古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●第6王朝時代の神官の墓2つ発見
・アハラム・オンライン(ahram online)
http://english.ahram.org.eg/News/126746.aspx
2015年4月南サッカラの埋葬地帯Tabit-El-Geishにて
仏オリエント協会(IFAO)による発掘調査中、
2つの、大変状態のいい墓を発見しました。墓は、第6王朝の王ペピⅡ世の治世の神官のもので、
彼らの骨と、葬祭具などの遺物がほんの少しだけ残されていました。
ひとりの名は「アンクティAnkhti」、もう一人は「サビィSaby」です。エジプト考古大臣のMamdouh Eldamatyは、
どちらの墓も、「死者へ供物がささげられる様子」など、宗教的な儀式の描写が、壁に素晴らしく描かれている、と説明しました。
その色合いは、4200年も前のものとは思えないほどで、まるで昨日描かれたかのように鮮やかである、といいます。
「これらの壁画は、当時の宗教儀式についてを明らかにする史料となるばかりでなく、当時の芸術家たちの技術力(の高さ)をも知らせてくれるのです」この調査隊を率いる仏エジプト学者Vassil Dobrevは、
埋葬シャフトは墓のかなり深い層で発見された、と説明します。
サビィのものは6m、アンクティは12mもの深さでした。
また彼は続けて、
どちらの墓も2つの層の上に立てられていた、と話しました。
上部は地表に日干し煉瓦で作られ、下部は石灰岩を切り開いて作られています。ギザ遺跡の中央管理局長(?)であるKamal Wahidは、 アラバスター製の容器や、供物、両神官の骨なども多少見つかっているが、 墓は両方とも、古代のうちに盗掘を受けている、と指摘します。 どちらの骨も地に散らばっており、棺の中に納められていませんでした。 両墓はほとんど同じで、当時の神官の墓に頻繁に描かれた、古代エジプトの供物の壁画の中でも特に有名なシーンが見られます。 それは、ヘッドレスト(頭受け・高枕)、神官が身につけた首飾りに加え、7つの儀式用のオイル壷(それぞれの名前・量が書かれている)、香を入れる器、銅製の香炉などの描写です。
*
(上記にかぶらないところだけ簡単に)
・壁画やいくつかの遺物から、神官たちは生前、ミイラ作りの秘儀に関わったものと見られている。
・遺物はいくらか無事のものもありましたが、棺は見つかっていない。
・「七つの聖なる香油」は、口開けの儀式の際、死者の口に塗るとされるもの。
http://www.osirisnet.net/docu/centennial/e_centennial.htm
それらのうちいくつかは、第一王朝の木製(または象牙製)のラベルから古王国まで一貫して知られているが、それらが古王国時代に、偽扉の石碑や墓の中で供物の定型文の一部として組み込まれるまで、まとめて使用された形跡はない。
「7つの聖なる香油」が初めて見られるのは上記の墓か、ギザの、ヘテプへレスⅠ世の改葬墓から見つかっているもの。
ただし、このオイルが書かれた小さな石版が古王国の墓でたびたび見られる。
これらを含む、ミイラ化儀式のための一連の儀式用具の例は、歴史を通して見られるもので、「ペセシュ・ケフ」(魚の尾型のナイフに由来すると思われる)の例が示すように、これら死後の儀式に用いられる道具の少なくともいくつかが、ずっと以前からあったミイラ化儀式で用いられてきたものを、ミイラ化儀式の発達に応じて、変化させてきたものと考えられる。
・(この墓からペセシュケフナイフのようなものは発見されていない)
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古王国の墓、壁画の彩色がきれいに残った状態で発見とかすごいですね!
壁画が、まるで中王国時代の棺のようですね!
