古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●サッカラで新しい発見
http://drhawass.com/blog/press-release-new-discoveries-saqqara
****
エジプト文化大臣ファルーク・ホスニは、サッカラの階段ピラミッド南側で保存作業を行っていたエジプトの考古学者たちが、動物や鳥の遺物で埋められたと考えられる深い穴を偶然発見した、と発表しました。
またその穴の底は、石膏の層で覆われているということが分かりました。
ザヒ博士は、チームがジェセル王の南の墓で復旧作業を行っている間に、大量の金の破片を発見した、と述べました。
それらはおそらく後代の古代エジプト人に、木製の棺かカルトナージュ棺を装飾するのに使われたと考えられます。
そのほか、一つが5トンほどもある花崗岩のブロックが30も見つかっています。
ザヒ博士によると、これらのブロックはかつてジェセル王の木製の棺――王のミイラの最後の休息場――を納めていた花崗岩の棺に属している、と説明しました。
ピラミッドの内部廊下を洗浄しているうちに、チームはさらに、ジェセル王の娘の名が刻まれた石灰岩のブロックをみつけ、同様に、木製の道具、木製の像の遺物、骨の破片、ミイラの遺物、また異なるサイズの粘土容器を発見しました。
****
うわああ。すごい!
カルトナージュ棺?? 分かりませんが、一番上の写真、復元されるといいなあ……(復元されるほどは発見されてないかも)。
右側の石灰石が、「ジェセル王の娘の名が刻まれた」ものなんですね?
娘なのかあ……。とにかくジェセル王の名前にしか目がいきませんでした(目立つもの!)。
左にあるのがそうなのかな。二女神がいるくらいしか分からない……。
あ、ネスウトとサアもあるかな?
じゃあ上のtはサアにかかるのかな? それともここは関係ないかも?
右にウアス杖があって、傾いているので、「何が」持ってるのかな、とか。そんなところが気になったりです……。
石膏のそうはまだその下を調べていないのでしょうか。
石膏といえば、その下になにかが埋まってる可能性大ですよね……。
復旧作業や保存活動の中でも、発見が次々あるのは、すごいですよね。
久々のニュースです!
●ルクソール西岸で新たな墓を発見
http://drhawass.com/blog/press-release-new-tombs-found-luxors-west-bank
***
ファルーク・ホスニ文化大臣は、
ザヒ博士(SCA)率いるエジプトの発掘チームが今日(2009.6/17)、第18王朝の墓をルクソール西岸の埋葬地帯ドラ・アブ・エル=ナガで発見した、と発表しました。
ザヒ博士は、
新しく発見された墓が「猟師の管理人アメン・エム・オペト」であり、日付がアクエンアテンの治世(1372-1355 BC)の直前に位置づけられると述べました。
また、この墓の北西に装飾のない入り口がさらに2つあり、
最初の庭で「アメンの聖牛の管理者アメンヘテプ・ベン・ネフェル」の名を伴う7つの葬祭シール(封泥?)が見つかっています。
一方、第二の庭では「王の伝令士?そして王宮の管理者エケ(Eke)」の名を伴うシールが発見されました。
さらに、未確認のミイラの断片的な遺物が、ファイアンス製の陶器ウシャブティと一緒に見つかりました。
****
続報が楽しみです。
ファイアンス製のウシャブティ、なんか小さいです……下が切れてるし(涙)。
でも表情がいい! 癒されそう(笑)。
●謎めいたオシリスシャフト
http://drhawass.com/blog/mysterious-osiris-shaft-giza
ギザのオシリスシャフトについてが書かれています。
以下、一部要約で。
***
このシャフトが発見されたのは、1945年、エジプト人考古学者Abdel Moneim Abu Bakrによってでした。
ギザのカフラーの参道の下を南北に走る小さなトンネルの中に、水で満たされたシャフトが見つかったのです。
彼はすぐに、その奥に多くの部屋があることを調査で明らかにしましたが、それを発掘したり、公表したりしませんでした。
長い間、このシャフトは現地の労働者が水を飲んだり、泳いだりするのに役立ちました。――地下水で満たされていたため、考古学者たちは調査できなかったのです。
われわれが入れるほどにこの水を減らすというのは、偉大な試みでした。
この地域の高い水位が問題でした。そこで、技術者Esmail Osman に頼み、この水を汲み上げてもらったのです。
ただし、そうすることでシャフトを不安定にし、崩壊してしまうという恐れもありました。そのため、日付を記した石膏の片を、壁の小さな割れ目にさえ置かれるべきと考えました。もし割れ目が拡大し始めれば、石膏は壊れて知らせてくれるからです。
水をくみ出し、発掘を進めるとともに、驚くべきものを発見しました。
