古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●ザヒ博士とグランド・エジプシャン・ミュージアム
http://www.ngrguardiannews.com/arts/article01/indexn2_html?pdate=040809&ptitle=Egyptian%20grand%20museum%20spotlight%20Pharaoh%27s%20heritage
カイロに新しく作られているグランドミュージアム。
あと、ザヒ博士の評価などについても。
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ギザの大ピラミッドは、20年かけて作られたと考古学者は考えます。グランド・エジプシャン・ミュージアムの完成にも、同じくらいの期間がかかるでしょう。
プロジェクトの大きさに驚くことはありません。1992年に構想された、5億5000万USドルの博物館はファラオにふさわしい仕事です。
広大な、石で覆われたその構造は、ギザ台地の端からサッカー競技場11個分ものエリアにかけて広がります。博物館には、ツタンカーメン王に関する内容を要に10万点以上収容するでしょう。
「エジプトの遺産は観光業にとってとても重要であり、そのため我々はそれを保護すると同時に、ある方法で売っていかなくてはなりません」カイロ大学の考古学技能部(?)の学部長であり、考古最高評議会のメンバーであるアッラ・アッディーン・シャヒーン教授が言います。
今月発表される予定のプロジェクト・マネージャーによって料金が9月に支払われ、新しくオープンするのは2013年と予定されているので、博物館はそんなにすぐにカイロにできるわけではありません。観光業はエジプト経済にとって不可欠で、訪問者からの収入はこの10年で四度の折り目を見せ、昨年は110億ドル以上にもなりました。産業はエジプト(GDP国内総生産)の11パーセントにもなります。
厳しいことに、貧困が広がる7800万人の国にとって、観光業は更にエジプトの労働力の約12パーセントを使っています。遺物評議会はその給料支払い簿に約3万人を記しています。
グランド・エジプシャン・ミュージアムは、大勢の観光客を考慮して建てられています。ダブリンに本拠を置く建築家Henighan Pengは、1日当たり1万5千人の訪問者に適応するよう、テラスのある建物を設計しました。去年エジプトを訪れた観光客の25パーセントに当たる、300万人の訪問者を年間で引きつけることです。
しかし、観光業と考古学は簡単には交じり合いません。
評議会の事務局長であるザヒ・ハワス博士に、夜になっても眠れない理由を尋ねると、ためらわずこう答えます。
「エジプトの考古学的財産にとっての単一かつもっとも大きな脅威は、観光です」
たとえば幾千もの訪問者が呼吸するだけで、王家の谷の彩色された壁画に損害を与えます。
「我々が深刻に手を打たなければ、墓は100年以内に消え去るでしょう」
かつて貸し出し自転車とひと握りのバクシーシさえあれば王家の谷を見ることができましたが、この夏から、たった一握りの観光客だけが王家の墓を訪れることを許され、その後、アポイントを取った場合のみとなりました。
この地域は徒歩交通を制限するために開閉を交互におこなうようになるでしょう。
乗り物はほとんどこの地域から締め出されました。しかしこれらは、エジプト遺物と旅行部門の点検整備のほんの小さな部分にすぎません。他の20の地方博物館が、群衆を引き付け(歴史的)地域から引き離すために、ギザの壮大な飾り物に加えて計画されています。
「私たちの今の目標は、観光業の需要と記念碑の保護についてを比較検討することです」ハワス博士が言います。
