古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●古代エジプトの金鉱業
気になったので↓途中から訳しました。いつも以上に適当になってます、すみません。
http://www.miningweekly.com/article/gold-mining-in-ancient-egypt-2012-06-08
どの地域に置いても、黄金は「文明の曙」より重要な位置を占め続けているものであるが、
それが最も最古に、顕著に見て取れるもののひとつは、「古代エジプト」である。古代エジプトでは、先王朝時代(BC約3100年)から黄金の使用が見られる。
それがどこからもたらされたかは謎のままだが、おそらく沖積層より抽出したもの【訳注:岩石が風化・分解し、含まれていた鉱物が分離したもの。砂金など】だろうと考えられる。
体系的な金鉱脈からの抽出は、初期王朝時代がはじまって以降のものと見られる。
初期の採掘作業は、コプトスの東【ワディー・ハンママートのあたり】、花崗岩の山岳、より南のヌビア、ナイル川と紅海の間でなされた。
古代エジプトにおいて、金はラー神の肉体であると考えられたため、
永遠の生命の象徴と捉えられた。(そのため、王族の埋葬などには重用されていた)
初期には、王のみが金で飾ることを許されていたが、後に王族全体や神官にも広がった。神像や神殿を飾るのにも使われるようになった。危険な採掘には奴隷労働者が用いられていたという証言が、ギリシャの歴史家ディオドロス・シケリオス(BC60―30年)によってはっきりと残されている。
「労働者たちは金属の糸に続き、ランプの光をたよりに地下へと降りてゆく。石は外に運び出され、そこで粉砕し、小さな破片にする。労働者は手を止めることがない。彼らは鞭打たれ、ひどい仕打ちを受けて絶え間なく労働するよう仕向けられている。子供ですら免れられず、石のブロックを運んだり、粉砕し破片にしたりしている。その破片は30以上の中年の男女が手に取り、鉄製の乳鉢で砕く。・・・」
「ひとつの粉砕所では2,3人が働いている。不幸な彼らがどれほどの苦しみを抱いているかを描くのは不可能だ。むき出しの肌が風雨に晒され、彼らは休息を許されていない。墓に行く寸前の年寄りも、弱い女も、また高熱によって震えるような病気のものにも、哀れみの念などなく、彼らが働いているこの場で死んでしまうまで、無差別に繰り返し鞭はふるわれる。」
処理過程は原始的だが巧妙である。
粗金が粉にされた後、少し傾いたテーブルに広げ、水を流して土などを取り去る。こうすると重みのある金だけが残る。こうした工程が労働者によって繰り返され、その後、彼らは金の粉をしばらく手でこする。そうしてから小さなスポンジで、水では取り去れなかった不純物を取り除く。こうして、砂金は綺麗になり、輝きだす。
新王国時代(BC1589―1150年)までには、金細工師がエジプト社会でも重要な地位に上り、墓に埋葬したり神殿で神に捧げたりするための宝飾品の売買は、この時代に最も繁栄したもののひとつだった。そういうわけで、黄金を富と権力の象徴という固定観念を人類にしっかりと植え付けたのは、5500年以上前の古代エジプトによる。
興味深いことに、6-700万オンスもの金が東部砂漠より採掘されていると考えられている。
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昔は砂金とかで……っていうのが面白かったです。
あと、地下にあるんだっていうのも…。山の上にあるんだと思ってた!