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●古代の墓を頼りに生きた村、クルナ村の死
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/africa/article6488897.ece
一部省略で訳します。
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王家の谷の外にあるひとつの古代墓について、非常に近代的な論争を引き起こしました。
西の考古学者らは、新しい観光名所を開くために何千人もの人々を強制的にこの場所へ移住させたことについてエジプト政府を非難しますが、
一方当局は、村人たちが墓を傷つけミイラを盗んだといいます。
ルクソール郊外にあるクルナ村は、一世紀以上も前、ナイルの岸の農民たちがナイルの増水季にその水を避けて、川の上の岩の絶壁に点在していた王家の墓のシェルターに移動しました。
人々は木と日干し煉瓦を用いて洞窟の周りに入念に家々を造り、観光というものが始まりだすと、旅行者に彼らの家の中にある墓を見せ、記念品を売って生活しました。
しかし5年前ムバラク大統領は、ルクソールがスラムになってきている、と断定しました。
行商人そして無許可の建造物がはびこり、古代の財宝を不明瞭にしたり、破損してしまっているというのです。
彼は、ルクソールをきれいにするようにと、元陸軍将軍(Samir Farrag)を任命しました。
その命令のひとつが、村民の強制移住だったというのです。
新しいクルナ村は、ピンクの格子とクリーム色のコンクリートのテラスのものを、砂漠の向こうに作り上げて、その前身の性質だけを欠いて、流水や学校、郵便局と下水までを整えて約3000家族を養います。
ほとんどの家族は移住を望んでいませんでした。彼らは、小さな現代的な家は伝統を破壊し、世帯を解体し、かつての家々に比べほんのわずかな利便性を備えた息苦しい箱に閉じ込めた、と苦情を言います。
実際、新しい村は水が流れることもまれで、結局まえの村でしていたように大きな壷に水を溜める必要がありましたし、建物の一部は二年前に崩れており、その耐久性にもかなりの不安があるといいます。
エジプト政府は、旧クルナ村を、現代的なものをすべて剥ぎ取ったあと考古学的な観光公園のようなところにして、観光客から現金を得たいと考えているようだ、とエジプト国際関係の専門家は指摘します。
墓の復旧作業で生計を建てるAhmed Tayyebさんは、過去の村民が埋葬地を傷つけたことを否定しました。
Farrag将軍は、墓の上にある家が大槌だけを用いて倒壊されるべきと主張したにもかかわらず、
家の多くを倒壊するために使用されたのはブルドーザーで、恐らくはるかに多くの損害を伴ったに違いないといいます。
「彼らは独特の生き方を破壊したのです」
村民を保護するために、UNESCOはなにもしてくれませんでした。
これらの論争は、UNESCOの次のtopの候補とされているエジプトの前文化大臣Farouqホスニの指名を傷つけるかもしれません。
しかしザヒ・ハワス博士は政府を支持します。彼は、クルナの居住者が墓から財宝や、観光客に展示するための隠されたミイラさえ盗んでいた、と言います。「彼らのすべてが善人とは限りませんでした。何人かは、墓の内部を破壊したのです」
計画では、旧クルナ村の手製の家々は古代の墓の上に建ったままにしておき、観光客に開かれる予定です。
そこで生まれ育ち結婚し、子供と孫までもそこで育てた76歳の女性は、いまもそこに住み続けています。
彼女は、移住に関して感傷的ではありません。住居が与えられればすぐにでも準備をするといいます。
彼女の娘の一人は文句を言います。「その人たちの言うことを聞いてはいけない。この家はやらなくてはいけないことが多すぎます。」
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最後の、娘さんの言葉は、このおばあちゃんに「移住したって便利じゃないよ」って言ってるんでしょうか?