Herman te Velde
Seth, God of Confusion. A Study of his Role in Egyptian Mythology and Religion. (1967)
ヘルマン・テ・ヴェルデ『セト、混沌の神 -古代エジプトの神話と信仰における彼の役割-』
これの、第3章「セト、オシリスの殺人者」だけ読みました。拾い画像で。ぜんぶじゃないかも。
二回も読めないので内容を軽くまとめてみるページ。多分に独自解釈を含みます。
↓↓↓↓
1:神話上の秩序を乱す存在、そして秩序の神話
●オシリスの死=不幸、ではない
オシリスは死して再生することで「完全な生」を体現するため、「死」はその前提で必須である。
(死者の書の口開けの儀式で神官扮するトト神のセリフより)
・ラーとオシリスの類似と相違
ラーは沈んで(死)昇る(再生)。アポピスに脅かされ、「ラーの眼」ウラエウス女神に守られる。
オシリスは殺されて再生する。セトに脅かされる。イシスに守られる。
ただしオシリスの死は自然でも事故でもなく「殺し」しかも兄弟の、である。
●オシリスの死は「デマ神⦅初期の農耕神の代表例、つまり死によってひとに作物をもたらす神。いわゆるハイヌウェレ型⦆」的なものか?
・そうしたものに共通してある「殺しの儀式」が存在しない。
・「殺しの儀式」はあるにはあるが、オシリス殺しではなく、その敵を殺す儀式になっている。
オシリスは「復活」が強調される(ようになった)ため、死は嘆かれるもの、避けられるものとなっている。
※PTではトト神がセトと共謀してオシリス殺しをしたことになっているが、その場合はトト神がセトをそそのかしたであろう。
●セトによるオシリスの殺害は「秩序を壊す無秩序」
→その詳細がない。
後代、プルタルコスの物には詳細があるが、宗教的な機能はそこから見いだせない。
↓
その中で、セトは「箱」つまり棺を用意するが、棺こそは「死後の存続を保証するもの」であり、その代償として死を与えるものである。⦅死ぬことでそこに入る資格を得るから⦆(つまり、棺=セト)
・セトが殺すシーンだけの描写がないのは、神話では秩序が乱されたままにされないため、殺人の詳細が語られればそれへの罰も語られねばならないため。⦅しかし主題はそこではないので語っていないということか⦆
・「嘘と誠」の物語でも見られるように、不正を行う側の詳細は書かれないことが多い。文学的な物語の内容が重要なのではなく、「正しさ」がどういうものであるかを広く共有すればいいからである。
2:セトによるオシリス殺し、水というシンボルで明かされ/覆われたこと、牛の前脚とウワス杖
●セトはどうオシリスを殺したか
・PTでは「地のあちら側に横向きに放り投げた」=殺した
・PTの別バージョンでは「溺れた」とある
・オシリスの死の原因は初期のころから曖昧で、「殺し」というテーマがもっと古くからあったものかも。ヘリオポリスの神官が、セトを「オシリス殺し」に仕立てた?
