古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
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●拍手お礼
>はぐれメタルファラオ さま
コメントありがとうございます!
本当に柳の木なのが、ギョウリュウなど別の木だったのか、はっきりとは分かりませんが、ひとつの可能性として参考にしていただければ幸いです!
>山下 隆生 さま
コメントありがとうございます!
実際に船を造って浮かべてみよう、という企画、すごいですよね!
>やかん さま
大英エジプト展の感想、長いものに手を通していただいて、ありがとうございます!
本当に、図録を見ないと損!な展覧会でしたね!
でも、棺の側面とか、どうしても載っていない部分もあって、やっぱり「目でも見て、図録を見て!」という感じでしょうか!
ヒエログリフの時の違い、まさに「昔の、人間が、手で書いた」っていう感じで、なんだか楽しいですよね!上手い下手あるなーって…(笑)。
ビーズをつなげた素材、私も木になります!やはり麻でしょうか、強そうだし…亜麻の糸かもしれませんが、残ってないのでしょうね……。構造、結び方、繋げ方、は、本当に興味のあるところです!
グリーンフィールド・パピルスの、メジェド神についての部分、この神についてはスルーされてるのだと思います…。エジ神、マイナーなの多すぎるので(棺に描かれていたあの、頭が毛を剥かれた鳥のやつとかも…)、一つ一つ説明していられないのでしょうね…。公開後「思ったより一般の人に受けちゃった」という感じじゃないかと思います!
あ~なんだか、私もやかんさんと一緒に行って、やかんさんの発見とか聞きながら見たかったですよ~!
こちらにコメントくださって、本当にありがとうございました。また語りましょうです~!
***
気付かないうちにたくさんの拍手、ありがとうございます!
最近発見された、第5王朝の王女シェレトネブティ(だったっけ)についてなど、興味深い記事があったのに、訳さずすみません><
第5王朝は太陽信仰が盛んになる時期があったので、個人的にとても気になる発見(まだ中途だとか、続報が楽しみ)ですが、この発見の情報もなんだか錯綜していて…
ヒエログリフで「父王の名」があったらしい書き方をしているものがあるのですが、外国語のなまりで、実際どう読むかも分かっていない。しかも公表されているヒエログリフにはそういった名前が全く見当たらないので、「訳し間違え」疑惑まで出ていて、実際どうなんだろう、と思っています(笑)。
古代エジプト遺物の発見のニュースは、
英語のニュースを日本語に訳す時点でいろいろ怪しい上、その前の、英語のものもなんだか曲がって伝わっていたりするので、
元のソースを確認して、ちゃんとお知らせしよう、というのがこのブログの目的の一つです。
なのにいろいろあってサボっちゃったりすみません><
また記事をみつけたら書きたいです!
拍手コメントお礼
>おうち穂里さん
長い記事を読んでくださって、コメントまでありがとうございました!
本当に、今回の大英エジプト展は、「図録を見てから展示品を見る」が一番よさそうですよね! 自分も、図録を見てからたくさんのことに気付かされ、これ見てから行けばよかった、と思いました(笑)
***
ブログ記事の方に、ぱらぱらと拍手をいただいています。
ありがとうございます。
そのたびにはお礼できませんが、大変励みになります。
面白そうな記事を見つけては訳す、と言う形になり、あまり更新頻度が高くありませんが、
これからもよろしくお願いします!
大英博物館古代エジプト展2012
http://egypt2012.jp/
福岡市美術館に行ってきました! 初日です!
記念講演目当てに行きました!
初日なのでどれだけ人が多いだろうと思ってましたが……、全然空いていました、もしかして初日だから?(笑)
地方では終わりに近づくほど人が増えるそうなので、みなさんお早めに……。今ならどれだけでも自由にじっくり見れますよ!
展示品はそれほど多くなかったので、じっくり見ても一時間ちょっとくらいでした、自分は。
一度出たら再入場は不可になっているので、悔いのないよう見たいですね!