カリスマ的でメディアをよく知る62歳のハワス博士は、盗まれたエジプトの遺物を外国から取り戻すことを彼の生涯の仕事としています。最近の成功は、4月のイートン校からの遺物450以上を回復したものを含みます。この英国の私立学校は、1990年代に寄贈された遺物の出所を確立することに失敗し、カイロに遺物を返すことを決定しました。
ナショナル・ジオグラフィックやディスカバリー・チャネルへの頻繁な露出は、ハワス博士がいつも同僚から慕われているということではありませんでした。
「彼は他の考古学者を間違った方法で磨くコツを心得ています」と、ロンドンのエジプト学者が言います。
「しかし、彼の興業手腕は良い結果を出しています。彼ほどエジプトの遺物の不法貿易に対して意識の高い人はいませんよ」
インディー・ジョーンズ・スタイルのソフト帽をしょっちゅう誇示して、ハワス博士は明らかに彼のメディアでの人物像を意識しています。「盗難品を回復させたとして知られる私の偉大な成功は、エジプトに戻すようにした5500の遺物ではなく、盗まれた遺物についてを世界中に知らしめたことです」と彼は言います。
中東の他の職員は、彼の手本に習い始めました。広範囲なメディアの活動のおかげで、考古学者とイラクの政府関係者は2003年の米国主導の侵入以来、盗まれたイラクの遺物の交易を徐々に弱らせることに成功しています。
湾岸国家もまた古代遺跡の観光業の可能性に気づき、国連の教育、科学的・文化的構想、そしてUAEバーレーン、サウジアラビアおよびオマーンなどに新しい博物館の設立することを、未決定のリストにあげています。
狭く細長い肥沃な土地に5千年以上もの文明を圧縮させて、エジプトは観光業の古参者的な土地であり、その最悪な影響をはじめに経験した土地でもあります。ルクソール神殿はいまも18、9世紀の訪問者の落書きを残しています。グランド・エジプシャン・ミュージアムが開くまでの約5年間にすべきことは、これ以上の損害を防ぐことです。
遺物倉庫におけるエジプトの警備ネットワークは共通の泥棒対策として倍増されました。1902年にカイロの下町に建てられた、堂々としているがみずぼらしい国立博物館の地下室の埃の中から何千もの遺物を集め、その内容は今カタログされています。
「博物館はエジプトの遺産を保存するために非常に重要です」ハワス博士は言います。「ツタンカーメン王のコレクションのようなものがこのように美しく飾られるのは、初めてのことになるでしょう」
ギザの博物館のためのアイテムは、1世紀以上も前に発掘されてから一度も公になっていないものが多くあります。
「新しい博物館はこれらの遺物を保存するため、また同時に多くの人々に見せるための最善の方法です」シャヒーン教授は言います。「私たちは、これが世界で元も素晴らしい博物館になることを願っています」
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似たようなことを繰り返し記事にしちゃいましたね。
●ギザの近代化政策
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セド・アリ氏は小さな灰色のアラビアン-スタイルの馬の後ろ脚を蹴ると、荒廃したラクダの群れの間を縫うように進んで、足早に砂を横切って行きました。
アリはギザの大ピラミッドで、私たちノースイースタン大学の学生グループに、ガイド付きのツアーをしてくれていました。彼が6歳のころから携わっていたファミリービジネスです。
私たちが出発する前に、アリは私たちに、エジプト政府へ彼のビジネスを称賛する手紙を送ってくれるよう求めました。彼は歴史地区における政府の近代化効果が、ピラミッドに依存する独立したラクダ操縦者たちを終わらせることを意味するだろうと懸念しているのです。
