忍者ブログ
古代エジプト関連限定ブログです!
[154] [153] [152] [151] [150] [149] [148] [147] [146] [145] [144]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

●クフ王の太陽の船についてのまとめ
 主に、第一の船について。

◆発見:

 1950年、考古学者であり建築家のKamal el-Mallakhカマル・エル=マラクがギザで考古物調査員として作業していたとき、
 大ピラミッドの南面に、一対の長く狭い穴の、端と端を結んだ、細いしっくいの線があるのを発見した。
 当時そこは、観光客用の道路を作るために片付けられていたが、
 さらに掘り進めると、41もの巨大な石灰石の板で覆われ(それは東側のもので、西側のものは40の石灰石の板が覆っていた)、その石うち一つに石工の印とジェドエフラー(クフの後継者)のカルトゥーシュが刻まれていた。
 この下を調査するべきだ、と上司を説得するのに四年かかり、
 1954年5月26日、彼はついに穴に下りる。
 中はヒマラヤ?スギの甘い香りで満たされていた。
 たいまつと鏡を使い、彼は解体された船のオールをフルサイズで見た。
 穴は空気が薄く、見たところ船はかなりよい保存状態にあった。13の、層に近い状態で丁寧に積まれており、船の索具やマットのロープなども備えられ、すべて揃った状態だった。

 布とそれを覆ったマットを補強し、それから木のひとかけらずつを穴から取り出すという大変な作業の後、
 船の再建は1958年Hag Youssef Moustafaに率いられて行われ、
 完成までに10年以上の月日を要した。

 
 3つの船の穴が空の状態で見つかっており、四つ目が1954年に発見。これがクフ王の(第一の)太陽の船と呼ばれるものだった。
 また、5つ目の穴は1987年、ドリルで穿った穴にマイクロカメラを挿入し、もうひとつのボートが厚い石灰石の板の下にあることが確認された(第二の太陽の船)。

◆第一の船の概観:

 クフの太陽の船は、第4王朝以降に見られる絵とよく似ている。
 パピルスの形を模した船の形は、聖船『wiaウィア』や太陽の船を連想させる。

 推定45トン以上、長さ43.3メートル、幅5.9メートル。
 1224もの固体をパズルのようにつなぎ合わせるようになっており、釘などはいっさい使わず、板張りは開けられた穴に植物の繊維で作ったロープを通して固定する。
 木は水を吸って膨張するので、水に浮かべれば隙間が閉じ、水の浸入を防げると見られる。
 左右に5つずつの長いオールと、
 船尾の舵取りのためのオールが一対。
 閉じられた客室は板張りされ、ヤシ(またはパピルス)型の柱頭がある。長さは9メートル。
 客室の正面の開いた天蓋(12のポールで支えられている)には、布かマットがかけられていたと思われる。
 手前にある小さな小屋には、船長か操縦者が使用したのだろう。

 船尾はパピルス型。
 川の航海に適当な構造で、帆は備えられていない。
 

 船は輸入されたレバノン杉から構成されると、しばしば言われているが、
 ある学者はそれがエジプト原産の木、おそらく松ではないか、と指摘している。
 アカシアをも使用しているといわれている。
 

◆船の意義:

 クフの太陽の船と呼ばれるこの船の意味については、まだ議論がなされている
 
 船が水に浮かべられ使用された痕跡がある、と主張する学者もある。
 クリスティン・ホブソンは、「船は実際に使用可能ではあったが、長距離の航海には向かない。公用船であり、クフ王が生前か、死体防腐処理し埋葬する前に、彼の身体をギザまで運ぶために使用したのではないか」と指摘する。

 ザヒ博士は穴の中に木材(杉とアカシア)のかんな屑があったことを指摘。
 この穴の近くで船が作られた可能性が高いとし、
 船を埋めたのは古代エジプトの信仰と習慣に基づいたものであり、王の魂を天国へと運ぶ役割をもっていた、と主張している。

 ただしこの穴に埋めるために、わざわざ船を解体せねばならなかったため、この穴はこの船のためにあけられたものではない、という指摘もされている。

 正確には、まだ分かっていない

◆その他の船の発見:

