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●王家の谷、多くのなぞ
http://weekly.ahram.org.eg/2009/941/he2.htm

 少し前の記事ですが。

***

 ルクソール西岸の王家の谷における最近の発見は、最も興味深いエジプト考古学の遺跡のひとつに関する理解を変えてきています。


 王家の谷は世界で最も価値があり、もっとも魅惑的な遺跡のひとつです。
 1922年に、ハワード・カーターがツタンカーメンの財宝と墓を見つけたというのもここで、おそらく考古学の史上最もセンセーショナルな発見でした。
 2005年、合衆国のメンフィス大学のチームが、ツタンカーメン以来となる新しい墓を発見し、26の王の墓を含めた63の墓が知られるようになりました。
 ところが、探索家や考古学者たちが数世紀かけて王家の谷を探索しているにもかかわらず、エジプト人による発見はひとつも、いまだ成し遂げられていませんでした。
 しかし、それは過去のことで、
 去年音のはじめ、全員エジプト人の考古学代表団が初めて王家の墓で作業を行い、発見の新しい一部分を開きました。
 チームは最近、遺跡を取り巻くいくつかのなぞを解く手がかりとなる、いくつかの重要かつ改革的な発見をしました。

 いくつかの重要な発見はここで、19世紀と20世紀のうちになされましたが、王家の谷に埋葬されていると思われるがいまだ発見されていない、多くのファラオや王族たちがいます。
 ラムセス8世、トトメス2世、第18王朝の王妃や王子の眠る場所は、いまだ知られていません。

 「この谷にはまだ多くの発見すべき財宝が残っています」発掘チームを率いるSCA局長ザヒ・ハワス氏は言います。

 チームによる発掘作業は、この谷の三つの異なる地域に焦点を当てています。
 ひとつは、メルエンプタハとラムセス二世の間、中央の谷の北側。
 二つ目はツタンカーメンの墓の南側。
 そして三つ目は、谷の西側、アメンヘテプ三世とアイの墓のある地域です。

 ラムセス二世とメルエンプタハの間にある崖の地域は、人工的な排水路――おそらく周辺の王家の墓への水害から守るのに役立った――が見つかっています。
 崖のふもとにある人口の壁近くに積み上げられた石の塊に沿って、収集域に流れ出るようになっていて、
 それは古代からずっと王家の谷をあふれさせてきた、高位砂漠よりくる時々の雨からの保護をもたらしました。
 ザヒ博士は、この路がおそらく、オストラコンに言及されていた聖なる木がかつて育ったとされる地域であり、「神々の涙」が集められた場所である、といいます。
 チームが、おそらく水や食物を入れるのに使われただろう石の洗面器を見つけた、小さな地域――この路を外れたところにあてがわれていた――は、おそらく労働者たちの休憩所だろうといいます。

 谷の道の部分、ツタンカーメンの墓の南側では、チームは小さな石の遺構を見つけました。
「これらの建造物はおそらく貯蔵、たぶん防腐処理の素材か食物や他の供物に使う道具のために、使われたでしょう」と博士は示唆します。
 チームはまた多くの労働者の小屋(ハワード・カーターによって識別されたが、発掘されなかったもの)や、墓の南側の岩を切り崩して作った洞窟をも見つけました。
 「この洞窟は、おそらく労働者の避難所として使用されました」
 博士は発掘地域が、南東はKV63から北東はKV55までのアマルナ時代の墓に近いことも加えました。
「たとえばネフェルティティのような、重要な彫像が出ることがあるとすれば、アケトアテン(アマルナ)の都が放棄された後に、王家の谷に再び埋葬されるようになったとすれば、彼らの墓はこの地域にあるだろうということはあり得ます」

 代表団はセティ一世の墓の北側と東側でも作業をしており、
 そこでは現代のレストハウス真下の岩盤を掘った跡が確認されていて、それは未知の墓へとつながっていると考えられています。
 不運にも、博士の指摘のとおり、この地域を調査するために全建物が撤去される必要があり、またすぐにそうすることはできそうにありません。
 中央の谷でのレーダー探索は最近実施され、多くの興味深い地域が識別されました。
 より詳しいデータ分析によって、考古学の調査を保証する特徴が明らかになるかもしれません。

 今まで知られていなかった多くの落書きが見つかりました。
 ひとつのユニークな例が、大臣であった父アメンナクトのためにセト-マアトおよび「トトの場所」として知られる場所に墓を建てた、という大臣・ウセルハトのものです。
 銘文はこれまで知られていない女王の名前(はじめの部分が「Weretウェレト?」と読める)に言及します。
 この女性は「神の妻」の肩書きを持っています。これは第18王朝の早期に始まった、王家の女性によって取り仕切られた宗教的な職務を示します。
 女王が供物を提供している様子を描いた、美しい彩色オストラコンも、ラムセス二世とセティ一世のカルトゥーシュと共に発見されました。
 新王国時代に位置づけられる、いくつかの美しい彩色陶器のかけらもまた発見されました。 
 
 ワジ・アル=Quroudまたは「猿の谷」として知られる西の谷、アメンホテプ三世とアイの墓のある場所では、代表団はティイ王妃の墓を見つけようと、発掘を続けています。

 ティイ王妃は、アクエンアテンの母であり、アメンヘテプ三世の妻で、アイの姉妹であった、と博士はいいます。
 彼女が王家の墓に埋葬されたとすれば、彼女の墓は彼女の夫の近くに彫られただろう、そしてもしアイが実際彼女の兄弟であれば、それはなおさら彼女の墓が彼の近くであると思える、といいます。
「この地域のでどんなものが発掘されるのかを見るのは、とても面白くなるでしょう」
 

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あやめゆうき
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心はイウヌ在住。ラー神信者。

 古代エジプトについて趣味で勉強中。
 正式にはまったく学んだことのない、完全な素人です(笑)。
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 突込みなどは、喜んでお受けします。勉強になります。

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