古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●ツタンカーメンの親は??
http://news.xinhuanet.com/english/2009-06/01/content_11470972.htm
ザヒ博士が、DNA調査のための研究室を作ったという話です。
もう一人、別の博士も研究所を設け、二人で別々に調査するそうです。
別々にやるので、混同される危険はなく、また、結果を比較することでより真実に近づけるだろうと考えられています。
死者(ミイラ)から取り出せるDNAは、生者のものとは違って、とてももろいため、取り出して増やさなくてはならないとか。
来年8月ごろには、その結果を公表できるのではないかと考えているそうです。
意外に早いですね。
焦点はやはり、ツタンカーメンの父親。
アクエンアテンなのか、アメンヘテプ3世なのか?
ちなみに、自分の記憶では(というほど、そういう関係の本を読んだわけじゃないですが)
アメンヘテプ3世の息子と見るものが多かった気がします。
アクエンアテンの息子なんて、いても王にさせるはずがない、という考えだったかな。
いや、息子は生まれていない、ということなのかな?
息子が王を継ぐ方が分かりやすくはあるんですけどね。
とはいっても、ツタンカーメンの前にはもう一人違う王が即位してましたが(数年で終わってましたね)…。
こちらが、その前の(ザヒ博士の)DNA調査をするというニュース。
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5hOuCMFEO55L5ru_hLvYAdxhynVAw
2月にこちらの結果が出て、
比較したものは2010年の8月に出るかも、ということでしょうか。
まえにも、DNAテストをするという話があったようですが、
外国の、ミイラについて専門でないところでやろうとしていたので反対したとか。
**
この、18王朝の王家は
よく、映像化され、ドラマチックに描かれますが、
映像化って、怖いですよね。ビジュアルで入るから、それが真実みたいに見えて。
王宮の中がどうだったのかとかから始まって、
人柄はもちろん、人間関係という重要な部分さえ、まだはっきりとしていないのに……、
それを知らずに、ぼんやり見てしまうと、あとで混乱してしまいます(自分が)。
こういうのって、歴史が好きな人には、「色々考えられるから面白い」のかな??
真実がはっきりしちゃうと、面白くないのかな?
はっきり分かるわけがないから、いいのかな?
久々に、なんか面白い記事です!
●クフ王のピラミッドの奥、謎の扉がついに!
http://www.sis.gov.eg/En/EgyptOnline/Culture/000002/0203000000000000001151.htm
テレビなどで何度もやってた、
クフ王のピラミッドの、女王の間(と呼ばれてる部屋)の通気口(と呼ばれてるもの)の奥にあった、胴の取っ手のついた扉。
そいつの向こうが、来る7/26に、暴かれる!!
あはは。エジプトが好きな人はみんな食いつきそうなネタです。
え、私? もちろん食いついてます!(笑)
金ぴかな財宝、というより、何か残ってさえいれば、考古学的にいろんなことが明らかになりそうですものね!!
さて、これについてザヒ博士のサイトの記事です。
http://drhawass.com/events/mystery-hidden-doors-inside-great-pyramid-0
日付が1993.3.22、となっています。画像も表示されません(残念)。
そうなんですよね、この通気口にロボットが入ったの、けっこう前……。
1992年のことです。
(あ、でも、記事自体は書き足されているようなので、安心してください)
もともと、ここに入る観光客などの呼吸や汗などのために、ピラミッド内の湿度がかなり高まっていて、それが結果的に石を腐食するので(湿度が85%にもなっていたそうです)、どうにかしないと、と考えていて、
通気口(砂で詰まってたんでしょうか?)をクリアにして、湿度を下げようとなったみたいです。
王の間から伸びた通気口など、他のものは、うまく外界と繋がったみたいですが、
この穴は違って、外に繋がっていないどころか、扉があった、と。
ちなみに、ロボットの名前は「ウプアウト」(「道を開くもの」の意、古代エジプト神)でした。
