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古代エジプトのこと

古代エジプト関連限定ブログです!

屈折ピラミッドについて

●ダハシュールの屈折ピラミッド
http://drhawass.com/blog/pyramids-dashur-bent-pyramid

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 第四王朝のスネフェル王は一生のうちに三つの記念碑的なピラミッドを建造し、ファイユームのセイラに四つ目のより小さな階段ピラミッドを建てました。
 メディウムのピラミッドをあとにして、彼はロイヤル・コート(王の宮廷)をサッカラのちょうど南にあるダハシュールへと移し、新しいプロジェクト――現代、屈折ピラミッドとして知られるようになっている記念碑で、古代エジプト人に「スネフェルは輝く、南」とよばれていたもの――をはじめました。

 スネフェルは大ピラミッドを建造したクフ王の父親で、ヘテプヘレス王妃と結婚していました。ギザのシャフトから王妃の美しい葬祭用具が発見されており、後に修復され、今ではカイロ・エジプト博物館で見ることができます。
 われわれは「パレルモ・ストーン」と呼ばれる石のブロックの刻印から、彼の治世の間の多くの重要なイベントを知っています。ここから、彼の西方との戦争(※ヌビアとの戦争の記録はみられるが、西方、リビアとの記録は見られないとのこと。)と、レバノンの木材取引の命についてを学べます。
 このピラミッドは実際、はじめから、滑らかな側面を持つものになるように計画されていましたが、屈折ピラミッド建設の初頭には、ちょうど、もっと早期の階段ピラミッドでされたように、ブロックは内側に傾斜するように置かれました。
 そして、ざっと半分ほど積み上げた時、ブロックを水平にし、次に傾斜の角度を緩めることが決定されました。これは、ピラミッド内部の部屋に対する圧力を縮小し、そして特殊な屈折を導きました。さらにそれは、ピラミッドを完成させるために必要な石材の量を減らしました。
 ピラミッドの地盤は不安定であったため、その崩壊を防ぐためには思い切った手段を取らねばなりませんでした。

 ピラミッドの内部もまた変わっています。そこには二つの入り口があります。ひとつは北側にあり、もう一つは西側です。
 北側の入り口は地面の下に約11.8mの高さであり、そこから長く細い軸が約80m下ります。そして、「持ち送り式の」壁の部屋に出ます。そうして、南の壁より6.25m進んだ先にある、より低い埋葬室に着くために、ここで木製の階段一式を上らなくてはなりません。
 西側の軸は、北側のものよりも傾斜が緩く、別の埋葬室に向って約65m下がって、北の入り口からのものよりもピラミッドの内部でで高い位置にあります。
 古代のスギ木材はこの部屋で見られ、部屋の圧力を取り除くのを助けるためにおかれました。
 私は以前、カイロ・アメリカン大学の生徒たちとともにここを訪れ、私の良き友人であるレイナー・シュターデルマン博士を紹介しました。彼は人生をピラミッド研究に捧げ、当時ダハシュールで発掘作業をしていました。
 このピラミッドに入ると、我々は屈折ピラミッド特有の奇妙な体験をします。またいくつか、初期の探検家らによって記されてきたようなことも。
 ピラミッドの中に立つと、ときどき内部から出口へと流れ出る冷たい空気を感じるでしょう。これは部屋のうちの一つが外側と通じていることを意味し、発見されるべき秘密の部屋がまだ残っている可能性を示しています。

 スネフェルの治世の30年目くらいに、屈折ピラミッドの作業が止まり、ダハシュールの北で新しいピラミッドの建造がはじまりました。この重要なピラミドについては、次の記事で学びましょう。

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HN:
あやめゆうき
自己紹介:
 古代エジプトについて趣味で勉強中。
 正式にはまったく学んだことのない、完全な素人です。
 突込みなどは、喜んでお受けします。勉強になります。
 最近は更新頻度が低いです。気が向いたときかくかも、みたいな。

※相互リンクはエジプト関連のみ受け付けます。
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