古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
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●テーベ・マッピング・プロジェクト
http://www.thebanmappingproject.com/
この前訳した記事の中にあったものですが、
サイトがありました。
名前の通り、
テーベをマッピングしちゃおうというプロジェクトのようです。
大きく分けて、
王家の谷と、その他のテーベの埋葬地帯について、
地図を作り、データベース化を図っています。
各墓ごとに、その墓主はもちろん地図上の位置、内部の平面図からCGでの立体再現、壁にどのような種類の葬祭文書が刻まれているか(内容まですべて書かれてはいませんが)、また壁画や石棺の画像なども残されていて、情報量がとても多いです。
英語がよく分からなくても、目で見て得られるものも多く、この辺りについて知りたいと思ったら、このサイトを見ればいいと思えるくらい。
もちろん、まだプロジェクトは進行中なので、全部を網羅できているとは言えませんが、これだけの情報を一つに集めたものは、他にあまり見られないと思います。
一応ブログのリンクに入れましたが、サイトのリンク集に移すかもしれません。
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KV5(ラムセス二世の息子の墓)ができた、ということですが、
地図上で、また平面図で見て、その広さ・でかさに驚いてます。
他のよりでかいように見えるんですけど……。
●オバマ大統領とピラミッドの秘密
http://weekly.ahram.org.eg/2009/957/he1.htm
ちょっと楽しい記事だったので、訳してみます。
ザヒ博士によって書かれたものだそうです。
忠実でなく、意訳の部分もあります、すみません。
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私は今まで多くの有名人にピラミッドで会ってきましたが、アメリカ大統領のオバマ氏ほど私が本当に楽しめ、心に残った人はありませんでした。
ピラミッドに到着した時、オバマ氏はカジュアルな服装でした。彼は最初に会った時から私に非常に親切で、またイマニュエル首席補佐官が大統領に、ニューヨークタイムズの中で最近公表された私のプロフィールを伝えた時、それは本当に楽しい驚きでした。
オバマ氏がクフの大ピラミッドの北側面の前に立った時、彼は見上げ、そして、なぜ人々がこれを、外宇宙からやってきたエイリアンによって建てられたものに違いない、と言っているのかがようやくわかった、と言ったのです!
私は大統領に、エジプト学の知識のない人は皆そのように言いますよ、と伝え、また我々が学者として持っているような情報を知れば、きっとその意見を変えるでしょうとも言いました。
私はまず、大ピラミッドの構造の関係について見つけたことを、芯に用いられた石がその岩盤から切り出されたものだという証拠を含めて話しました。
さらにピラミッドの南西の角にある傾斜路について私たちが見つけた遺物について言及しました。それは瓦礫と泥で建てられ、石切り場からピラミッドへ石を引き上げるために用いたのです。
われわれは、エジプト人がピラミッドの基底部をほぼ正確な正方形に作ったこと、そして彼らは立体の岩を構造の基礎を作るために9メートル切り取ったことも知っています。ただ一つ、いまだに討論されているのは、ピラミッドを構築するのに使用された傾斜路の性質についてだけなのです。それはピラミッドの外側に作られたのか、それともフランスの学者が言うように内側なのか……?
私はオバマ大統領に、ピラミッド内部の秘密の扉について話しました。
我々はそのうち二つに、銅製の取っ手があることを知っています。ひとつは女王の間から伸びている20×20cmのシャフトで、もう一つは対照して同じ部屋の北側のシャフトにあります。
2002年、南のドアにドリルで開けた小さな穴にカメラを入れ、その先に取っ手のない第二のドアがあることを明らかにしました。
大統領に、これらのドアの秘密をさらに調査すために協力してくれるチームを選んだと伝えると、彼はディスカバリー・チャンネルが完全なフィルムを作るだろう、と言いました。私は笑いながら、発見に関する最初のプログラムがナションル・ジオグラフィックによって作られたので、二つのチャンネルの間で争いが始まるだろう、と答えました!
