古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●第6王朝時代の神官の墓2つ発見
・アハラム・オンライン(ahram online)
http://english.ahram.org.eg/News/126746.aspx
2015年4月南サッカラの埋葬地帯Tabit-El-Geishにて
仏オリエント協会(IFAO)による発掘調査中、
2つの、大変状態のいい墓を発見しました。墓は、第6王朝の王ペピⅡ世の治世の神官のもので、
彼らの骨と、葬祭具などの遺物がほんの少しだけ残されていました。
ひとりの名は「アンクティAnkhti」、もう一人は「サビィSaby」です。エジプト考古大臣のMamdouh Eldamatyは、
どちらの墓も、「死者へ供物がささげられる様子」など、宗教的な儀式の描写が、壁に素晴らしく描かれている、と説明しました。
その色合いは、4200年も前のものとは思えないほどで、まるで昨日描かれたかのように鮮やかである、といいます。
「これらの壁画は、当時の宗教儀式についてを明らかにする史料となるばかりでなく、当時の芸術家たちの技術力(の高さ)をも知らせてくれるのです」この調査隊を率いる仏エジプト学者Vassil Dobrevは、
埋葬シャフトは墓のかなり深い層で発見された、と説明します。
サビィのものは6m、アンクティは12mもの深さでした。
また彼は続けて、
どちらの墓も2つの層の上に立てられていた、と話しました。
上部は地表に日干し煉瓦で作られ、下部は石灰岩を切り開いて作られています。ギザ遺跡の中央管理局長(?)であるKamal Wahidは、 アラバスター製の容器や、供物、両神官の骨なども多少見つかっているが、 墓は両方とも、古代のうちに盗掘を受けている、と指摘します。 どちらの骨も地に散らばっており、棺の中に納められていませんでした。 両墓はほとんど同じで、当時の神官の墓に頻繁に描かれた、古代エジプトの供物の壁画の中でも特に有名なシーンが見られます。 それは、ヘッドレスト(頭受け・高枕)、神官が身につけた首飾りに加え、7つの儀式用のオイル壷(それぞれの名前・量が書かれている)、香を入れる器、銅製の香炉などの描写です。
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(上記にかぶらないところだけ簡単に)
・壁画やいくつかの遺物から、神官たちは生前、ミイラ作りの秘儀に関わったものと見られている。
・遺物はいくらか無事のものもありましたが、棺は見つかっていない。
・「七つの聖なる香油」は、口開けの儀式の際、死者の口に塗るとされるもの。
http://www.osirisnet.net/docu/centennial/e_centennial.htm
それらのうちいくつかは、第一王朝の木製(または象牙製)のラベルから古王国まで一貫して知られているが、それらが古王国時代に、偽扉の石碑や墓の中で供物の定型文の一部として組み込まれるまで、まとめて使用された形跡はない。
「7つの聖なる香油」が初めて見られるのは上記の墓か、ギザの、ヘテプへレスⅠ世の改葬墓から見つかっているもの。
ただし、このオイルが書かれた小さな石版が古王国の墓でたびたび見られる。
これらを含む、ミイラ化儀式のための一連の儀式用具の例は、歴史を通して見られるもので、「ペセシュ・ケフ」(魚の尾型のナイフに由来すると思われる)の例が示すように、これら死後の儀式に用いられる道具の少なくともいくつかが、ずっと以前からあったミイラ化儀式で用いられてきたものを、ミイラ化儀式の発達に応じて、変化させてきたものと考えられる。
・(この墓からペセシュケフナイフのようなものは発見されていない)
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古王国の墓、壁画の彩色がきれいに残った状態で発見とかすごいですね!
壁画が、まるで中王国時代の棺のようですね!
第二中間期の未知の王の墓発見
http://luxortimesmagazine.blogspot.jp/2014/01/abydos-dynasty-tomb-discovered.html?spref=tw
今まで知られていなかった王の墓が見つかりました。
発見はペンシルベニア大学の調査隊によるもので、アビドスの南ソハグSohagで見つかり、
王の名は「セネブカーイ」。
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この名がカルトゥーシュに囲まれて描かれたものはこれまで一度も発見されていませんでした。
墓は中王国時代の石を再利用して作られています。
木製の棺の内側には王の骨が見つかりましたが、状態が悪く、
古代の盗賊に荒らされたようです。
王は185cmくらいの背丈でした。
カノポス壷も見つかりましたが、葬祭家具等はおそらく古代に盗まれたのでしょう。調査隊の検査官Ayman Damarany:
「発見された墓はセベクヘテプの墓の近くに位置しています。おそらくセネブカーイ王の墓はK.Ryholtの言う『アビドス王朝』に位置づけられるでしょう」調査隊の所長、Josef Wegner博士:
「この王が統治していた時代は謎だらけで、墓が発見されるまでほとんど情報が無かった。
墓のサイズの小ささも、当時の経済状況の悪化を反映しているのだろう」
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ちょっと適当に訳しました。
壁画が少なくて(白い面が多い)、
絵のバランスがあまりよくないですよね。
丁寧でないというか。
王様の墓とは思えないですよね…。
第二中間期なので
1年も統治できなかったのかもしれませんね…。
Abydos Dynastyって、何でしょうね……?
