古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●神話『遠方の女神』
http://www.stopnwo.com/text/abc_clio_handbook_of_egyptian_mythology.pdf
本の一部、『遠方の女神』についてを訳します。
(どこに書いてあるか、元はどんなものかをしっかり確認することができなかったので、信頼できそうな本からの抜粋です…)
Pinch, Geraldine, _A Handbook of Egyptian Mythology_, ABC-CLIO,Inc.,
Santa Barbara,CA, c. 2002, ISBN 1-57607-242-8
P71-73
The Distant Goddess
****
遠方の女神
早期に描写されているように、
太陽の眼は分離可能で活発な力であり、それは創造主がいまだ原始の水の中で不活性の状態であるときも同じでした。
「眼」はときに太陽神の女性形であるように扱われることがありましたが、彼女はまた「ラーの娘」とも呼ばれていました。
多くの重要な女神がこの役目をあてがわれており、最も一般的にはバステト、ハトホル、ムト、セクメト、テフヌトそしてウワジェトなどがそうでした。理由はめったに記載されていないのですが、
この眼の女神が[あるとき]立腹して手に負えなくなり、父ラーと一緒にいることを拒みました。
本来これは眼がシュートテフヌトとともに戻ったときにのみ起こると考えられていたかもしれません。※
後代のヴァージョンでは、世界と人間がきちんと創造された後の時代に関連付けられているようです。これらのバージョンでは、
眼は遠く離れた領域、時々ヌビアやリビア等と考えられる場所へと行ってしまいます。
そこで彼女は怒りのためにその姿を恐ろしい雌ライオンに変え、会うものすべてを破壊していました。
ラーは[守護女神を失ったため]敵に対して脆弱になってしまったので、娘に戻るよう説得するために、一人かそれ以上の神を送り込むことにしました。
この計画はとても危険なものでした。なぜなら、太陽の眼の炎の力は他のどの神々よりも強かったのです。いくらかのバージョンでは、使者に選ばれたのはオヌリス(インヘレト)でした。
オヌリスは「遠くのものを持ち帰る者」という意味の名を持つ狩の神でした。
オヌリスの神話は断片的にほのめかされているものについてだけ知られています。
最も力強く狡猾な狩人として、オヌリスはこの太陽の雌ライオンを追跡し制圧することができます。
彼は彼女をエジプトに連れ戻し、その褒美としてライオン女神と結婚しました。その他のテキストでは、
妹であり配偶者であるテフヌトを戻るよう説得したのはシューであったとしています。
コフィンテキスト呪文75を参照すると、シューは「怒りの頂点にある女神をなだめたもの」とされ、シューのこの神話的役割をほのめかしているようです。
トトもときにシューと一緒に、または単独でこの使命を引き受けています。トトは神々の「心臓と舌」として、この危険な女神をなだめるために知恵ある言葉を用います。この神話を凝った文学のように扱ったいくつかのバージョンは、紀元前1000年後期と最近のものです。
これらの最も長いものでは、
ハトホル-テフヌトが遠い南の砂漠に「ヌビアの猫」の姿でさまよっていました。トトはマントヒヒの姿に変えてこの怒れる女神に近づきます。彼は説教と甘言を代わる代わる用いました。トトはラーの娘としての品位や務めについてを説いて聞かせます。彼女の煌々たる出現を失ったエジプトがとても寂しく陰鬱とした国になってしまったと伝え、もしエジプトに戻れば、神殿で歌や踊りやすばらしい供物を受け取ることができると言葉を彩ります。
トトはまた、宇宙の公正さをテーマにした面白おかしい動物の寓話シリーズを話して聞かせました。
これらの寓話の中で最もよく知られているのは、『ライオンとねずみ』です。
それは、どこへ行っても恐れられる(遠方の女神のような)力強いライオンの話です。
ある日、ライオンのすむ人里はなれた山で、彼は恐ろしい傷を負い苦しむヒョウに出会いました。ライオンはヒョウに、いったい誰が君の毛皮をはぎその皮に引き裂いたのか、と尋ねます。ヒョウは答えます。「人間だ」。ライオンは人間がどういうものかを知りませんでしたが、しかし彼は、人間を見つけ出し懲らしめてやろうと決めます。