大統領はピラミッド内部に入ることを決意しました。歴代のアメリカ大統領の中で埋葬室に入ったのはこれが初めてなのではないでしょうか。
壮大なギャラリーへと向かう間、彼は私に、クフ王の王妃たちはどこに葬られているのかと尋ねました。彼女たちは大ピラミッドの外側にある個々のピラミッドで横たわり眠っていると伝えました。すると彼は笑って、それはつまり、ミッシェルは彼と一緒には埋葬されないってことか、と言いました。
ピラミッドを離れ、次はクフ王のモニュメントの東側に位置するカーの墓へと向かいました。
そこで彼がヒエログリフのサイン「hr」(正面を向いた人の頭の絵で、前置詞の「on」や「upon」などを表す)を見て、それは耳が大きく突き出しているので、自分にそっくりだ、と注目しました。私は笑って、ツタンカーメンのほうがよりあなたに似ています、と伝えました。
彼がクフの船の博物館に訪れた時、私はアラビア語で館長に、オバマ氏のために新しいカーペットを引くのは好まないので止めるようにと伝えました。大統領が何と言ったのかと尋ねられたので翻訳すると、彼は私に賛同し、この博物館にカーペットはあまり合わないと言いました。
彼がボートを見終わると、私はツタンカーメンの彫像のレプリカを彼に贈りました。彼は自分の顔がこの若き王とどれほどよく似ているかを見て喜んでいるようでした。
私はまた、私のラッキー・ハットのレプリカも彼に贈り、こう説明を加えました。――このレプリカの帽子は尊い目的をもっていて、カイロのスーザン・ムバラク子供博物館の再開発資金を調達売るために売られているのです、と。
オバマ大統領は、自分の頭がとても大きいので、この帽子は合うように思えないと言いました。ところが、試しにかぶってみたところ、何とぴったりでした!
われわれはクフの船の博物館を発ち、スフィンクスの下へと歩いて行きました。オバマ氏は、生きているうちに対面できるとは思ってもみなかったと言いました。我々は像の前足の間で一緒に写真に映りました。
私は、すべてのエジプト人が、あなたが大統領に選ばれたことを喜んでいると伝えました。
私はオバマ大統領との対面を大いに楽しみました。彼はよき人であり、彼のパワーとカリスマは彼の純真な態度から来るものだろうと感じました。
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いや、本当に、
テレビであまり見てなかったのでよく知らなかったのですが、こう、飾り気のない人のようですね、オバマ大統領。
というか、hrのヒエログリフは確かにそっくりだと思います……。
この一文を伝えたいがために訳してみましたよ(笑)。
●日本のエジプト発掘40周年
http://drhawass.com/blog/celebrating-forty-years-japanese-excavations-egypt
うわー! 日本が取り上げられて嬉しい(愛国心に溢れてるみたいな自分・笑)!
しかも左の画像のプリンス・カーエムワセトが読めて嬉しい(それくらい誰でも読めるだろ)!
さらにその上の、ソカル神のヘヌ舟!!
ヘヌ舟、今度絵のモチーフに使いたいと思っていたので。目にすることができて嬉しいです!
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最近、エジプト博物館で重要な展示会が開かれました。
日本のエジプトにおける40年間の発掘作業の展示です。
それは、これら多くのプロジェクトを指導した、吉村作治氏の仕事であることを強調します。
吉村氏は、特にギザのピラミッドに興味を持ち、大ピラミッドの中を南へ、そしてスフィンクスの近くまで、調査しました。
また、彼らのより主だったプロジェクトは、大ピラミッドの内外をスキャンすることで、それらは多くの興味深い結果を提供しました。
日本のチームはまた、ダハシュールとアブ・シールの重要な作業も指揮しています。ダハシュールでは、航空写真術を用いて、多くの興味深い墓を発掘し、その一方で、アブ・シール南では、カーの家と呼ばれる、カーエムワセト王子(ラムセス二世の4人目の息子)に属する建造物を発見しました。
しかし私は、
吉村氏が指導したプロジェクトのうち最も重要なものは、ユネスコとの協力でもたらされたもの――王家の谷におけるアメンヘテプ三世の墓の復旧作業であると信じます。
彼らは三年にわたってそれに従事し、我々は盛大な祝賀をもってその墓を開くことを望んでいます。
カイロでの展示会は、吉村氏の発掘した彫像が、多くの非常に興味深いオブジェクトと共に、展示されています。
たとえば、スフィンクスの形をした横たわるライオンの、前足のあいだに、他の彫像と同じように、クフ王のカルトゥーシュが刻まれているものなど。これはおそらく第5または6王朝に遡るものと思われます。