「ペセシュケフ」ナイフについて
“The PsS-kf and the Opening of the Mouth Ceremony: A Ritual of Birth and Rebirth,” Journal of Egyptian Archaeology 78 (1992), 113-47 by Ann Macy Roth
http://hebrewjudaic.as.nyu.edu/docs/IO/2596/RothPSS-KFOpeningMouth.pdf
2001年に名古屋ボストン美術館にて『ピラミッドの時代』の展覧会をしたときに
クフ王の名の刻まれた「ペセシュケフ」ナイフが展示されたそうです。
2001年名古屋ボストン美術館『ピラミッドの時代』展 図録p51
先が二つにわれた独特の形をしたそれは
「魚の尾形」ナイフとも呼ばれ
先王国時代から、間少しあいて、古王国時代の遺物に見られます。
素材は基本的に火打石(フリント)だそうです。
ペセシュケフ、とは
psS(分ける)-kf(フリント、火打石の)という意味のようです。
自分はこれが、古い時代の「口開けの儀式」に用いられたものだ、と思っていましたが、
展覧会の図録には「へその緒を切るものだったのでは」と記されていたようで、
その論文を紹介していただいたのが、上記のものです。
PDFで見れますが、あいだが抜けているようで、
残念ながら、へその尾を切る道具ということについての説明をあまり詳しく見れませんでしたが、
それ以外もとても興味深い論文でしたので、
要点だけごくごく簡潔に(簡潔すぎますが)まとめてみます。
興味をもたれましたら、論文のほうをご覧ください。
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●ペセシュケフナイフについて
・ピラミッドテキスト【PT37§30】では、
Die Altaegyptischen Pyramidentexte Pyramidentexte nach den Papierabdrucken und Photographien des Berliner Museums
Leipzig : J. C. Hinrichs'sche Buchhandlung
http://www.lib.uchicago.edu/cgi-bin/eos/eos_title.pl?callnum=PJ1553.A1_1908_cop3
「顎を開く、psS-kf」
とあり、ここにペセシュケフがあの独特な形と共に表現される。
この呪文に続いて、死者がさまざまな「ホルスの目」(供物)を受け取る、食べる、ことが長々と表現される。
つまり、王が死後「生きる」ために食事をする(ホルスの目、として取り入れる)、それらの呪文の前に、この、「ペセシュケフ」によって「顎を分ける」必要があった。
これが口開けの儀式の起源であり、
それがのち(新王国時代)に、彫像にされていた儀式(?)と混同され、手斧で成されるようになったのでは。
・このペセシュケフの独特な形は、
女神メスケネトの頭部を飾るものとよく似ている。
東洋書林『古代エジプト神々大百科』p153
(メスケネトは出産をつかさどる女神。
出産時に置かれる「レンガ」の女神であるとされ、死者の書などでは、レンガを表す長方形に頭がついた図で表現されることも。
ウエストカー・パピルスの物語では、ラー神の血を引くとされた子供たちの誕生を、この女神が助けている)
●メスケネト女神について
・ピラミッドテキストで既にこの女神の名と共に、あの独特の頭部の飾りも描かれている。(ウナス王のものにはない。第6王朝以降)
ただし、時代が後になると、頭部の飾りが羽に変化している様子。何故かは不明。
はじめに表されたもの(ペピ王のもの)では頭部と飾りだけだが、残りの二つは「聖なる竿」に止まる鳥が描かれていることから、神または神聖なものであると考えられる。
この部分【PT516§1185】の訳は、
「夜にあなたの子が、昼にあなたのメスケネトが作られる(おそらくクヌム神によって)」と訳せるもので、
メスケネト(神の決定詞つき)が「子供」と同時に作られた「もの」であるように書かれている。
この図(ヒエログリフ)の上段の枠内の右側にあるとおり、「Kd=作る、建てる」の後ろの決定詞で土器を作ってる人と手があるので、土器のように泥で人を作る、つまりクヌム神の行為をほのめかしているのではないか。
すると、子供の肉体と共に、メスケネトも、クヌム神によって作り出されていると考えられていたことになる。
そうなると、メスケネトが胎盤(後産で出てくるもの)を示しているとは考えられないか。
古代の人は、血だとかそういうものを畏れ、神聖視することがあるので、これも同じように、この誕生時に排出される胎盤を神聖視し、「メスケネト」と名づけたのではないか、と。
・クヌム神はナイルの泥で土器のように人を形作る神。
ナイルの泥で人間を作るクヌムと、同じ泥で作られた日干し煉瓦を神聖視しようとして、出産時にレンガを置いた。それが、のちにメスケネトと結び付けられたのかもしれない。
●このpsS-kfの独特な形は、雌牛の子宮であると考えられる。
メスケネト女神が象徴する胎盤と、繋がっている、へその緒を切る。それが、ペセシュケフ(ナイフ)の主な役割であったと考えられる。
・牛の子宮であって人間の子宮でないのは、雌牛が女神と結び付けられていた為に、その子宮が女性性全般を象徴することになったのでは
