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●大ピラミッド労働者の墓、発見
http://drhawass.com/blog/press-release-new-tombs-found-giza
クフ王とカフラー王のピラミッド建設に従事した労働者の集団墓が
ギザ台地の「労働者の墓地」地域で発見されました。
発掘はザヒ・ハワス博士率いるエジプトチームによって行われました。
墓は第4王朝のもの。
ザヒ・ハワス博士によると、1990年代に発見された、第4王朝末から第5王朝時代(BC2649-2374)に建てられた労働者の墓と、同様のものを見つけるのははじめて、とのこと。
この発見は20世紀および21世紀のうちで最も重要な発見の一つとみなすことができるだろう。この発見によって第4王朝早期をより多く明確にすることができ、ピラミッドは奴隷によって作られたという噂をより否定するものにもなる、とのこと。
「これらの墓は王のピラミッドのそばに建てられていることから、彼らは決して奴隷などではなかったと言える。奴隷であれば、王の墓のそばに自分のものを建てることなどできないからだ」
この中で最も重要な墓は、イドゥのもの。
日干し煉瓦で作られた、長方形の構造をしたもので、外側は石膏の覆いで包まれています。
そこには複数のシャフトが含まれ、シャフトやその正面の壁がん(くぼみ)は白い石灰石で覆われています。
発掘監督のAdel Okashaは、
イドゥの墓の上部は、メンフィス信仰の伝統にみられる、人類の生成が始まった永遠の丘を象徴する、アーチ型になっている、と語ります。
この形は、この墓が第4王朝早期にさかのぼるものであるとする強固な証拠であり、ダハシュールにあるスネフェルのピラミッドのそばにある墓ともよく似ている、といいます。
イドゥの墓の西側に、また別の労働者の集団墓が発見され、そこからは棺も見つかっています。
その南側にはまた別の大きな墓が見つかっています。この墓は日干し煉瓦で作られた長方形の墓で、いくつかのシャフトをもち、そのどれもに屈曲した骨(屈葬のこと?)と、そのそばに土器の破片を見つけました。
発見された証拠からは、
デルタと上エジプトにいる家族が21頭の水牛と23頭の羊を(ギザ)台地に毎日送り、労働者を養っていたことが明らかになりました。
ハワス氏は、
これらを送っていた家族はエジプトの政府に税を払っていなかったが、正確には、エジプトの国家プロジェクトのひとつを共有していたのだ、と指摘します。
10万という数を記したヘロドトスとは矛盾して、労働者は一万人を超えていなかったとハワス氏は言います。
この発見は、労働者がデルタと上エジプトの家族のトップ(働き頭?)から成っていることを示します。
ハワス氏は、科学と考古学によってピラミッド建造の時期を特定することはできない、と主張しました。
それを氾濫期に限定するのは、建造プロセスは増水している三ヶ月間しか実行できないという誤った情報に基づいているため、間違いである、といいます。
構築に使用される花崗岩、玄武岩および石灰石のブロックの輸送は、氾濫期にのみ行われましたが、建築作業そのものはこの季節に限定されず、一年を通して行われました。ピラミッド本体を構築するのに使われたブロックは、ギザ台地そのものから切り出されているのです。
ピラミッド建造者たちの墓の発見は1990年、
壁の南に位置するネクロポリスから10メートル向こうにあった日干し煉瓦の構造に、馬がつまずいたことから起こりました。
ネクロポリスは傾斜路によってつなげられる二つのレベルからなります。それらは異なる形とスタイルをもった墓にわけられます。いくつかはピラミッド型で、それ以外はアーチ型の天井をもち、偽扉を含んでいるものもあります。
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うわあ、これはすごいですね!
上エジプトと下エジプトからそれぞれ連れてきていたんですね、
当たり前といえばそうですが、こういう風に証拠が残っていて、明らかになっていたとは知りませんでした。
アーチ型は原始の丘の意味があったんですか……。
メンフィスの信仰とか、ぜんぜん勉強不足です。ヘリオポリスのものとは違ったのかな。
とても興味深い記事でした。
他にも情報があったら、また載せます。