あ、でも理由があったら、受付にお願いして再入場可能だそうです。自分は講演の為に途中抜けて、再入場させてもらいました。チケットに日付印を押してもらって、それをまた見せて再入場です。
今回の目玉は、グリーンフィールド・パピルス。
世界最長、37メートルという長さのこのパピルス、
保存のために何十枚もに切り離されていますが、それを連続して見れるようにぐるりと部屋の壁に飾っているので、どれだけ長いかはよく伝わりました…!
見渡したあと、自分がどこから来てどこに行けばいいのか、ちょっと見失いました(笑)。
詳しくは後述しますね。
目玉がパピルスということで、ほとんどの展示品がパピルスでした。
アニのパピルスとか。キレイ…なんだけど、これは写真だった(笑)
展示品はいろいろと
「どこかで見たことがある」、そんな感じの展示物が多くありました。
なので、典型的なのかなーと、見ていたときは思ったのですが、
図録を見るとそうでもないみたいですね。
じっくり説明してもらったほうが楽しめそうな展覧会です。先に図録見たほうがいいかも?
また、テーマのはっきりした展覧会だったと思います。もちろん「古代エジプトの来世観」みたいな、今までもやってきたようなテーマですが…。
パピルスが多かったので、こんなに見比べたりできるのは珍しいかも…!?
そのあたり、要チェック!と思います!
ではでは、自分なりに楽しんだり、主に気づいたこと、疑問に思ったことを、書いていきますね。
※数字は図録の番号です
***
4●セニの棺(コフィン・テキスト)
中王国時代の棺の典型例というか、
外側に「ヘテプ・ディ・ネスウト(王による供物)」文に「イマアキィ・ケル(~神の尊敬を得たもの)」文、そして両目の図。
内側は、両目の図の裏にある偽扉、供物の図とそのリスト、コフィンテキスト、そして、【二つの道の書】。
上に鏡を置いて、棺の底に描かれた【二つの道の書】を良く見えるようにしてあったのが嬉しかったです!
この棺は驚くほど保存状態がいいですよね…。
7●ベスエンムウトの棺
呪文みっちりの人型棺!
自分の楽しみ方は、神様の名前を見つけること!(笑)
「ジェドメドゥウ・イン」か「イマアキィ・ケル」があったらその下が神様なことが多いので、探します(笑)。
で、この棺、側面に神様がなん柱か、呪文に囲まれていますよね。
横を見るとほら、神様の名前(図の前にあるひとつの枠の、一番前かな)! いっぱいいましたよ!
ホルスの四人の息子と、アヌビスはまずいますよね。うーん、図録で確認しようと思ったのですが、横は見えにくい…。
実は左の一番下の図の神様とか、トトっぽいんですけど、(他の呪文読めてないから、「ジェドメドゥウ~」がそれぞれの神様に関連しているかどうかわからないですが)
ケルケブ、とかいう名前になっていて(下もあるかも、でも読めない)
反対側も、似たように「ケル」ではじまる、聞いたことのない名前が示されていて(忘れた…)、気になってたりして。
地下の、とかいう意味だったりして(想像ですよ!)。
いやしかし、見えないのではどうしようもない><
これは図録に細かい説明があります、
部位に見合う呪文をきちんと書いてあって、呪文のまとまりに「館=フウト」の文字のような、四角い囲いをつけていたそうで。
文字の魔力への敬意を感じてしまいます。
16の棺もですが、神様描かれてるの側面なので、図録ではほとんど確認できず…orz
目でじっくり確認しておけばよかったなあ…。
18●ミイラマスク
もうプトレマイオス朝とかそのあたりなので、
金箔だけど、個人的にはそんなに興味は……と思ってたのですが、
喉のところ(チョーカーの中央?)に、アンクがある、という説明で。
息が出来ますように、かなあ、と。これは初めて知りました。
後代になると
ヒエログリフの使い方がむちゃくちゃになって。
上記の、7の例とは正反対です。敬意の欠片もないというか、デザインでしかないのかなと。
そういうあたりは残念です。
9の、亜麻布の包帯に記された死者の書、とか、あの独特の顔の表現が苦手だし(笑)、
173『永遠を横切るための書』なんて美しさの欠片もないです、呆れます(笑)。
こういう文字に魔力は宿らないだろうなーーと思って見ました(笑)
字の汚い私が言うなって感じですが!!
