はじめの説明と目次は
こちら。
◆◇158章
欠けゆく月。
Ⅱ349a 「ネケン(ヒエラコンポリス)のバア(魂)たちを知る。」
b 「私は知る、ネケンの秘密を。」
c,d 「彼の母はホルスの両手を作り出し、水に投げた。」
これはこの時代(中王国)から既に存在し、我々には新王国に書かれた「ホルスとセトの争い」でよく知る有名な内容を示しており、
つまりセトがホルスを襲った時、ホルスがセトの精液を受け止めたその手を、イシスが切り落とした神話のこと。この話の続きで、ホルスの精液を飲み込んだセトの頭上から輝く円盤が現れ、トトがそれを自分の頭上に飾るが、それは疑いなく月である。
このエピソードは、ホルスが弱く脆弱であるが、元気を回復する力をなおも内包していることが示されることより、欠け行く月の表現であると考えられる。
この、切り取られた手が水に投げられたというのは、月の周期の後半(欠けゆく月の様子)を描写しているようである。というのは、欠けゆく月は東の地平から昇ったあと、西の空へと向かうが、決して西の地平に届かない、沈むことがない。この時期は月が沈む前に太陽が昇ってその光りを見えなくしてしまうので、月は
青い空のむこうに消えてしまったように映る。
それが、
青い「水」の中に「投げられた」という表現となっているのである。
(すげーーー)
Ⅱ350b 「ラー神は言った。」
c 「『イシス女神の息子が傷つけられた。」
Ⅱ351a 「彼の母が彼女自身により彼のために成したことのために。」
b 「“水の端あるもの”セベク神がもたらすように。」
c 「彼がそれをつかむように。」
Ⅱ352a 「彼がそれを育て、彼がそれを関係する場所に置く(戻す)ように。』」
b 「“水の端にある者”セベク神、彼は言う。」
c 「『私はつかんだ。」
d 「私は探した。」
Ⅱ353a 「(しかし)それは私の腕から岸へと逃げ出した。」
b 「私はそれを魚をとるかごで罠にかけた。』」
c 「こうして魚とりのかごが現れた。」
これもまた欠けゆく月の表現である。
ワニのセベク神は、欠けた月を隠してしまう太陽の光を表現したものである。
新王国時代に書かれたいくつかの冥界の書によれば、
ワニは明け方の太陽を生むものであるらしい。
より後代の「ファイユームの書」によると、セベク神は
太陽、特に東西の地平線に近い、境界線にある太陽に住まうものとされていた。
だからこの158章のセベク神は、東の地平に現れた太陽であるに違いない。
セベク神の形容辞“
水の端にある者”は、まさに彼が天の水の端にとどまっている様子を表している――ちょうど
ワニが、獲物を求めて水辺で待ちかまえる習性をもつように。
セベクは捕まえようとするが、それは腕をすり抜け逃げてしまう。ここで示されるのは、細くなってゆく月がこの先、どれほど夜明けに近づき、どれほど西の地平が近くなっても、
太陽から逃げ続けるのだ、ということを示している。
最終的にセベクは魚(ホルスの手/月)を「
魚とりのかご」という道具を使って捕まえる。(このかごは、水の浅いところで、獲物にかぶせて捕まえるもので、そうして獲物を囲っておき、水の上に出たかごの部分を開けて、手を突っ込んで魚を捕まえることができる)
これを天体の様子でみると、東の地平で太陽と月が出会い、ちょうど太陽が月を捕まえる瞬間と一致する。
つまりこの時、
太陽に捕まえられて、月は消えてしまうのである。
***
そして新月へ、という感じですね!!
これも、エジ語を訳しながら、意味が分からんと思い、英語の解説を読んで、じわじわ意味が分かってくるのがすごく面白かったですよ。よくこんな解釈思いつくよなー……。すごい! そしてこれこそ神話の面白さ、と思う!
さて次は
「東の地平にたどり着いた月」です。