吉村氏は非常に誠実で、実際にエジプトを愛するgood manです。私は彼を、親友の一人と思っています。
彼は日本とエジプト両国にとって、重要な仕事を進めています。
日本では、彼は映画俳優よりよく知られています。これは、彼がエジプトで働くために資金を調達するのを助けます。
これまでに我々が共に行う、最も重要なことの一つは、
クフ王の第二の太陽の船の復旧作業です。
それは今までに封が解かれ、船の穴が残されています。
1987年、ナショナル・ジオグラフィックがその穴にカメラを侵入させました。すると、船の木材は虫たちによって害を受けていることが判明しました。
その後、吉村氏は日本の政府から資金を調達しまし、船を虫たちから守るために虫たちを殺しました。
そして、彼は穴の中にカメラを設置し、ギザを訪れた観光客がその中のボートを見れるようにしました。
それはこのボートの復旧のための主な事業であり、保存の歴史の中で最も優れたものの一つとなるでしょう。
吉村氏に名声を与えなければなりません。
この人物はそのよき仕事において記憶されるでしょう。そして私は、彼が日本で最も素晴らしい学者の一人であると考えます。
今私は、我々の友情のため、記念論文集(学者の経歴および業績を祝う本)を、彼にささげるために整えているところです。
この本は、私からよき友への、またエジプトから彼がしてきた多くの重要な作業のために送られる、感謝の印です。
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ザヒ博士と吉村先生は、感性が近そうですよね。
アメンヘテプ三世の墓の壁画は、
早稲田のエジプト展で写真が引き伸ばされて展示されていましたが、女神のドレスの装飾など、魅力の多いものでしたよね。
ぜひ、この目で見てみたいと思いました。
機械などの技術で日本の名前が出るのも嬉しいですが、
個人的に、修復という尊い作業で日本人が関わり、成果を挙げているというのは、とても誇らしいなと思います。
俳優より知名度が高い……そうかも(笑)。
資金については、その通りですよね。大事なことです
●テティ王のピラミッド・テキスト(画像)
http://drhawass.com/photoblog/pyramid-texts-pyramid-teti
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サッカラのテティ王(第6王朝)のピラミッドにあるこの短い水平の通路は、王の埋葬室に通じています。
ピラミッド・テキストは通路の両側面に見られ、天井には星を見ることができます。部屋の最後には、王の石棺があります。
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ザヒ博士のサイトより。
どうして急にPTなのか分かりませんが、興奮して記事にしちゃいました。
ウナス王のものはよく見るし、時々ペピ王のものも(字とかなら)見るけれど、テティ王となると、あまり見たような覚えがなく……。
特に、こういう「部屋全体」を写したような写真は、ウナスのものが一番多いような気がします……。
狭そうだけど……絵もなく字ばっかりというのは、また圧巻ですよね……。
●マーク・レーナー・・・大ピラミッド建設労働者の生活を暴いた人物
http://www.columbusdispatch.com/live/content/science/stories/2009/06/28/sci_Egyptologist.ART_ART_06-28-09_G3_MNE9H7A.html?sid=101
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4500年前、ギザ大地に巨大なピラミッドを築いた古代エジプト人たちは、ずっしりしたパンを食べ、肉片や保存された魚を自由に選べた。
彼らは兵舎のようなところで眠り、「メンカウラーの酔っ払い」などと言う名前のついた作業集団に所属していた。
考古学者マーク・レーナーは、この失われた町から掘り起こすのに過去20年間を費やした結果、それらの詳細を知ることになりました。
ピラミッドとスフィンクスという、多くの人がエジプト考古学者と結び付けて考えるアイコンが近くにあります。しかしレーナーはそれを、ワシントンD.C.にあるナショナル・モールを掘り起こせばいつか誰かが見つけるだろう物であると例えます。
「ジョージ・ワシントンの時代の食事や経済や経済危機、そして300年後にそれらがどれほど変わったかを知るのに、D.C.の周囲を掘らずにどうするんだい?」と彼は尋ねます。
彼のチームの財宝――製粉機、動物の骨そして封泥――は、パン焼き施設、兵舎および書記の家で見つかりました。
