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古代エジプトのこと

古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め

月の書5 CT159、160

はじめの説明と目次はこちら

◆◇159章

 東の地平にたどり着く月。
 この章は新月の始まりにも関係している。ここでは東の地平にある「イ草の野(セケト・イアル」で太陽と月が出会う様子が細かく描かれている。


Ⅱ363c 「私は東のバア(魂)たちを知る。」
Ⅱ364a 「私はその中央にある門を知っている。」
b   「ラー神が東のそれの中から出てくる。」
c   「その南の池の中にはkAbsガチョウたち。」
Ⅱ365a 「その場所の中へ、ラー神の船が案内されて旅する。」
b   「その北の池の中にはsrwガチョウたち。」
c,Ⅱ366a  「その場所の中へ、ラー神の船が(案内され)こぎだす。」


 前の155章の内容が、新月の夜のことで、西に二日月が見えることを予感させたことに対し、
 この章では、東と朝日を結び付けて描いている。
 月は太陽の光で見えなくなるので、太陽を描写することで月の様子を示している(えーーびっくりだよ)

 東の地平線に沿った、太陽の年間通路の北端と南端が定められている。というのは、月は太陽の軌道(黄道)にいつも沿ってる、というわけではいないが、月が東の空の端で太陽と出会った時、見えなくなるくらい、いつも近くにあるのだという事実を強調したかったのではないか。

 広大な「イ草の野」に生息する植物について、この呪文の第二の部分に記されている。
 大麦が5キュービット、エンマー小麦が7キュービット――おそらく月の近さと植物の育成への正の影響をほのめかしているのだろう。

(すみません、この部分ちょっとよくわからない。訳が間違ってるかも? 難しい…。)



◆◇160章

 日食。
 この章は、月が太陽の軌道と同じである場合、日食が起こることが描かれている。



Ⅱ375b 「西のバア(魂)たちを知る。」
c,Ⅱ376a 「私は 空をわたったところ(?)にあるバアクウ山を知っている。」
b   「そこは水晶でできていて、高さ300、幅120(150?)ケト。」※1ケト=100キュービット
c,Ⅱ377a 「セベク神が東のこの山、バアクウ山の主である。」
b   「彼の神殿はカーネリアンでできている。」
c   「蛇が、あの山のてっぺんに住む。」
Ⅱ378a,b 「その長さは30キュービット、フリントでできた頭の先は3キュービット。」
c,Ⅱ379a 「私は山の上のあの蛇の名を知っている。その名は『彼の炎の(中にある)者』。」

 日食の二人の主役の名前が示されます。
 セベクはここでもう一度、東の地平に現れる朝日として現れ、
 太陽の敵役としては、蛇「彼の炎の中にある者」が現れます。
 月をほのめかすものは、天の山の高さが300(月周期「30」の10倍)とか、幅が120(年間の12⦅ヵ月⦆の10倍)で、月の蛇は意味ありげに長さ30。 
 内容と完全に一致しているのが、蛇の前側の3キュービットというところで、これはおそらくエジプト人にとって、月が見えない期間が最大3日間になるということ。(??ナイル渓谷が高くて地平のほうが見えないからか?)



Ⅱ379b 「その時まるで夜のようになり、蛇はラー神へその目をぐるりと向けた。」
Ⅱ380a 「そのせいで船の漕ぎ手たちは停止し、」
b   「船旅に大きな驚きがひき起こされた。」

 「彼の炎の中にある者」がその目をくるりと返してラーを見る。というのは、
 月が地球に立っている観測者に背を向ける、ということ(?)
  そのとき、太陽の船の乗務員(漕ぎ手)は止まってしまう。

 太陽の船が停まる、ということは(例えば「ナイフの湖」の砂州でも止まったりするらしいが)、プトレマイオス期のパピルス2つによると、日食と関連付けられるらしい。
 そういうわけで、この部分には日食時に起こる出来事を表現しているに違いない。それというのは、この蛇とラー神が「夜/ほの暗い(mSrw)」時に出会っていて、実際日食の時には、あたりは夜のように薄暗くなるものだからだ。