26●ミイラの頭敷き
円状にヒエログリフを並べてるやつ、
面白いなあと思って、画像で見たことあるんですが、
亜麻布に漆喰を塗ったものに書かれているのですね。石じゃないんだ。
しかも頭敷き。思ったより小さかった…。
図録に「挿絵は多様であまり意味をなさず」って書いてますよ、意味を成さないなんて残念すぎますね(笑)。
32●紅玉髄とガラスの首飾り
ほんとうにバランスのいい展覧会ですよね、
日本人のツボを押さえているというか…。
棺にミイラ、パピルス、そして像と、こうした装飾品があれば完璧だと思います(笑)。
これは特に美しかったです。紅玉髄の色合いが。
よくわかっていて(笑)、図録でも見開きページに大きく載せています。一見の価値ありです!
33の飾りも、配色の美、まさに古代エジプトという美しさです。個人的には、生で見たほうがよかったです。図録のは、金が強く光りすぎているかな?
34のネックレス、金でトカゲ形をナツメヤシの実?と交互に飾っていますが、これがまたキレイで。トカゲ意外に綺麗に見えますね!
中央のラピスラズリのアクセントが素敵です。ケースの中では黒ずんで見えましたが、図録のものを見ると、バランスのよさがよくわかるなと思います。
37●アンクウアフイブラーの死者の書
ヒエラティックの死者の書なのですが、すごく印象に残りました。
ヒエラティックは見ての通り、筆で、強弱がついた文字になっているのですが、
挿絵の線がとても細く、細かく感じます。
図録ではなかなか伝わりづらいかも。ぜひ目で見てみてください。
服のひだや柱の線など、綺麗で、整っていて…。
丁寧な、まっすぐな線が引けない自分だからこそ余計気になったのかも(笑)。
この柱の線などは、さすがに定規を使っているのではないかと思いますが…。綺麗に湾曲しているし、バランスのいい絵師さんだったのかな。
それにしても、細いなーと(そればっかり!)。
41●動物風刺のパピルス
あれ、これ本物きてたんですか!?(笑)
ガラスの中だし、遠かったので、アニのパピルス同様複製かと思ってました。
良く見えなかったし、セネト・ゲームに関連してちょっと紹介、くらいかと思いました…。
これは図録で見たほうが断然いいです。見開き2ページしっかり使ってくれています。
44●ネスバネブジェドの棺
木製の棺ですね! 落ち着いた色合い!
あまり装飾がない分、真ん中の銘に目がいきます。
メンチュ神の神官で、ウワセト(テーベ)の主(!)でアメン神殿の書記長?
すごい肩書きですよね(あ、若干違うかも、詳しくは図録を見てください)。
木材を使われているし高貴な人物、という説明に納得。字もやはり美しいです。
図録を見て気付きましたが、胸飾りか花輪のようなあと(肩から胸にかけての飾り)があったようです、何か上に実際に輝石などで飾られていたのか、色を付けられていたのかわかりませんが……
元はどんな棺だったのでしょうね……。
46●イトイネブの人形棺
神様の名前が一番見つけやすそうで、そしてたくさんあって、さらに図付きなのがこれ。
四角に入ってて、手を上げている(礼拝している)のが故人なので、神様がどちらかはすぐわかりますし、その上の帯に、m(鳥のヒエログリフ)のあとに神名がそのまま描かれています。
右下のヘペト?とか、知らない神様もいっぱいいて…
例によって図録には側面が写ってないので
許されるなら、ペンと紙もって全部チェックしたかったですね><
50●ホルアアウシェブの人形棺
これは側面が図録に載ってます!(神様は正面にいっぱいいます)
この側面おもしろいですよ!
毛を剥かれた鳥を頭にした、ナイフを持った神様とか、
サルがいるのもちょっと珍しいかなって思ったんですが、
反対側にベスっぽい顔が正面を向いた(体は横向きの)両手にナイフを持ったもの、
その横に、同じ顔だけど全身で、女性の姿のものが…!
