Sethe(1869‐1934) によると、
この角の上にある太陽の形は、ずっと以前には、先王朝時代の「牝牛のパレット」に描かれたような、星と同じかも知れず、
(「牝牛のパレット」図像は以下のサイトを参照のこと↓
http://xoomer.virgilio.it/francescoraf/hesyra/palettes/gerzeh.htm )
それは「シリウス(ヘリアカル・ライジングとして、元旦つまり増水期のはじめに太陽に先立って東の空にのぼる重要な星)」を象徴していた可能性があり、年を「戻す」というのを説明している、と考えられます。
ラーの眼であるハトホルと増水の関係は、後代の神話ではとても重要な説明要素と考えられていました。また呪文689に示されるとおり、ホルスの眼はラーの頭上のウラエウスと同一視されています。
多くの学者は、目の女神の太陽の側面は特定のあいまいさを持っていると注を加えています。彼女は右目(太陽)として現れることもあれば、左目(月)とされることもあるのです。
結果的に、太陽の眼と月の眼の神話は「密接に交じり合って」います。
このことは、『放浪の女神』の神話には特に重要です。なぜなら、この放浪の女神の祭りのクライマックスは満月の日に行われるからです。
毎月の、月の満ち欠けは、この女神の消失と再出現をほのめかしているのでしょう。中王国のコフィンテキストの時代までに、
後代の『放浪の女神』の神話においての主要人物シューとテフヌトが、太陽の眼と結び付けられるのが確認できます。
呪文76はこうです。「我はシュー、神々の父。かつてアトゥムがそのひとつきりの眼を私と妹テフヌトを探すために送った、そのうちのひとつである。」
このテキストには、眼がシューとテフヌトを探したとありますが、しかし後のヴァージョンでは、シューが「眼」であるテフヌトを探すことになっています。
呪文890は遠方の女神が雌ライオンの女神セクメトだとほのめかしています。「私は赤い亜麻布の祭りのときから遠くに行ってしまった女神を早朝に探し出した者だ」
この特定の言及はおそらく放浪の女神の祭りをほのめかしているでしょう。セクメトとしてのこの女神は赤い色と一貫して結び付けられているからです。
・・・・まとめると…
◆主な登場人物は
・トト
・シュー/オヌリス
・ハトホル/テフヌト
・ウラエウス
・ラー
◆「遠方」とは
・Bougemボウゲム/Kenesetケネセト
・プント
・神(々)の国
・ヌビア◆儀式または動作
・スヘテプ、なだめること/鎮静
・イン テウ・ス、「彼女はつれて帰られた」/「彼女は父の頭頂に置かれた」/「彼女はヌビアから戻ってきた」/「彼女は顔を北に向けた」◆神話で女神にささげられた供物
・ウェンシェブ
・ワインの入ったメヌウ壷
・香料(特にプントからもたらされるもの)◆意味合い
(天と地上のさまざまな神話が結合されたものと考えられる)
・夏から冬に変わり、太陽がの経路が北にシフトすること、
・月の満ち欠け、
・そして増水のサイクル。
(・古くは英雄の遠征からの帰還、王権の力の対立をも表したかもしれません。)
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中途半端でスミマセン…。
『遠方の女神』が増水の呼び入れを象徴するという話がほとんど定説になっているのが
漠然と、南からだということ、喜び迎え入れているということなどから推測されているのかと思っていたんですが、
ハトホルの図像を先王朝時代の牛の図像と比べることで、ラーの眼であるハトホルがシリウスをも象徴していたかもしれないということが理解できたのは収穫でした……。
また、
ひとつだけの現象を説明したものではないということもよくわかりました。
突き詰めれば出てきそうな矛盾も気にせず神話にしているのがエジプトらしいですよね……。
こちらには
ヒエログリフから抜き出している部分がいくらか見られます。
特に、デンデラのペル・ウル聖域や、ワジ・エルハレルの小さな神殿に書かれてあるものを調べているようです(すみません、全部は見れないもので)。
音訳があると、説得力が増しますよね…。
音訳だけではもちろん分かりませんが……でも参考にはなります。
*
読み物として面白いものはまだ訳してません(汗)
これらを読んだ後だと、いろいろ「うーん」と思うところが出てきます。
訳をどうしようか……もう少し考えます。
●神話『遠方の女神』
http://www.stopnwo.com/text/abc_clio_handbook_of_egyptian_mythology.pdf
本の一部、『遠方の女神』についてを訳します。
