古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
センネジェムの息子コンスの外棺
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http://drhawass.com/photoblog/coffin-khonsu
黄色いです、これは色を塗ってるそうです。
綺麗ですよね。金に似せてるんですよね……きっと。
棺に書かれた絵、よく見るんですけど、
これだけ綺麗だから、本などにもよくのっているんでしょうね。
あれでしょうか、デル・エル・メディーナの職人の墓の、センネジェム?
新王国時代ですよね?
はい、景気付けの画像でした。
今まで拍手をぽちっとしてくださった方、ありがとうございました!
もう少し頑張ります(汗)
●先王朝時代のミイラ「屈葬」
ジンジャーと呼ばれている理由がけっこう納得いってしまう……。
しかしブログにこれ以上の解説がないので、自力で調べなければ。
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大英博物館のものということで、本家サイトにお邪魔。
http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/aes/p/predynastic_egyptian_man.aspx
(以下、ページの訳です)
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◆先王朝時代のエジプト人男性(ジンジャー・ジム)
エジプトのゲベレイン(上エジプト・テーベ近郊)より発掘。
先王朝時代後期、BC3400年ごろのもの
・再建されたエジプトの墓穴
この男性は5千年以上前に死亡しました。
この墓穴を再建は、早期エジプトにおいてちぢめた姿勢に埋葬する習慣があったことを例証します。
BC2700年頃にミイラ化の技術が発展するまで、遺体は浅い砂漠の墓に、砂に直接触れる状態で埋葬されました。
そのため、熱され乾燥した砂が人体の重量に対して75%分の水分を吸収し、しばしば腐食を免れました。
水分がなければ、バクテリアは呼吸できず、腐敗を引き起こしませんから、身体が保存されるのです。
この身体は、髪の毛から足の爪の先まで非常によい状態をとどめていました。
後代になってさえ、ミイラ化する費用の無かった人々が、非常にシンプルな服装で、(エジプト文化の早いうちから、身体はたいていまっすぐにして埋められるようになったにもかかわらず)この男性と大差なく、埋められていました。
先王朝時代の墓の発掘は、ナイル渓谷での定住の初期段階の情報の多くを提供しました。
身体はざまざまな種類の埋葬品に囲まれており、それらは先王朝時代(BC4000-3100)の墓から発見される正当なものばかりです。
頭部付近の装身具の配置も典型的です。
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基本の確認:
※屈葬=墓を母体の子宮とみなし、胎児と同じ形で埋葬することにより、来世への復活を願ったという考え方がある。
ちなみに屈葬はエジプトに限らず、日本やヨーロッパ各地でも見られた習慣だった。
古代エジプトでは基本的に、頭は南、顔を西(死者の向かう方角)に向け、左わき腹が下になっている。
ただし場所によっては、右わきが下で、顔が北、または北東を向いているものもある。上下エジプトでは分けられない。
※ゲベレイン=ジェベレイン
上エジプトの、川が「コの字」になってるとこの、左下の部分、西岸あたり。
●夜のコムオンボ<画像>
http://drhawass.com/photoblog/kom-ombo-temple
橙と紺のコントラストが素敵な一枚。
手前に入れたアップの柱がにくい演出。ラー神が堂々と描かれてます。あれラーじゃなかったらすみません。
コムオンボ神殿は、ワニのセベク神と年長のホルス神を一緒に(一応、左右別にしてますが)祀った神殿。
建造はプトレマイオス2世がはじめ、完成はプトレマイオス12世。だそうです。
●ネクタネボ二世の石棺内部【画像】
……ハーピ神しか分かりません(笑)。
頭から足にかけてヒエログリフを書いているとしたら、向こうに見えるのはイシスですよねっ……。
あ、一番手前の、縦のヒエログリフの最後は、オリオン座ですね。
王のバーがオリオン座に向かうとか書いてるのかな。
適当な単語を拾い上げて勝手につなげて考えてしまう自分(汗)。
ネクタネボって名前がなかなか覚えられないんですよね。
あの辺の王様って、なんか、実はぜんぜん違うエジプト名だったり、
微妙に言い換えられたりしてますよね。
えーと。名前はなんと読むんだろう。
――(弥呂久『ヒエログリフをひらく』P181)
あ、これラーじゃなくてハトホルなの!!??