いやあ、あんまり見たことがなかったです…
なんとなく、アムドゥアトの書の挿絵に似た感じがしましたよ~~
中のミイラは別らしいですよ。時代も性別も。
図録を読むと二倍面白いですね!
66●シャブティのためのミニチュア道具
大型の、精巧なシャブティには、こうした銅製の農業用具がつけられることがあったそうで。
鍬、竿と両端に吊るすかばん(かご?)です。
まるで雛人形についてくるあれのようだと思いました。
ミニチュアって、なんかいいですよね……。小さいのに、丁寧ですね。
68-163●ネシタネベトイシェルウの死者の書(グリーンフィールド・パピルス)
グリーンフィールドっていうのは、これが大英に寄贈される前の保有者の名前で(パピルスの名前ってだいたいそんな感じ)、
このパピルスのもともとの持ち主は、ネシ・タ・ネベト・イシェルウという名の、女性です。
むっちゃむちゃ長いのですが、これは実際に展示室で感じていただくのが一番ですよね。
見てみて思ったのは、
同じような挿絵が繰り返されてる(少なくとも二回は)ということ。
文字も繰り返されていたのかも。
あと、これだけ長いから当然ですが、
パピルスがつなぎあわされている跡がたくさん見られます。
もちろん、パピルスの巻物は普通に、つなぎあわせてひとつに作り上げられるものが多くて
他のパピルスにも、つなぎ目が見られるのですが、
これはそれ以上、というか、
そうしたパピルスを、別々の場所で描いて、あとで(図録によると、のりで)つなぎ合わされたらしいです。
挿絵の部分がずれて、でも文字は繋がっている箇所もあります。
つなぎ目の上部に、赤インクでマークのようなものが見られる箇所もあります。
大きい絵と小さい絵があるし、絵の感じも大分違うし、
ほとんどヒエラティックですが、ヒエログリフ(空白がいっぱい)な部分もあります。
個人的には、あの大きさのパピルスいっぱいに全身を描いた挿絵は初めて見た気がします。圧巻です。
ワニの様子や、神々の描写(服や目や冠も)がとても丁寧です。
第85葉の、女性のドレスのひだなどもとても綺麗ですし、
その左側にある太陽船の、前方の四角い飾りも、なんだか描き込んでいて、気になりました。巻き毛みたいなのが垂れてるし…(前見た挿絵では、魂みたいなのが出てましたよね…)。なんだろうこれ。
そうそう、90~92葉の上部にある、蛇。
これ、デンデラのハトホル神殿の地下にある、あれとそっくりですね。
下部の呪文は、有名な「罪の否定告白」だそうです。ヒエログリフです。
あと、前情報で聞いていた
「袋に目が描いてあって、足だけ出ているおばけ」。
メジェド神について、ツイッターで流したとおりですが、訳もついでに載せときます。
(このパピルスに二度出てきます。)
http://blog.britishmuseum.org/2010/09/22/what-is-a-book-of-the-dead/
「この奇妙な画像は死者の書の呪文17にある。長く難解な呪文で、多くの不明瞭な神々について言及している。現在のエジプト学者たちの間では、これは「メジェド(打つものの意?)」であると考えられている。呪文の内容は「私は彼らの内の打つ者の名を知っている、オシリスの家に属すもの、見られることなく、その目で射抜くもの」その目だけが見え、残りが隠されていることから、この描写がふさわしいだろう。残念ながら、それ以上のことは分かっていない。」
自分は見たことないですが、他にも、頭に鉢巻巻いてるのとか、あるそうですよ!
★その他
パピルスが多かったので、見てて思ったのですが、
パピルスの厚さ(薄さ)ってほんとうにバラバラみたいで。
綺麗な絵を描いているものは、薄いものが多いような気がしたり…(補修作業が大変そうですが、ほんとうに丁寧にされています)。
薄いほうが価値があったと聞いたことがありますが…。
なるほど、薄いものはここまで薄いし、分厚いのは布みたいだな、と思いました。
年月がたってしまった結果という部分もあるかもですが!
