古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
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●ギザ台地の考古学遺産の保存(後半)
http://drhawass.com/blog/preserving-gizas-archaeological-heritage
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非常に多くの考古学の材料を系統的に集めることにより、ギザ・アーカイブス・プロジェクトはSCAが国際社会のために遺跡を保護するのを助けます。
わたしたちは任意の墓、壁画の場面や銘などを追跡することができ、時と共にどう変化していったかを見せてくれます。それはわれわれの重要な保護そして復旧作業にとって、価値ある援助を提供してくれます。時間の経過とともに、記念物の構成成分が損害を受けるので、これらの写真史料と文書は価値が高まるばかりです。
近年、私の援助により、ギザ・アーカイブス・プロジェクトは国際的な共同作業になってきました。ギザの遺跡がどの単一の発掘遠征より大きく、より重要なため、プロジェクトは世界中のギザの重要なコレクションを所有する主要な機関すべてと協力しています。これらはバークレー、ベルリン、カイロ、ヒルデスハイム、ライプチヒ、フィラデルフィア、トリノおよびウィーンに位置します。
このすべての材料がオンラインになったら、ギザ・ウェブサイトはどれだけ強力になることでしょう! 私自身の発掘結果も、ここにもうすぐ集められるでしょう。
ギザ・アーカイブス・プロジェクトは過去のことだけでなく、ギザで進行中の発掘、たとえば私の友人マーク・レイナーが率いるようなものなどに協力し続けます。最新技術はいままでないアクセスを与えてくれます。
ギザ・アーカイブス・ウェブサイトはこんにち、衛星写真、無数の墓を拡大できる計画、またグーグル・アースのような航空写真を、あなたが情報を見るためにクリックしたどの墓についても含んでいます。
また1300のうち任意のひとつについて、双方向型の、360度回るパノラマを墓の内側も外側も両方、サイトのすべてで見ることができます。これは、保護のために訪問者にはほとんど閉じられている、これらの墓を、体験するための素晴らしい方法です。
将来の計画は、考古学的とデータをリンクを持つことと、ギザ台地全体の3Dリアルタイム・モデルの実験を含みます(SCAと共同した遺跡の地球物理学の測量結果など)。また「拡張現実」コンピュータ・アプリケーションによって、すべてのギザ・データをじかにあなたのスマートフォンあるいは他の携帯型の装置にもたらすことも考えています。
博物館への訪問者や、ギザへの旅行者は、いつの日か、かつては書斎の学者にのみアクセス可能だったすべての情報に、アクセスできるようになるでしょう。
ギザ・アーカイブス・プロジェクトは考古学的遺跡の管理、保護、アクセスについて、ユニークなモデルを提供するに違いありません。そして私は、似たようなプロジェクトやウェブサイトがこれを例に、エジプトやそれ以外のどの地域の、他の遺跡でも、このに例に続くことを願っています。
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すごいですね、このサイト……。(早速左のリンクに追加してます)
ひとつの墓について、考古学者それぞれの見解(属する年代とか)をずらーっと書き並べてたりして……。
壁画とかも、かなり綺麗に映して見せてくれてるし、見つかったものも、墓ごとに分けてまとめているし……。
情報が多すぎて、じっくり見ることができませんが、
壁画を見て回るだけでも、すごくいいなあって思いました。
といっても、綺麗に残っている墓では、その壁画だけでもけっこうな量で(汗)。それに、壁画だけを、時代順にとか、見たりできるのかな……。
チラッと見ただけでも、膨大な量で、最低限、墓の位置が(外側だけでも)表されていて。
竪穴だけだったりというのもありますが……。
あ、でも、top画像なんか、アクセスのたびに変わります。それだけでも楽しいかも!
そういえば、知ってるものって(それ自体少ないけど)王家の谷とか、あの辺のばかりだったなあと今更。
この辺りは、ザヒ博士が書いてあるとおり、一般人には開かれてるものがほとんどないようなので、
こういうのはすごく、ありがたいですよね!
