検索の一文を見て。
砂漠にナイル川があるのじゃなくて、
ナイル川の外が砂漠になっちゃったんですよね。
もっと前、きっとエジプト文明が始まるよりずっと前には、緑があったはずです。
それが、何度か気候の変化があって、
乾燥してくると、
川の流れていないあたりは、雨もないので、水が足りなくなって、
植物が育たない=砂漠化していく。
大まか過ぎるけど、こんな感じでは。
ナイルのあちこちに、「ワディ」と呼ばれる地名があって、
アラビア語で河、涸れ谷を意味するらしいので、
大昔は、そこにも川が流れていたのでしょうか。
ワディ・ハンママートのように、古代から知られる重要な場所もありますよね。
そういえば
古王国時代最後の、第6王朝のおわりに、
また気候の変化があったようで、
ナイルの水位が極端に低い年が続いて、大飢饉だったようですものね。
こうしてみると、
ラー神に比べてハピ神があまり目立たないのが不思議な気がしちゃいますが、
そこにあるだけで恵みをもたらす河の穏やかな印象に比べ
厳しい日差しを落とす太陽は、畏怖の対象で、
従ってないとみんな死んじゃう!という勢いだったのかもですね。
あのような文明が生じたのも、
気候が乾燥化したせいで、ナイル川に人が集まってきたため、
と、本で読みました。
それまでは、あのあたりでももう少し雨が降るなどして、
ナイル川のすぐ側でなくても、十分生きていけたのでしょうね。
いやあ、こう考えると、またナイル賛歌に結びついちゃいますね。
「おおナイルよ、汝は緑なり!」
(どんだけ好きなんだ)