◆図録のこと
2300円の図録です。
この図録を買うだけでもかなりいいです。
複製のパピルスも、図録で見ると一緒ですし…(笑)
とにかく説明がきちんとされていて、これ一冊でだいぶ、理解が深まりそうです。
見るだけではどちらかというと、物足りないかもって思います。説明がないと!
カバーの折り返しにも死者の書。
図録でないとじっくり見れないところもあるし、
グリーンフィールド・パピルスなんて、巻末から反対方向に、順番に見ることができる!という嬉しい仕様。
用語集やコラムもあって、内容十分です!
*****
初日の2時から、
大英博物館の古代エジプト・スーダン部門部長、二ール・スペンサー氏による記念講演(通訳つき)がありました。
氏は最年少37歳という若さで大英博物館のエジプト部門部長に就任されたということで…。背の高いイケメンさんでした(関係ない)。
今回は「古代エジプトの死~思い描いた来世と、現実~」というテーマで、お話していただきました。
死者の書の呪文や、文学作品の一部を引用して説明されたのが印象深かったです。
上手くまとめられないので、箇条書きで気になったところだけ、失礼します。
●導入
・最近はミイラのCTスキャンなどで、ミイラの生前の様子…内臓の状態を見てどんな病気に罹患したか、また、最後に食べたのは何であったか)を知ることができるし、
骨だけしか残っていない状態でも、そこから性別・おおよその年齢・病気や治療あとなどの情報を読み取ることが出来る(治療後を知ることは、古代のその病気に対する知識と対象法の正しさを証明する)。
古代エジプト人は、21-35歳でなくなっている例が23%と最も多いが、
死者の書に書かれた理想の年齢は、110歳であった。・家には(特定の個人ではなく)先祖の像が置かれてあり、像に話しかけたり出来た。
死者への手紙を、器などに書いて供えれば、願いが届けられるといった考えがあった。
(例:亡き妻にあてた手紙で、男性が、妻に「西では思うような暮らしが出来ているか?」「私のために取り成してほしい…病気を払ってほしい」と呼びかけている)☆『死者の書』178章【死とは、また生きるために来る夜である】
亡くなった人々はいずれ神々になるという考えがあった。
そのために、死への準備が必要と考えられた。
●古代エジプトで考えられていた、人を構成する重要な要素
・肉体=オシリス神と同一化するため特に重要であり、ミイラ化が必要だった。
☆『死者の書』第26章【私は私の心臓、腕、足…を、私の望むように動かすことが出来るように】
・カー=生命体、生命を維持するのに重要で、供物を食べたり飲んだりする必要があった。
・バー=人格(精神部分)、個人そのものであり、自由に肉体を離れ、また戻ることが出来る。
・名前(レン)=供物を受け取るために必要で、墓はもちろん、副葬品のすべてに刻まれる必要があった。
●二つの信仰体系
・オシリス信仰
殺され、再生した王で、緑の肌で(植物の)復活を象徴する。
☆『ウナス王のピラミッドテキスト』第213章【ウナスは死ぬのではない、オシリスの玉座に座るため、生きるのだ】
はじめは王だけ、次第に民間に広がり、アビュドスが巡礼地に。「神オシリスの供物を(個人が)受け取れますように」などと書かれたステラが奉納された。・太陽信仰
東から上り、西に沈む、を繰り返す太陽。川の西岸に埋葬されたのはここから。
死者が最終的には太陽と結合することを望み、よってマスクは太陽の輝きである黄金で作られる。
☆『シヌヘの物語』【埋葬の日のことを思え、・・・女神タイトから香油と包帯を受け取るだろう・・・顔は金、頭部はラピスラズリで覆われ…】(この王の手紙の部分を全部説明してくださったのですが、メモが追いつきませんでした・汗)
●埋葬品
・アミュレット
