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●ルーブルとの和解
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金曜、パリのルーブル美術館はTetikyの墓から盗まれた5つの部分を今週中に返すと発表し、私はとても嬉しく思います。この話は、世界中すべての博物館が盗品を買わないようにするための教訓になったと思います。
Tetikyの墓はテーべの15号墓で、ルクソールの西岸、ドラ・アブ・エル=ナガと呼ばれる地域にあります。Tetikyは18王朝時代の貴族で、その墓は彼の来世への旅を描く美しい壁画を含んでいました。
この墓ははじめ、1925年のJournal of Egyptian Archaeologyに デイヴィスによって記録されました。2008年、ハイデンベルグ大学のエジプト学調査隊が墓を調査し、幾つかの部分が壁から切り取られたことを知りました。1975年のスライドは完全な状態の壁画を示していたため、われわれはそれらが1980年代のいつかに持ち出され、ヨーロッパの個人コレクションに売られたのだと考えました。
ルーブル美術館は、2000年にマリアンヌ・マスペロの収集から4点、無名の収集から5つめの部分を得ました。
2008年5月、ハイデンベルク大学のエヴァ・ホフマン博士はルーブルのコレクション内に5つの、TT15の壁画部分があることを知りました。彼女の調査チームはSCAに、TT15から失われた壁画部分がルーブルのものと一致することを知らせました。
2009年1月、SCAは、これらの部分はエジプトから不法に持ち出されたので、返されるべきであるという証拠をルーブルに示しました。ルーブル美術館の職員は、返却したいが、科学委員会やフランス文化省の決定が必要であると言いました。この過程は何ヶ月も長引き、何の処置も講じられませんでした。
ルーブルがサッカラでの発掘を継続するための許可を申請したとき、私はその発掘を保留せざるをえませんでした。なぜなら、盗品を所持するいかなる組織も、エジプトで作業させるわけにはいかないからです。
ルーブルは、その品が盗品であることは知らなかったと主張しましたが、職員が壁画を適切に調査していたならば、これらの部分の出所が不法であると知れたはずです。
先週の金曜、35人の専門家による特別委員会がひらかれ、ルーブルにそれらの品を返すよう推奨しました。フランスのサルコジ大統領も、エジプトのムバラク大統領に電話し、ルーブルが6日以内にその品々を送るであろうことを伝えました。
それらの部分が戻されたときには、私はカイロ博物館で記者会見を行うつもりです。われわれは墓と壁画の部分を調べ、それらを元の場所に戻すことができるか確認するつもりです。もしそれが叶わなければ、その壁画を建設中のグランド・エジプシャン・ミュージアムに展示するでしょう。
部分が戻されたとき、私は喜んでルーブルとの考古学的関係を一新し、彼らのサッカラでの発掘調査の再開を許可するでしょう。
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ザヒ博士側からの記事ばかりですみません。
とりあえずどうにかおさまりそうで安心です。