古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
英語の勉強のつもりなのですが。
時間がかかるので遅くてすみません。
●ルクソールで墓の『再』発見
今度はベルギーのチームが
ルクソールで、数十年前に砂に埋もれた墓を再発見した、とか。
アメンヘテプの墓(代理人(??)、センネフェルの義理の息子、トトメス三世の印章持ちの監督者?)のものらしいです。
はじめに、1880年後半にスウェーデンのカール・ピエール?によって発見されたが、
後に砂に埋もれてしまった。
ほとんどの壁の碑文はひどく破損しているが、天井は良好な状態なのだとか。
ザヒ博士のサイトでは鮮やかに残る天井の模様が写真で見れます。
http://drhawass.com/blog/press-release-lost-tomb-rediscovered
18王朝に特徴的な幾何学的なモチーフの図柄、だそうです。
南北の軸に交わる古典的なT字型の墓で、6本の柱の列で分割されている、と書いてます。
交差軸の南側は古代に崩壊してしまい、瓦礫で埋まっている、とのことです。
それで、えーと。
天井に、模様以外にもヒエログリフが書いてあるみたいです。
墓の所有者の名前や系図を知らせてくれるもののようです。
そこには、
アメンヘテプが印章持ちの副監督、アハメスの息子、アメンとネヘフ(?)の牛の管理者と書いているそうです。
彼の妻はRenenaで、「センネフェルの印章持ちの監督」の娘、となっています。
センネフェルの墓(TT99)は1922~2002にケンブリッジ大学の調査チームによって発掘されましたが、
そこから「代理人(アメンヘテプ=記事の墓主)にささげられた」彫像が出土したそうです。
砂岩でできたもので、保存状態が良く、カイロ博物館の2002年の目玉として展示された、ということです。
●セティ一世の秘密のトンネル
http://drhawass.com/blog/mysterious-tunnel-tomb-seti-i
面白い記事があります。
発見らしいものとは言いがたいのですが、記事が面白くて。
ザヒ博士の元同僚に、大泥棒の末裔みたいな人がいて、
その人が、セティ一世の墓には、本当の墓に通じる秘密の道がある、と教えてくれたらしいのです(だいぶ前のことみたいです)。
その人はがんばって掘っていたらしいんですが、途中で許可がおりなくなって、それを「偉くなったら続きをやってくれ! 絶対にあの先に、墓があるはずなんだ!」と。
なんだか漫画みたいですよね(笑)。
ザヒ博士は、あんまり当てにしていなかった(もちろんセティ一世の墓は空で、本当の墓はまだ見つかっていない可能性があるとは思っていた)し、そこからは重要なものが何も出てこなかった、と。
でも、最近になって、もしかしたらこのトンネルはアビドスにあるセティ一世のオシレイオン(オシリスの象徴的な墓)と同じ役割を持っているのではないか、と考えた、と。
それで、2007年からこのトンネルの調査を始めたみたいです。
かなり中は危なくて、いつ天井から石が落ちてくるか(っていうか落ちてきて怪我したそうで)という感じみたいです。どうにか、専門家を連れて、補強してもらいながら掘っているみたいです。
そこで、なんと、19世紀のシャブティや王の名を刻んだらしい石の破片とか、ちょこっと出てきたみたいです。
わ、なんかある!って感じですよね。
でも、今ちょっと難しい問題があって、なかなか進めることができていないようです。
先に何があるのか。
何か残っていなくても、何かが分かるはずですよね。今から楽しみですね!
●KV63からのレポート
個人的にはこれが特に気になります。
KV63は、王家の谷王墓63号のことで、
KV62(ツタンカーメン王墓)の南端から14.5メートルのところで2006年2月に発見されました。
王家の谷で墓が発見されたのは、1922年(ツタンカーメンの発見)以降初めてのことだそうです。
今頃取り上げる形になってすみません(汗)。
オットー博士の発掘日記より。
http://www.kv-63.com/home.html
フォトページが豊富です
で、今回
エジプトロジーニュースに載っていた記事は、
ここの2/29付けの記事で、
主に、2006年に棺の中で発見された、タオルかマットのような織物についての調査報告になっています。
「pile積み重ねた?」織物…とありますが、
ちょうど私たちが使うマットのように、布地から糸が輪っかになって伸びたものがたくさんついてるようで(突き出すように編んだのか、あとでつけたのか?)、
そこで水分などを吸収するような構造になっている、と。
同じようなものが、デル・エル・メディナのカーの墓(ベッドの上におかれていた)やデル・エル・バハリの第11王朝の墓、同じエリアの戦士の大衆墓などで見られます。
実際のサイズははっきりしないけれど、腐食の量から判断して、少なくとも1平方メートルはあったと考えられているようです。
以下のページの上にある写真が、それです。
http://www.kv-63.com/photos2009.html
あれ。
NHKが秋に特集組んでくれるのか??
トリノ・エジプト展にあわせて特集を組むのかも。
考えてみれば、そういう理由で、いろいろエジプト番組やってくれそうですよね!?
うわー、楽しみになってきた!!
