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古代エジプトのこと

古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め

コフィンテキスト1130章

コフィンテキスト1130章
CTⅦ[Oriental Institute Publications (OIP)]

 古代エジプトの終末論と言われてる死者の書175章の前身がこれということで
 短いですが訳してみます。
 ヤン・アスマン著・吹田浩訳『エジプト 初期高度文明の神学と信仰心』(関西大学出版部)のp234~に461-464+αの訳があったので、参考にしていくつか修正しました。
 462d~464cまでは、杉勇・屋形禎亮著『エジプト神話集成』(ちくま学芸文庫)のp606、イプエルの訓戒の解説の中にも訳がありました。
◆その他参考↓
概要,訳:TourEgypt
表記例:Harco Willems『A Fragment of an Early Book of Two Ways on the Coffin of Ankh from Dayr al-Barshā (B4B)』(PDF)KU Leuven, Belgium
訳・解説その他:Wael Sherbiny『 Through Hermopolitan Lenses』2017(肥後時尚先生ありがとうございます!)

基本情報
 コフィンテキスト呪文1130章は、「二つの道の書」にかかれたもの。
 「二つの道の書」は、中王国時代の棺のうち、デイル・エル=ベルシャ(中エジプト)あたりの棺に集中して見られるもので、炎で仕切られた二つの複雑な道(水路と陸路)が地図のように描かれたもの。間には魔物のような番人も描かれ、死者はそれらに対する知識を示すことでそこを通過できるといった内容で、のちの新王国時代に見られる冥界文書(アムドゥアト等)の前身と考えられている。
 ただし、新王国時代の冥界文書は、日没の西方から始まり東へ向かって日の出を迎える、地下の世界であるのに対し、こちらは日の出、東から始まる。二つの道のうち、水路が天の道で、もう一方、陸路は地下の道と考えられていた。

 1130章は、炎の囲いの中にいる太陽神のもとへ到達した死者に対し、「万物の主」が独白する最終部分となっている。



**

461a: Dd-mdw in StAw rnw いくつもの名が秘密の者によって話された言葉。

b: nb r-Dr Dd xft 万物の主は言った、

c: sgrw※ nSn m sKdwt Snwt 取り巻きたちと船旅のときに、“嵐をしずめる者たち”の前で。
※sgrwの後ろにA40(座る神)とZ2(三本線)があるので、そう呼ばれてる神の集団と考えるようす。

462a: wDA m-a m Htp 「平穏とともに進め。

b: wHm=i n=Tn sp.wy nfr.wy 私はあなた方に良いことを報告しよう。

 ir.n n=i ib Ds=i m-Xnw mHn メヘン(とぐろを巻いた蛇。ラーをとりまく炎のこと?)の内側にいる私自身の心が、私のために成したこと、

c: n-mrwt sgrt isft 不正を鎮めるために。

d: iw ir.n=i sp4 nfrw m Knwt Axt 私は地平の入り口の内側で4つの良い業を成した。

e: iw ir.n=i sTAw 4 私は4つの風を作った、

463a: ssn s nb m hAw=f すべての人に彼の(生きる)時の中で呼吸させるために。

b: sp im pw それが業のうちひとつである。

c: iw ir.n=i Agb-wr 私は大いなる増水を作った、

d: sxm HAw mi wr 下層の人が貴族と同じように力をえるために。

e: sp im pw それが業のうちひとつである。

f: iw ir.n=i s nb mi snw=f 私は人を彼の仲間と同じように作った、

464a: n wD=i ir=sn isft 私は彼らに不正を成せとは命じなかった、

b: in ib=sn HD Ddt n=i 私の話したことに背くのは、彼らの心だった。

c: sp im pw それが業のうちひとつである。

d: iw ir.n=i tm ib=sn r smxt imnt 私は彼らの心が西方を忘れないようにした、

e: n-mrwt ir.tw nTr Htpw n nTrw spAt 州の神々に神の供物をさせるために。

f: sp im pw それが業のうちひとつである。

g: sxpr.n=i nTrw m sdt=i 私は神々を私の汗から現した。

465a: iw rmT m rmwt irt=i 人々は私の目の涙から(現した)。



b: iw N psD mA=kwi ra-nb m saH(sHr,sHD) pn nb r-Dr Nは万物の主の尊厳(隔絶すること、照らすこと)により毎日新しくなって輝くだろう。

c: ir.n=i (hrw n snb,) grH n wrD-ib 私は(健康な者のために昼を、)心の疲れた者(死者)のために夜を作った。

d: iw N r sKdw.t mAa m dpt=i Nは私の船でうまく旅するだろう、

e: ink nb HHw m DAt pt 私は天を航行するときフフ水の主である(から)。

466a: n tri※ n at im=f 私は自分の手足を惜しまない(?)。
※この部分はよくわからないらしい。

b: iw Hw Hna HkA Hr sxr.t n=i Dw Kd pf フウ神(発話の力)とヘカ神(魔法の力)は私のために、あの邪悪な性質のもの(アポピスの形容辞)を打ち倒している、