深さ10メートルほどで、8.6×3.6mの広さを持つはじめの区分に到達しますが、われわれがそこに入ったとき、そこは空でした。
第二の竪穴は部屋の北部にあり、さらに13.25m下ると、6.8×3.5mの部屋に繋がっていました。そこは六つの小部屋に囲まれ、さらに下にくだる竪穴のために凹になった部分がありました。
六つの小部屋のうち三つには、第26王朝のスタイルの石棺がありました。その棺のうち二つには人間の骨を含みます。
われわれはさらにこの階で、後世のシャブティや陶片を発見しました。
また、主要な部屋の南東に凹部があり、そこから三つ目の竪穴がさらに下にくだっています。
そこを8メートルほどくだると、9メートル四方の最も底の部屋へとたどり着きます。
この、最底部の部屋はもっとも興味深いものです。
この部屋は、中央にある長方形の据え付けがそのほとんどを占め、部屋の角に正方形の柱が残るようにして、岩を削ってつくられました。
部屋の壁と中央の据え置き物の間に残されたスペースは、一種の水路を形作ります。その水路は部屋の入り口で途切れており、床はそれより高い位置に、中央の据え付けに繋がるように残されています。
こうして、この水路がヒエログリフのサイン「pr」――「家」を意味する――を形作るのです。
据え付けの中心に、黒い玄武岩で作られた大きな棺が置かれています。その石棺には、骨の遺りと、後世の護符がいくつか見つかりました。
驚くべきことに、われわれはそこで、おそらく第6王朝に遡るだろう、紅い地に白の彩色を施した磨き上げられた陶器を幾つか発見しました。
このシャフトがかつて王の埋葬に使用されたという証拠はありません。それはオシリス(あの世の神)のための象徴墓としてつくられたと、私は確信しています。
一番底の、据え付けを含む水路は、中心の据え付けを一種の島にして、地下水がそれを満たすように、故意に設計されたように見えます。この配置は、中央の島を原始の丘とみなすことで、創生のときに世界を覆っていたヌンの原初の水を表現していると考えられます。
水は、さらに、オシリスが肥沃と再生とに結びついていることを象徴します。
大きな棺を備えた中央の据え付けと、四つの角にそれぞれ備えられた柱
(おそらく後世のテキストに描かれているような神の聖なる四脚を表現しているのだろう)は、アビドスにあるセティ一世のオシレイオン(オシリス神の別の象徴墓)の配置と非常によく似ています。
後の時代に位置づけられる埋葬は、おそらく死後、あの世の神オシリスに近づきたいというエジプト人の願いを反映しています。
私は、このオシリス・シャフトが、
ギリシアの著者、“歴史の父”ヘロドトスによって、
クフ王の埋葬について、王の墓は大ピラミッドの影に位置し、ナイルからの運河で供給された地下の埋葬室の島に葬られたと書いた、まさにそれであると信じます。
その昨日と日付は正確ではありませんでしたが、ヘロドトスはオシリス・シャフトについて記述していたに違いありません。オシリス・シャフトは、そこで(多くの後世の遺物とともに)発見された物のうち最も古い人工物が第6王朝に属するために、クフの治世より後に出来た可能性が高いのです。
私が記録してきたとおり、発掘を通じて私は、これはヘロドトスが主張したような王の墓ではなく、オシリス神の象徴墓を表現していると明言することが出来ます。
このシャフトの興味深い特徴の一つは、
一番底の位置の北西の角から狭いトンネルが延びていることです。
このトンネルは、入り口部分に小さい子供がやっとは入れるくらいの大きさしかありません。そしてその向こうは、泥に満たされていっています。
1991年、私はそこを調査するために少年を送り込みました。少年は、その細い彼の身体でさえ入れなくなる狭さになるまでの、たった5mしか進むことが出来ませんでした。
2008年11月、TVプロデューサーRichard Reiszが、この小さなトンネルの調査を継続するために、内視鏡カメラをSCAに供給しました。この調査で、内視鏡カメラは10メートルまで進入することが出来ましたが、その先は泥が埋まっていました。
12月、チームは二人の有志「rovers(放浪者?)」としてカメラを携えて戻り、トンネルをさらに奥まで進みました。
約6.5mのところで、チームはトンネルの分かれ道を発見しました。先が狭すぎ泥だらけで行けなくなるまで、チームのカメラは分かれ道へ10.5m進入させることが出来ました。
チームはまた、確信を持っていうことは出来ませんが、分かれ道の終点と思われるところに、全長が約21メートルほどのメイン・トンネルがあることを見つけました。
私は、さらにもっと高度なロボット(前の機械が止まることを強いられたポイントを過ぎて調査を進められるもの)を設計するために、日本のチームと連絡を取りました。
2009年6月9日火曜日、われわれは新しいロボットをトンネルに送り込む作業を開始するでしょう。なぜトンネルがこのように深く掘られたのか、その理由を明らかに出来るだろうという希望をもって。
*****
6/9……ちょうど先週なんですけど!!