・セトはオシリス神話では「副次的」な役割を担っている⦅復活というテーマを表す中の、はじめのきっかけでしかないからか⦆
・セトは嵐や雷雨の神である。彼は「吐き出すもの」とされ、PTでは「セトの手から噴き出る水から」守るための呪文がある。
●水=死と混沌
・オシリスが水に溺れるというのは、一見、水がネガティブなものに見える。
・しかし洪水(増水)はエジプトでは死ではなく再生のシンボルであり、よってオシリスは復活する。
↓
水は秩序と無秩序、双つの側面がある。
・セトとオシリスの争いは、秩序の破壊と再創造である。
●前脚=オシリスを殺すこん棒
セトが牛の姿で、前脚でオシリスを殺すという表現は、北天の星座を表現している。
・おおぐま座(北斗七星)はセトであり、それはセトの力強い前腕であり、それは夜空で他の神に危害を加えないように、カバ女神の杭(北極星)で留められている。
(オリオンはオシリスである)
・死者の書17章では、ホルスの息子4人が北天で牛の脚を守るが、別の説では、それは7人の神々である⦅星は七つあるため⦆。
・口開けの儀において牛の前脚が掲げられるのは、まさに「死からの再生」のために、死者(オシリス)がセト(の武器=前脚)に殺されたということを表現するためである。
・それは「力強い腕」であり「手斧」でもあり、「シミター⦅ケペシュ(鎌型の剣)⦆」でもある。
↓
しかしまた、牡牛の前脚は、オシリスの遺物のひとつである。
●ウワス杖=セト・アニマル
・ウワス杖はセトの信仰地のひとつであるオキシリンコス州の標にも2つ描かれているし、同じセト信仰のコム・オンボからは巨大なウワス杖が出土している。
その動物の頭部は、セトである可能性が高い。
・ウワス杖は神権を表すものであり、支配力を表すものであり、天を支えるものである。これのために天は地に落ちずにいる。
・またウワス杖=風を与えるもの(死者の書125章)である。
・ホルスとセトの争いで、セトはジャアム杖の重さを伝え、これで「お前たちのうちのひとりを」殺してやる、と発言している。
・よく似たDam「(ジャアム)杖」は軸の部分が波打っているが、それはセトの稲光を表しているかもしれない。
↓
つまり、ウワス(ジャアム)杖は、天を支え秩序を守る側面と、神々を殺す無秩序の側面を持っている。
・水も、前脚も、ウワス杖も、プラス面と同時にマイナス面をも持っている。
3:死の悪魔としてのセト
●のちの神話で「バラバラにされた」というオシリスの遺体
・歴史時代にはそれが明示されていない。
・体がばらばらにされるという潜在的な恐怖は共通して持っていたようだ。
・オシリスがバラバラにされるのは、後の「ミイラ化」に繋げるために重要。しかしオシリスの死は悼むべきものなので、儀式等で明示されなかったっぽい。
・別々にあった教義をまとめる過程で抜け落ちたか
・エジプト人にとって、身体の欠け=再生ができない。最も恐れること。
↓
セトは生前は生を妨げるため殺し、死後は再生を妨げようと、その遺体を盗もうとする。
・オシリスの死因、傷などは、「隠されるもの」である
→死者の書などで、オシリスはそれを見てショックを受け疲弊する。⦅「疲れたもの」=死者⦆
↓
死が前提にあり、そのための傷があるのは当然であるのに、それを隠すのは、「オシリスは(王として)実在する」ためである。
⦅ふつうの神話ではその象徴性を示すために儀式で再現するが、実在の人物で連想させるので、そういうことは避けられる、ということか⦆
・セトは「死者を盗んで生きるもの」である
4:犠牲動物そしてオシリスの担ぎ手としてのセト
●犠牲の動物は神話で殺される役になりがち
・セトは神話で罰せられる様子は、「縛られ」「殺され」「切り刻まれる」=犠牲の動物と同じ。
●セトのオシリス殺しは「自殺」?
・「オシリスはセトのカー」/「セトはオシリスから生じた」という記述がいくつかある。
・セトは死に(自ら)向かわせる生であり、オシリスは完全な生へと向かう死である。
↓
つまり、オシリスとセトは人の生を2つ(現世と来世)に分けたもので、表裏一体である。
・セトはオシリスを殺すことで自分も殺された→自らを犠牲として差し出した。
●セトはオシリスの葬祭船
・サイス町では頻繁に、オシリスを運ぶ牛=アピスが表現されるが、P.ジュミラックでオシリスの遺体を運ぶ牛の図、牛はバタ(セト)である。
・PTでも、セトが牛としてオシリスを運んでいる。
・セトは死したオシリスを「運ぶべき」というニュアンスがある。
→牛になったセトは、船になってオシリスに貢献することで、縛り殺されたりバラバラにされる命運から逃れられる。