・シャブティ=死者の変わりに死後の世界で労働する人形。401体セットになっているものもある(365日一日一体+10人の労働者につき監督一人分)
・死者の書=棺の中にパピルスに書いてミイラと一緒に収めることからはじまったが、体に巻きつける包帯に書いたり、後代になると、オシリス神を象った神像またはその下の箱に入れるようになった。
古代エジプト人の来世観がわかる貴重な史料であり、時代や地域によって内容が変わっている。
●死者の書に書かれた内容(大事な部分の文頭は赤インク)・ラーへの連祷
☆『死者の書』第15章【おお、昇るラー、アトゥム、ホルアクティ、…私は礼拝する、私の目に美しいもの…】・変身の呪文
虫など危険なものを退けたり、自然の力に対抗、神の力を手に入れるための「一時的な」変身
☆『死者の書』第31章【あっちへいけ!…私の呪文によっていなくなれ!】・扉にいる悪魔(門番)
ナイフなどを持ち、入り口を守る。番人の名を知っていなければならない。(たいていは恐ろしげな名前)
☆『死者の書』第146章【開けてください、私はあなたの名前を知っています、あなたを守護する神の名を知っています…】・理想の地《セケト・イアル》へ
ナイル川、運河に囲まれ、死者(のシャブティ)が穀物を育て、ボートで遊び、神を礼拝する場所。
今生の理想の反映。・死者の裁判、罪の否定告白(長い。☆125章)
・オシリス神に謁見「マア・ケルウ(声正しきもの)」
※死者の書の変遷・・・後代になると、王家の墓などでしか描かれなかった天地創造の図が死者の書に加えられるようになった。
女性も所有するようになった。
●現実は…?死者はいつでも尊敬されていたわけではなかった
・ハトシェプスト女王の例(姿や名前が削り取られた壁画)・墓泥棒の横行。埋葬後数日・数週間以内の犯行(場所を忘れないうちに)
☆『アボット・パピルス』(ラムセス9世、治世16年・墓泥棒の裁判の記録)・カーのための供物が礼拝堂に捧げられない・墓が維持されない
↓
死者の書の内容はあくまで「理想」であって、古代でも懐疑をもたれていた
☆『男とバーの対話』【男「死が見える、病が治るときのように……ロータスの香りのように(心地よいもののように)」⇒バー「埋葬のことを考えるなんて悲しい。家を奪われ、丘に埋められ、あなたが神になった頃には、記念碑は崩されてしまう。・・・生きる日々を楽しみなさい」】
●近代~現代の研究17,18世紀に略奪が横行し、ミイラが要らないものとして野ざらしにされるようなこともあったが
19世紀終わりに考古学技術が発達、記録を残すようになった。
20~21世紀現在、技術を駆使し㎝単位で繊細な作業を行い、細かい情報を得、また化学分析をしている。
発掘された遺物は博物館に保管し、そこで「永遠に名を残す」――故人が求めていた願いを叶える事が出来る。
***
以上です。
英語で単語をいくつか拾ってみたのに、通訳では言われなかったりとか、ちょっとずれて伝わってるらしいところがあったと思います…。何度か「あれ?」って思いました。小さいことですが。
あと『男とバーの対話』は自分が知っていた解釈とちょっと違ったようなので新鮮な感じがしました。
男が、死後の世界を魅力に思って、けれどバーは、死後の世界なんて理想に過ぎず、実際にはそうはいかないよ、と諭してるということでしょうか。だから「生きている今を楽しめ」と。
あれ、でも『古代オリエント集』見てると、なんだか前後しているような…。
自分は、生きても死んでも希望がないよっていう厭世的な内容かと思っていました。
たとえの表現とか、言葉の繰り返しが美しくて、大好きなのです。はい。個人的に。
ここで聞けて幸せでした。
●アブ・ロアシュで第一王朝の船を発見
ギザの北東、アブ・ロアシュ(ラワシュ)で、
第一王朝の王、デンの船が発掘された様子!