・再生の儀式の際、実際の子の誕生場面が再現されていたという。このナイフは、そうした儀式で「象徴的に」へその緒を切るときに使用され、そうして「母から切り離す」ことで、無事誕生したとみなしたようだ。
うまれたばかりの子供が「へその緒を切り分けられる」事によって「母親と切り分けられた」ために、次には、ひとりで飲食しなければならない。
ペセシュケフは、それを可能とするために「顎を分ける」意味をも持つようになったのでは。
●その他
後に4人の女神に分けられたというメスケネト。
Meskhenet-weret (Tefnut), 「大いなるメスケネト」
Meskhenet-aat (Nut), 「偉大なるメスケネト」
Meskhenet-neferet(Isis) 「善きメスケネト」
Meskhenet-menkhet (Nephthys)「快いメスケネト」
・「混沌という不在のかたまりから存在を切り出し生誕する」
それが古代エジプトの「再生」の概念であり、
へその緒=アポピス、それを切るナイフ→psS-kf=セトが持ってるアポピスを駆逐する銛=セトの尾が二股になっているワケ
とも考えられる。
***
Ann Macy Roth女史は
他にも興味深い論文を書かれているので(最下URL参照)また読んでみたいです。
この論文に関連しては
“Fingers, Stars, and the Opening of the Mouth: The Nature and Function of the Ntrwj Blades,” Journal of Egyptian Archaeology 79 (1993), 57-79
http://hebrewjudaic.as.nyu.edu/docs/IO/2596/RothFingersStars.pdf
こちらを読むといいのかなと思いましたが、
個人的には特に
“Father Earth, Mother Sky: Ancient Egyptian Beliefs about Conception and Fertility,” in: Reading the Body: Representations and Remains in the Archaeological Record, Alison Rautmann, ed. (Philadelphia, 2000), 187-201
http://hebrewjudaic.as.nyu.edu/docs/IO/2596/RothFatherEarthMotherSky.pdf
こちらが気になってます。
『父なる大地、母なる天』とでも訳せるでしょうか、
今は主流のように思える『母なる大地、父なる天』とはまるで逆の古代エジプトの世界観が説明されているようです。
また、気が向いたら…。
*
◆Ann Macy Roth
http://hebrewjudaic.as.nyu.edu/object/annroth.html
●最古のパピルスが明かすもの
http://www.eloquentpeasant.com/2014/11/19/the-oldest-papyri-ever-discovered/
(たまに意訳で…)
***
【最古のパピルスからはピラミッド建設についての記録が発見できたし、なぜエイリアンがピラミッドを作っていなかったかを論証します】
2014年11月19日 by Margaret最近私はDavid McRaney から
‘You Are Not So Smart’というポッドキャスト向けのインタビューを受けました。
自己妄想と「信仰」の性質についてのインタビューです。
彼は私に、常に一定の人気を集める「宇宙人ピラミッド建造説」について暴き出そうと(2007年にこのブログで記事を書きましたが)尋ねてきました。
私はこの話し合いをするまで、「ピラミッドは砂漠の真ん中にぽつんと建っているんだから、人間が建造できるわけがない」と思ってる人がいるなんて、思いもしませんでした。(実際にはぜんぜん違っていますね。写真はギザで撮っているのですが、そう狙って写しているのです――グーグルのストリートビューをご覧になれば分かります)。
私たちの話し合いはこちらで全てご覧になれます。http://youarenotsosmart.com/2014/09/30/yanss-podcast-033-the-psychology-of-forming-keeping-and-sometimes-changing-our-beliefs/
この話題に再び触れたことで、私は最近の、ピラミッドの正しい起源についてをより明らかにする発見について、こうしてちょっとした記事を書く気になったのです。
メディアがあなたに何を信じさせようとするかに関わらず、
我々は確かに、ギザのピラミッド群とその構造について非常に多くのことを知っています。
しかし、常に新たな発見が私たちの理解を拡大し続けているのです。
最近の発見のうち最も興味深いものは、ギザよりずっと遠い場所、ワディ・エル=ジャルフWadi el-Jarfでなされました。
そこでは考古学者らが、世界中で知られる港の中で最も古い、約4500年前の――ピラミッド時代の港を発掘しています。(写真はワディ・エル=ジャルフの地下道通路のひとつで、解体した船を保管するために使われていた。photo by G. Marouard)