↑第二中間期の王朝のひとつだそうです
こちらの本を薦めていただきました・・・
Political Situation Egypt
Kim Ryholt
http://www.amazon.com/Political-Situation-Egypt-CNI-Publications/dp/8772894210
↑関連部分が博士のご厚意により一部引用公開されたようです。
(http://www.egyptologyforum.org/bbs/Abydos_Dynasty.pdf)
●早稲田隊が3千年前のビール作りの長の墓を発見!(追記1/7:赤字)
早稲田隊の正式発表です(2014.1.7)
http://www.waseda.jp/rps/information/result/press/20140107khonsuemheb.html
2013年の12月29日に、ルクソールの西岸で発見されたようです。
いやいや、びっくりです!
この壁画の美しさを見てください…!
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-25593526
こんなものがまだ眠っているのですね……!
こちらも!! 天井の模様がはっきり見えます!
http://luxortimesmagazine.blogspot.nl/2014/01/the-way-to-start-new-year-ramesside.html?m=0
こうしてみると、
残っているのは一部なのでしょうか…。瓦礫がいっぱい…。
でもその一部が驚くほど綺麗…。
これは、修復でまだ綺麗な部分(剥がれ落ちたもの)が見つかるかもなのかな……?
アハラムの記事を(補足しつつ)訳します。↓ http://english.ahram.org.eg/News/90724.aspx
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日本の早稲田大学の調査隊が、
「Khonso-Im-Heb(おそらくコンスエムヘブ、祭の中のコンス神の意)」の墓を発見しました。
彼はムト女神のためのビール作りの長で、ラムセス朝期のgalleries(倉庫?)(間違いだそうです、どうやら「工房」)の長でした。
この墓はTT47墓(新王国アメンヘテプ3世の時代の高官、ハレムの長ウセルハト。BC1354年頃の人物だそうです)の前庭のクリーニング作業中に偶然発見されました。
コンスエムヘブの墓は2つの広間と埋葬室を備えたT字型をしています。
そして未完の墓(Honという名のいまだ不明の人物のもの)と繋がっています。
(正式発表を見ると、先にこの未完成の墓を見つけて、それからコンスエムヘブの墓の発見に繋がったようです)早稲田隊のチーフである近藤二郎教授。
「墓の保存状態は良く、墓主とその家族が様々な古代エジプト神の前に描かれた場面など、すべてが彩色されています」『口開けの儀式』の場面も墓壁の一部にあらわされ、その天井は鮮やかな色の幾何学模様で飾られています。中核(写真を見ると、口開けの儀式の描かれた下の段? 発表によると、その「天井の」中核に、太陽神賛歌とともに描かれているようですが、写真はまだ確認できていません)には太陽の船(図を見る限り、太陽の舟ではなく、葬儀用の舟。ミイラを運ぶ船だそうです。泣き女がいるようです)が描かれています。
考古大臣モハメド・イブラヒム氏は、アハラム・オンラインの取材にこう答えています。
「発掘作業が完了すまで周辺の警備を強化します」
「観光客を迎えるために、発掘後は包括的な修復作業を行うつもりです」
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http://www.theatlantic.com/international/archive/2014/01/discovered-the-tomb-of-an-ancient-egyptian-beer-brewer/282801/
この↑記事の下のほうを少し訳します。
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コンスエムヘブはビール醸造者であるばかりでなく、作られたビールを保管しておく倉庫の長でもありました。
彼の死後の休息の場は、彼の人生における役割そのままです。――黄金色に彩られ、活気に満ち、見る人を酔わせ(夢中にさせ)ます。
エジプト考古大臣モハメド・イブラヒム氏はこの墓の特徴をこう説明します。
「この素晴らしいデザインと色は、日々の生活を・・・彼らの宗教的儀礼に沿って、事細かに表しています。」
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壁画の彩色の鮮やかさ!
こんなに残っているなんて。こんな墓が未発見だったなんて!
壁画の美しさを強調されているということは、中には何も残ってないのかもしれませんね。
古代、墓を閉じた直後から盗掘があったようなので、しょうがないかもしれませんね…。
それにしても本当に美しいです。
死者の書の挿絵のようですね。 いやあ、驚きの保存状態です!
ルクソール・タイムスのものを見ると、
『口開けの儀式』の絵がかれた壁の左側には、おそらく墓主の姿を象ったものと思いますが、像があります。彩色されていますね!
↑どうやら墓主の像と思われていた、端に映った像は、墓主の「娘」の像だったようですね。墓主とその妻も、隣に像があるようです。
また、シャフトが発見されているが今は墓そのものを閉じているようで、シャフト下の埋葬室の発掘調査はこれからとなり、まだまだ発見が続く可能性がありそうです。