今やってるということなのですね。どんな結果が出るのか(結果は出るのか?)、楽しみですね!!
日本が関わってるのですから、何か発表があってもいいと思うんですが……調べたら出るかなあ……。
◆オシリス・シャフトに関する写真の載っているページ
(日本語のサイトです。)
http://www13.plala.or.jp/rameses2/2005osiris.htm
『「太陽の哲学」を求めて』-エジプト文明から人類の未来を考える-
梅原猛・吉村作治 PHP研究所
前記事=http://siryoumemo.blog.shinobi.jp/Entry/81/
読み終わりました。
一言で感想を言うと、こうです。
ああ、やっちまった……。
どうやら、梅原氏の疑問について、吉村氏が答えていく、という形を取っていたようで、
梅原氏の、「一神教が今の社会を作った。一神教の考えはよくない。だから、原点(エジプト)に戻って、自然を崇拝しろ」と。
私の苦手な思想に帰結します。
梅原氏が、アクエンアテンやモーゼの出エジプトにこだわっている辺りから、もう、「ひえー」って感じで……。
前の記事に書いたとおり、自分はその思想が苦手なのです。個人的に。
一神教の「元」という観点でエジプト宗教を語るとき、重要なのはアクエンアテンの改革と、そしてイシス女神。
マリアの崇拝はイシスから来た(これはよく言われていることですよね)。一神教を初めてやったのは古代エジプト人だ。だから、エジプトはすごい! と、こうなる。
エジプトの、他の神々の役割や重要性は、一切無視です(あったとしてもラーやアメン、プタハくらい)。それでエジプトはすごい、あのときのように自然を崇拝したら現代はよくなる、って言われても……。
実は、自分のサイトで、吉村先生の本を紹介していないのは、読まないからです。
というのは、どうも、先生の考えが自分と合わない。これは、仕方ないと思うのです。
理由はもうひとつあって、
現役の考古学者で、当然、自分なんかは及ばない(比べるのもおこがましいですが)知識がたくさんあって、すごく活躍されているのですが、そういう知識について触れられる吉村先生の本って、あんまりないような気がして(って、数冊そうだったので、もう諦めたというだけですが)……。
どうも、口述筆記が多いような気がするんですよ……。
この本もそうですが、そうなると、色々(ちゃんと確認していないから)間違えも、当然、出てしまうと思うのです。
自分のように、それが正しいかどうかをちゃんと判断できない人間にとっては、知識を得るものとして、ちょっと、怖いのです。
まあ……あれです。
私には合わなかったけど、
日本神話が好きでエジプトにもちょっと興味がある人、とか、
一神教の成立とエジプトの関係に興味がある人、なんかには、いいのかもしれません。(聞いたことある内容が多かったですが)。
『天使と悪魔』の映画化の話題にのってしまえばいいのじゃないかと思います。『ダヴィンチ・コード』とか。
ギリシア哲学に影響を与えたエジプト宗教、でもいいかも。
ただし、聞いたことない内容もいっぱいです(吉村先生の発言が)。
ちょっと挙げてみます。
「そこはあんたが間違ってる」というところがあったら、コメント等で突っ込みしていただけるとありがたいです。
***
p49,51 『アム・ドゥアトの書(冥界の書)』というのがあり、--(中略)--七十日間のちょうど中間で、王の「バー(魂)」が蛇になって、蠕動[ぜんどう]運動をすることになっています。
クフ王のピラミッドの大回廊についての解説です。
前にTVで見て、その根拠はどこだろうと思ったら、アム・ドゥアトの書でした。
この書については、詳しく書かれた本を自分は持っていないので、内容が分かりません。ただ、どこでも「冥界での旅を夜の12の時間に分けて書かれている」と説明してあるのですが、70日ってどういうことでしょうか。ミイラ作りの期間? アムドゥアトにその記述があるように思えなくて。
また、この書は新王国になって初めて著されるものなので、古王国時代に同じ思想があったかというのは、ちょっと証明が難しいかもです。
どちらにしても、自分は詳しく知りませんので、蠕動運動で力を蓄える……という記述は(たとえば夜の6時あたりに)あるかもしれませんが……。
大回廊のなぞ。自分には、石を落とす道だといわれた方が、納得いったりします。
p66 スフィンクスが創られた--(中略)--地形とかピラミッドの配置とかでピラミッド建造の四十年くらい前と思われます。そして、名称自身が「シェプス・アンク=アンク神の御姿」といって、再生復活の神です。
アンク神。初めて聞きました。再生復活の神なのですか……。
それから、吉村先生は「スフィンクスはピラミッドより早く作っていて、スフィンクスがあったからそこにピラミッドを建てることにした」と、スフィンクスがそこにあるのは「ここから向こうが復活再生の地だということを示した、入り口の番人・守護神だ」と、こう考えているようなのです。
いろいろ、他で聞いたものと違う上に、根拠が示されないので納得いかないのですが、とりあえずアンク神についての説明が欲しいです。
p70 「オンの主」という意味のヘムオンという人がいて
ヘムオン(ヘムイウヌですよね。いや、昔からヘムオンだったのでいいと思うのですが)、ヘムは「主」じゃなくて「僕」ですよね……。あれ? 意訳?