紅海周辺の遺跡の調査は Pierre Tallet氏が率いるパリ・ソルボンヌ大学と、 Gregory Marouard氏が率いるシカゴ・オリエント協会の調査隊によってなされました。
彼らはここで、交易や採掘のための遠征に使われた船の解体されたものの残がいが、変わった地下通路――34mもの長さで、岩壁を掘削して作られている――に保管されていることを明らかにしました。
しかし彼らのこれまでで最もすばらしい発見は、一連のパピルスの破片であり、それには、ギザのピラミッド建造を支援したチームの日誌が書かれていました。
(すばらしい発見――ピラミッド建造過程を証明する実際の文書『メレルMererの日誌』。ピラミッド(「クフの地平」)の記述を示す写真)
100以上の破片が、監督官メレル率いるチーム――約200人男たちで成る――の日々の行動を記録した、個人の日誌を形作ります。
時間割が二つの段に分けて書かれ、良質な石灰石のブロック(ピラミッドの外装に用いられた)をトゥーラにある採石場からギザへ輸送することについての記録になっています。
これによると、ナイル川やそれに繋がる運河を用いて、『クフの地平』と呼ばれたピラミッド建築現場まで、約10kmの道のりを4日かけて運ばれました。
こうしたの活動を記録した日誌には、三ヶ月以上もの期間が記録されていました。(ワディ・エル=ジャルフの発掘現場にて、そのパピルスの写真 by G. Pollin)
メレルの日誌には、『ロ-シェ クフ Ro-She Khufu』と呼ばれる重要な行政区画を通ることが定期的に言及されています。
ギザの建築現場に到着する、ちょうど一日前にです。
そしてはっきりと、そこが宰相アンクホルの勢力下であると書かれているのです。
アンクホルはクフ王の(片親の違う)弟です。
アンクホルが宰相と、クフの後継者であるカフラー王の作業所の監督を勤めていたことは、以前から知られていました。彼はおそらく、カフラー王のピラミッド建築を(スフィンクスも同様に)監督しただろうと考えられています。
メレルの日誌は、アンクホルが大ピラミッドの建設の最終段階にもいくらか関わったのだ、ということを裏付けました。(アンクホルの胸像(MFA 27.442)by K. Schengili-Roberts)
日誌はクフ王の治世の行政報告とともに発見されており、
それは「第13回目の家畜計上年」の翌年であることが分かります。
家畜の計上は隔年、規則的に行われており、これはクフ王の治世27年、つまりクフ王の治世の最後の年を示します。
こうしたことから、ピラミッドの外装はクフ王の治世の最後の最後に完成を迎えたということがわかります。
それにしても、なぜ大ピラミッド建造についての文書が紅海の港で発見されるのでしょうか?
この文書はおそらく、ワディ・エル=ジャルフに寄贈されたものだと考えられます。
なぜなら、ギザのチームのひとつは後に港での仕事につく必要があったからです。(それはおそらく、ギザで使う道具の原材料として、シナイで採れる銅を手に入れるためか、港の地下通路を記念碑で閉鎖する儀式のため)
発見されたパピルスは、ピラミッド建築について我々が既に知りえていた情報に変更を加えることはありませんでした。それらは、われわれの既存の知識をその通りであると確認させただけでなく、その過程、習慣そして大ピラミッドの背景にある人々についてを、よりはっきりと認識することに貢献しました。他の港での発掘調査でというより、むしろギザその場所での調査により、更なる情報が得られます。
マーク・レーナー氏とAERAチームは、Heit el-Ghurabとして知られるピラミッド労働者たちの町と港についてを発掘調査中です。
ドリルの形跡から、そこに氾濫原(増水時に水に覆われる部分)を削って作られ、ナイル川と繋げた大きな人工の港があったことが明らかになってきました。
港は採石場から石を運んだり、外来品やその他様々な物品を届けたりするのに役に立ったことでしょう。
多くの巨大な遺構は労働者の宿舎か貯蔵庫、あるいは両方だったかもしれません。
ここでの発見は、「ピラミッド建築労働者はどのように養われていたか」等、実質的な問題についての情報を提供してくれます。パピルスに記されたピラミッド日誌はまだ完全には公表されていません。
Wadi el-Jarf と Heit el-Ghurabの両港についても、発掘調査は継続中です。
どちらも、まだ我々の知らない秘密を隠し持っているかもしれません。
この、古代世界の不思議のうちたった一つ残された建造物の、複雑な過程や背景について、より良い理解をもたらす可能性も、まだまだあるのです。(ギザのHeit el-Ghurab の遺跡の写真 by Y. Mahmoud)
***
クフ王の名前がはっきり読めますね。
宗教的な内容ではなかったですが、
ピラミッドに関する内容であったとはびっくりです。
分かりやすくまとめられた記事だと思いました。
※発見当時の記事はこちら
メトロポリタン美術館
古代エジプト展
『女王と女神』
2014年11月某日 神戸市博物館
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2014_4met.html
展覧会公式
http://met-egypt2014.jp/
*
日本初公開、「メトロポリタン美術館」の古代エジプト展です。
いやー。行って参りました!
