古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●王妃ムトネジェメト
http://weekly.ahram.org.eg/2009/960/he2.htm
byザヒ・ハワス
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王妃ムトネジェメトは、ネフェルティティやネフェルタリのような有名な王妃ではありません。しかし彼女はホルエムヘブという高官――のちに王となる――と結婚しました。
ホルエムヘブは、アクエンアテン、ツタンカーメンそしてアイの治世にかけて軍隊の長でした。アイの死後、ホルエムヘブは王座に上りました。
彼の上昇の前に、彼は自身のための貴族の墓をサッカラに建造していました。そして上昇後に、その墓は最早そぐわなくなったので、彼はより彼の位にふさわしい墓を王家の谷にもったのです。
彼のサッカラにある始めの墓は、その時から、多くの損害を受け、ブロックのいくつかは不法に国外に持ち出されました。考古学者ジェフリー・マーティンは墓の再発掘と復旧を担当し、いくつか非常に印象的な仕事を行いました。
私は現在、ホルエムヘブの王妃ムトネジェメトの骨を発見しようと試みています。というのは、ツタンカーメン王の家族に対する我々のDNA調査に、彼女のものを含めるためです。彼女の骨は、黄金の少年と関係しているのは誰かということについて、より個人を特定するのを助ける特別なパズルの1ピースとなりえるのです。
何人かの学者は、王妃ネフェルティティには「王の娘」の肩書を持つムトネジェメトという名の姉妹がいたと信じます。彼女はアイの娘であったと信じられています。この女性は、場合によっては、王妃ネフェルティティと同じ名と肩書をささげられることがあります。そのため、これらの女性は互いに繋がりがあったに違いないのです。ムトベネレトは、実際にはムトネジェメトであると主張する学者もいます。
私はジェフェリー・マーティンによって発見された遺物の中から王妃ムトネジェメトの骨を探し続けています。この男性は彼の人生とんどをサッカラのホルエムヘブの墓を再発掘することに費やしています。しかしながら、私が彼に王妃の骨格の残る場所について尋ねた時、彼は私に答えることができませんでした。後にチェコ共和国の解剖学者Strouhal(以前、王妃の骨を研究していた)がエジプトに戻りそれらを探しましたが、やはり見つけることはできませんでした。よって、私は王妃ムトネジェメトの骨を探しに冒険に出る決意をしました。
まず、サッカラのホルエムヘブの墓の中にある彼女の埋葬シャフトを訪れました。それは岩の下を28mも下ってスリリングな感覚でした。私はすぐに、岩の中の二つの柱の間に掘り抜かれた埋葬シャフトにつきました。
マーティンは下へ降り、このシャフトを発掘するのに非常に熱心に働きました。彼は壁にどんな描写も見つけられませんでしたが、埋葬室の中で石棺を見つけ、同様に葬祭用具や他にも王妃に属していたものを発見しました。チームは王妃が死後、食物やワインを蓄えるための陶器の容器や、王族の女性の彫像の一部、そしてアラバスターの花瓶の遺物に王妃の名前と肩書――“「アメン神の歌い手」”“「王の妻」”ムトネジェメト――の刻まれたものを見つけました。
墓の中から発見された、王妃の名が刻まれたカノポス壺については、こんにち大英博物館にあります。
サッカラの墓を再発掘している間、マーティンはStrouhalによって研究された(そしてそれらは王妃のものであると断定された)人間の遺物を見つけました。Strouhalは、ムトネジェメトが若い年齢でその歯を失ったことを実証しました。彼女は40歳ほどで、出産時に亡くなっています。チームが墓の内部で胎児を見つけたのです。どちらのミイラも、墓泥棒による損害のためとても悪い状態です。
私は王妃ムトネジェメトの骨格の捜索に成功する確率が高いと考えています。他のものの中で、われわれはDNA調査をより推奨し、王妃ネフェルティティのミイラを特定することができるでしょう。我々はツタンカーメンの父と母を特定し、王妃ティイのミイラを見つけ、ツタンカーメンの妻の遺物をも見つけることができるでしょう。
サッカラで墓のシャフトを下ることはとても素晴らしいことでした。リアルな冒険です。考古学の冒険はしばしば我々がファラオの秘密を明らかにするのを助けてくれるのです。
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Mutbenret はムトベネレトでよかったでしょうか……。
こういうとき、ヒエログリフを見たいと思ってしまいます……。
ムトネジェメトもそうなんですが、名前にどういう意味があるのか……気になります。区切りとか、前置詞とか……全然分からないよう。