「1」、「2」、「3」、「4」、「5」の続き。***
『天の牛の書6』(最後)神々のバー(セティⅠ、ツタンカーメン)
※()は言い換えや補完、⦅⦆は別バージョン。
①天を支える神々のバー(魂)
呪文・・・・・・長、彼自身がヌンを抱く・・・
彼が天の東から出てくる神々に言うこと。
「私がその中から生じた長(おさ・wr)神に、礼拝をささげよ。
私は天を創造する者。支えには神々の入ったバー(魂)を与え(て作っ)た。
私は永遠(ネヘフ)――年々を生むもの※1――に、彼らと共にある。
私のバー、それは魔法であり、彼女より偉大である。
大気(シュー)のバーはクヌムのバー⦅風※2⦆である。
時間(ヘフ)のバーは雨である。
闇(クク)のバーは夜である。
深淵(ヌン)のバーはラー⦅水⦆である。
オシリスのバーはジェデト町の雄羊(バー(ネブ)ジェデト)である。
セベクのバーはワニである」
「すべての男神女神のバーは、蛇の中にある※3。
なにか(不吉なもの)⦅アポピス⦆のバーは、バアクウ山にある。
ラーのバーは(魔法であり)、彼の大地のすべてに充満する」
②清らかな魔術師(HkAw wab)
男が・・・彼の魔術で彼を守るために話すこと。
「私は清らかな魔術師、ラーである私の身体や口の中にある。
神々、アク(祝福された死者)、死者たち。そのために私から離れているものたち(?)よ。
私はラー、太陽光のものである」
あなたへ話すこと。
「あなたが日暮れの光を通り過ぎるとき、あなたの顔は落ちる。
ラーの敵(たち)よ。
私は(彼の)バー、(清らかな)魔術師たちである(からだ)」
おお、永遠の主、久遠の創り手よ、
神々の年を通過するもの、ラーが彼のうちに下るもの、
彼の神の主、彼を作る支配者。
彼の父なる神々があなたを愛するように。
彼の頭上の清らかな魔術師よ、
あなたの南側に、立っている女性(の姿)を作るように。※4
女神の顔をそのちょうど真ん中に作る(ように)。
蛇は彼の尾の上に立つ。
彼女の手は彼の身体の上に。
彼の尾は大地の上に。
トト神によって彼に与えられるものは、
天の栄光と崇拝を彼の上に。
シュー神によって彼に与えられるものは、彼への両腕。
大いに尊重すべき両神から私を守るように。※5
東の天に住まうもの、天の守り手、地の守り手、秘密の管理者。
彼らへ言うこと。
「彼のなんと大きなことか。
彼はヌン神を見るために出てきた」
③呪文の効力(ほぼツタンカーメン)
ウワブ神官は1日と15日の祭の日・・・に唱えること。
古来のこの形と同様に。
この呪文を唱えれば、死者の領域で生きられるだろう。
地上の者たちへ大いなる畏怖を呼び起こすだろう。
もし彼らがあなたの名、それを言うならば。
ネヘフとジェト、と。
彼らに言うこと。「(まこと)神(である)・・・」
彼らに言うこと。「彼はこの道のここで我々に到達した」
*
私はその神のもつ名を知っている。
彼の顔はヘリシェフである。※6
私は日暮れに、お守りを結ぶものである。
私は九柱神におけるラー、
彼の魔力ある取り巻きたちである。
私は無傷なまま通り過ぎる。
私は炎に属するもの、炎のバー。
人のうちに敵は存在しない。
神々、聖霊(アク)、死者、
この地の果てまでのすべてのものについて(も、敵は存在しない)。
――天の牛の書 おわり――
世界中、地上も地下にも、ラー神の魔法の力(=神々のバー)が充満しているため、その力を得さえすれば、地下でも無事過ごせるという話かな。
ちなみに、ここかひとつ前のあたりに、王が柱を支えている図が挿入されることがあり、よって王は柱を支えるシュー神と同一視されている様子。どっちも「ラーの息子」だしね、と。
(太陽神の息子であるシューと王の同一視は、アマルナで強調されてきたそう)
※1:テーベの墓に、ネヘフは「年を生むもの」であるとの説明が見られるということで、形容辞的な扱いと考えてみる。
※2:「シューのバー(魂)は風」はとても分かりやすいが、では「シューのバーはクヌム(のバー)」となるのはなぜかというと、どちらも「創り出す」ものだから、という説明が。シューは生命(息)を、クヌムは肉体をという感じでしょうか。
数行あとの、バーネブジェデトのくだりは、オシリス=バーネブジェデト=ラー神のバー(魂)という繋がりを示唆するらしい。似たような事が最後のほうにも出てきます。
※3:冥界の蛇と神々を明確に同一視した描写だが、あまりたくさんは見られないもよう。
※4:この節は、『洞窟の書』や『大地の書』に出てくる、「神秘なる女神」(と書いてあるのかな…)ヌトの図の説明であるらしい。
こんなかんじの↓。見るとなんとなく、なるほどって感じ。
※5:ipの訳がよくわからず、太古のとか強力なとかあったが見つけられなかった。尊敬、の訳をとったけど…、もしかしたらpnかもしれないと今思ってきた。
「両神nTr.wi」はネヘフとジェト。この文は、この二神が描かれている図のすぐそばに書かれているため。
※6:ヘリシェフの頭部は雄羊、つまり「バー」であるため、ラー神の「バー(魂)」を暗示しているとか。
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さて一応最後まで説明も読んでみて
難しいことはよく分かりませんが
「ネヘフ(男神)」と「ジェト(女神)」の図はここで初めて表されたとか。