c: mA=i Axt 私が地平を見るために。

d: Hms N m xnty=s Nがその内側に座るために。

e: wDa=i mAr m-a wsr 私が惨めなもの(貧しい者)と強きもの(豊かな者)を裁くために。

467a: iry mtt r isftyw そして不正をする者たちに対して同じようにするために。

b: iw ny=(w)i anx 生命は私に属している、

c: ink nb=f 私はその主である(からだ)。

d: n nHmm wAs m Drt=i 私の手の王笏は奪い去られない。

e: iw ir.n=i HH m rnpt imy=tw wrD ib pf sA gb(nwt) 私はあなた、ゲブ(ヌウト)の息子、あの心が疲れたもの(オシリス)の中の時間を100万にし、

f: Hms.kwi Hna=f m st wat 彼とただひとつの場所に座るだろう。

468a: iw ir.n=i iAt r niwt Ts-pXr 私は廃墟を町と成した、逆もまた然り(=町を廃墟と成す)、

b: in Hwt wS=s Hwt 館を破壊するのは館である(からだ)。



c: ink nb xt anx m mAat nb nHH 私は炎の主、マアトによって生きる永遠の主。

d: ir wAt-ib  喜びを作る(もの)。

e: n sbi-HfAt aftt r=i 冥界の書の蛇は私に反逆しない。

f: ink imy kAr=f 私は「彼の祠堂の中にいるもの(太陽神の形容辞)」。

g: nb spw, stm nSn 傷の主(太陽神)、嵐を絶滅させるもの。

469a: idr HfAwt aSA rnw, pr m kAr=f 多くの名を持つ者(創造神)のため蛇を追い出すもの、彼の祠堂から出てくる者。

b: nb TAw 風の主、

c: sr mHwt 北風を予見するもの。

d: aSA rnw m rA n psDt 九柱神の口から多くの名が語られるもの。

e: nb Axt 地平の主、

f: sxpr iAxw, sHD pt m nfr=f Ds=f 光輝を生じるもの、彼自身の美で天を輝かせるもの。

g: ink A pw 私はそれである。

h: ir wAt n N tn このNのために道を作れ、

470a: mA.n=i Niw Hna Imn 私がニイウ(原初の水)とアメンを見るために。

b: ink is ax apr aftt 私はまさに冥界の書を習得したアク(祝福される魂)である。

c: swA=i Hr hnw(msw)(nhAw)※ 仲間(子孫)(鎮めるものたち)の上を通り過ぎる。
B3Cのみこの表記[N35-O4-G1-A24]で、決定詞のA40(座る神)とZ2(三本線)あわせてハーニッヒの辞書にあり、Sherbinyはこれで訳してました。ただB9C[O4-N35-G43+A40-Z2]と上記の参考PDFにある(最古らしい)アンクの棺はhnw[O4-N35-G43-A24+A40-Z2]となっていて、その他二つ判然とせず、B1Lは[F31-G43-D40+A40-Z2]となってる。これはmswと読んでみたけどD40があるのでmsn「ねじる」とかかもしれない。が、文の意味が通らなそうで…。
 はじめのほうの461eで、太陽神と船に同乗する「(嵐を)しずめる者たち」とあるので、それのことだとしたら、「仲間」でも同じ意味かも。


d: n mdw.n=sn snD HpA rn=f nt m-Xnw Xt=i 彼らは私の体の内の彼の名の秘密を恐れて話すことができない。

e: iw=i rx.kwi sw 私は彼を知っている。

f: n xm sw それについて無知ではない。

471a: ink apr Ax wpt sbxt=f 私はその入口をひらく有益な道具である。

<b: ir ////m//=i wA=f m Htp 私は作った…平穏にそれを離れる。(?)>(一例しかなく、ここで最後になっている)



c: ir s nb rx r n pw, wnn=f mi Ra m pt iAbt その呪文を知るものは皆、東の天のラーのようになるだろう。

d: ip.tw mi wsir m-Xnw dwAt 冥界のうちにあるオシリスのように認められるだろう。

e: iw=f hA=f r Snwt n xt 彼は炎の囲いへと下る。

f: n wnn nt sDt r=f Dt r nHH 反する炎は存在しない、永遠、永久に。

g: iw=s pw m Htp sp2 平穏に終わりがやってくる。(2度)



***

 このCTⅦ467-768が、終末論、死者の書175章の前身だ、という情報は
 リチャード・ウィルキンソン著・内田杉彦訳『古代エジプト神々大百科』(東洋書林)p21からです。
 一番訳がよくわからず、訳例が見つからなかった部分でした。ほとんどtour egyptのページを参考にして、あとからsherbiny2017のものを参考にいろいろ訂正しました。
 とりあえず。ようやく、終末論のコフィンテキストバージョンが明らかになったという感じです(いっぱい間違ってた…笑)。

