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古代エジプトのこと

古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め

(読了)ドゥアトの概念の変化 古王国から中王国へ

Imagining the Beyond: The Conceptualization of Duat between the Old and the Middle Kingdoms
Silvia Zago, 2018 
(PDF)


 ↑読み終わったので内容をまとめます。

●「ドゥアト」は地下世界というイメージは新王国時代の冥界文書から

 ・新王国時代の王家の冥界文書群(アムドゥアトや門の書、洞窟の書等)ではたしかに地下世界を描いているようだが、過去もずっとそうだというわけではなかった。
(新王国時代でさえ、書によっては定義が変わる。例えば天空(ヌト)の書で言う「ドゥアト」はヌトの内側の秘密の場所である。)
 ↓
 この時代までにドゥアトについて複数の概念が複雑に絡み合い、単一に描写できなくなったため、「入れ子状」にすることで、伝統的な考えも犠牲にすることなく保持している。

●PT、古王国時代における「ドゥアト」
(宇宙的な概念は既に多様

 ・PTでは「天における王の来世」を目指す内容となっている。
  →【不滅の星々】へ向かうこと、が、PTで描かれる思想の中心。
   (「出ていく」「昇る(階段の決定詞)」「飛び上がる(鳥)」)
 ・ドゥアトは天にあるようで地下にもあるような二重の表現が見られる
   ↓
  ①天体としての太陽と王を同一視し、星や太陽のように天に上るという思想
  ②オシリスやアヌビスで表現されてるように、西方や墓地への埋葬により復活する思想
   →別々と考えられていたが、実際にはPTで既にオシリスと天の来世思想は融合している。
   =ヌトという共通の母体でひとつになる
    (ラーとオシリスが合体するような描写はまだなく、CTで登場する)

 ★天と関わるドゥアト

 ・「ドゥアト」と「アケトがよく見られ、そこは「星が生まれる場所」でもある。
   ↓
   「ドゥアト」から天への扉が開かれる→ちょうど「アケト」の真下にあるような表現
    =天と地の間にある?

 ・「ペト(天空)」は水の広がりを表し、そこには道路と水路があり、そこは永遠の存在「アク」として旅するところである。
   ↓
   「ペト(天空)」=ヌト?娘がヌト?ドゥアトがヌトの娘?ヌト=ドゥアト?
   (とにかくドゥアトと天空は強く関係している)
iw(r) pt m irp is ms.n Nwt mzAtms dwAt  <PT504>
 ・ヌトは王の母であり、太陽や星の母である。死した王も沈んだ太陽や星のように受け取って飲み込む。朝に出産する。
    =ヌトは「個人を受けとめ、再生するための【囲う空間】※1」である
 ・ヌトのおなかを太陽が昼と夜の船で航行する。

 ★地とかかわるドゥアト

 ・ヘリアカル・セッティング(太陽が昇るときにちょうど星々が沈む)の描写
   ↓
   王は明け方に星々、オリオンやシリウスとともに消えてゆく、という部分で、
   「オリオンはドゥアトに囲まれ、シリウスはドゥアトに囲まれ、この(王名)はドゥアトに囲まれる、アケトで清め生きている」
Sn sAH in dAt wab anx m Axt, Sn spdt in dAt wab anx m Axt, Sn NN pn in dAt wab anx m Axt  <PT216>
 ・大地、つまり「ゲブ」と「アケルとの関連(アケルは山?ドゥアトの東西の境)
   ↓
   「このアクはドゥアトから出てくる、故王はゲブ(大地) から出てくる
Ax pn pr m dAt, Wsir NN pr m Gbb  <PT437>
   →ドゥアトは大地に接していそうだが、地下とはっきり言えるものではないかも。
   (ゲブやアケルと関連した描写は少ない

 結局PTのドゥアトは、地下というよりも「下天ヌウネト」、朝には地表の下に隠れる「夜の天空」っぽい。
  

●CT、中王国時代におけるドゥアト
(PT~CTはスペクトラム的)

 ・PTとは天へ行くことが強調されるが、CTは地中(地下)の危険についてが強調される。
 (PTで地下については「死者がとじ込められることのないように」くらいしかない)
 ・ドゥアトが「再生のために死者が向う場所」であることは、変わらない
 ・天へ向かうことも変わらず言及される。
 ・PTで天について書かれた「水路」と「道路」が図像化する(『二つの道の書』)
 ・ロスタウが初出、象徴的な来世への場所になる(元はソカルに関わるメンフィスの墓域を指した)
 ・ドゥアトは天の一部か、少なくとも天と地の間にある。アケトと近い。
 ・メスケト(東の地平(空?))とのかかわり。しかしドゥアトは西をも指す
    ↓
   西=死者とのかかわりにより、ドゥアトにアポピスなど悪霊が生息すると考えられるように。
 ・イムハト初出(アムドゥアトにおける最奥を表す)。もともと下エジのナイル川の源流と考えられた洞窟を指す。ナイルの源流=来世とつながる、と考えられた。
 ・CTのドゥアトには「上のドゥアト(dAt Hrt)」と「下のドゥアト(dAt Xrt)」がある。
    ↓
   上のドゥアト=宇宙の領域、水っぽい部分、「下の」天空。水路。
   下のドゥアト=外界の最奥、ロスタウのある道「下の」地。道路。

