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●クフ第二の船と5つのボート穴

http://www.waseda.jp/prj-egypt/sites/Khufu-J.html

 早稲田のサイトで日本語のものがあったのでリンク。 
 でもこのサイトは2003年12月25日が最終更新となってます。

--------
・1987年2月と9月、電磁波レーダーによる地中探査により、「第一の船」同様の穴に木材反応を確認。
(早稲田隊)
 同年10月、石灰石の板に穴を開け、ファイバースコープで中を確認
(アメリカ隊-ナショナルジオグラフィックによって組織される国際的チーム)
・1992年12月-1993年1月、その穴にマジックハンドを挿入、木片の採取に成功。
(早稲田隊)
--------

 このサイトにははっきりと
 「古代エジプトでは王の葬祭に伴い、船を捧げる習慣がありました」と書いてます。
 もう少し詳しく知りたいのですが……。

 第一の船には、
 どこにどの木が継ぎ合わされるのか、全部ではないが、ヒエラティックを多数記述しているとのこと。そのヒエラティックは二種類あるようです。
 面白いですね、知りませんでした。
 TVでも、そこを時間をかけて説明してくれればいいのに。


*その他のサイトからつまみ食い*

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004631537

 これによると
 東西(第一、第二の船)の穴は同時に発見されていたが、
 西側のものは30年間手付かずのままだった、と。

http://weekly.ahram.org.eg/2008/908/he1.htm

 この記事(上記リンク先)はけっこう詳しいです。(Al-Ahram)
 第二の船の穴には、外の空気が入ってきてしまい、昆虫による害が出た、と書いています。
 
 1992年に、早稲田隊がそれらを殺虫したが、水が(第一の船の博物館から)漏れてきて、木材の一部分に影響を与えたため、急いで研究を進めなくてはならなくなったと言います。

 エール大学のエジプト学者、ジョン・ダーネルによると、
 第二の船についての新しい研究は、船の重要性についてのブランクを埋め、それらの船が実際にナイル川を通ったか、純粋に精神的な重要性をもって埋められたのかを、判断するのに役立つだろうと考えられているようです。
 (実際使われたかどうか、がポイントなんですね)

 第一の船について、ジェドエフラーのカルトゥーシュ18個を含む銘が穴の中のあちこちにあった、とのこと。
 後継者が船を埋めたと言うことは、この船が葬儀に用いられたと言う説をより説得力のあるものにします。

 

◆クフ王のピラミッド付近に開けられた、5つのボート穴:

http://weekly.ahram.org.eg/2008/908/he1.htm
(Al-ahramの同じ記事より)

 クフ王のピラミッド複合体からは5つのボート穴が見つかっており、
 ピラミッドの東部の側に、細い船頭と船尾をもつ船の形をした穴が3つ、
 残り2つは、南側にあって、
 四角形の形をしており、木造船の全体を分解して収納するために、切断されている。

 東部のもののうち2つは、現在、空。
 それらは単純化した屋根を構築するため、幅を狭めているようなので、その上に石灰岩の板で覆いをしていたと考えられる。
 イギリスの考古学者フンダース・ピートリーは、南の溝の端を覆っていた屋根ブロックを発見したが、その幅に板をかけるのには支柱が必要であったため、これらは塞がれていなかったと考える学者もいる。
 3つ目のボート穴もまた空で、参道の北端上部(葬祭殿のちょうど入口)に位置している。
 それらは凸面の床(?)をもち、18段ある古代の階段を通ってアクセス可能。
 
 これらの穴は、おそらくかつてボートが置かれていただろうと思われるが、実際に置いたというよりシュミレートしたのではないか、と推測する学者もいた。
 しかしジョージ・ライスナーが参道脇の第3の穴から、縄と金メッキの欠片を発見し、
 内部にかつて船が置かれていたことが確証された。

 南側の2つの穴は、無傷の船が含まれていた。
 マーク・レーナーによると、この2つはある重要な面で他の3つと異なっている
 それらは長く、細く、そしてボート型というよりも四角形に近い形をしていること、そして、本物の船を分解して入れていたということ。
 穴は、それらの一部がピラミッド南側の周壁(第4王朝の終わりごろに構築)の下にあったという事実より、遅くとも第4王朝の最後までには構築されていたと言える。
 
***

 まとめると、
 クフ王の船(分解されており、復元されたもの)の意義については、3つの説が提唱されており、

一つ目は、、ヤロスラフ・チェルニーらによって提唱されたもので、
 5つのうち4つが、4つの方角にそれぞれ王を運ぶための儀式用のもので、
 1つが、実際王の身体がギザへ運ばれるときに用いられた、というもの。

二つ目は、第一王朝のマスタバに関してウォルター・エメリーが提唱したものが、エジプト学者セリム・ハッサン二よって採用されたもので、
 それらは太陽の船であり、その船によって王がラーを訪問するか、または彼が空を航海するのに用いられるというもの。

・そして三つ目は、アブデル-モネイム・アブー・バクルによって提唱され、
 船は王の生涯において、巡礼などに実際に使用されていた、というもの。


 船が水に浮かべられたかどうかについては、
 湿ったあと乾燥したと考えられる、縮んだロープを証拠としていますが、
 これだけではなんとも、ということらしいです。

 それから、他の三つ(正確には、二つと葬祭殿そばの一つ)と、大ピラミッド南側にあった二つ(船が実際に見つかったところ)は、穴の様子がどうも違うということ、
 でも、どの穴も船が置かれてあったもので、
 船が見つかった二つも、遅くとも第4王朝の終わりごろまでに作られたもので、ずっと後に埋められたものとは言えない、ということですね。

 謎ですね~。
 


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心はイウヌ在住。ラー神信者。

 古代エジプトについて趣味で勉強中。
 正式にはまったく学んだことのない、完全な素人です(笑)。
 リンク先のブログ等をチェックし、好みで記事を選んでます……。
 突込みなどは、喜んでお受けします。勉強になります。

※相互リンクはエジプト関連のみ受け付けます。
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