 この色の部分は、
 神々が人のため(というより、宇宙全体のため)に成したことと、併せて、成さなかったことを説明している部分で、
 「彼ら(人々)に不正を成せとは命じなかった」
 「私の話したことに背くのは、彼らの心だった」
 この二つをよく取り上げられて、
 神はほぼすべてのものを作り与えたが、人間の悪性は神が与えたものではなく、人間自身の問題であるという考えを示しているのだ、という説明がされます。
 (『イプエルの訓戒』など第一中間期あたりの文学⦅と思われているもの⦆に、世を混乱させる人の「悪性」を生み出した神への非難⦅神はすべてを作ったのだから、ひとの悪性も神が生んだものという考え⦆があって、その反論がこうして示され、オシリスの死後の裁判の思想につながったのではと言われたりします)

 今回は、終末論をチェックしようと思ってやったので
 注目するのはその続きの部分です。

 死者の書175章と比較するといろいろ面白いんですが
(自分の訳はちょっとあてにならないですけど)
467e「(オシリスの)時間を100万にした」あたりから、
 死者の書175章のd-②、ちょうど終末論と言われてるところと近いですよね。
 心が疲れてるもの=死んだもの=オシリス、は、死後ずっとずっと生き続けるんだ、と。
(ゲブ⦅ヌウト⦆の息子、とあるので、死者の書175章のはじめに書かれていたものを思い出して、ホルスとセトの争いのことかと思ってしまった…。そのせいで疲れたのかと。でもよく考えたら、オシリスも当事者のひとりだし⦅死者の書で嘆いてるのはアトゥム⦆、「心の疲れた者」は死者を示すこともあるんだった…)
 それから次の
f「彼とただひとつの場所に座るだろう」
 ただひとつ、唯一の場所、そこだけになった、何もなくなった世界というわけですね。

 ここでの話し手、「万物の主」は、ラーということですが(死者の書ではアトゥム)、
 様々なものを生み出しながら、またそれらを破壊する、
 そうした時をくり返すことを、
468a「私は廃墟を町と成した、逆もまた然り」
b「館を破壊するのは館だった」

 と、表現してるんでしょうか。おもしろいですよね。
 「廃墟を町に(創造)」、その逆「町を廃墟に(破壊)」。
 創造も破壊も。真逆のことをどちらもする力の主。
 そして「館を破壊するのは館」の意味はよく分かりませんが(訳が違うかも……)
 建物を壊して、またそこに建物を建てる、みたいなことをよくやっていたようなので、
 作った人々自身が、また作るために壊すんだよね。前の建物は、次の同じもののために無くなるんだよね。
 それと一緒だよ、って。
 そういうことを言いたかったのかもしれませんね。

 また
470a「私がニイウ(原初の水)とアメンを見るために」
 死者の書では、はじめの状態に戻す=ヌンとかそれ以前のフフという、創造の潜在力のないただの水に戻す、と言いますが、
 ここでは、「ニイウ(≒ヌン)」を見る、と。
(フフ⦅水⦆が先に出てきたとき⦅465e⦆、終末論ここかなっ!?と一瞬思いましたが、空の水のことを言っていたようですよね)
 また「アメン(目に見えないもの)」も見るとあるあたり、死者の書に書かれた「神々にも誰にも見えず、知られない」存在になる、というのと近い感じがしますよね。

470c「仲間の上を通り過ぎる」
 仲間たちが生きる時間をさらに超えて生き続ける、的な意味なんでしょうか??
 あと
470d「彼らは私の体の内の彼の名の秘密を恐れて話すことができない」
 なんか古代エジプトらしい表現ですよね。
 大いなるもの、それへの畏怖が名前に対してあり、それが畏れ多くて口に出せない(だから大神の名前は秘密で、しかもそれがいっぱいある)・・・まではまだ分かるけど、
 その名を知っている=体のうちにある状態、その人がそばを通るだけでも、「その大いなる名を知る(持つ)もの」として畏れられる。
 怖くて言葉が出ないレベル。すごいですよね。
(これ、でも他の訳をみると、「私の体の中」に「彼(畏れのの対象)」がある、その名~というニュアンスのものもあるみたい。大神と死者の同一視の結果みたいな。だとしたら、名前だけで恐ろしいという話じゃなくなるなあ。うーん)

 最後の五行は分かりやすく、とてもよくまとまっているなあと思いました。

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 古代エジプトについて趣味でいろいろ。
 ド素人が楽しくやってるだけのブログ。間違いもいっぱいあります。気付いたら直します。ご指摘感謝です。
 エジプト語読んでみる、とか書いてますが、ほとんどは訳を参考に、元の表現を確認しているだけ。文法がふわふわ。
 気が向いたときやるかも、みたいな。

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