今度またロボットを使うのなら(使うんでしょうが)、なんと言う名前をつけるのでしょう(2ってつくくらいかな)。
取っ手が見えた、というのが、何度もテレビで取り上げられて、そのたびに「これ、どうなったの?」みたいな。
問題は、一番、技術(ロボットの)のほうにあったようです。
どうにか、そういうロボットが作れそうだということで、やっとプロジェクトが続きます。
穴は、王の間から二つ、その下の女王の間からも二つ、南北に開けられているようなのですが、
この穴の目的は、いまだ不明です。
王の間の二つは確かに外界に開かれていますが、
女王の間のものが、どこに繋がっているかは、分かっていませんでした。
通気口、というのも、あとから「そうだろう」と考えられてつけられた名で、
そうではないだろうとする見方が一般的だそうです。
「オリオン・ミステリー」では、それらの軸が重要なの星に向いており、星信仰に繋がると主張されていました。
今度の調査で、これらの穴の目的がはっきりするかもしれない、と考えられているようです。
女王の間の二つの軸は、1872年に英国のエンジニア、ウェインマン・ディクソンによって発見されたそうです。
この穴は造られた後、石で封をされ、なにもないように見えていました。
が、ディクソンは継ぎ目を調べ、まず南の壁を発見し、これに対応した軸が北にもあると判断したディクソンは、推測どおり、北に対応する軸を見つけました。
南の軸では、胴のホックが見つかりました。
北の軸では、花崗岩の器および一片の杉の木切れを発見しました。
1992年の調査では、
ロボットは南の軸に入り、60メートル上昇したところで、二本の胴のハンドルを持つ石灰石のドアを発見しました。
次に、ロボットを北の軸へ送ると、18メートルのところで軸が左に約45度屈曲しており、それ以上進めませんでした。
2002年、ロボットを再開発し、
南の軸へ送ると、この石灰石のブロック(取っ手のついていたもの)に、穴を開けることに成功しました。
ところが、その先にはまた、別の扉がふさがっていました。
この、二つ目の扉は一つ目のものとは異なります。まるで何かを遮るか、カバーしているようにも見えます。表面には、いたるところに割れ目がありました。
しかし、今はまだ、なぜそこにもう一つの扉があるのか、わかっていません。
数日して、北の軸にもロボットが入れられましたが、
左の屈曲の、さらに23から25メートルほど先に、今度は右に、より小さい屈曲を二つ、発見しました。
この屈曲は、大回廊と交差しないために作られたと考えられるそうです。
この軸がはじめから約65メートル進んだところで、南の軸と非常によく似た扉を見つけました。
北および南の軸をはじめに塞いでいた扉の、胴の取っ手は、
カイロ・エジプト博物館所蔵のツタンカーテンのカノポス壷の箱の上のものと似ています。それは、箱を引くためについた取っ手でした。
また、扉の石灰石はトゥーラ産の上質な石灰石であるようです。
こんな上質な石を、無意味に使うはずがない、ということですよね。
ザヒ博士は、
王の間から伸びる軸が外界と通じているので、
それらの軸は王の魂がそこを通じて天へと昇るものだと信じているそうです。
王の間の南側の軸は、埋められていた2つの「太陽の船」の、ちょうど中間にあけられているといいます。
クフ王はこの二艘の「太陽の船」を、太陽神ラーとして昼と夜の空を航行するのに使ったに違いない、と考えています。
また北の軸は、ピラミッドテキストにも何度も言及される「不滅の星」(北極星)にホルスとして向かうために開かれたに違いない、と考えています。
またザヒ博士は、女王の間の軸が外界と通じていないため、宗教的な役割があるようには思えない、と考えているようです。
また、軸の中にあった扉については、
王が来世に旅立つとき、超えなければならないもの、その象徴ではないか、とも考えられます。
実際ピラミッドテキストにも、王が来世に旅立つ前に、開くべき扉に面するのだ、という記述がある、といいます(すみませんまだチェックしていませんでした)。
しかしもしそれが本当であれば、なぜクフ王のピラミッドだけが扉を備えているのでしょうか?
さらには、なぜ王の間の軸には扉がないのでしょうか?
理論上、扉のついた軸は王の埋葬室から伸びていると考えられますが、これらの扉はクフ王の埋葬室がまだピラミッドの中のどこかに隠されているかもしれないことを裏付けます。
この一年くらいで、その謎が明らかになるでしょうか??