レーナーと彼の同僚Ana Tavaresは、5月30日からCOSI(http://www.cosi.org/)で開かれている「失われたエジプト」の展覧品のためのアドバイザーでした。この話は、彼らがコロンブスにいたとき、先月に、聞いたものです。
彼らの仕事は、動物の骨や、バッグや箱そして重要書類などに書記が用いた封泥のプリントをマッピングする区分の展示において極度に表現されます。
彼らは古王国時代のエジプトの日々の生活に注目し、砂の下に消え去った文化へのより緻密な視点を捜し求めます。
「COSIの展示会で用いたタイトル『失われたエジプト』は、エジプトで失われている部分、そのすべての人々と個人たちが戻されてきているのだということを現しています」レーナーはいいました。
「我々は都市全体、および人々がどのように生きていたかを再建しようとしています。したがって、どんなものでも調べます。陶器の構造、封泥のしかた、我々はそれらすべてを調べます。」
はじめ、彼は都市を見つけなければなりませんでした。
エジプト学者は、ピラミッド建造に携わった何万もの人々の家がどこかにあるはずだということを知っていました。
レーナーは大スフィンクスを手でひとブロックずつマッピング調査するのに三年費やしました。それから彼は関心をギザ台地――スフィンクスと、第4王朝の3つの重要なピラミッドが建つ――に移しました。
彼はノースダコタで育ち、アトランティスからの難民がスフィンクスの下に彼らの記録の通路を埋めたという新世代のアイデアを持つ、カイロ・アメリカン大学の大学生として、1970年代の初めにエジプトに渡りました。しかし数年費やした後、こんにち「岩盤現実」と呼ばれるものを熟知した彼は、その展望を変えました。
「それは実際に、どこに都市があったのか知ろうとし、を景観がどんな物語を伝えてくれるかと景観を調査するような、一つの科学へ転じました。
“ここに採石場だ、ここに傾斜路がある、ここが港のあった場所だ、だから都市はこの外にある”というように」シカゴ大学で一年に三ヶ月ほど先生をしてもいるレーナー氏は言いました。
「私たちのプロジェクトのきちんとしているところは、1988年にそこに出向くことができ、その後20年間も仮説をそこでテストすることができたということです。これは科学にとって最上のことでした。そしてなにをあてましたか? そこには当然あったのです」
そのときから、都市の三つのエリアが出現した、と、古代エジプト共同調査隊のフィールド・アシスタント・ディレクターであるタヴァレス(レーナーが失われた都市地区を調査するために設立した考古学グループへの、基金の提供者)は言いました。
「道と周壁で細く調整された兵舎があります」彼女は言います。「またそこで見つかった家や人工品の形は、基本的に労働者のためのものであり、若い男のものであることを告げており、おそらく“回転する労働力”という点で女性や子供はいなかったと考えられます」
兵舎の近くで、より小さな家の、捻じ曲がった道を備えた、より非組織的だった生活形態の村が発展しており、おそらくもっと女性や子供がいたでしょう、とタヴァレスは言います。そこに住んだ人々は家族規模で供給していたようです、と彼女は言いました。
またその近くに、労働者たちが住んでいた町がありました。
「そこで見つかった文書の封から、管理に関する多くの証拠がみられます」彼女は言います。「そこには石膏で塗られた壁を美しく装飾したとても大きな家がありましたが、そこで見つかったものはかなり異なっていました。石の容器や、より繊細な発見物です」
チームの、封に関する専門家ジョン・ノランは、バッグ・箱・つぼ・ドアに書記が残した封泥の捺印あとを、丹念に集めた、トレーナーは言いました。
「封泥にある肩書きは、国で最も高位な書記の肩書きのいくつかに当てはまります」レーナーは言います。「たとえば、“王の筆記具の監督者”とか“王家の指導者である書記たちの監督者”といった、王族や貴族の教育者のものを見ることができます」
労働者は、クフ、カフラー、メンカウラーのピラミッドを建てるための三つの世代が終わると共にそこを去りました。
それらの遺跡から、兵舎の区域が足首かウエストの高さにまで崩れ、砂漠の砂が吹き付け、砂の下20フィートほどに隠されたことが分かるでしょう。
次の段階の「失われた都市」の調査は研究室内で行われるでしょう、とタヴァレスは言います。
マッピングと発掘をしてきた20年間の後に、我々の行う必要のあることは、情報を解釈し、統合し、そして公表することです」彼女は言いました。
レーナーは、自分は発掘作業を続けて、研究所の仕事はアヴァレスに残したいと言いました。しかし彼は、実際的な視野を得るためにむき出しにしたいくつかの建物を再建することにも興味があります。