長谷川 蹇『古代エジプトの動物 要語の語源つれづれ』2018.12 弥呂久
この中の「ラクダ貝」の項目で、
先王朝時代のミン神の巨像を取り上げて、そこにこの「ラクダ貝」が刻まれてる、とありました。
知らなかったので調べてきました。
ピートリーがこのコプトスで発見した、先史時代のミン神像は、3つあります。
2つは、
イギリス、オックスフォードのアシュモレアン博物館所蔵です。
展示されている神像の画像が
こちら。ちょうど今ならべて展示されてるようです。
右側のがこれ。↓
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Predynastic_statue_of_Min_(Ashmolean_Museum,_Oxford).jpg
もう1つは、カイロ・エジプト博物館所蔵。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Predynastic_statue_of_Min_(Egyptian_Museum,_Cairo).JPG
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ここに、ピートリーの書いたものをそのまま載せてるらしい文があるので
https://www.flickr.com/photos/86012097@N08/8719055845
書いてあることをかいつまんで紹介します。
W.M. Flinders Petrie, "Koptos" (London: Bernard Quaritch, 1896)
・この石灰岩製の巨像は1894年、コプトスでピートリーによって発見された。
・ハンマーのみによって形作られ、金属製の道具で調整された様子がない。これらのミン神像の外にライオンや鳥のものが同じ場所から出土、同じようにハンマーで形作られており、歴史時代のものとはずいぶん違っている。
・プトレマイオス朝の神殿址より下の層から出土している。
・左手で勃起した男根を握り、右手はまっすぐにおろし(歴史時代のものは右手が上にあげられてるものがほとんどなのに)、腰に布が巻き付けられてるだけ(ガードル?)の胴体のみ(または足のみ)。
◆三つの違い◆
①一番古そうなものは(アシュモエレアンの二体写ったうちの左側)、残った部分が69インチ(約175cm)ぐらいなので、全体で13フィート(約4m)、重さは2トンにもなったと考えられる。それは頭部を残しているが、目も口も消え去っている状態。
さげた右手の下に、浮彫でレリーフを表現したものがある。(バッグか何かに刺繍をしたものを表したのか?)
そこには、頭を下にした
牡鹿の頭のようなもの。その角にはどちらも4つの鋭い突起がある。その口から長い杭のような突起物を出している。
その下に、
シワクチガイのようなものが、口を右側にして立てて描かれている。
(たぶんこの図です。↓
同じページの一番下に図があります、その左上のもの。)
(写真だと分かりづらいですよね)
②二番目に古いミン神像は、一番上に載せた図のもの。
一つ目に比べて、残ってる部分は大きいが、全体の大きさは変わらなかったのではないか。
ガードルはよりはっきり見える。今でもあのあたりの地方の人が身に着けるものに似ている。
さて右手の下にある図は、一つ目のほど自然な描写でなく、少しデザイン化されたもので、その後の(ヒエログリフへの)発展が示唆される。
そこには、ふたつの高い棒に初期のミン神の標章に似たマーク、そしてその上にはどちらも(古代エジプトの表現としてよく見られる)羽。その下には二つ並んだシワクチガイ。
で、その二つの間というか縦の隙間に、すごいギザギザの縦長のものがいくつか書かれていて、これは、紅海の
鋸魚のノコギリではないか、と。
(この画像だと思います↓。さっきと同じところから…左下です)
(これは、比べて見ればそう見えるかも)
③三つめ、これはカイロ・エジプト博物館所蔵の、足だけのもの。
上の二つに比べて、両足の間の溝が深く彫られ、あしも丸みを帯びていてより足らしい。
膝の造形も丁寧で、上の二つのように、線だけなんとなく彫り込んだものとは違う。
側で丸い頭部が発見されており、表面に目口はなく平らだが、おそらく木製の面のようなものをはめ込んだと思われる。大きな耳とあご髭はわずかに見られる。頭部には毛がかかれていないようす。(
http://xoomer.virgilio.it/francescoraf/hesyra/dynasty00.htm この図が分かり易いかなと。真ん中の丸いやつです。)
この像にも同じ、おろした右手の下に図があるが、より複雑である。
まず、ミン神の標章ののった棒(上には羽)がふたつ、その右側の下部にはダチョウのようなものが彫られている。その二つの棒の間と左端に、鋸魚の鋸があり、その下にシワクチガイ(口が右向き)。
さらにその下には、山の上に足を乗せたゾウの前側、
飛ぶ鳥???。
その一番下に、ハイエナが若い牛を追いかけているところ、それらの足の下には山。
(この図です↓。説明を読みながら見ると納得…)
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さてこの図、
3つの像とも、似たような図が描かれています。
(一番初めの、牡鹿の頭のようなものはさっぱりわかりませんでしたが、こうして見るとミン神の標章の元になったのかも…? しかし一体何なのでしょうね??)