「ラクダがなければ、この場所は死んでしまう」
アリ(33歳)の家族はこの仕事を3世代も続けてきているのです。
職員の話によれば、
ここや、その他の歴史地区を監視するエジプトSCA(考古最高評議会)は、ギザのピラミッドを守るために、10月までにこのエリアの広範囲にわたる無秩序な産業――ラクダ操縦者、案内人および行商人を、注意深く制御された観光業の共同体に移行させたいと考えているようです。
ギザ台地の近代化効果の創立者のチーフであり、会議の長であるザヒ・ハワス氏は、
単に国の宝の一つを保護しようとしているのだ、と言いました。
彼のカイロの事務所における最近のインタビューでは、ハワス氏はラクダと馬の操縦者は計画を駄目にしてしまうのだと認めました。
しかし彼は、彼らはかなり長い間その地域に自由にアクセスすることを許されたため、損害や、また強引な記念品販売に結びついてしまったと述べました。
「ラクダと馬を連れた人々にとって、この台地は金のプレートだ」ハワス氏は言います。「私はそれに磨きをかけたいのだ」と。
ハワス氏は彼のビジョンを描きます。
3500万ドルの観光複へ、観光客が――バスや車、およびラクダや馬で――ビジターズ・センターに到着する。そこから、彼らはチケットを買い、電車を使ってピラミッドや隣接した大スフィンクスへ向かう。アリや他のエリアの商人たちは、家畜小屋や店のために割り当てられた限られた区画を競って、貸し出しと許可のための税を要求される。
今のところ、アリのしているようなビジネスは政府に認可されたツアーバスと競争することを強いられています。それは北からの新しい道路をこの台地に上らせます。
道路はここ数年の政府による、観光業をより規制し、そうしてより利益につなげるための、最も最近に作られたパイプです。
封じ込めるための壁は、すでにこの台地の東側に走っています。しかし、最近の午後に、警備員が我々のグループを100エジプトポンド(20ドル未満)で通してしまいました。
近代化が完了すれば、このゲートで制御された入り口は、徒歩で旅行したい観光客とVIPにだけ使用されるでしょう。
「壁は好きではありません」ハワス氏が言いました。「けれど、あなたが死につつあり、彼らがあなたの足を切りはなそうとしているとしたら、そんなとき、あなたは同意するでしょう」
壁はさらに、ピラミッドの近くに家を建てようとすることを阻む意図を持っています。
「私は人々に、ピラミッドの魔法を感じてもらいたい」
ハワス氏は、この台地がより緊密に制御されなければ、物理的な損害の可能性があることを強調しました。「ピラミッドは歴史に寄与してきました」
同様のプロジェクトが、ルクソールのハトシェプスト神殿とカルナク神殿で完了しました。
1997年11月に、イスラム武装集団がそこで60人の観光客を殺害したことから、最近重大な追加分を加え入れました。
遺物へのいっそうの損害に対する懸念は、ハワス氏にエジプトで最も人気ある観光スポットの一つであるツタンカーメン王の墓(KV62として知られている)のレプリカを構築し、オリジナルを閉鎖することを考慮させます。
2007年12月、彼は王家の谷の一番の呼びものであるこの場所を守るため、訪問者数を1日に400人までと上限を設定しました。
「私はエジプトで、これ以上旅行者が増えてほしくないと考えるただ一人の人間です」ハワス氏は言いました。
アリは、彼自身の仕事が好きだし、これを終わらせる準備ができていない、と言います。尋ねられた時、彼はこの台地で働くことで英語を学べると言いました。
群れの中に馬を引きながら、彼は叫びました。"This is the school of life."