長さ6メートル、幅150メートルの木造船(6×1.5メートル、としているものもあります。写真を見るとそれっぽいかも)。
板11枚で構成された船だそうです。繋ぎ合わせるためのロープを通す穴がたくさん見られます。
フランスの考古学チームによる発掘。
2012.7.25(水)
記事はこちら(英語です)↓
http://english.ahram.org.eg/News/48641.aspx
写真いろいろ(日本語です)↓
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2891608/9293312
デン王の墓は、もっと南の、アビドスにあるのですが
この船が「デン王のもの」とされる理由についての発表がまだありません。
(船の古さと、周りから発見されている遺物からの推測かも、という意見も…)
とにかく
発見されたあたりには、第一王朝のデン王や、アハ王の名が記された遺物がいろいろ発見されている場所だそうで…。
王だけでなく、貴族が墓の傍に船を埋めることはあったそうなので、
デン王に仕えた高官が、デン王から与えられた船を埋めたのかもしれないですね(詳しくは情報を待ちたいと思います!)。
写真を見ると、5000年前の木造なのに、なかなかきれいな状態です!
修復してから、National Museum of Egyptian Civilisation で展示する予定とのことです!
生活に船が密着していたというか
権威の象徴だったというか
船は、第一王朝の早いうちから、墓の傍に埋められてる証拠があるようで、
アビドスにあるデン王の墓にも、船が埋められた穴があったそうです。
船によって冥界に行く信仰だったのか、
あの世で生前と同じような生活をするために船が必要と考えられたのか、分からないですが…
っていうかここでは
「王の魂を死後の世界に運ぶため」としていますね。
気になるのは
AFP通信のほうで、この船を「solar boat 太陽の船」としていること。
たぶん、最近のクフ王の第二の船の話題に関連付けて
葬送の船→太陽の船!ってなったんじゃないかと思いますが
太陽の船って、太陽信仰からでてくるわけで
その太陽信仰そのものが、(はっきりとは分かっていませんが)第4王朝あたりに盛り上がるのを考えると、
それより数百年前の船にまで、それを当てはめてよいのかなーっていう……。
*
ついでに
「太陽の船」とはどういうものか。ということについて、
メトロポリタンミュージアム所蔵の模型があります。
http://metmuseum.org/collections/search-the-collections/100000480
中王国時代の模型ですが、これなら間違いなく「太陽の船」といえるそうです。
特徴は、
・神の旗標
・船首にかけてある布(上の模型では、左が船首です)
・真ん中あたりにある、「シェメス」サイン↓
だそうです。
だいぶあとですが、ラムセス六世の王墓の天井にある「昼と夜の書」の太陽船にも、船首の布が見られます。ないのもあるみたいですが…もしかして暗いうちに必要だったのかな?(夜と、早朝・夕方の船にはあるみたい?)
あ、これシェメスの図もありますね…物によって……。下の写真では、船尾の近くに、白で描かれています。
↓
(写真は仁田三夫氏『図説 古代エジプト2【王家の谷と神々の遺産】篇』河出書房新社p54より)
あと
第5王朝には太陽神殿の建造が盛んになりましたが
その復元(想像)図があります!
巨大な太陽先(模型)が神殿のそばにあったらしいのです。
(スライドショーです)http://www.reconstructions.org/mor/pages/frames/mor_slideshow/mor_slideshow_frame.html
第5王朝(太陽神殿建造期)は
大ピラミッドで有名な第4王朝と
ピラミッドテキストが書かれ出す時代の間です。
「古代エジプト」とひとくくりに言っても
宗教観は変わってきていて、それはアマルナ期だけではありません。
特に初期の、ピラミッドテキスト以前の信仰の形態がどうであったのかは、宗教文献がみつかっていないため不明な部分が多いのです。
ピラミッドテキストを見ると、オシリスとホルスの神話に加え、太陽神ラーの神話が出ています。
この時点で既に、後代によく見られるさまざまな神々の存在や役割が確認されるのですが(同じでないのもあります)、
この太陽神について、ホルス神やセト神のように先王朝時代から存在が確認されているかと言うとそうではなく、オシリス神についても同じです。
そういうわけで、「太陽の」船、といえるのかどうか、とても疑問に思います。
もちろん、太陽神の乗る船に同乗して天に行く、という信仰が、かなり古い時期からあったかもしれません。
ただ、今のところ、はっきりと証明できるところはないし、
もし昔からあったとして、第4王朝に突然盛り上がるのはどうしてかな?と思います。
ま、細かい話なんですけどね!