(どこに書いてあるか、元はどんなものかをしっかり確認することができなかったので、信頼できそうな本からの抜粋です…)
Pinch, Geraldine, _A Handbook of Egyptian Mythology_, ABC-CLIO,Inc.,
Santa Barbara,CA, c. 2002, ISBN 1-57607-242-8
P71-73
The Distant Goddess
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遠方の女神
早期に描写されているように、
太陽の眼は分離可能で活発な力であり、それは創造主がいまだ原始の水の中で不活性の状態であるときも同じでした。
「眼」はときに太陽神の女性形であるように扱われることがありましたが、彼女はまた「ラーの娘」とも呼ばれていました。
多くの重要な女神がこの役目をあてがわれており、最も一般的にはバステト、ハトホル、ムト、セクメト、テフヌトそしてウワジェトなどがそうでした。理由はめったに記載されていないのですが、
この眼の女神が[あるとき]立腹して手に負えなくなり、父ラーと一緒にいることを拒みました。
本来これは眼がシュートテフヌトとともに戻ったときにのみ起こると考えられていたかもしれません。※
後代のヴァージョンでは、世界と人間がきちんと創造された後の時代に関連付けられているようです。これらのバージョンでは、
眼は遠く離れた領域、時々ヌビアやリビア等と考えられる場所へと行ってしまいます。
そこで彼女は怒りのためにその姿を恐ろしい雌ライオンに変え、会うものすべてを破壊していました。
ラーは[守護女神を失ったため]敵に対して脆弱になってしまったので、娘に戻るよう説得するために、一人かそれ以上の神を送り込むことにしました。
この計画はとても危険なものでした。なぜなら、太陽の眼の炎の力は他のどの神々よりも強かったのです。いくらかのバージョンでは、使者に選ばれたのはオヌリス(インヘレト)でした。
オヌリスは「遠くのものを持ち帰る者」という意味の名を持つ狩の神でした。
オヌリスの神話は断片的にほのめかされているものについてだけ知られています。
最も力強く狡猾な狩人として、オヌリスはこの太陽の雌ライオンを追跡し制圧することができます。
彼は彼女をエジプトに連れ戻し、その褒美としてライオン女神と結婚しました。その他のテキストでは、
妹であり配偶者であるテフヌトを戻るよう説得したのはシューであったとしています。
コフィンテキスト呪文75を参照すると、シューは「怒りの頂点にある女神をなだめたもの」とされ、シューのこの神話的役割をほのめかしているようです。
トトもときにシューと一緒に、または単独でこの使命を引き受けています。トトは神々の「心臓と舌」として、この危険な女神をなだめるために知恵ある言葉を用います。この神話を凝った文学のように扱ったいくつかのバージョンは、紀元前1000年後期と最近のものです。
これらの最も長いものでは、
ハトホル-テフヌトが遠い南の砂漠に「ヌビアの猫」の姿でさまよっていました。トトはマントヒヒの姿に変えてこの怒れる女神に近づきます。彼は説教と甘言を代わる代わる用いました。トトはラーの娘としての品位や務めについてを説いて聞かせます。彼女の煌々たる出現を失ったエジプトがとても寂しく陰鬱とした国になってしまったと伝え、もしエジプトに戻れば、神殿で歌や踊りやすばらしい供物を受け取ることができると言葉を彩ります。
トトはまた、宇宙の公正さをテーマにした面白おかしい動物の寓話シリーズを話して聞かせました。
これらの寓話の中で最もよく知られているのは、『ライオンとねずみ』です。
それは、どこへ行っても恐れられる(遠方の女神のような)力強いライオンの話です。
ある日、ライオンのすむ人里はなれた山で、彼は恐ろしい傷を負い苦しむヒョウに出会いました。ライオンはヒョウに、いったい誰が君の毛皮をはぎその皮に引き裂いたのか、と尋ねます。ヒョウは答えます。「人間だ」。ライオンは人間がどういうものかを知りませんでしたが、しかし彼は、人間を見つけ出し懲らしめてやろうと決めます。
旅するうちに、彼は鎖でつながれた馬、ロバ、牝牛そして雄牛たちと出会いました。ライオンが、いったい誰につながれたのかと彼らに問うと、誰もが「人間だ」と答えます。また、熊と別のライオンがどちらも人間にだまされ、激しい苦痛を強いられているのを見ました。ライオンは人間を、これらの動物と同じ目にあわせて苦しめてやる、と誓いました。ライオンが人間を探していると、小さなねずみが彼の足の下を走り抜けました。ねずみは彼にどうか潰さないでください、と懇願し、自分は小さくて彼の食欲を満たせないだろうと言い、もしこの命を助けてくれるのなら、いつかきっと彼を助けに戻るだろう、と約束しました。ライオンは、自分を危険にさらすような、自分以上に力の強いものがいるわけがないと思っていたので、ねずみの言葉に笑いましたが、結局ねずみを放してやりました。