※ホルスも、単体でもしくはセトと二人で、運ぶことがある。
◎再生は死ありきであるため、オシリスの復活にはセトの殺しは不可欠である。
また、死は、「より良き者への変化」を促すものでもある。(だから口開けの儀のときに前脚が掲げられ殺害をほのめかすのである)
***かんそうとか***
太字にしたところが、面白いなあと思ったとこです。
棺に入れることが、死後の生を保証することになるということ、
そしてそこに入るためには、死を経由すること、というのは、いわれてはっとさせられたというか。おもしろいなあ。
あと、口開けの儀のときに牛の前脚を掲げる≒セトのオシリス殺しを再現、というのは面白いですよね。今もそういうことになってるんでしょうか。
それから、殺しや、悪人の詳細がないということですね、
善を強調するための存在でしかないってことかな。ほんと「物語」とは違って、見せたいものが明確にあるなって感じしますよね。すき。
最後の節は面白いところもあるけど哲学的になってる感じがあって、船というのもちょっとピンとこないままです。頭の片隅に置いておきます。
**
今回はこれの画像を出していた方が(注は載せてなかったですが…)、セトはオシリスの殺人者というより、むしろ「再生させるための存在だった」ということが分かった、ということで載せてたので…、え、どういうこと?とおもって。
そういうことだった。まあ逆に言えばねって感じですよね。
そりゃだってオシリスは復活するものとして信仰されたし、セトがそこにあてがわれた感は実際ありますよね。先にホルスとセトだっただろって言う。
きっとそうだろうと思うばかっかりで明確には言えないですが…。でもそうでなければなぜホルスとセトがこんなにもほのめかされてるのかって感じで。
アポピスもそうだけど
「悪」とされているものが、元はそうでなかったという話が気になるようで
だんだん二元論的に分けられてくっていうか、
二元論はけっこう古くからあったとしても、それが「善悪」ではなかったなっていうか
そういうのが、文明の高度化で変わっていく、どの文明でもその傾向があるのかなあなんて思ってて
(素人は逆に思いがちじゃないですか?私はそう思ってたんでw 単純な善悪があって、複雑化するものだと。
たとえば神々の系譜も、混沌があって、そこから生まれて…って順当に考えられたと思ってしまうけど、よく考えたらそんなわけなくて、そういう「はじまりとのつながり」みたいなのって文明成立するころにできるよねっていう…。それまではぜんぶ断片的なエピソードなのよね)
セトはまあ元々ホルスと戦って負けたけど王の必要な気質のひとつみたいな扱いだったっぽいかんじはある、けど、
じゃあアポピスはどうなのかなとか、そういう。
(天体現象の説明で出されたものがどんどん悪に純化した感じやっぱあるよね)(太陽が王権と結びついてその「マアト」【正義や秩序】が強調されるに応じて、というかんじの)
光を強く見せたいなら、影を強くすればいいのよ、っていうね。
古いものほど複雑でいろいろ内包されていて、新しくなるほど単純化される。
とおもったら、新しいものの「正しさ」はなぜか複雑化してる、みたいな…?
正しさの方はあんま興味ないや…w
神々の表現のしかたも、
動物から人型に近い表現になっていく過程で、文明の変化、人が自然に及ぼす力の大きさの変化、増大みたいなのはあったと思うし(王様ができると、神々にも王ができて、上下関係ができ、王座に座るという表現のために手足が描かれるなど)、
ただその後、「人の力を超えたもの」を暗示的に扱う場合に、人型を意図的に排除しがちになるとか
そういう、一回出てまた戻る(でも前と同じではない)ということがされてると思うし
同じ動物姿の神でも前と後ではちょっとニュアンス変わりそうっていうか
・・・いやそういうのは誰だって思うけど証明できないと意味ないんだよw
-------かんけいないけど
いままたFBで気になったの訳してまわってるんだけど全然反応なくてww
読んでっていうから読んだのにギリリってなってるw 信用がないんだろうなしばらくでなかっただけで(まあ忘れるよね)
もう内容が全然学術的でないことも半分くらいあるし、アラビア語は分かんないし、内容はいいけど宣伝と愛国心強すぎて他国のひんしゅく買ってるし、
すごくいい議論の場だったのにまともな人いなくなっちゃったって印象…。
分かる人にしか内容がどれくらいのこと言ってるかってのは分からないから…
そういう人がいなくなったってのは大変。こうなるんだな
まあ、そういうこともあるよね
まあ私はやりたいからやるだけで、単語ひとつでもしれればそれでプラスですよ。