ということで、最初の部分は
メリィ-フウト・ヘル ですね。
というか、一番最後のニウトを読んでないのかな……? いや、これはニウトではない何かなのかな。
tはどこにつくのかな? 読まないのかな。
とにかく、「ナクトホルエブ」(ヘブじゃないんだろうか……)としているものが、日本語のサイトでは多かったのですが。
ナクトホルヘブ
↓
ネケテヘレブ
↓
ネクタネボ?? あれ?
ヘブじゃなくてネブと読むとか……?
あ、そうか。違うや!
これです、1世と2世の、名前が違うのに、同じ名前で呼ばれてるやつ。
1世が「ナクト・ネブ(・エフ)」なんですね。
ということで、後ろの部分(こっちを先に読むんでしょうか)は
ナクト-ホル-ヘブ
で、いいんじゃないでしょうか……。
あ、ちゃんとそう書いてるとこがあった……。
「Nectanebo2」としたのは、マネトーなんですね。
『ヒエログリフをひらく』では「ネケト・ヘル・ヘビイト=彼の主ホルス神は力強い」としているんですが、イトはどれを読んだのかとか、なんだかよくわかりません。
サイト『Tour Egypt』(URLは下記)には、やはりNakhthorhebナクトホルヘブ、となっていて、
「支配権の強きもの」と訳しているようです。なんとなく納得。
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-EJ,bT,hT,uaHR0cDovL3RvdXJlZ3lwdC5uZXQvZmVhdHVyZXN0b3JpZXMvbmVjdGFuZWJvMi5odG0=,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,
この王は即位名にオヌリス神がいたりするんですね……。
セネジェム・イブ・ラー、セテプ・エン・オヌリス
「ラーの心を喜ばせるもの、オヌリスによって選ばれしもの」
オヌリスって誰だっけ……インヘレト? (確認)あ、どうにか合ってた。
イン・ヘル、アンフル?
字を見たことがないので、どう読めばいいか……。
最後のtは読まないのかな?
とりあえず、「遠方のものを連れ戻した」神、という意味ということで……。
毎回確認しないとすぐに忘れる情けない頭!
●基本的な部分を確認:
ネクタネボ2世とは。
“プトレマイオス王朝が台頭する前の、エジプト最後の独立王朝であった第30王朝の王”(ルーブル美術館サイト内の解説)
ここでは、王の治世は前358-341年、とされています。
***
このころのヒエログリフって難解なんですよね? といって逃げる(笑)。
今回は混沌としたつぶやきブログになってしまった。
長くブログ更新してなくてすみません。
あまり気負わず、気になったときだけにしようと、最近は思ってます。
英語の記事を訳したのでなければ、間違いの多い記事になると思いますが、
ご指摘いただけると幸せです。
なかなか分かっていないことをさらすブログ(笑)。みたいな。
拍手、ありがとうございました。
すごく、励みになりました。
少し、頑張れそう(涙)。
●フィラエ島のイシス神殿(画像)
http://drhawass.com/photoblog/philae-temple
ザヒ・ハワス博士のサイト内で公開された写真です。
いつも思うんですが、とても素敵な写真ばかりですよね……。
神殿だけでなく、辺りの……川や岸の様子までよく分かるし、水面に神殿が少し映っているところもはずさない。
神殿自体も確かに美しいですが、全体を含めて素敵なところだなって思います。行ったことないけど。
フィラエ島はアスワンの辺にあって、
確かダムで沈みそうになったから(実際に沈んでしまったそうです! コメントでのご指摘ありがとうございました!)、神殿をここに移築したんですよね?
(あ、「1970年代にアスワンハイダムの構築による水位上昇から保護するため移築」と書いてました・汗)
実際にはどう見えていたんだろう……。
東洋書林『古代エジプト神殿大百科』リチャード・ウィルキンソン(内田杉彦・訳)、P213によると、
本当のフィラエ島は沈んでしまっていて、現代イシス神殿があるのは近くのアギルキア島(間違えてました・汗。ご指摘ありがとうございます!)というところだそうです。(この本の中では、移築は1960年代となってます。まあそのあたりなんですね)
じゃあこの島、実は偽フィラエ島?
景観はあまり変わらないのかもしれないですね。
あと……
すっごく美しいのですが、
建物自体、王朝時代のものとはいえないのが、ちょっと残念です……。
でも、それを言うと、今残る神殿がけっこう後代に増築したものだったりするんでしょうが……。
エジプトの神殿として現代思い浮かぶものが、
王朝時代の人々が見たものと違うのだと思うと、ちょっぴり寂しい感じもします。
ついつい、古いものはどうだったのかと、気になりますよね。