それに、ヘリオポリスの説明に「イウヌ」をまったく用いず「オン」なのは(それも、ベンベン石などの説明を入れてるのに)……相手が梅原氏だから? オンに「神聖な中心地」という意味は本当にあるのですか? ヘブライ語??
p110 「アマルナ改革」といわれているアテン神だけを選択する改革の生き残りが、そのヘブロの人々と一緒になって、そこで新しい宗教をはじめたのです。
アテン信仰と旧約聖書の一神教成立は無関係かと思っていました……。
p115 『ナイル賛歌』とか『愛の賛歌』など、アクエンアテンの作った詩が
『ナイル賛歌』の成立は中王国時代と聞いてます(古代オリエント集より。さらに「現存するテキストはすべてラーメス時代」と書いてます)。あれ?
p138 (モーゼが)犯罪者として追われてシナイ半島に逃げます。そして、そのままそこに住もうと思って、族長の娘と結婚しますが、やはり自分の仲間たちのことが気になってエジプトに戻ってきて・・・
えっこれってシヌヘ!? 族長の娘と結婚して、でも戻ってくるとか……。本当に「出エジプト記」にこういう記述あるんですか!?
p198 古代エジプトでは、人間は「カー(精霊)」と「バー(魂)」と「アク(肉体)」という三つの要素から出来ている。
「アク」って、あのアクですよね!? 鳥の!?
それが肉体を示すなんて、初めて聞きました。
確かに、この三つを正確に定義することは難しいと思いますが……アクが肉体……どうもよく分かりません。
本当はもっと、チョコチョコあるのですが、
特に気になったのが以上です。
あ、でも、面白いところもありました!(以下、どちらも梅原氏の言葉)
p52 「大嘗祭」というのは、前の天皇が死んだ後、死んだ天皇の魂が次の天皇に乗り移る儀式です。このとき、天皇は前の天皇の亡骸とともに寝て、その亡骸の匂いが移ることによって新しい天皇としての魂を獲得する
これがピラミッドで行われたのではないか、という梅原氏の想像です。
面白いな、と思いました。似たようなことを、「オリオン・ミステリー」で読みました(ここで出すなって感じですか・笑)。
ピラミッドテキストでそれらしい……というか、王が死んで天にゆき、オリオンとして力を得て、ふたたびホルスとして地上に復活する、ということが書かれています。
相当するとしたら、この部分でしょうか。
神々の父オリオンによりて
「大いなる力」の許状、彼に与えらる。
ウナス、ふたたび天に現れ、
「地平線の主」として戴冠す。
(古代オリエント集p588<§408> 屋形禎亮 訳)
ああ、なんだろう!この部分、なんだか説明難しいです……。
つまり、亡くなった王の魂が新しい王に宿る的な表現に見えなくないという……。
……どこが一緒なんだと思われたらすみません。
p203 エジプト思想がもっている深い霊的なものを、プラトンは理性的な概念に変えてしまった。
すごく納得。さすが哲学者ですよね……。
でも、そのせいで、ギリシア哲学側からエジプトを見ることが多くて、なんか、偏ってるよなーと思ってしまうわけです。
***
全体的に、思想的な話が多く、根拠が少ないです。
梅原氏の「想像」について、吉村先生が「違う」ということがない。
エジプトの神殿の柱がギリシアのそれより太い理由なんて、思想より素材や技術的な理由がはっきりあるはずなのに。
そういう「必然性」についての説明が、全体的に欠けていると感じました。
昨日読んだ「古代エジプト人の神々」が自分的にジャストフィットしていて、
この本は正反対をいってる感じです。
結局、物事を西洋的な観点から見ているなあと……。
2008年10月に、吉村先生がこう考えていたと。そういうことで……。