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●古王国時代の「マザー・コンプレックス」
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1077147.html

 最近ピラミッドなどが見つかった古王国時代の王妃セシェシェトのこと。

***

 一月前半、カイロの南にあるサッカラで最近見つかったピラミッドの埋葬室に入ったエジプト学の研究者は、
 棺のふたを開けるのに5時間も費やしました。
 中には、亜麻の帯で覆われたミイラがありました。
 ほかにも、陶器の破片や金の包み(おそらくミイラの指を保護していたもの)も棺から発見されました。
 銘は、墓から発見されませんでしたが、研究者はそれが第6王朝の創始者テティ王の母である可能性が高いと考えています。

 王妃セシェシェト画埋葬されたピラミッドは、2008年11月に発見されました。
 そのピラミッドは、エジプトで118番目に発見されたものでした。
 テティの墓から見つかったことは、研究者たちに複雑な驚きをもたらしました。なぜなら、テティの墓の区域は過去150年にわたり徹底的に調査されてきたからです。
 加えて、この王自身のピラミッドのそばに、衛星ピラミッドが二つ見つかっています。それはふたりの第一王妃の(ひとつは100年前に発見されたイプトの、もうひとつは1994年に見つかったクイトの)ピラミッドです。
  このセシェシェト王妃自身の情報は非常に貧弱です。

 処方箋などが記されたパピルスの文献に、彼女の名前があり、
 薄い髪の毛を強くするための準備の要請と共に言及されます。
 しかしながら、その規定に少しばかりの名誉を加えるために「薬剤師が」彼女の名前を利用しただけで、実際にこの王妃が使ったわけではないという可能性もあります。
 別の記述では、彼女が王の母になったとしており、
 同じエリアのいくつかのレリーフには「セシェシェト」の名前が現れます。
 しかしながら、これらは、彼女が王の母であるという本質的な情報を何も与えてくれません。
 学者たちは彼女が、その息子を王座に昇らせるのに重要な役割を演じたに違いない、
 王室内のライバル党派との間に介在し成功を収めることを願ったに違いない、と信じています
 
 デボラ・スウィーニー博士(テルアビブ大学の考古学部の古代のエジプト専門家)は、
 研究者たちは第五王朝最後の王ウナスにごく近い血縁であったと考えている、と言った。
 ウナス王には王座を継がせるべき息子がおらず、テティはその孫であったかもしれません。
 彼女がいつ死んだかについてはまだはっきりしませんが、研究者たちは単に推測で、ファラオの母親が彼の治世を約20年ほど……紀元前2323~2291年にかけて生きたのではないかと考えています。
 
 「王妃は、女神として太陽神に伴い、彼を保護し、彼に生きる強さを与えました」
 スウィーニーが説明します。
「王はその側に王妃を必要としました。王妃が政治的な役割を果たした時期がありましたが、それは例外的でした。
 たとえば、王が即位したときまだ子供であった場合など、そうする必要がありました。通常、そういった場合、その息子が成長するまで政治を取り仕切るのは、皇太后でした」

 レイチェルShlomi-Chen博士(ヘブライ立大学の古代近東史学部?)は、
 紀元前三世紀のギリシア人歴史家マネトーが、テティの陰謀の裁判についてを書いている、と指摘しました。
 さらに、サッカラにあるテティのピラミッドを発掘する考古学者は、その企てを示唆する証拠を発見しました:法廷内の高官の墓にある銘文が傷つけられ、それもでたらめに傷つけたものではなく、教養人の主張のように思われるのです。
 それは、共謀に与したものの墓に故意に行ったもののように見えます。

 皇太后は、陰謀者に対する彼の奮闘を助けたのかもしれません。
 いずれにせよ、マネトーによれば、彼女が死んだあと彼はまもなく護衛によって殺されました。
 彼が生きたのは、第6王朝、紀元前2184年ごろ……出エジプトの起こったラムセス2世の時代の約千年前でした。

 ザヒ・ハワス博士率いるエジプト学者は、セシェシェトのピラミッドが、古代エジプトの統治者によって妻や母親たちのために作る通常の構造に比べて、規模という点で印象的であることを強調します。
 それは砂の下7メートルの場所に発見されたこのピラミッドは、もともと高さ14メートルでその正方形の基盤の幅は22メートルもありました。

 テティがこの建造物の規模によって、彼の母に対する尊敬の意を示したかったということには、何の疑問もありません。
 しかし、これ自体はあまり一般的ではありませんでした。
 Shlomi-Chen は次のように強調します。
「古代エジプトの王家は、重要な宗教的役割をも演じており、そのメンバーは地球における神の顕現とみなされました。
 王は天空と太陽の神であるホルス神であり、王妃は、最も重要なこの神の配偶者であるとともに彼を継ぐ神王の母であったのです。
 王妃はまた、ホルス神の母であり、太陽神ラーの妻である、ハトホル女神であると考えられました。
 ハトホル女神のシンボルのひとつは、鳴り物でした。それはギリシア語で『シストルム』、古代エジプト語では『セシェシェト』と呼ばれます」

 ☆

 第5王朝から第6王朝への推移には、宗教と儀式においての著しい変化を伴いました。
 スウィーニー博士は、第5王朝の王がサッカラではなくアブシールにピラミッドを建設したと説明します。
 ピラミッド建設と一緒に彼らは、母や妻らのピラミッドに加えて、彼らのラー神への信仰を象徴する太陽神殿を建造しました。
 第5王朝のうちに、ラー信仰は国教となりました。
 しかし、それはこの王朝の最後の二人の王の治世の間に変化します。ウナスと彼の前任者は、ピラミッドを建造しても、太陽神殿を建造することはなく、テティ王とその家族の葬祭複合施設のうちにも、それはありませんでした。

「ウナスとテティが首都メンフィスに巨大な神殿を建造した可能性はあります。しかしそれらは何も残っていません。」
 スウィーニーは示唆します。

 ウナスは、さらにサッカラにも彼のピラミッドを建造しました。
 それは、彼がほかの場所で過ごした後に、もっとも有名な階段ピラミッド(ジェセル王のもの)のある、古くからの埋葬地域へと戻ってきたことを示します。
 Shlomi-Chenによると、ウナスのピラミッドに関係する別の革新は、壁に銘文――死者の国の王に伴することをもくろむ呪文――を刻んだという事実です。
 銘文では、ウナス王ははじめ、太陽神だけでなく、死者の国の王であるオシリスとみなされました。
 自然のサイクルと死者の蘇生を象徴するようになったオシリス信仰は、二世代前の貴族によって始められました。

 テティは、エジプトの宗教および文化の、のちにその一部となる重大な変化を背景に王座につきました。
 彼の母親の墓についての調査が進めば、彼および古代の期間の出来事がより明確になっていくでしょう。

****

 オシリス信仰が貴族によって始められていた、というのが気になります。

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心はイウヌ在住。ラー神信者。

 古代エジプトについて趣味で勉強中。
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