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うーん、すみません。最後の二節がよく分かりませんでした。
遺跡を守るためにするべきことと、
現地の人々の生活。
両立は、なかなか難しい問題ですよね。
こんなプランが持ち上がっているなんて知りませんでした。
複合体ができれば、観光に行く方は分かりやすく安心だし、それで遺跡が守れるなら嬉しいことですが、
そのために現地の人が職を失うようなことがあると、問題ですよね……。
というか、そんな大きなものを建てて、
あとから何か出てこないんですかね。
たぶん、建設しながら発掘という形になるでしょうが……。
王家の谷の問題も考えると、
中に入って見ることは、もう数十年後には、無理かもしれないですね……。
訳してよかったです、この記事。
考えさせられますね。
http://www.thaindian.com/newsportal/health/egyptian-experts-to-conserve-mummy-in-hyderabad-museum_100224792.html
※7月29日の記事です。
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エジプトからの専門家の援助は、紀元前2500年にまでさかのぼるエジプトのミイラを、このハイデラバードの博物館で保存する、最終段階にあります。
ナシフ(Nasifu:6番目のファラオの娘)のミイラであると考えられるミイラは、1930年以来アンドラプラデシュ州の考古学博物館であるこの場所に展示されていますが、今では腐敗しています。
ミイラの保存のために、SCA(エジプト考古最高評議会)から派遣された二名のチームにより、エジプトはハイデラバードへこの4500歳と考えられるミイラを保存するためにやってくるでしょう。
考古省とアンドラプラデシュ博物館は、ミイラ(インドにある6つの博物館のうちのひとつで、ミイラは南インドにだけある)を修復するために海外の援助を長く求めていました。
SCAの研究開発部のトップ、Tarek El Awdy氏と、
SCAの生物損害処理部の監督官、Sama Mohamed El Marghani氏は、
まずはじめにナシフの身体の保存のためにしなくてはならない仕事を割り当てました。
SCAはエジプトの文化省の一つで、エジプトですべての遺物や考古学の遺跡に関して保存、保護、そして調整の責任を負います。
Tarek El Awdyはさらに、カイロのエジプト博物館の最高責任者です。
考古学と博物館のの管理者であるP. Chenna Reddy氏によれば、
ミイラのリンネル製の包帯が交換されるそうです。
専門家たちはさらに、ミイラの内側に詰められて残っているものを科学的に処理されたコットンのようなものに置き換えるでしょう。
体を隙間なく覆う外皮は、顔や肩や足の周りではバラバラになっています。
包装布は剥がれ始め、割れ目はいろいろなところにかなり顕著に見られます。
ミイラは1920年ごろ、6番目のニザム<君主>でそのころのハイデラバードの統治者であったMir Mehboob Ali Khanの、義理の息子であるNazeer Nawaz Jungによってもたらされました。
彼はそれを7番目のニザムMir Osman Ali Khanに贈り、それが1930年に博物館に寄贈されました。
博物館は都市の中心にある市民公園に位置しています。
かつてハイデラバード博物館として知られていましたが、インド共同体にハイデラバード州が吸収合併されたのち、州考古学博物館と改名しました。
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ブログ『Egyptians』の記事からたどった記事ですが、
このブログ↑を書いている方が、
「記事では古王国時代のものとあるが、またエジプトの6番目の王(の娘)のものとある。私の知識では、はじめの二王朝はミイラにしていたという証拠がないのでは」
と突っ込んでます。
六番目って、どこから数えてなんでしょう。
どの王様なのか、名前を書いてほしかったです……。
あと写真もちょっと見たかったです。なかなかみつからないですね。
というか、インドにもエジプトのミイラがあるんですね……。
●テーベ・マッピング・プロジェクト
http://www.thebanmappingproject.com/
この前訳した記事の中にあったものですが、
サイトがありました。
名前の通り、
テーベをマッピングしちゃおうというプロジェクトのようです。
大きく分けて、
王家の谷と、その他のテーベの埋葬地帯について、
地図を作り、データベース化を図っています。
各墓ごとに、その墓主はもちろん地図上の位置、内部の平面図からCGでの立体再現、壁にどのような種類の葬祭文書が刻まれているか(内容まですべて書かれてはいませんが)、また壁画や石棺の画像なども残されていて、情報量がとても多いです。
英語がよく分からなくても、目で見て得られるものも多く、この辺りについて知りたいと思ったら、このサイトを見ればいいと思えるくらい。
もちろん、まだプロジェクトは進行中なので、全部を網羅できているとは言えませんが、これだけの情報を一つに集めたものは、他にあまり見られないと思います。
一応ブログのリンクに入れましたが、サイトのリンク集に移すかもしれません。
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KV5(ラムセス二世の息子の墓)ができた、ということですが、
地図上で、また平面図で見て、その広さ・でかさに驚いてます。
他のよりでかいように見えるんですけど……。