古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
http://www.thaindian.com/newsportal/health/egyptian-experts-to-conserve-mummy-in-hyderabad-museum_100224792.html
※7月29日の記事です。
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エジプトからの専門家の援助は、紀元前2500年にまでさかのぼるエジプトのミイラを、このハイデラバードの博物館で保存する、最終段階にあります。
ナシフ(Nasifu:6番目のファラオの娘)のミイラであると考えられるミイラは、1930年以来アンドラプラデシュ州の考古学博物館であるこの場所に展示されていますが、今では腐敗しています。
ミイラの保存のために、SCA(エジプト考古最高評議会)から派遣された二名のチームにより、エジプトはハイデラバードへこの4500歳と考えられるミイラを保存するためにやってくるでしょう。
考古省とアンドラプラデシュ博物館は、ミイラ(インドにある6つの博物館のうちのひとつで、ミイラは南インドにだけある)を修復するために海外の援助を長く求めていました。
SCAの研究開発部のトップ、Tarek El Awdy氏と、
SCAの生物損害処理部の監督官、Sama Mohamed El Marghani氏は、
まずはじめにナシフの身体の保存のためにしなくてはならない仕事を割り当てました。
SCAはエジプトの文化省の一つで、エジプトですべての遺物や考古学の遺跡に関して保存、保護、そして調整の責任を負います。
Tarek El Awdyはさらに、カイロのエジプト博物館の最高責任者です。
考古学と博物館のの管理者であるP. Chenna Reddy氏によれば、
ミイラのリンネル製の包帯が交換されるそうです。
専門家たちはさらに、ミイラの内側に詰められて残っているものを科学的に処理されたコットンのようなものに置き換えるでしょう。
体を隙間なく覆う外皮は、顔や肩や足の周りではバラバラになっています。
包装布は剥がれ始め、割れ目はいろいろなところにかなり顕著に見られます。
ミイラは1920年ごろ、6番目のニザム<君主>でそのころのハイデラバードの統治者であったMir Mehboob Ali Khanの、義理の息子であるNazeer Nawaz Jungによってもたらされました。
彼はそれを7番目のニザムMir Osman Ali Khanに贈り、それが1930年に博物館に寄贈されました。
博物館は都市の中心にある市民公園に位置しています。
かつてハイデラバード博物館として知られていましたが、インド共同体にハイデラバード州が吸収合併されたのち、州考古学博物館と改名しました。
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ブログ『Egyptians』の記事からたどった記事ですが、
このブログ↑を書いている方が、
「記事では古王国時代のものとあるが、またエジプトの6番目の王(の娘)のものとある。私の知識では、はじめの二王朝はミイラにしていたという証拠がないのでは」
と突っ込んでます。
六番目って、どこから数えてなんでしょう。
どの王様なのか、名前を書いてほしかったです……。
あと写真もちょっと見たかったです。なかなかみつからないですね。
というか、インドにもエジプトのミイラがあるんですね……。