●ギザ台地の考古学遺産の保存(前半)
http://drhawass.com/blog/preserving-gizas-archaeological-heritage
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ギザのピラミッド遺跡は私の好きな場所のひとつであり、
私はそれを保存するための作業、たとえばギザの史料プロジェクトなどを支援してきました。
私の多くの偉大な発見はこのギザで起きました。それにはピラミッド建設者の失われた共同墓地や謎めいたオシリス・シャフト、カイや小人ペルニアンクの彫像の墓などが含まれます。
経歴のはじめのうちに、西部墓地にある発掘小屋で生活し、目覚めと同時に大ピラミッドの壮麗な景観を毎朝拝むことができるという特権をも得ました。
ギザ台地は巨大です。そして、まだその秘密をすべて明らかにしてはいないのです。
私はそこで仕事をしたはじめの学者ではなく、また、最後の一人でもないはずです。
20世紀の前半、アメリカ人やドイツ・オーストリア人、エジプト人や他の国の人々による多くの偉大な発掘遠征が、砂の山を掻き分け、何百もの墓を明らかにし、現在エジプトやヨーロッパ、アメリカなどの博物館にあるコレクションを富ませているような、芸術的な傑作を発見しました。
過去100年のうちに、ギザに関する発見、人工品、写真、発掘計画、図面、ノートおよび出版物などの、多くの考古学的記録は、その進歩を追うことがほぼ不可能になってきました。
だからこそ私は、メロン財団のアンドリュー・W氏の財務援助を受け、ボストンのファイン・アート美術館(ボストン美術館)で始まるプロジェクトを支援することができるのを、とても幸福に思います。
MFAでのギザ史料プロジェクトは、エジプト学者ピーター・Der Manuelianに率いられ、収集、デジタル化し、ギザについての考古学的情報すべてを国際社会にアクセス可能にするよう努めます。
このプロジェクトがボストンにベースを置くのは、ハーバード大学のためです。――ボストン・ファイン・アート美術館の発掘遠征はジョージ・A・ライスナー(1867-1942)に率いられ、ピラミッドで最も長い発掘を1905年から1947年にかけて行っていました。
ボストンのMFAは、その古代世界部門において世界で最も大きなギザの考古学的史料を収容しており、その学芸員は私の同僚であるリタ・フリードです。
着手から数年後より、ギザ史料のウェブサイトには何十万ものギザの事項が オンラインに書き込まれ、古王国時代の文化を研究する学者や生徒たちに閲覧可能となり、研究そしてダウンロードも自由にできるようになりました。
現在までに、70ヶ国以上の人々がウェブサイトに訪れています。
異なるタイプのデータを上手くリンクさせることによって、ウェブ使用者はギザにあるどんな墓、像、記念碑の考古学の歴史についても「再構築」できます。
たとえば、「G7101」などの墓の番号でも、「カー(2009年6月にオバマ大統領が訪れたときに見せた墓です)」のような古代エジプト人の個人の名前でも、打ちこんでください。そうすれば、何百もの写真、オブジェクト、発掘日誌のページ、計画そして図面、出版された本と原稿を、無料のPDFファイルで見ることができます。また、出版されていない手書きのページさえも見ることができます。
検索特質の強力な進歩は、楽師だとか、家畜、祭または仕事をする職人などといった題名を示すことで、生徒が墓壁の場面を選び研究するのを助けます。
私たちはこのドキュメンテーションの多くを、現代の科学的考古学メソッドの創始者のうちの一人である、ライスナーに負います。
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後半はまたあとで……。
●ルクソール西岸の新しい墓
http://drhawass.com/blog/video-new-tombs-discovered-dra-abu-el-naga
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われわれはルクソール西岸のドラ・アブ・アル=ナガ(貴族の墓地として知られる)で発掘を始めました。ここでは、すでにいくつか新しい墓が発見されています。
そのうちひとつが、アメンエムオペトという名の人(墓の中の封から知れた)の墓があります。その名の「アメン」という字は、墓のレリーフから削り取られています。おそらくアマルナ時代に、アメン神(当時は支持されていなかった)の名をすべて削ろうと試みた人々によってなされたのでしょう。
第三中間期のはじめごろに、その墓はレイという人物に再利用されました(内部でその名をもつシャワブティが見つかっている。※動画内では、博士はシャワブティを第19王朝終わりごろのものと説明)。シャワブティはよく墓の中に置かれるもので、それには死者の名前が刻まれており、来世で死者を支援するように意図されていました。
エジプト人の探検は、ルクソール西岸の別の地区(かなり有望である)でも行われています。ここでは二つの重要な新しい墓がすでに発見されています。
ひとつは後代の、モンチュ神の高官の墓(名前は明らかでない)です。墓の正面を飾る場面には、彼が妻と共にモンチュ神を崇拝している様子が描かれ、その隣の場面には、イシス、ネフティスそしてオシリスを含むほかの神々が描かれています。退かさなければならない瓦礫が多くあるので、チームはこの墓の内部をまだ発掘していません。
二番目の新しい墓は、アンクミンという名の男のもので、予備外観ではラムセス3世の治世あたりに位置づけられます。この墓もまた入り口に死者の場面があり、その中に、死者がオシリスの前にあるものを含みます。この墓も、後代に再利用されたかのように思われますが、正確なことはもっと発掘してみないとわかりません。
この探検はこの地域の墓を発掘、記録そして保存する重要な作業を続けるでしょう。
それが後の作業に繋がり、この新しい刺激的な地域についてより多くのことを知らせてくれるだろうと思うと、とても面白いと思います。
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モンチュ神の高官の墓、入り口の図像、ステキですね。
アンクミンの墓の入り口も、ヒエログリフがけっこう残ってるのですね。
内部はこれからとのこと、何かみつかるといいな……。
ところで「Heritage key」とは海外の有料番組でしょうか。
色々あるんですね……。
●KV55のミイラ
http://drhawass.com/photoblog/dr-hawass-examines-kv55-mummy
ハワス氏のサイトにあった画像です。
1907年に発見され、カイロ博物館の地下に置かれていたミイラだそうです。ミイラといっても、ほぼ骨みたいになっているそうですが……。
このミイラが、アクエンアテンのものかもしれないと思われているそうです。
DNA調査するんですよね、きっと。
KV55で発見されているものは、アメンヘテプ3世からツタンカーメンくらいの時代に位置づけられるそうです。
カシェと考えられており、壁に装飾はなかったとのことです。
それにしても、写真の向こう側に写っている人型棺、綺麗ですね!
