EXPLORINGRELIGION IN ANCIENT EGYPT
STEPHEN QUIRKE 2015
P27~32
のつづき
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p29~31
・古代のイメージの発展的読解
19世紀、そして20世紀の初頭、解説者たちは古代の図像を偶像崇拝、動物崇拝、フェティシズム等と解釈してきました。
ウォリス・バッヂは大英博物館のエジプト学の同僚たちの世代の仕事を要約し、『Form Fetish to God in Ancient Egypt(古代エジプトにおける神への形状的崇拝)』(Budge 1934)と題しました。1930年代にそれが出版されるまでは、他の分野の研究者が見えてくるでしょう。例えば、哲学者のエルンスト・カッシーラーはその頃すでに、象徴的な形についてより共時的なアプローチで再定義していました。
古代エジプト宗教についての初期の経歴は、(信仰対象が)物の形であることを先史的と決めつけていました。おそらく物や象徴を信仰することを一種のフェチ(執着)と考えていたからでしょう。
こうした観点から、
人々は動物信仰に代わって、初期の歴史的時代に人の姿のものを信仰するようになることで、より洗練されていくのだ、と考えられていたのです。
この進化的な歴史観によって、初期のエジプト学者たちは、神々の多様な姿を、異なる歴史段階の描写の合成物とみなしてしまったのです。
それは、人―獣人ー動物ーモノのヒエラルキーで、その頂点が擬人化された単一の神に向かっているような――もしくはより不可知論・無神論的に考えれば、神など存在しなくなるのです。
ところが、時間の経過に伴い証明された順序では、
そうした進化は表れていません。
BC.4000年ごろの描写パターンを見ると、描写の徹底した再配合は、BC.3000年ごろの
書字の導入に伴って起こったようです。
新しい描写システムでは、ヒエログリフ文字の導入に伴い、
図像の形はヒエログリフの構成と同じ原則に従うようになりました。
逆に言うと、ヒエログリフは、大きな図像を小さくして、同じ原則とバランスで構成しているものだ、と言えます。
こうした新世界の表現とコミュニケーションの中で、絵と文字は融合していきました(Fischer 1986)。
わずかに知られる初期王朝の資料からすでに、神を描写する要素である「人、動物頭(の人)、動物そしてモノ」の4つすべての選択肢が見られるようです。進化的順序とは程遠く、4つのイメージ型は、(伝えられるべき情報と構成の必要条件として、)当時「知られていない、はっきりしないもの」を描写するための、表現方法の1セットとなっていたのです。
同じ名の神の描写のうちで、「動物」か「動物頭の人」かの選択が頻繁に起こっていたことから、構成的な配慮がされていたと考えられます。
初期に記されたもので、完全に動物だけとか、動物頭の人だけという表現をされたものは一つもありません。なにより、
より古い時代は動物の姿だけで表されていたとか、少し新しい時代には動物頭の人だけで描かれたとか、そういう例はまったくないのです。
おそらく、身体/頭部の選択は、この宗教画の歴史をとおして、
同じ名前のものの中にある特定の存在や力を可視化する手段、それを補うために、必要とされていたのでしょう。
単純なレベルで、構成の原則にはリズムとハーモニーが要求される場合がありました。
王が神々の傍に立つか歩くか座るかする場合など特に、アーティストは一連の神の描写が基本的に統一されるようにしました。もっともシンプルに、実際的なレベルでは、神が笏を持ったり王座に座るような構図の場合、人型の姿が当然のように用いられました。
別の芸術的原則は、また違った結果を見せることになるでしょう。たとえば、鳥が丈の長い笏を持っていたり、四足獣が王座に座っていたり……こうした描写の選択は、古代エジプトの資料の中でも、ひっくり返った、逆さまの世界を描写した手稿《トリノ所蔵のいわゆる「風刺パピルス」。BC.1250年ごろ、ワセト(テーベ)。(Omlin 1973)》に現れます。
獣頭-人身の姿の選択は、ハーモニー(調和)の概念とそれへの希求のなかで、明確に決定されたものと考えなければなりません。それは自然にそうなったわけでも、視覚的ルールの中で必然的な図案であったわけでもないのです。
頻繁に描写される同じ名前の神が、完全に動物の姿で描かれるものと比較すると、一般的には、これは
異なる神の性質を示そうとしたものではなく、構成の目的によって導かれる選択であるのだと分かります。
ひとりの神が、隼とかカバとして描かれるとき、それはその神自身の中にあるもの(後代の神々のカタログのように)か、神とその信仰者の間にあるもの(新王国と後代に見られる奉納ステラのように)か、どちらかの
違いを強調するためなのです。
神が単体で描かれるとき、特に献納彫刻などでは、完全に動物の姿で描かれることもよくあります。
しかしながら、いくつかの例では、視覚的構成は二重性や対象といった、また別の原則を含むことがあります。空間的な理屈などがまるでなさそうなところで、異なる姿が共に描かれたりするのです。【例図:人型と牛の姿のハトホルを共に描いたステラ】
こうしたケース、つまり賛歌などで、その神の名が組み合わさったり連続し、また分かりにくい神の輪郭を描きだすフレーズなどが展開される時などは、おそらく、単体であることよりも複数あることで、視覚手段こそが
神聖な存在の多面性を伝えるひとつの方法となる、と理解されていたのでしょう。
これまでの証拠から、(むかし)想定されていた歴史的進化というものは、どうやらなさそうです。どの時代のものを見ても、クリエイティブ・プロデューサーたちはそうした選択をしていないようですから。