高速道路がギザ遺跡のあたりにできるとかできないとか、
ネフェルティティ返せとか、
今日もいろいろあります。
そのうち、繰り返しになりますがひとつだけ。
●トリノ王名表・続き
http://dsc.discovery.com/news/2009/02/27/egyptian-papyrus.html
新たに発見されたいくつかの断片が、一世紀昔のパズルを解き、古代エジプトの歴史に光を当てるかもしれません。・・・
「これは、第1王朝から第17王朝の間の年代順を再構築するために最も重要な文書のひとつ」
と、トリノ美術館のエジプト学者、Federico Bottigliengoは言います。
はじめ、48ほどの破片は、フランスのエジプト学者シャンポリオンによって集められましたが、
後に、さらに100もの破片が、ドイツとアメリカの学者、Gustavus Seyffarth によってくっつけられました。
最も重要な復旧作業は1938年、Giulio Farina(美術館のディレクター)によって行われましたが、
1959年には、イギリスのエジプト学者ガーディナーが、新しく発見された破片を含めた異なる配置を提案しました。
こんにち、160もの破片からなるトリノ王名表は、根本的にはじめと終わりの二つの部分が欠けています。
「数人の、高名な学者が前世紀にこのパピルスを研究したが、再構築についての意見の不一致が残っている」
Bottigliengoは言います。
「終わることのないパズルになっている」
「王の列挙は17王朝以降続いていない。回復した破片は、古代エジプトの歴史や年代順についての新しい知識を加えるとともに、いくつか無くなった破片を再現する助けになると、我々は確信している。」
「いくつかの日付が変更されなければならなかったり、ファラオの名前が加えられたりすることもあり得る」
と、Bottigliengo氏。
・・・略。
テーベで見つけ、箱に入れて~とあったので、
ひとつのパピルスを丁寧に、長細いのに入れて保管したたんだな。と想像していましたが(そして、なのにどうしてぼろぼろに?と思ってました)、
Placed in a box along with other papyri
ということなので、でっかいのにまとめて入れたのかもです。
移動中にゆれたりしたのでしょうね……。
もうひとつ。
ラムセス二世の治世から~と前に書きましたが、間違ってますよね。すみません。
第1王朝からって書いてます……。
ラムセス二世のくだりは、「この王の長い治世のうちと思われる日付を含む」
かな?
ラムセス二世時代(第19王朝)に書かれたと考えられている、ということでしょうか。
日本で情報が出ない? ので
もしかしたら過去の情報!? と思っていたのですが、
時事通信社から報告あったみたいで…26日に。
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%a5%c0%a5%cf%a5%b7%a5%e5%a1%bc%a5%eb%a1%a1%a5%a8%a5%b8%a5%d7%a5%c8&k=200902/2009022601075
エジプトロジーニュースにも出ました。
Reuters Africaより
3300年前のものらしいです。
ラムセス時代=新王国時代以降、もう少し最近かも、ということで…。
ウシャブティから分かった名前が「Tut Bashu」=「トゥト・バーシュウ」?となっていますが……。
シュウ神の魂の像、でしょうか??って勝手に想像。
もう一人が「Ari Saraa」=「アリ・サラー」。
アリってなんだろう。後ろはラーの息子、ですよね。多分?
碑文の書かれたほうの棺の写真、見たいですよね……。
ファックスで伝えられたということなので……週明けに出るかなあ。
****** その他の情報
●サッカラ葬祭様式の発見
画像があるのですが、去年の発見物と思います、多分。しかも小さい!
http://en.naukawpolsce.pl/palio/html.run?_Instance=cms_naukapl.pap.pl&_PageID=1&s=szablon.depesza&dz=archeology&dep=359284&data=&lang=EN&_CheckSum=1086733491
ワルシャワ大学の地中海考古学センターは、
昨年、古王国時代の墓の準備の手順を理解するのに役立つような、壮観な発見をしましたが、
ジェセル王の階段ピラミッドの西、約150メートルほどの区域で、今年、さらに葬祭儀式の新しい様相を発見したそうです。
発掘は1987年に開始されましたが、そこは他の考古学者が手をつけていないところだったそうです。
そんなわけで、まさか何か見つかるなんて思われてなかったようです。
(こういうの聞くと、ツタンカーメンと結びついちゃうのは私だけ??)