ライオンは、人間がどのようにしてやってくるかを理解していませんでした。猟師は隠し穴にネットを仕掛けていました。ライオンはネットの罠にかかり、皮ひもで跳ね上げられました。彼は何時間ももがきましたが、自分ではどうすることもできませんでした。
真夜中になると、小さなねずみがやってきて、命を助けてくれたことに報いるために来たのだ、とライオンに言います。なぜなら、「よいことをするのは、すばらしいことだから」。
ねずみはライオンが自由になるまで縄や吊革をかじりました。そうしてねずみはライオンのたてがみに上り、二人は共に山へと帰っていったのでした。これらの寓話に含まれる意味合いは、
太陽の眼の破壊的な怒りは、マアトによって象徴される正義や真理との均衡が取れておらず、世界が無秩序に陥ってしまいかねないというものです。
移り気な女神はそう簡単に説得されませんでした。
ひとつの生き生きした一節は、彼女がどのようにしてトトに対して怒り、猫の姿から、その眼や鼻孔から炎を吹き出す恐ろしい太陽のライオンに姿を変えたかを描写します。
そうして、「トトは蛙のように飛び上がり、イナゴのようにふるえ」ました。結局、トトは女神をひきつけエジプトへと戻します。
国境で、彼女は歌と踊りで迎えられ、それによって「その顔の美しいもの」へと姿を変えます。これが、眼の女神が優しい姿をとったシリーズで最初のものでした。
内容不明の一節では、女神が寝ているうちに攻撃される話を扱っています。トトは彼女をすぐに目覚めさせ、混沌の力は打ち負かされました。
最終的に、女神は首都メンフィスにたどり着き、そこで南のシカモアのハトホルへと姿を変えると、父との喜びの再会を果たします。彼女は創造主が敵から身を守るために必要です。これら(敵)の長は、ライオンとねずみの寓話によると、「人間」なのです。多くの神話で、
神々は作り上げた人間を満足させるためにさまざまな試みをしますが、
これらの神話はたいてい、人間の不十分な側面を破壊する内容を含みます。
中王国時代までには、創造者が人間を滅ぼし地上を放棄ことへの言及が見られます。この神話のフルバージョンは、新王国時代の5つの王墓に描かれた『天の牛の書』として知られるテキストにあります。その最古のコピーは、ツタンカーメン王の棺を納めていた金箔の厨子のひとつ[最も外側]に刻まれています。
※ 創世時に、原始の神アトゥム(=ラー)はシューとテフネトを生じたが、ヌン(原始の水)の中は暗闇だったため二人を見失ってしまい、その二人を見つけるため自身の“眼”を送り出した、という話があり、
“眼”は、暗闇を照らしてシューとテフネトを見つけ出し、つれて戻ったが、
アトゥム・ラーのもとに新たに設けられていた別の「太陽の眼」の存在に怒り、流した涙から人間が生まれた。
または、自身の“眼”との再会を喜んだアトゥム=ラーの(新しい眼が)流した喜びの涙から人が生じた、とされ、(P129)
『遠方の女神』の神話はこの時と関連しているのではないかと指摘されているようです。
しかし続きの文に書かれているように、
後代に描かれたものでは、この神話は人類が生まれた後の話として扱われている場合が多いようです。
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ふと思い立って調べてみました『遠方の女神』。
神話に興味がある割りに、実際にはあまりよく知りませんので……。
これを調べていると、セクメトの人類虐殺神話と関連付けられることが多いために、『天の牛の書』にたどり着くことが多かったのですが、
どう見ても、これに『遠方の女神』は載っていないようで…。
人類虐殺(“ラーの眼”)神話は、ソース確認できたのですが、『遠方の女神』はまだもとの文(ヒエログリフ表記)をまったく見ていません。
詳しく書いてあるものを見ると、
ワジ・エルハレルやデンデラの神殿にあるらしいのですが、それ以上のことはどうも……。
トトがライオン女神を説得したり怒らせる様子についてを
あるサイトでまとめていたので、次はそれを訳そうと思っています。
読み物として大変面白いのですが、
実際どう書かれていたのか分からないため、どこまでがアレンジなのかもわかりません……。残念。
ではまた後日…。