楽しみです。
●シナイ半島で新王国時代の神殿を発見
http://drhawass.com/blog/press-release-new-kingdom-temple-discovered-sinai
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SCAの調査団が巨大な新王国時代の神殿をシナイのテル・ヘブア地域で発見しました。
神殿内にはトトメス二世からラムセス二世の治世にかけての銘文が発見されています。
この発見はシナイにおいて史上最も重要な発見のひとつである、とザヒ博士は評しました。
神殿はこの地域でもっとも大きなもので、
エジプト東部の国境として戦略的に重要な位置であったために、古代において極度に強化されていました。
神殿は80×70平方メートルほどの広さで、日干しレンガで造られており、4メートルの厚さの壁で覆われています。
それは、ホルス、ハトホル、テフヌト、モンチュおよびレネヌテトなどを含む神々のイメージで飾られ、合計34本の柱をもつ四つの長方形のホールから成ります。
そこにはさらにトトメス二世およびラムセス二世のイメージもあります。
ザヒ博士は、それがエジプト東部国境地帯のための重要な聖地だったことを、神殿に関する以前のの研究が示す、と言いました。
その壁は鮮やかに彩られ、多くの礼拝堂と共に三つの石灰石の清めの器を収納していました。
モハメドAbdel Maqsoud博士(この地域の発掘責任者)は、
この神殿の東および西へ、それぞれ13の部屋を持った2グループの倉庫を発見したと言います。
これらの倉庫はおそらくセティ一世、ラムセス二世とセティ二世の治世のものだと考えられています。
その中から、発掘チームは幾千もの銘文と、セティ一世、ラムセス二世そしてセティ二世の印章を発見しました。
ひとつの、特に重要な例は、
セト神(後援者であるヒクソスの州都アヴァリスの神)の前にラムセス一世が描かれたものです。
アヴァリスは、今日テル・エル=ダブアとして知られている、テル・ハブアから50メートルほどの距離にあるナイルデルタの東側の地域です。
メモ:報道では、4つの神殿が新たに発見された、としているところがありますが、それは正しくありません。
4つの神殿が近くの地域で知られていますが、新たに発見されたのは一つだけです。
***
はっきり見えませんが、上記のページの右下にある写真は、モンチュ神ですか?
太陽がでかいけど、上に羽があるみたい……?
あっ、あるサイトに「ラー・ホルアクティー」ってあったよ……(汗)。
同じサイトにもう1枚。
「供物をささげるラムセス二世」とのこと。
一部しか見えませんが、パンをささげている相手はゲブ神でしょうか??
いや、頭の上に「ゲブ」の字があるからそう思っただけです……。
ゲブ神もいる、とあったので、そうかも。
あと、ラーホルアクティと、ハトホルもいるそうですよ。
ラーの画像はあれ、ということで、他の神様も見たい!!
現場はエジプトとパレスチナを結ぶ古代の軍事道路「ホルスロード」沿いにあり、古代エジプトの東方遠征の拠点だったとみられている、とか、
近くにみはり台もあった、とか、日本語で見ました。
とりあえず、発見されたのは一つで、今までで最大だということです。シナイでは。
●ファイユームでミイラ発見
http://drhawass.com/blog/press-release-necropolis-discovered-illahun
SCA下のエジプトのチームによって
ファイユームのIllahunのピラミッド地区の南西部で
53の岩窟墓からなる大規模墓地――中王国と新王国、そして第22王朝の墓を含む――が発見されました。
ファルーク・ホスニ文化大臣は、それらの墓はそれぞれ異なる設計であると付け加えて発表しました。
いくつかの墓には、上部の埋葬室へつながるシャフトと、そこから下部の埋葬室へとつながる二つ目のシャフトがあるのに対し、
いくつかは、たった一つのシャフトしかないといいます。
ザヒ・ハワスSCA長官は、
これらの墓の発掘は、リネンで包まれたミイラの入った人型の木製棺が収容されていることを知らせた、といいます。
ミイラの外装は、装飾も銘文もとても保存状態がいい、とのこと。
またザヒ博士は、
多くの棺に残る焦げも回復した、と付け加えました。。
それらはおそらくコプト時代に燃やされたのでしょう。
これらの棺の中で、チームは15の装飾されたマスク、お守りそして陶器のつぼを発見しました。
中部エジプトの遺物の監督で、このチームの頭であるAbdel-Rahman El-Ayedi博士は、
供物台のある中王国時代の葬祭チャペルも発見された、といいます。
予備的研究から、そのチャペルは次の期間に再利用され、おそらくローマ時代(紀元前30年から紀元後337年ほど)くらいまで利用されていたことが明らかになりました。
ローマ時代にさかのぼる泥の棺とブロンズ、および銅の宝石なども、保存状態のよいファイアンスの護符などと一緒に回復されました。
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日本の記事と少し大きな写真。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20090412SSXKA032712042009.html
ほかの棺の写真。
http://www.jiji.com/jc/p?id=20090413091900-7919658&rel=y&g=soc
発表されたのは昨日みたいです。
もう暑くなってくるから掘らないのかと思ってましたよ……。
それにしても本当に保存状態がいいですよね。もしかして穴場??
しかしこっちのほうにもピラミッドあったんですね。呼び名がアラビアちっく。
4/14写真追加(ザヒ博士のサイトより)
発掘時の写真っぽいです。焦げてる棺が、上記のサイトの写真のように綺麗になったわけですね。
http://drhawass.com/photoblog/two-coffins-found-newly-discovered-necropolis-illahun