といっても、名前というか概念?自体は、CTから見られるそうです。
CTではシュー=ネヘフ、テフヌト=ジェトと明確に同一視されてるとか。
ネヘフとヘフの境目がなんだか曖昧に思うことがあります…。
シューから生じ天を支えるという意味では同じような、
しかしCTで、ヘフと並んでネヘフとジェトが表現されてたりするので、
やっぱ違うのかなーみたいな…。うーん。
ジェトもネヘフも「永遠」の象徴だと思っていました。
(特に、ジェトがずっと直線的に続く時間で、ネヘフは繰り返しぐるぐる循環する時間、みたいな、同じ時間でも動きの違うもの、というかんじでとらえてました)が、
永遠、というよりも、何百万、という、数えられないほどの「多い」時間、であって
そのあいだじゅう世界は保たれる、空は支えられる、という感じみたいです(この二柱が天を支える杖を持っている様子が、天の牛の書の挿絵として描かれます)。
またそうした時間、ジェトとネヘフ、から、個々の時間が、生前も死後もそれぞれ「割り当てられる」のだ、という説明が印象的でした。
「天の牛」について、
モチーフはPTからあり、そこですでに天の牛=「メヘトウェレトmHt-wrt」とされていた(ヌトではなく)、というのもちょっとびっくり。
メヘトウェレトって、メヘトが増水の意味だと思っていたので、ナイルの恵みを指すのだと思い込んでいましたが、
言われてみれば、名前の構造がワジュウル=海、と同じですよね。大いなる緑。
メヘトはナイルの増水の意味もあるけど、そもそも「満ちる(水)」の意味だと考えると、
大いに満ちる水、で、それ自体が天空を表しているというのは、すごくあり得るなと今更気づかされました(考えてなかった・笑)。
天の女神と言えばヌトだし、まあヌトか、雌牛ということでハトホルかと思っていましたが
ツタンカーメンのものでは、この天の牛は明確に「メヘトウェレト」と言及されています。
そうしてみると
ヌト=ヌンの女性版みたいな名前≒原初の水の対(ネネトとほぼ同)なんだろうとか
ハトホルも、天牛の「太陽(この場合はホルス)を生む」性質をとらえて言えば、ホルスの館にもなるかもしれないし、
全部同じものを言ってるんじゃないのみたいに思えてきちゃいますよね。
(まあでも後に分けられたりくっついたりそのへんごっちゃりするいつものアレ)
そうすると最初の最初には、頭に★飾りをつけたバト女神がいるってことなんでしょうか。いや待ってバトってなんで牛って分かる? あ、角と耳かあ…。
天の雌牛モチーフはナイル南西(白ナイルあたり)のシルク族にも見られるということですがそこだれか詳しくーー!!!
それから、時系列どっちが先かでごっちゃりする「遠方の女神」の神話について
先とか後とかじゃなくて、モチーフ被ってるだろうという指摘があるそうで
つまり
「怒れる女神をなだめる」という主題。(あ、そう見るのね…)
酒で酔わせるなり、歌や踊りをするなりして。
そういう指摘で改めて、ラーの目の女神の性質が、夏のはげしい日照にあるような感じがしまして、
それをなだめる必要があるのも納得だなっていうか。
そして猛暑が落ち着くころに、増水がやってくる、のが、遠方の女神になるんでしょうか。
女神をなだめる、という主題に気づかされると、儀式が伴っているらしいことがちょっと見えてきますよね。
あーしかしその視点はなかったです。知ってる方には今更でゴメンナサイ(笑)。
前半は、神話でよく描かれる人類滅亡神話の類ですが
よく知られてるものがかなり、水によって絶滅しかけるのに、
エジプトでは炎(セクメト)である、という指摘がされます。
それから、その原因となる「人の犯した罪」について、
この『天の牛』以外には、その原因(ラーが老いたせい)はあまり描かれないということ、
この神話にすら、具体的な内容は書かれていないことが指摘されてました。
また、「人が神に反抗する」ことについては、
死者の書175の「ヌトの子供たちのしたこと(暴動)」が別の表現として示されていました。
(ヌトの子供≒人間なのか?という疑問がわいてきました…。ちなみにこの時の罰は、人間の寿命が神より短くなることでした。トトが定めています)
似たような?というか、PTにも、ウナスの時代にすでにこういうものが。
【W165:wDa (W)| mdw m mHt-wrt imytw Xnnw.wi】
「ウナスは、メヘトウェレト上で、二つの争うものの間を裁く」
こうした、神への反抗(?神同士の争い?暴動?)は、王権が弱体化し世が荒れるときに表現されるということで
イプエルとかメリカラーが出てきて、第一中間期ごろに生じた考えだと説明がされます。
が、この辺は、実はそれらの文書の年代が第二中間期ではとか、最近いろいろ言われているようで、あまりそのまま呑み込めませんでした。
このへんの説明ももうちょっといろいろ知りたいなと思います(読んでも理解できなくてかなしい…><)
というのが今のとこの感想です。
他やってるうちに何か気付いたりするかもしれない。するといいなあ。と思ってこのへんで終ります。
あっそうそう
太陽が天牛の角の間に憩う、図像表現がいくつかされるようですが
その、太陽を囲う牛の角、が、天を抱くための両腕へと図像表現が変化した、というのも目からうろこでした、たしかに似てるわー角の形と腕…。