よってCTのドゥアトは「下にある」天と地、水路と道路の両方を指すのかも
 

●決定詞で見るPTとCTのドゥアトの差

 ★PT

 ・圧倒的に「円に囲まれた星 が多数。次に、円に囲まれていない星
 ・他に道、区域(町)、空、池の決定詞もたまに。
  ↓
  円で囲まれていることから、天体を(アケト含めて)囲っている(※1より)、と考えられる<PT216>。地はそのアケトを通して接している、というイメージか。
 (アケト=見える所と見えない所の境)

 ・天との関係が強く、特に「不滅の星々」(王が星々と共に天の永遠のサイクルに組み込まれる場所)と関係していそう。

 ★CT

 ・第6王朝終わりごろから、決定詞についても標準化が進んだ。
 ・(その結果)CTでは圧倒的に「家、一部の囲まれた場所」の決定詞  が多く使われる。
  →より「限定された領域」という意識が進んだかも?
 ・「ドゥアティウ」「アクティウ」等、ドゥアトが住処やとどまる場所というイメージが強い

 ・中王国は中央集権的ではなく州ごとの統治力が強かったため、CTの思想を見ても「家族」の絆や世襲的な役職が死後も保持されることを強調していた
  (父から息子へ。PTでも同じだが、そちらの父とは神で、息子は王である。それが一般にとってはそのまま父と子で、ただ父の役職を息子が継ぐという流れは同じ。これが死後も重要)
  ↓
  「家」の決定詞が使われるのも、ドゥアト(再生するまでとどまる来世)がそうした、家族の存在する場所であるという意識が影響したのかもしれない。 
 

●まとめ

 ・ドゥアトはPTから変わらず「死者をアクにする(育てる)場所」で、出生と死、再生を内包したスペースである。
 ・そこはヌト女神に「囲まれた」スペースでもある。(この女神が棺や天井に描かれるのもそのため)ヌト女神は「母なるもの」として「生の前」の霊的な秘儀をつかさどるため。また同時に天そのものともいわれるため、ドゥアトが天に関わることになる。
 ・「地か天か」を断定する必要はないと考えたのか、定義はPTの頃より広がっている
 ※エジプト人は「何がどうなるか」を大事にして、「どこにそれがあるか」をあまり問わず、あいまいなままにしておくところがあったかも。


****
かんそう
****

 古代エジプト人の「矛盾する考えを否定せずに、話を広げる」かんじがでてるのかなあとおもいました。
 これ現代人からしたらどうしてももやっとしちゃうけど、一つに絞るよりたくさんの説があるということのほうが「真実に近い」と考えた可能性はあるかも。同時に、この感覚に慣れないと、古代エジプトのいろいろを読み間違えるなってよく思います。
 つまり、全部を「答えはただ一つ」にしないで、見る方向によって形が変わる、けど、「言いたいこと」は一つなんだ、みたいな。これ古代エジプトの思想の特徴の一つだと思ってるんですがいかがでしょう。

 ドゥアトは元々地下とか言ってない、ヌトのお腹の中なんじゃね?みたいな発想で確認のために読んだのですが、はじめはまあそういう感じだったとして、はっきりとイメージされてなかったのかな。と。

 天の牛あたりから、ものすごく地下のこと、しかも蛇たちを強調されてる感じがあって気になっていて、またハトシェプストのあたりから何かあったやつ(よく知らない)かな?と思ったけど、もっと前からだったことが分かりました。
 外からの影響があったのかな、と思っていたんですが…、こうして見ると、むしろ地方、特にヘルモポリスあたりが独自の思想を保持していて、それが影響力を持ったため、両方大事に使用(複雑なほうが本当っぽいから)みたいにしたのかも、って今は思ってます。

 あとは、地下に焦点を当てたというか、「危険があるので、どうやって避けるか」を主題にしだしたのがCTというのが面白くて、やっぱ古王国の崩壊で意識が変わったのかなあ?関係ないのかな?(この感覚ちょっと危ないというか、今そういう考え方はしてないって前聞いた気がするけどどうなんだろ)
 すくなくとも、PT に「空に向かうぞ、成功する!だいじょうぶ!」みたいなニュアンスでずっと前向きというか上向き志向だったのが、のちに(CTからだったけど)「事故はほら起きるよ」っていうか、慎重に足もと見て、危険に目を向けていこうとする堅実さっていうか、そういう考えになってるのは間違いないっぽ。
 書くと本当になりそうだから避けていたマイナスな表現を、積極的に書くことでむしろ対策を取ろうとしていったというか。イメージで避けていたものをちゃんと向き合って対策を考えたみたいな(まあこっちもイメージだけど)、なんかちょっと、これじゃダメだって感じたのか、すこし現実的になったというか、価値観の転換があるなって感じしますよね。

 そもそも何を考えてこれを読みだしたのかちょっと忘れちゃいましたが…。わら
 でもすごく面白かったです。

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 古代エジプトについて趣味でいろいろ。
 ド素人が楽しくやってるだけのブログ。間違いもいっぱいあります。気付いたら直します。ご指摘感謝です。
 エジプト語読んでみる、とか書いてますが、ほとんどは訳を参考に、元の表現を確認しているだけ。文法がふわふわ。
 気が向いたときやるかも、みたいな。

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