 章の残りの部分では、セト神が太陽の船の守り手としてパッと行動に移り、魔法の呪文を唱え、撃退する強さを蛇に見せつけると、太陽の船がふたたび動き出し、ラーは西にしずむのである。


***

 正直、日食の部分はよくわかりませんでした。
 どうして、東の地平で日食する必要があるんだろう…。
 でも蛇だし、ラーを睨んでる(?)し、
 セトが出てきて力を示すらしいので(軽く確認した)
 アアペピと同一かもしれない。
 アアペピより意味が明確な名前なので、のちにそのままじゃない言い回しを使うようになったとかはありそう。

 アアペピはラー神と同じだった、という説を思い出したんだけど
 ここから来たんじゃないだろうか。

 「彼の炎の中のもの」の、「彼」は、ラーっぽいし。(他の解釈もできるかも…例えば、自分自身、とかね)(でも炎の中に住むのは新月のときで、新月は太陽の中に月がいるように見えるからで、太陽だ。というのは納得できる。一方で、月の中にいる、月と同一だ、ともいえそうな…なんかよくわからん)

 ラーと蛇が同じものだという話は面白いんだけど
 もしここからだとしたら、「同じもの」というには当たらないかも…。
 いつも違う方(こちら側、観察者のほう?)を向いている(ので、太陽が光ること≒船の運航、を邪魔しない)けど、
(こっちを見ている、つまり目を向けている=光っている、だとしたら、蛇はやはり月なんだよなあ…)
 ラー神のほうを見ると、びっくりして船が停まっちゃって、光が欠けちゃう。

 太陽を食べる(のみこむ)、から、日食なんだ、と思っていたけど
 少なくともここでは、蛇(≒月?)が向こう、つまり太陽側を見る。ことで、
 こっちがわ(私たち空を見てるもの)にとっては、その光りが向こうを向いて、見えなくなって、それが太陽に影を落とす感じなのかな。
(154章の導入部分で、この蛇はラー神とヘリオポリスの分割について話し合いをし、その時かじった⦅ラー神を、かな…⦆結果、月の周期に欠けが起こるわけだけど…かじると損傷するから定期的にそれが起こる、つまりひと月29日間になっちゃう。でも食は、一瞬何かが遮る程度で損傷はない、としたいのかも)

 呑み込むとか、そういうとことろまで描かれてないですね。
 セトは脅しただけなのか?
 でも避けてる可能性はあるかも、葬祭文書なので…。死者にとって不吉な内容は避けられるかも。

 とりあえす、
 月食とかそういうのは完全にイレギュラーで、そういう理由でたまに起きるけど実際は大丈夫だよ!いつも通りだよ!みたいに書いてるっぽい感じがしました。
 あとまあ、
 160章は日食にしても、部分食のことかもしれない……。そんな感じがする(くらい、なんかさらっとだよね)。
 


 ナイフの湖の砂州で船が停まる≒日食、の話は知らないので、チェックできたらしますね…。

 死者の書のアアペピ退治は日食と明言しているんだろうか?あそこではしてないのかも。
 つってちょろっと挿絵で探してみたけど、有名な、セトがアポピスを槍で刺すような図ってけっこう少ないのかも??
 章は108でいいかな。帰ってから確認する。

 アムドゥアトでアアペピがセトにやられてるシーンをチェック…。
 (第7の時間に出てくるアアペピは長さなんと440キュービット)
 いや、ないな。
 アアペピをやっつけてるのはセルケト女神だな。他のバージョンもあるかも。あと他のシーンにもあるかもだけどセトが槍さしてるのはアムドゥアトにはないかな。
 アムドゥアトの書にはアアペピと似たような黒い蛇がうようよ描かれてるけど、その中の半分以上はいい蛇さんだったりするので、見た目に惑わされないように>< 翼生えてるやつはまず仲間だ。

 

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 古代エジプトについて趣味でいろいろ。
 ド素人が楽しくやってるだけのブログ。間違いもいっぱいあります。気付いたら直します。ご指摘感謝です。
 エジプト語読んでみる、とか書いてますが、ほとんどは訳を参考に、元の表現を確認しているだけ。文法がふわふわ。
 気が向いたときやるかも、みたいな。

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