どれにも、貝があるのですね。ミン神=貝というイメージがなかったので驚きました。
この貝、ここではシワクチガイ?とされているようですが、クモ貝ともいうのかな、細かい違いが自分にはわかりませんが、ラクダ貝と検索しても似たようなものが出てくるので、まあこれのことですよね。
ピートリーは、
シワクチガイも鋸魚も、地中海のものだから、
コプトスは(ワディーハンママートなどの道を通って)紅海出身のものが集まってできた町なんじゃないか、ミン神もそこの神だったのではないかということを考えていたようです。へえ~という感じです。
ところで『語源つれづれ』では、
J.C.Payneの「カタログ」(1993)の記載として、この鋸魚の鋸を、「左右対称の海藻状の植物」としていますね。
そのうえこの植物は、歴史時代にミン神とともによく描かれたレタスの前身ではないか、ということで。
説得力はありますが、でも、ピートリーの指摘も無視できないなと思いました…。
まだまだ謎だらけですよね。そこが面白いんですが。
*
もともとこの『語源つれづれ』に、(黒川哲朗氏のご教示として)、
紅海産のある種の貝のふち(ツメ)を焼くと、芳香を発する、ということが分かったので、
ミン神を祀るときに使ったのかな??と思って調べ出したんですけど…、
(そもそもこの本に載ってるアビドスU-j墓からの出土の壺に描いてるというやつ全然調べてなかったw)
味もおいしかったと書いてあるし…食べたのか焼いて芳香を立てるのに使ったのか或いは両方!?
どっちか分からないままでちょっと残念ですが、でも、
ミン神とかなり深い繋がりがあるということは確認できてよかったです。
歴史時代にはあまり用いられなかったのかな、それも何でだろう??気になるなあ。
彼らの出身地を示すのかもしれないし、そうでなくても、交易で重視されていたもののひとつで、コプトスがそれによって栄えた、ということはあるかもしれないですね!
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話が貝とは逸れますが。
この、コプトスのミン神像のひとつ、
カイロ・エジプト博物館所蔵のものの、図について、何か論争があったようで、
このページに詳しいのですけど、
上に「
飛ぶ鳥」と書いたところ、ナルメル王のナルのナマズの尾ではないかという話があったそうで。
そう言われてみれば、確かにそうとも見える!みたいなね…。
詳しいことはそのページに書いてますけど
ナルメル王の名が彫ってあるとしても、それが彫れるということは、像はそれより前の時代に作られたかも、とか、いろいろ説があるようですね。
でもこの三つ目の像の、山の上を歩く動物みたいなモチーフは、先王朝時代にいくつか見られますよね、原エジプト的だなあという感じがしていいですよね。
こうしてみると、一つ目のだけを見てもぜんぜんエジプトと関係がなさそうなものが、じわじわエジプトっぽいもの近づいてくるのを見ているようで、原型って想像できないくらい違ったりするんだなあというのを感じます。
ほんとあの、牡鹿の頭みたいなやつ、なんなんだろう。
つまりは、ミン神の標章、それ自体が元々謎なんですけど、何から来てるんだろう??っていう。
結局謎だけど、初期の形はまたぜんぜん違うのですね~~。おもしろい。