10時ごろ現地に着きました。
ぜんぜん混雑しないうちに入って、ゆったり二時間見てまいりました。
(だんだん人が増えてきましたよー)
行った感想としては、やはり、
女性に関するものが多かったなあ、という印象でした。
化粧道具とかハトホル(人型)頭部は正直惹かれるものがないのですが
(ハトホルの正面顔とかに美を感じない←笑)
儀式用の鋤とかですね、ああいうのいいですよね…!
ハトシェプスト葬祭殿の模型とかは模型だけどとても良かったですよ!!
楽しむポイントとしては…
ハトシェプストの王名を覚えておくといいかもと。思いました!
メナト【ハトホルの象徴具でもある、ビーズが幾重にも連なったものとその錘で、繁殖・誕生また再生復活などを促すと考えられた】がたくさん出てきましたが
51番の、ビールの栓抜きみたいなヤツのデザイン
とても良かったですね、繊細で。
新王国らしいというかちょっと東のものっぽい繊細さですよね。綺麗です。
74番、アンケト神の頭部(小さめサイズですが)も来ていて、
なんか珍しいなあと思いました! アンケトとか!
この女神様は羽がたくさんあるのでけっこうすぐ判別できそうだけど
後ろに(見なかったけど図録に載ってて)「アンケト」って書いてたw
どの女神か分からない、とか、たぶん女神だろう、とかいうのもけっこうきてました(笑)
てきとうだなーみたいなw もっと分かってるのあったろうにw
カーネリアン(紅玉髄)のものがいくつかあって、
あの色合いを生で見れるのは幸せですね!
燃えるような赤から黒っぽい赤、黄に近いオレンジまで。
そのカーネリアンについて
「seweret(スウェレト)」と呼ばれるものがあったので
気になって、帰ってから少し調べました。
後述します。
あとですね~
98番の指輪。
シュウとテフヌトらしいということで
珍しいですよね~!
この二人っていうのがなんか珍しいなと。
好きなんですけどねこの二人。いろいろ複雑な意味を持ってそうで。
左がシューです。右が女神なのは「花を持っている」ことで判断されるかと。
シューと一緒にいる女神といえばテフヌト、と、そうなってるのではないかと思います。
ちょっと逸れますが
ツタンカーメンの墓を見つけたあのハワード・カーターの絵も来てましたよ!
って現場で見なかったんですが(笑)
元々美術のほうの方だったとは聞いてましたが、すごく美しい絵を描かれるなと思いました。
模写というより少しアレンジ入ってますよね、綺麗です。
102のティイ王妃頭部は石の質というか色合いが(博物館で見ると)良い褐色でした!
珪岩というそうで。図録はまったく印象違いますね…。
赤茶でざらっとした感じが良かったです。
シストラム(がらがら)とハープが来てましたが、
上から音を聞かせてくれるようになっていました。ハープは素敵でした~~今と変わらない。
132はこれですが
髪飾りだと。思ってましたが違うかもって。重すぎるから。
けど、胸飾りとしても重過ぎるし、第一幅が広すぎだろう、と思いました正直。
よく似たものが壁画に描かれている、とありましたが…
うーん似てるかなって言うか…長すぎない?みたいな
もっと根拠あるかもですが。
140「ヤグルマギク型の線状細工ネックレス」
すごく繊細でいいですよね、モチーフにしたこともあるですが。ちょっとエジプトらしくないかもだけど好きです。
19王朝のらしいですね。線状、とある通り、線を輪にしたりして組み合わせてできています。
これが作る影とかがまた美しいですよね~~。というのは描いてから気づいたw
あと魚が連なって泳いでるのはネックレスと思ったら腰帯だそうで…
付け外しはどうやってるの!?的な…。
階級問わず多くの女性が愛用、とありますが
壁画で見たことがあまりないような(裸の踊り子ならあるかも)…。
132のアレが「壁画で見ないから髪飾りじゃないっぽい」って言ってるしなあ、とか…。
さて、最後に棺がありました。
なんというか、エジ展だから持ってこないとだめでしょってことで持ってこられたような棺ですが(今までは死後の世界を中心に展示物を選択することが多かったように感じるので、私たちのエジ展のイメージがこういう、棺やミイラ、ですよね。でも、今回はほとんどないんです。死を感じさせない。ある意味残念だったところもw いや、こういうのもいいと思います!)
