古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●カイロ・エジプト博物館の西側で新しいカシェート発見(2009.7.13)
http://drhawass.com/blog/press-release-%E2%80%93-new-cachette-discovered-egyptian-museum-garden
※カシェート=隠れ家、隠し場所。
「昨日の発表」とあるので、12日のことですよね。
SCAによる、カイロ・エジプト博物館の拡張プロジェクトの一環で、
この博物館の西側から発見されたそうです。
ザヒ・ハワス博士によると、
カッシェートには9つの人工物があり、
供物台、石灰石の石碑の上部、ヒエログリフの刻まれた石、装飾されたラムセス時代の石灰石の柱の基底部(コブラがその隣に見つかった)などを含むそうです。
すみません、コブラが何なのかよく分かりません(汗)。
供物台の写真がのってます。
一部訳します。
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この、カイロ・エジプト博物館では、
以前に2つのカシェートが庭園部分で発見されています。
1952年より前、考古学者たちはかつて信憑性について疑われる人工物をそこに埋めていました。しかしその後、博物館の目録書と科学的な出版物にしかそれらを記録してきませんでした。
ところがいまのところ、この最新のカシェートに関係がある物は見つかっていません。
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偽者かもしれないってことなんでしょうか。
本物だといいですね。
新しい博物館は、ゲートはそのままだけど、出口は西側になる、と書いてあります。
大きな本屋やカフェテリアもその辺に作る予定だとのこと。
また、地下部に講堂や仮展示室、自習室も設ける予定だといいます。
いつ完成するのでしょうか、ぜひ行ってみたいです。
●ホルエムヘブの墓が再公開
http://luxor-news.blogspot.com/2009/06/report-back-on-valley-of-kings-and-kv57.html
公開停止していた(らしい)王家の谷にあるホルエムヘブ王墓(KV57)が再公開されているようです。
(2009.6.27の記事です)
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さて、私は早朝にそこへ向いました。実際、谷には一番はじめに到着しました。私はまっすぐホルエムヘブの王墓に、またそこが閉まってしまう前にと急いで向いました。外側からは、そこが開いているというような表示が見られませんでしたが、あとで多くのガイドが客に告げているのに気づきました。
墓はすばらしいものでした。わざわざテーベのマッピングプロジェクト(?)から説明したりしませんが、私はその内部を15分間楽しみ、審判のシーンは最高でした。女神のドレスのパターンもゴージャスでした。
墓はかなり大きく、多くの階段と傾斜路があります。
とても暑く、また高湿で、ひびのモニターと、湿度を測定するモニターのようなものを見ました。
谷は最近大きく変わってきています。(ブログ上の)写真はメルエンプタハの墓への枯れ谷を撮っています。記念物から排水するため古代に作られた溝がはっきりと見えます。
また、KV55のとなりに調査作業場が移動してきていますから、当然このあたりでこれから発掘が行われるのでしょう。
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ホルエムヘブの墓、調査中だったんですね。湿気がすごいようで(ひび割れも警戒してるんですね)、
コメントなどを見ていると、あと一週間開いてるかどうか……と言う事らしいです(いつまで開いているかは分からないそうです)。
今観光に行けたらラッキーですよね……。
ときどきホルエムヘブの墓の壁画の画像を資料に使われている本を見ますが、とても綺麗ですものね! バックが青いのがすごく印象的です。一部書きかけなんですよね。
これからされる作業というのは、どういうものなのでしょうね。
●第26王朝の軍事都市を発見
http://drhawass.com/blog/press-release-fortified-garrison-town-discovered-northeastern-delta
西カンタラの都市の約15キロ北東、エル・マンザラ湖とスエズ運河の間にあるテル・ダフネ地域で、第26王朝(BC664-625)に遡る軍事都市を発見したそうです。
(記事は2009.7.1のもの)
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デルタの北東はエジプトでも特別な位置を占めました。
東方との貿易で主要な中心地となり、古代の軍事および通商路であった「ホルスの道」(エジプトと東方を結ぶ道)のあった場所でした。
その地域は、後の王たち(BC747-525)、特に第26王朝の王たちによって、侵入者から東部境界を守るために使用されました。
ザヒ・ハワスSCA長官は、
19王朝(BC1279-1212)の王、ラムセス二世が、
エジプトの敵を撃退するため、要塞を作るか都を補強する目的で、
テル・ダフネのこの地を選んだのだと述べました。
新たに発見された要塞は、王プサメティコス一世(BC664-610)がここに更なる補強を施したことが示されています。
モハメドAbdel Maksoud博士(下エジプト中央部の遺物の管理者で、このチームの監督)は、