●KV64の発見
http://drhawass.com/blog/video-kv64-be-discovered-all-egyptian-team
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王家の谷を訪れたはじめの二度は、忘れることができません。
私が初めてそこに訪れたのは、17のころでした。グレコ・ローマン期のアレキサンドリアの芸術部門の学生でした。学校が王家の谷への見学旅行を組織したのです。ほとんどの学生は忙しくその辺を走り回っているか冗談を言っているばかりでしたが、私は、多くの秘密を常に知らせているこの谷に魅了されました。その頃、私はここでずっと発掘するようになろうとは思ってもみませんでした。
将来も分からず、私はこの谷にひきつけられており、そう感じたのは、今でさえ説明がつきません。当時、1922年の11月4日、ツタンカーメンの墓がみつかるという最後の発見がありました。
1965年に私が谷へ訪れたとき、62の墓が知られており、そのうち26が王に属していて、残りは王族でない個人のものでした。王は誰でも谷に埋葬するように命ずることができたので、これはありえることでした。ツタンカーメン王の墓の秘密は驚くべきものでした。というのは、他のアメンヘテプ2世やユヤとトゥユのものが半ば損傷を免れた程度で見つかっているのに対し、その墓は無傷だったからです。
王家の谷では、ツタンカーメン王の墓以来、唯一つの新しい発見を――84年後に、明らかにしました。オットー・シャデンは少年王の墓の正面に63号墓を発見したのです。
しかしながら、我々の発掘は、以前谷で行われることのなかった初めてのエジプト人による調査旅行であったというだけでなく、最も科学的に重要なものの一つでした。我々が調査を始めたとき、我々は始めから、この地が有望であると感じることができたのです。
我々は山を掘削し、地の中に階段がつづきその先を広間にしたものを発見しました。それは墓の入り口のようで、正確には63号墓の入り口によく似ていました。我々は付近の多くの銘を記録しましたが、それらのうちいくつかは既に知られており、幾つかは初めて見つかったものでした。うちひとつに、ウセルハトという男が父である大臣アメンエムハトのために墓を建てた、と伝えているものがありました。
崖の中での作業はとても面白いものでした。我々は巨大なブロックを見つけ、それを動かすのにかなりの時間を要しました。その後、人工の壁(その向こうに下降階段付のシャフトがある)を見つけました。そこはまた別の墓の入り口であるようでした。また、多くの労働者の帽子をも見つけました(知っての通り、労働者は王の墓を掘ったり装飾したりするため、かつて谷に住んでいました)。一つの区画で、円形の石灰石の台(中央に穴の開いたもので、労働者の飲食物を入れていた)を見つけました。
たとえこれら二つの入り口うちの一つもラムセス8世の墓に通じていなかったとしても、多くの偉大な王族――18王朝の王妃たちに加えてトトメス2世やネフェルティティなどを含む――がこの谷に埋葬されているらしいことを、忘れないでください。しかし、彼らの墓は未だみつかっていません。
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KV63のこと。
NHKスペシャルのやつはあんな感じでしたが、
やっぱり公式サイトに書いてある、日本のテレビでの放送予定は、
9月?いや10月?にあるらしいです。こうあります↓
Fall 2009
KV-63 (*tentative title as currently in production). One of a four-part series scheduled to air in Japan in September with possible broadcast in the USA in October NHK Television (Japan Broadcasting Corporation).
今までのことがあるから、あまり期待しすぎちゃダメなのかな。
でも、見たいです。得るものはあるはず。
……でも、「四つのパートのうちの一つ」というのは、NHKスペシャルでやったのと同じ構成……やっぱりあれのことだったんでしょうか……。あああ……秋の楽しみが(涙)。
それはおいといて、この記事は
KV64なんですよね?(タイトルを見ると)
ザヒ博士にしてはすごく控えめなのですが……。
発見されたのは、一年以上前ですよね?
もう見つかっているけど、期待できるか分からないなあ、ということでしょうか。今どの辺までいってるんでしょう。言い訳っぽいので、もう中はだいたい見えてきたのかもしれませんね。しかも、残念な方向に(涙)。そうでなければ、金ぴかの棺のある未盗掘王墓を発見したいけど、銘からすれば一般人の墓かも、ということかもしれません。それでも、もし損傷が少なければすごいと思いますが……。
ビデオはやっぱり、聞き取れないので(涙)……。すみません。