 エジプトでは今まで、いくつか古代の木製船と据え置台が発見されている。

 1893年、Jaques de Morgan discovered ャキュース・デ・モーガンはダハシュール、中王国時代のセンウセレト3世のピラミッド付近で、6隻の船を発見

 1987年、大ピラミッドの西側のボート穴が検査され、第二の船の存在を確認。
 この船は穴の中に残し、完全な状態で保存しようということになった(2009年2月25日の記事)。

 1991年、アメリカの考古学者デヴィット・オコナーは、アビドスにある第二王朝カーセケムウィの葬祭周壁の近くで、12隻ものボート穴を発見。
 ただし最近の専門家による調査で、この船は周壁の建造よりずっと後の時代に置かれたことが分かった。
 クフ王の船ほど保存状態がよくはないが、どの穴からも木造船の遺物が発見された。
 おもしろいことに、それらの船は日干し煉瓦で満たされ、それぞれが船の形をしていた。
 エジプトでは木材が貴重な品であったと考えられているため、この発見がエジプト史の初期の国力と、他国との関係に、多くの洞察を与えることが望まれている。

 また2000年ごろにはさらに2隻の船がアビドスで発見され、
 合計14隻の船が、クフ王のものより少なくとも300年はさかのぼる考えられている。
 


***


画像付きの解説
www.bluffton.edu/~sullivanm/egypt/giza/boat/boat.html

より詳細な内容・細部も分かる画像付き(ブログ)
http://egyptsites.wordpress.com/2009/02/25/the-solar-boat-museum/

板の接合方法、イラスト付き
http://www.reshafim.org.il/ad/egypt/timelines/topics/shipconstruction.htm

太陽の船と葬儀の船について
http://www.reshafim.org.il/ad/egypt/timelines/topics/solarships.htm

 

******


 他にも穴が見つかっていること(中は空だったこと)は
 もう少し調べてみたいです。
 そこに船があった可能性はどれくらいだろう。
 穴が小さくて解体しないと船が入らない、というのも気になります。
 カーセケムウィの葬祭周壁ちかくで見つかったものは、第二王朝より後とはいえクフ王より前の時代、ということでしょうか。
 だとしたら、そのときは(日干し煉瓦を使ってでも)船の形をそのまま埋めてるんですよね。どういうことだろう。
 解体する必要性は、気になる点ですよね。

 船が二つでなければ、『太陽の船』とは言いづらい気がします。
 とはいえ、太陽神と取り巻きの船、とも、考えられないことはない気がしますが……。
 デンデラのハトホル神殿の天井に、星の神として船に乗った神の図がなかったですっけ……。

 この、クフ王の船、
 ウィアという聖船もですが、
 「マア」と読むヒエログリフ(鎌)の形に似てますよね……?
 あの曲がりようは、機能的には無意味と思うんですが……どうだろう。
 あ! 先史時代に描かれていた船の形も、こんなふうに曲がった感じなんですね。
 パピルスで作った舟の場合、機能的に必要なのかな。
 木製の船には、必要ない気がしますが、昔の形をそのまま表現してると言うのは、ありえますよね。

 どっちにしても、ただの『川舟』ではない、
 宗教的な(しかも葬送に関する)意味合いは持っていそうですよね。

 第二の船は、穴の中で保存しようという話は……?
 

拍手[0回]

PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


トラックバック
この記事にトラックバックする:


忍者ブログ [PR]
プロフィール
HN:
あやめゆうき
HP:
自己紹介:
心はイウヌ在住。ラー神信者。

 古代エジプトについて趣味で勉強中。
 正式にはまったく学んだことのない、完全な素人です(笑)。
 リンク先のブログ等をチェックし、好みで記事を選んでます……。
 突込みなどは、喜んでお受けします。勉強になります。

※相互リンクはエジプト関連のみ受け付けます。
 連絡はコメント欄でお願いします!
ブログ内検索
最新コメント
[05/27 ぱああん]
[07/16 匿名希望]
[01/16 天平]
[01/05 天平]
[05/26 rin]
カレンダー
09 2017/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
バーコード
最新トラックバック
P R
アクセス解析