新しく発見された要塞はこの地域に380×625mにわたって広がっており、周壁の幅は13mにも及んだと言います。これはデルタの東方で見つかった要塞としては最大の規模であると考えられます。
チームは3つのホールを備えた巨大な泥レンガ造りの神殿も発見しています。また、神殿の西方と東方に8つの部屋を備えた連なった?(magazines)倉庫を見つけています。
さらに、チームは砂の約3メートル下に、古代の構造の内部の雨水のための陶器で作られたトンネルで構成された排水溝路(路の終わりに陶器の器が垂直に埋められている)をも発見しました。
モハメドAbdel Maksoud博士は、
さらに大量の陶器の器と、現地のものと輸入ものの蓋を発見したと述べました。
これらは、当時エジプトと近東そしてギリシアで大規模な貿易活動があったことを表しています。
デモティックを刻んだ白のプレート、赤や黒のアンフォーラで飾られたもの、穀物を挽くために使われた石のグループ、ウジャトの形をした護符やアラバスター製のコホル(アイライン用の化粧道具)つぼの一部なども発見されています。多くの銅製の矢じりもまた見つかっており、この地域の軍事的性質を明らかにしています。
チームは6人の考古学者、建築製図士(?)、建築監督者および地形学者からなります。この地域での作業は2010年にも続けられるでしょう。
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神殿の綺麗な壁画が見つかったところですよね。
こうしてみると、前の訳とかおかしいかも……。あ、このへん神殿がいくつかあるんでしょうか? そのうちの一つなのかな。
あああ、図が見たい。
関連記事:「シナイ半島で新王国時代の神殿発見」
http://siryoumemo.blog.shinobi.jp/Entry/62/
●サッカラで新しい発見
http://drhawass.com/blog/press-release-new-discoveries-saqqara
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エジプト文化大臣ファルーク・ホスニは、サッカラの階段ピラミッド南側で保存作業を行っていたエジプトの考古学者たちが、動物や鳥の遺物で埋められたと考えられる深い穴を偶然発見した、と発表しました。
またその穴の底は、石膏の層で覆われているということが分かりました。
ザヒ博士は、チームがジェセル王の南の墓で復旧作業を行っている間に、大量の金の破片を発見した、と述べました。
それらはおそらく後代の古代エジプト人に、木製の棺かカルトナージュ棺を装飾するのに使われたと考えられます。
そのほか、一つが5トンほどもある花崗岩のブロックが30も見つかっています。
ザヒ博士によると、これらのブロックはかつてジェセル王の木製の棺――王のミイラの最後の休息場――を納めていた花崗岩の棺に属している、と説明しました。
ピラミッドの内部廊下を洗浄しているうちに、チームはさらに、ジェセル王の娘の名が刻まれた石灰岩のブロックをみつけ、同様に、木製の道具、木製の像の遺物、骨の破片、ミイラの遺物、また異なるサイズの粘土容器を発見しました。
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うわああ。すごい!
カルトナージュ棺?? 分かりませんが、一番上の写真、復元されるといいなあ……(復元されるほどは発見されてないかも)。
右側の石灰石が、「ジェセル王の娘の名が刻まれた」ものなんですね?
娘なのかあ……。とにかくジェセル王の名前にしか目がいきませんでした(目立つもの!)。
左にあるのがそうなのかな。二女神がいるくらいしか分からない……。
あ、ネスウトとサアもあるかな?
じゃあ上のtはサアにかかるのかな? それともここは関係ないかも?
右にウアス杖があって、傾いているので、「何が」持ってるのかな、とか。そんなところが気になったりです……。
石膏のそうはまだその下を調べていないのでしょうか。
石膏といえば、その下になにかが埋まってる可能性大ですよね……。
復旧作業や保存活動の中でも、発見が次々あるのは、すごいですよね。
久々のニュースです!
●ルクソール西岸で新たな墓を発見
http://drhawass.com/blog/press-release-new-tombs-found-luxors-west-bank
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ファルーク・ホスニ文化大臣は、
ザヒ博士(SCA)率いるエジプトの発掘チームが今日(2009.6/17)、第18王朝の墓をルクソール西岸の埋葬地帯ドラ・アブ・エル=ナガで発見した、と発表しました。
ザヒ博士は、
新しく発見された墓が「猟師の管理人アメン・エム・オペト」であり、日付がアクエンアテンの治世(1372-1355 BC)の直前に位置づけられると述べました。
また、この墓の北西に装飾のない入り口がさらに2つあり、
最初の庭で「アメンの聖牛の管理者アメンヘテプ・ベン・ネフェル」の名を伴う7つの葬祭シール(封泥?)が見つかっています。
一方、第二の庭では「王の伝令士?そして王宮の管理者エケ(Eke)」の名を伴うシールが発見されました。
さらに、未確認のミイラの断片的な遺物が、ファイアンス製の陶器ウシャブティと一緒に見つかりました。
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続報が楽しみです。
ファイアンス製のウシャブティ、なんか小さいです……下が切れてるし(涙)。
でも表情がいい! 癒されそう(笑)。