これまであまりに男神要素がなさ過ぎたせいで一番時間かけて楽しみました(笑)。
神様の名前を見つけようの会です。
えっと。ホルスの4人の息子とか(下の方の左右に二人ずつ)ヌトとゲブ(上腕の左右)とかいました。
ひとつ、bS(?)nwというのが、おそらく神名としてあって、それが不明なんですよね…
辞書開いたら該当がなかったので、Sじゃないかも、横長の四角っぽかったけど…石かなあ。
左右両方にあって。確かウルトヘカウか何かの下に。もううろ覚えですが!
誰か分かる人いたら教えてください~!
神名があるのが側面のほうだったので図録ではぜんぜん確認できない!
という感じでざっと感想でした。
そうそう、図録ですが。
今回はテーマにぴったりの女性らしい繊細さを感じさせるおしゃれなデザインでした。
すごいですね、徹底してる。デザインした人のセンスを感じます。角が丸いし、周囲に余白を取ってある。デザイン凝ってるなあと。
ポスターのデザインからして違いましたものね、あの、色合いと、文字。文字ですよ。古代エジプトのものがまた違うものに見えちゃうような。
なんと言うか…そう、資生堂パーラーの袋みたいなデザイン!!w
それはおいといて、
一つ一つについて横に簡単な説明がきちんとなされているのですが、
この図録は、加えて、もう少し詳細な説明を巻末につけています。これがとてもありがたいです。
あと、テーマごとに章立てされています(ハトシェプスト、とか、ハトホル女神、とか)が、
それぞれのイントロダクションに1p文をつけているし、
この展覧会をテーマにエッセイが書き下ろされ、それが日本語訳と原文両方で読めます。
いや、すごいなと思います、読み物としても楽しめる感じで。
まだ全部読んでいませんので、ゆっくり楽しみます!
***
さて
後述、といっていた「seweret(スウェレト)」。
これが気になったのは
・カーネリアンである
・喉にあてるようにして置かれる
という部分でした。
というのは、ある本の説明で、
アヌビス神の特徴として「首に儀式用の布か何かを巻いている」というのがあるのですが
それが、赤い場合が多いということで
ツタンカーメンの王墓にあったアヌビス像がそうです(が、全てが必ずそうであるということではどうやらなさそうです)。
なんで赤なのかなとか。首に巻くことに意味でもあるのかなと思って。
このスウェレトも、カーネリアン=赤、ですから
何か意味があってやってるんだろうなと。
まずヒエログリフを見ようと思ったのですが
出てきませんで(涙)、
swr(t)で、飲み物、とか、飲み物の供給、とかいう意味がありました。
巻末の詳しい説明では
「ミイラの首のまわりにセウェレトと呼ばれる紅玉髄のビーズをつける習わしが中王国時代にあった」
「ビーズが包帯と包帯の間ではなく、体に直接つけられていたことを示す証拠も」
とあり、
自分が調べた範囲で分かったことは
「スウェレト・ビーズは中王国時代に一般的だった。カーネリアン(紅玉髄)でつくられ、死者の喉につけるもので、しばしば死者の名が刻まれていた。遺体の保存状態が維持されることを保証するものであったと考えられている」
(http://www.metmuseum.org/research/metpublications/Hatshepsut_From_Queen_to_Pharaoh より)
という感じでした。
もっと細かく研究され、論文も出ているかもしれませんでしたが
今分かることはこのくらいです。
まず、中王国時代にそうした風習があるとは知りませんでした。
思えば中王国の文化や習慣についてはまったくチェックしてません…
これからもう少し気にして、このあたりの情報も集めていければと思いました。