旅するうちに、彼は鎖でつながれた馬、ロバ、牝牛そして雄牛たちと出会いました。ライオンが、いったい誰につながれたのかと彼らに問うと、誰もが「人間だ」と答えます。また、熊と別のライオンがどちらも人間にだまされ、激しい苦痛を強いられているのを見ました。ライオンは人間を、これらの動物と同じ目にあわせて苦しめてやる、と誓いました。ライオンが人間を探していると、小さなねずみが彼の足の下を走り抜けました。ねずみは彼にどうか潰さないでください、と懇願し、自分は小さくて彼の食欲を満たせないだろうと言い、もしこの命を助けてくれるのなら、いつかきっと彼を助けに戻るだろう、と約束しました。ライオンは、自分を危険にさらすような、自分以上に力の強いものがいるわけがないと思っていたので、ねずみの言葉に笑いましたが、結局ねずみを放してやりました。
ライオンは、人間がどのようにしてやってくるかを理解していませんでした。猟師は隠し穴にネットを仕掛けていました。ライオンはネットの罠にかかり、皮ひもで跳ね上げられました。彼は何時間ももがきましたが、自分ではどうすることもできませんでした。
真夜中になると、小さなねずみがやってきて、命を助けてくれたことに報いるために来たのだ、とライオンに言います。なぜなら、「よいことをするのは、すばらしいことだから」。
ねずみはライオンが自由になるまで縄や吊革をかじりました。そうしてねずみはライオンのたてがみに上り、二人は共に山へと帰っていったのでした。これらの寓話に含まれる意味合いは、
太陽の眼の破壊的な怒りは、マアトによって象徴される正義や真理との均衡が取れておらず、世界が無秩序に陥ってしまいかねないというものです。
移り気な女神はそう簡単に説得されませんでした。
ひとつの生き生きした一節は、彼女がどのようにしてトトに対して怒り、猫の姿から、その眼や鼻孔から炎を吹き出す恐ろしい太陽のライオンに姿を変えたかを描写します。
そうして、「トトは蛙のように飛び上がり、イナゴのようにふるえ」ました。結局、トトは女神をひきつけエジプトへと戻します。
国境で、彼女は歌と踊りで迎えられ、それによって「その顔の美しいもの」へと姿を変えます。これが、眼の女神が優しい姿をとったシリーズで最初のものでした。
内容不明の一節では、女神が寝ているうちに攻撃される話を扱っています。トトは彼女をすぐに目覚めさせ、混沌の力は打ち負かされました。
最終的に、女神は首都メンフィスにたどり着き、そこで南のシカモアのハトホルへと姿を変えると、父との喜びの再会を果たします。彼女は創造主が敵から身を守るために必要です。これら(敵)の長は、ライオンとねずみの寓話によると、「人間」なのです。多くの神話で、
神々は作り上げた人間を満足させるためにさまざまな試みをしますが、
これらの神話はたいてい、人間の不十分な側面を破壊する内容を含みます。
中王国時代までには、創造者が人間を滅ぼし地上を放棄ことへの言及が見られます。この神話のフルバージョンは、新王国時代の5つの王墓に描かれた『天の牛の書』として知られるテキストにあります。その最古のコピーは、ツタンカーメン王の棺を納めていた金箔の厨子のひとつ[最も外側]に刻まれています。
※ 創世時に、原始の神アトゥム(=ラー)はシューとテフネトを生じたが、ヌン(原始の水)の中は暗闇だったため二人を見失ってしまい、その二人を見つけるため自身の“眼”を送り出した、という話があり、
“眼”は、暗闇を照らしてシューとテフネトを見つけ出し、つれて戻ったが、
アトゥム・ラーのもとに新たに設けられていた別の「太陽の眼」の存在に怒り、流した涙から人間が生まれた。
または、自身の“眼”との再会を喜んだアトゥム=ラーの(新しい眼が)流した喜びの涙から人が生じた、とされ、(P129)
『遠方の女神』の神話はこの時と関連しているのではないかと指摘されているようです。
しかし続きの文に書かれているように、
後代に描かれたものでは、この神話は人類が生まれた後の話として扱われている場合が多いようです。
***********
ふと思い立って調べてみました『遠方の女神』。
神話に興味がある割りに、実際にはあまりよく知りませんので……。
これを調べていると、セクメトの人類虐殺神話と関連付けられることが多いために、『天の牛の書』にたどり着くことが多かったのですが、
どう見ても、これに『遠方の女神』は載っていないようで…。
人類虐殺(“ラーの眼”)神話は、ソース確認できたのですが、『遠方の女神』はまだもとの文(ヒエログリフ表記)をまったく見ていません。
詳しく書いてあるものを見ると、
ワジ・エルハレルやデンデラの神殿にあるらしいのですが、それ以上のことはどうも……。
トトがライオン女神を説得したり怒らせる様子についてを
あるサイトでまとめていたので、次はそれを訳そうと思っています。
読み物として大変面白いのですが、
実際どう書かれていたのか分からないため、どこまでがアレンジなのかもわかりません……。残念。
ではまた後日…。