古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●カルガ・オアシスで第二中間期ごろの遺構を発見
http://www.drhawass.com/blog/press-release-new-settlement-discovered-kharga-oasis
テーベと西部砂漠を結ぶ古代の道を調査中の
エール大学の調査隊が
カルガ・オアシスでかなり大きな遺構を発見したそうです。
そのあたりで発見されている主な遺物を千年もさかのぼるものだといいます。
遺構は南北1km、東西に250mの幅で、
第二中間期(BC1650~1550)ごろのものだそうです。
ナイル渓谷から西部砂漠と、西スーダンのダルフールを結ぶ、キャラバン隊がせわしなく行きかう道に広がっていて、
考古学的な証拠から、それはこの一帯の集落の行政中心地の一部で、住民は大規模なパン焼き場で仕事をしていたということです。
調査隊は発掘中に、行政の日干し煉瓦建造物の遺構を発見したようです。
部屋と広間のある建物の構造が、ナイル渓谷の各地で今までに発見されている行政上の建造物と似通っていたため、
遺跡はこの居住地の行政中心部に設けられた監視所だったかもしれないとのこと。
パン焼き場が、二つのオーブンと、陶芸用のろくろ(パンを焼くためのセラミックの型を作るための)などと一緒に発見されています。
その外側にあるゴミ捨て場の遺物から、この居住地では食料を余剰生産しており、おそらく軍隊の食糧をまかなっていただろうことがうかがえるそうです。
この居住地は中王国時代に始まり、新王国時代のはじめまで続いていたと思われる、とのこと。
最も栄えたのは、中王国時代の終わりから第二中間期ごろだろうということです。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/08/25/AR2010082501576.html
「第二中間期はファラオが、北からはアジアの侵入者ヒクソスに、南からはヌビアの王国に挟まれていた期間であるため、オアシスとその貿易ルートはエジプト王国存続の鍵となった可能性がある」
オアシスを通り、スーダンのダルフール地区とナイル渓谷、さらには古代パレスチナおよびシリアを結ぶこの長大な行商路は、
らくだが使用されるより少なくとも千年は昔から、
ロバを使ってワインなどのぜいたく品が運ばれていたようです。
1. 交易路ですか!
わあ、この記事気付いていませんでした。
テーベからカルガオアシス経由でダルフールですか!
西部砂漠の隊商ルートがあることは知っていましたが、もっと小規模なものだと勝手に想像していました。余剰食物まで生産していたとなると、かなり大規模なオアシスの町だったんですね。
>エジプト王国存続の鍵となった可能性がある
ここまで言われるからには、テーベ⇔ダルフール間で交易があったということでしょうか。テーベ王国にとってかなり重要な位置づけになるのかもしれませんね。
とても興味深い記事を上げていただき、本当に有難うございました!
Re:交易路ですか!
>余剰食物まで生産していたとなると、かなり大規模なオアシスの町だったんですね。
ほんとうに! でも新王国時代にはなくなっちゃうなんて、どうしてだろう?なんて、ちょっぴり素朴な疑問、です!
>>エジプト王国存続の鍵となった可能性がある
>
>ここまで言われるからには、テーベ⇔ダルフール間で交易があったということでしょうか。テーベ王国にとってかなり重要な位置づけになるのかもしれませんね。
そうですよね……証拠が見つかってるのでしょうか。
いやもう、私この辺は(いやこの辺だけではないですが)ほんとう勉強不足で……コメントいただけて、勉強になることもあって、とてもありがたいです!
また気になる記事があったら、あげていきます! ありがとうございました!