1987年に地球物理学の検査が行われ、砂の下に多くの人工物があることが分かり、今までにだいたい2400平方メートルが調査され、
そこには古王国時代(紀元前2686~2160年)の大規模墓地と、2000年後の、プトレマイオス朝(前332~30年)の墓が存在すると確証したそうです。
科学者はアレクサンドロス大王の遺体が、最終的にアレキサンドリアに行くまで、サッカラにしばらく埋められていたのではないかと考えており、これは新しい大規模墓地の生成について教えてくれそうだ、ということです。
古代エジプト文明のはじめから、人々は神の顕現であった王のそばに埋葬されることを願っていました。
エジプトの高位高官の墓は二部から構成されていて、
地下へは、約20メートルほどの深さのシャフトで到達でき、
そのシャフトの底には、ふつう、西側に棺の置かれた埋葬室が切り開かれている、と教授は言います。
加えて、裕福なものは石の棺で、そうでなければ木か葦の棺であるとも言いました。
埋葬室に通じるシャフトは安全のため砂で隠され、マスタバで覆われていた、ということです。
●シナイのトルコ石の女神
古代エジプトで愛されていたトルコ石。
シナイで取れていたことは有名ですよね。
そこの女神といえばハトホル様! ということで、記事に食いついてみました。
記事の内容は、
今シナイの辺を発掘中だよ、という内容でした。
古代エジプト人は採掘時に、山をけずって王座に座るファラオの図を刻んで、権威を示したそうです。
銅とトルコ石の貿易が盛んだった12王朝にはハトホルの神殿が建てられた、とあります。
シナイにある王の記念碑には、採掘開始の日時や労働者数などを刻んだ浮き彫りが数多くあるそうです。
●ビデオ「エジプト財宝の発見」
2分強。
最近の発見について。
シェムウ季(古代エジプトでの収穫期)に入って。
……涼しくなるので、発掘に最適なエジプト。
発見の情報が目白押しじゃないですか!!
今回はザヒ・ハワス博士のサイトから。
●ダハシュールにて、木棺やウシャブティが発見されました!
↓画像付き。ウシャブティはキレイで、木棺は……欠けているけど絵がびっちり。すごい!
http://drhawass.com/blog/wooden-coffins-and-ushabti-figurines-found-dahshur
ギザ台地の南にある大規模墓地、ダハシュールにある、
ラムセス時代のタァの墓(?でいいのかな)北部の未確認墓内部で
人型木棺が4つとカノプス壷3つ、そしてウシャブティが4つ見つかりました。
なんと早稲田大学のプロジェクトチームによる発見だそうですよ!
なんだか誇らしいですね。
ザヒ博士によると、
棺の中は略奪者のせいで空だけど、棺の外があるので、元の特徴が完全なままだとか。
ラムセス時代かそれより後のものじゃないかと考えられています。
棺は2セットに分けられ、
どちらも、黒い樹脂で覆い、黄色で銘文が描かれていますが、
それぞれ今まで知られていない二人の人物、
Tutpashu(トゥトパシュウ?)と Iriseraa(イリセラー?)に属している、とのこと。
吉村先生(このチームを率いてるのは吉村先生でした)によると、
はじめの(トゥトパシュウのほう?)は「所有者本人と、古代エジプトの神々についてのイメージ」が伝わってくるものだといいますが、
もうひとつは、よりシンプルな飾りしかないということ。
写真は前者でしょうね……。
名前はカノプス壷と木製のウシャブティボックスにあたようです。38箇所以上壊れちゃってるそうですが。
日本のほうではニュース出るでしょうか。
この、ザヒ博士のサイトトップの画像が一番興味深いです。
小さすぎるけど…。神様いるよ~!
今日もエジプトロジーニュースから。
早くて話題が3日前(苦笑)
●ギザで古王国時代の王像が見つかりました!(火曜)
写真二枚掲載されてます。↓
http://uk.reuters.com/article/scienceNews/idUKTRE51N3W820090224
ギザの三大ピラミッドの一番小さいものの北側(メンカウラー王)で、等身大の王の座像が発見されました。
砂漠の表面近くに埋まっているのを発見したそうです。
約145センチの、珪岩(?赤っぽく見えます)でできた像で、
肩までの長さのかつらをつけ、シンプルな椅子に腰掛け、右腕をひざの上で握りしめ、何か道具を持っています。左手はももの上に載せています。
ただ、肩や胸や腰など多くに割れ目が入っていて、顔の特徴も磨り減ってしまっているそうです。
彫像の頭は、地下たった40cmのところにあったといいます。
像にはなんの銘文もなく、識別するのが難しいそうですが、スタイルからして古王国時代の早期、それも、メンカウラーの時代(第4王朝)と近い可能性があるとしています。
だいたい4500年前、ということになってます。すごいですね!
●トリノ王名表パピルス(トゥーリン・キャノン)つづき
↓基本的なことが書いてありました。ちょっと勉強してきました。
http://egyptian-history.suite101.com/article.cfm/new_fragments_of_the_turin_king_llst
前回は、勝手に博物館のせいにしてしまってすみません(笑)。
発見時は完全で、ヨーロッパに持ち込んで箱を開けてみたらボロボロだった、ということらしくて、
ここのせいではなかったそうで(汗)。
ボロボロになっちゃうものなのでしょうか……。うう。
ボロボロの破片は、今でもどれがどの部分か分からず、不確かな部分が多いようです(ほんとボロボロですもんね)。
他のものとつき合わせて…とやっているようですが、でも、意見の不一致とか、まだあるみたいです。
ガーディナーのメモした部分がいくつか欠けていたことを知り、捜索し復元中ということです。
今後大英博物館に移し、高度な技術で保存される予定なのでといいます。
そうすれば、不確かな部分もはっきりしてきて、また新たな「発見」があるかも、と期待されています。
常識が覆ったりするかもですが、でも、ぜひ明らかにして欲しいですよね。
それにしても、大英博物館、いいもの揃いますね~……。