古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●謎めいたオシリスシャフト
http://drhawass.com/blog/mysterious-osiris-shaft-giza
ギザのオシリスシャフトについてが書かれています。
以下、一部要約で。
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このシャフトが発見されたのは、1945年、エジプト人考古学者Abdel Moneim Abu Bakrによってでした。
ギザのカフラーの参道の下を南北に走る小さなトンネルの中に、水で満たされたシャフトが見つかったのです。
彼はすぐに、その奥に多くの部屋があることを調査で明らかにしましたが、それを発掘したり、公表したりしませんでした。
長い間、このシャフトは現地の労働者が水を飲んだり、泳いだりするのに役立ちました。――地下水で満たされていたため、考古学者たちは調査できなかったのです。
われわれが入れるほどにこの水を減らすというのは、偉大な試みでした。
この地域の高い水位が問題でした。そこで、技術者Esmail Osman に頼み、この水を汲み上げてもらったのです。
ただし、そうすることでシャフトを不安定にし、崩壊してしまうという恐れもありました。そのため、日付を記した石膏の片を、壁の小さな割れ目にさえ置かれるべきと考えました。もし割れ目が拡大し始めれば、石膏は壊れて知らせてくれるからです。
水をくみ出し、発掘を進めるとともに、驚くべきものを発見しました。
深さ10メートルほどで、8.6×3.6mの広さを持つはじめの区分に到達しますが、われわれがそこに入ったとき、そこは空でした。
第二の竪穴は部屋の北部にあり、さらに13.25m下ると、6.8×3.5mの部屋に繋がっていました。そこは六つの小部屋に囲まれ、さらに下にくだる竪穴のために凹になった部分がありました。
六つの小部屋のうち三つには、第26王朝のスタイルの石棺がありました。その棺のうち二つには人間の骨を含みます。
われわれはさらにこの階で、後世のシャブティや陶片を発見しました。
また、主要な部屋の南東に凹部があり、そこから三つ目の竪穴がさらに下にくだっています。
そこを8メートルほどくだると、9メートル四方の最も底の部屋へとたどり着きます。
この、最底部の部屋はもっとも興味深いものです。
この部屋は、中央にある長方形の据え付けがそのほとんどを占め、部屋の角に正方形の柱が残るようにして、岩を削ってつくられました。
部屋の壁と中央の据え置き物の間に残されたスペースは、一種の水路を形作ります。その水路は部屋の入り口で途切れており、床はそれより高い位置に、中央の据え付けに繋がるように残されています。
こうして、この水路がヒエログリフのサイン「pr」――「家」を意味する――を形作るのです。
据え付けの中心に、黒い玄武岩で作られた大きな棺が置かれています。その石棺には、骨の遺りと、後世の護符がいくつか見つかりました。
驚くべきことに、われわれはそこで、おそらく第6王朝に遡るだろう、紅い地に白の彩色を施した磨き上げられた陶器を幾つか発見しました。
このシャフトがかつて王の埋葬に使用されたという証拠はありません。それはオシリス(あの世の神)のための象徴墓としてつくられたと、私は確信しています。
一番底の、据え付けを含む水路は、中心の据え付けを一種の島にして、地下水がそれを満たすように、故意に設計されたように見えます。この配置は、中央の島を原始の丘とみなすことで、創生のときに世界を覆っていたヌンの原初の水を表現していると考えられます。
水は、さらに、オシリスが肥沃と再生とに結びついていることを象徴します。
大きな棺を備えた中央の据え付けと、四つの角にそれぞれ備えられた柱
(おそらく後世のテキストに描かれているような神の聖なる四脚を表現しているのだろう)は、アビドスにあるセティ一世のオシレイオン(オシリス神の別の象徴墓)の配置と非常によく似ています。
後の時代に位置づけられる埋葬は、おそらく死後、あの世の神オシリスに近づきたいというエジプト人の願いを反映しています。
私は、このオシリス・シャフトが、
ギリシアの著者、“歴史の父”ヘロドトスによって、
クフ王の埋葬について、王の墓は大ピラミッドの影に位置し、ナイルからの運河で供給された地下の埋葬室の島に葬られたと書いた、まさにそれであると信じます。
その昨日と日付は正確ではありませんでしたが、ヘロドトスはオシリス・シャフトについて記述していたに違いありません。オシリス・シャフトは、そこで(多くの後世の遺物とともに)発見された物のうち最も古い人工物が第6王朝に属するために、クフの治世より後に出来た可能性が高いのです。
私が記録してきたとおり、発掘を通じて私は、これはヘロドトスが主張したような王の墓ではなく、オシリス神の象徴墓を表現していると明言することが出来ます。
このシャフトの興味深い特徴の一つは、
一番底の位置の北西の角から狭いトンネルが延びていることです。
このトンネルは、入り口部分に小さい子供がやっとは入れるくらいの大きさしかありません。そしてその向こうは、泥に満たされていっています。
1991年、私はそこを調査するために少年を送り込みました。少年は、その細い彼の身体でさえ入れなくなる狭さになるまでの、たった5mしか進むことが出来ませんでした。
2008年11月、TVプロデューサーRichard Reiszが、この小さなトンネルの調査を継続するために、内視鏡カメラをSCAに供給しました。この調査で、内視鏡カメラは10メートルまで進入することが出来ましたが、その先は泥が埋まっていました。
12月、チームは二人の有志「rovers(放浪者?)」としてカメラを携えて戻り、トンネルをさらに奥まで進みました。
約6.5mのところで、チームはトンネルの分かれ道を発見しました。先が狭すぎ泥だらけで行けなくなるまで、チームのカメラは分かれ道へ10.5m進入させることが出来ました。
チームはまた、確信を持っていうことは出来ませんが、分かれ道の終点と思われるところに、全長が約21メートルほどのメイン・トンネルがあることを見つけました。
私は、さらにもっと高度なロボット(前の機械が止まることを強いられたポイントを過ぎて調査を進められるもの)を設計するために、日本のチームと連絡を取りました。
2009年6月9日火曜日、われわれは新しいロボットをトンネルに送り込む作業を開始するでしょう。なぜトンネルがこのように深く掘られたのか、その理由を明らかに出来るだろうという希望をもって。
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6/9……ちょうど先週なんですけど!!
今やってるということなのですね。どんな結果が出るのか(結果は出るのか?)、楽しみですね!!
日本が関わってるのですから、何か発表があってもいいと思うんですが……調べたら出るかなあ……。
◆オシリス・シャフトに関する写真の載っているページ
(日本語のサイトです。)
http://www13.plala.or.jp/rameses2/2005osiris.htm