第一王朝頃から太陽信仰(もしくはその原型)があったのかどうかは、個人的にとても気になります!
それが分かると、大きいな、とは、思うのですが……(あまり期待はしてません・汗)
*
いやー。
太陽の船って、なんなんでしょうね?
私は、この布がすごく気になってますが
シェメス・サイン(太陽神の「従者」の意味だとか)も気になります!
まだまだ、知りたいことが山のようです…。
とりあえず、この発見された船が太陽船でなくても(可能性は低いと思うんですが)、
第一王朝の船なら、貴重ですよね!
●古代エジプトの金鉱業
気になったので↓途中から訳しました。いつも以上に適当になってます、すみません。
http://www.miningweekly.com/article/gold-mining-in-ancient-egypt-2012-06-08
どの地域に置いても、黄金は「文明の曙」より重要な位置を占め続けているものであるが、
それが最も最古に、顕著に見て取れるもののひとつは、「古代エジプト」である。古代エジプトでは、先王朝時代(BC約3100年)から黄金の使用が見られる。
それがどこからもたらされたかは謎のままだが、おそらく沖積層より抽出したもの【訳注:岩石が風化・分解し、含まれていた鉱物が分離したもの。砂金など】だろうと考えられる。
体系的な金鉱脈からの抽出は、初期王朝時代がはじまって以降のものと見られる。
初期の採掘作業は、コプトスの東【ワディー・ハンママートのあたり】、花崗岩の山岳、より南のヌビア、ナイル川と紅海の間でなされた。
古代エジプトにおいて、金はラー神の肉体であると考えられたため、
永遠の生命の象徴と捉えられた。(そのため、王族の埋葬などには重用されていた)
初期には、王のみが金で飾ることを許されていたが、後に王族全体や神官にも広がった。神像や神殿を飾るのにも使われるようになった。危険な採掘には奴隷労働者が用いられていたという証言が、ギリシャの歴史家ディオドロス・シケリオス(BC60―30年)によってはっきりと残されている。
「労働者たちは金属の糸に続き、ランプの光をたよりに地下へと降りてゆく。石は外に運び出され、そこで粉砕し、小さな破片にする。労働者は手を止めることがない。彼らは鞭打たれ、ひどい仕打ちを受けて絶え間なく労働するよう仕向けられている。子供ですら免れられず、石のブロックを運んだり、粉砕し破片にしたりしている。その破片は30以上の中年の男女が手に取り、鉄製の乳鉢で砕く。・・・」
「ひとつの粉砕所では2,3人が働いている。不幸な彼らがどれほどの苦しみを抱いているかを描くのは不可能だ。むき出しの肌が風雨に晒され、彼らは休息を許されていない。墓に行く寸前の年寄りも、弱い女も、また高熱によって震えるような病気のものにも、哀れみの念などなく、彼らが働いているこの場で死んでしまうまで、無差別に繰り返し鞭はふるわれる。」
処理過程は原始的だが巧妙である。
粗金が粉にされた後、少し傾いたテーブルに広げ、水を流して土などを取り去る。こうすると重みのある金だけが残る。こうした工程が労働者によって繰り返され、その後、彼らは金の粉をしばらく手でこする。そうしてから小さなスポンジで、水では取り去れなかった不純物を取り除く。こうして、砂金は綺麗になり、輝きだす。
新王国時代(BC1589―1150年)までには、金細工師がエジプト社会でも重要な地位に上り、墓に埋葬したり神殿で神に捧げたりするための宝飾品の売買は、この時代に最も繁栄したもののひとつだった。そういうわけで、黄金を富と権力の象徴という固定観念を人類にしっかりと植え付けたのは、5500年以上前の古代エジプトによる。
興味深いことに、6-700万オンスもの金が東部砂漠より採掘されていると考えられている。
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昔は砂金とかで……っていうのが面白かったです。
あと、地下にあるんだっていうのも…。山の上にあるんだと思ってた!