古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
エジプトロジーニュースより
なんだか興味深い内容がありました。
●ミイラ博物館講義・「第3の貯蔵庫?の探索」(2004年?)
デル・エル・バハリの謎の墓―――トトメス3世とハトシェプストの葬祭殿の上の崖?でポーランドのEgyptian Cliff Mission の遺跡発見
BC1800~1000年の棺の発見例は極めて少ない。最近では400もの棺が発見されているが、第21王朝の高位神官であり、また王となったヘリホルのものが見つからない。彼の墓地がロイヤルカッシェにあることは十分考えられ、それがアメンホテプ一世の墓の辺りかもしれない。
Andrzej博士は、それらがまだデル・エル・バハリまたはその近郊で見つかると信じている。
そこは大規模墓地の中心地で、葬祭殿や庭はよく調査されているが、その上の崖はほとんど調査されていない。
1891年に、王の貯蔵所(TT320)が発見されたが、崖の大部分はわかっていない。
1972年に、ポーランドチームのメンバーとしてカルナクの中心上にある上の階?に専念した。重要な地域なので、古代エジプト人が無視することはなかっただろう。
1991年に、ポーランドとエジプトのチームが合同で、クリフ・ミッションを開始した。
その目的は、
1)ハトシェプスト葬祭殿に危険が及ばないかのチェック
2)そこにあるものを見る
ためだった。
残念ながら、調査の結果、真下の葬祭殿に悪い影響を及ぼす可能性があり、調査は中止されているようです。
エジプトロジーニュースが元にしたブログでは、
博士が崖の上を調査しようとした理由(たぶん)が挙げられています。
そのうちのひとつが、落書きです。
250あるうちの7つが重要で、そのうちButehamunの5つは、ハトシェプスト葬祭殿の150m上の崖の端にある、と。
年長のButehamun(なんて読むんだろう?~アメン?)は、第21王朝のヘリホルの時代と、その60年後に同名者が(おそらく子孫?)いるそうです。
彼はネクロポリスの王の書記で、アメンの高位神官に直接報告するようなVIPだったといいます。
そんな彼が、この遠隔地に5回も訪れている、ということを(落書きは)示すようです。Butehamunは観光できたのではなく、公式参拝(重要なものを調査するため?)でやってきていたのだといいます。
二つ目は、古代の盗賊によって掘られた10のトンネルです。
三つ目は、巨石です。
約100トン、4×5×3立方メートルの巨石がありますが、偶然そこにあるようなものではなく、何かを保護していると考えられるようです。
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とまあ、色々あるようで。省略(笑)。
危険なので仕方ないですが、やっぱり気になりますよね。
でも、盗賊の穴があるということは、もう空っぽかも……??
エジプトロジーニュースのブログのほうでは、
他にも色々……クレオパトラの宮殿とか、ねふぇるティティの胸像のこととか、書いてましたが、
個人的にあまり興味がなかったので省きます。
EES Newsletter 3 とか、長すぎて途中で止めてしまった(汗)。
それから
前の、30体のミイラの事も書いてましたが、
新しい情報はなかったというか…。
でも、頭の中でごちゃごちゃになっていたことがちょっと分かりました。
第6王朝の、センネジェムの墓の、まだ下に掘ってあった、と書いてました。
2000年後に、掘ってみたら墓が出てきて、その下にまた墓を作ってみたということでしょうか??