こちらの続き。
◆◇155章
朔。新月について。
(別のところで論じているらしいので、一部、新月が明ける部分の比喩の表現についてのみ)
Ⅱ306a 「私に開け、新月のものたちよ」
b 「私は見た、切り取るもの(去勢する者)が大いなるもの(目⦅の女神⦆)のト殺室から出ていくのを。」
月のサイクルの前半と後半(欠けが満ちるのと満ちが欠けるの)は、ギリシャ・ローマ期には「気性の異なる二頭の牛」で表現されていた。
「満ち行く」牛は、燃え立つような(気性の荒い)、精力的・元気の良い牛。kA psi。
「欠け行く」牛は、去勢された牛。sab。
なのでこの部分は、新月に「切り取るもの(去勢するもの)」が出ていったことで、
月が欠けるのをやめる、これから満ちてゆくことが示唆される、ということ。
(おもしろいですよね~~。)
◆◇156章
満ちゆく月の章。
Ⅱ312f~Ⅱ314a 「羽を(オシリスの?)背(または顔、額)に突きさす」
b 「メンチャアト(土器?)のうつわに赤冠が昇る」
満ちてゆく月には、二つの鍵となる瞬間があり、
それは満ちの始まりと終わり、つまり「西の空に見える二日月(新月の後に初めに見える月)」と、「東の空に見える満月に近い月」。
これはそれらを表していると考えられる。
●一行目、「羽」
6,9章あたりから明らかなように、
二日月は「羽」で表現されることがわかるので、
一行目はその二日月が、天空の(アーチ状になっているヌト女神を想像してください)肩(もしくは顔、額)にある、ということ。
顔がある側は西(太陽を朝生み出す=足のある方が東)なので、一行目は二日月が西の空の地平に見えるようすを表す。
●二行目、「赤冠」
メンチャアトがよくわからないが、赤冠というのはおそらく、地平近くにある月が赤く染まっている様子を示している(地平近くある月は大気がそれ以外の場所より多く間にあるため赤く見えるもの)。「昇る」という単語があるため、これは満月に近い月であると考えられる。
(元の文は二日月の説明のところで「赤く見える」と書いているのだけど、CTの文に書いてある「赤」は二日月に関する話ではなかった…)
こうした二つの、満ちの始まりと終わりの対比は、最後の部分で強調されている。
Ⅱ322c 「私はケメヌウ(ヘルモポリス)のバアウ(魂たち)を知っている。」
Ⅱ324a 「アベド(第2日)のときの小さいもの(目)、スメデト(第15日)のときの大きいもの(目)を。」
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このあたり読んでて、単語のbasが何か分からなくてほんと困ってたんですが(調べても出てこんし)
いまさっきここ訳して気づきました…basは「バーたち」なんですね…baはエジ語「魂」+英語の複数形sをつけてるわけだ…。たのむよー・・・bawでいいじゃん・・・。><
こんなレベルで頑張って次もやります。(笑)
次は157章、「満月」です。