古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●ギザ台地の地下洞窟?
http://www.responsesource.com/releases/rel_display.php?relid=49510
http://dsc.discovery.com/news/2009/08/13/caves-giza.html
二つの記事があって、
たぶん、同じ内容だと思うのですが、
訳そうかどうしようか迷っています。
今のところビミョーな気がしていて、訳す気がしないというか……。
どうやら、英国の作家アンドリュー・コリンズ氏が
英国のエジプト学者Nigel Skinner-Simpsonの協力を得て、ギザの地下部分を捜索したところ、巨大な洞窟複合体を発見し、
「これはファラオの失われたアンダーワールド(冥界)に違いない」と主張されているようです。
(8/5のことです)
ザヒ博士は「一蹴」って感じなんです。
読んでいて(ちゃんと訳したわけではありませんが)、しっかり理論だってるようには感じないのです……。画像も少なすぎて、何のことかよく分からないです、やっぱり目で見ないと、「部屋があって」と言われても。あとどこかはっきりしていないような。
ブログ『Egyptians』のティム氏は「自然洞窟を調査している」と書いていて、
『Egyptology News』ではコメントに「宇宙人の船が見つかるよ!」的なことが書かれてるような(皮肉ですよね?)。
というか、実際に冥界があった! なんて言われても……という気分です……。
記事上には、「ギザ一帯はロセタウと呼ばれていて、その意味は“(地下)通路の入り口”である。地下通路って言ったら、ドゥアト(古代エジプト語で、冥界の意味)だから、このギザ台地の下に冥界があるのは当然だ」と。
ちなみに、こうもりとか毒蜘蛛がいっっぱいいるらしいです。そりゃ冥界のようなところですね……。
部屋が四つあって、そこから、結局は自然の洞窟に続いているそうです。
地下水もあるわけだし、洞窟があってもおかしくないかなとは思いますが……どうなのでしょう。
発掘?は、1817年に行われたヘンリー・ソルトの『カタコンベ』(本か調査書?)の記述に基づいて行われているようですが、ソルト以降、この洞窟?の存在に関して言及されたものはない、と言っています。
うーん、よく分からなくてすみません。
とにかく、具体的にはどこのことなんだろう……。
話題になるでしょうか、なるほどの情報が出ないでしょうか。
話題になれば、ザヒ博士が反論してくれると思いますが……。
とにかく、地下にドゥアトが本当にあった! という考えは、
天空に神の国が本当にあった! というくらい、どうも信じられないというか。
っていうか、その場合のドゥアトって何のことなんだ、とかそういう。
とりあえずこれが何のことなのか、説明してほしいなと思いました。
●ダハシュールの赤のピラミッド
http://drhawass.com/blog/pyramids-dashur-2-red-pyramid
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ダハシュールにある赤の(あるいは北の)ピラミッドは、スネフェル王の三番目の巨大ピラミッドの試みでした。
彼はすでにファイユーム・オアシス近くのメディウムと、ダハシュールには屈折ピラミッドとなったものを、建造しています。この時、彼ははじめから要領を得ており、また息子のクフがギザの大ピラミッドを建てるための道を開きました。
ピラミッドの建設者たちはそれまでメイドゥムやダハシュールで試みてきた構築から多くを学んできていました。そして今回、王のピラミッドは、メイドゥムのピラミッドや屈折ピラミッドより傾斜を緩くつくられたようです。そうすることで崩れにくくしたのです。
計画を立ててから、スネフェルの技術者は王の治世の30年目くらいから新しいピラミッドを建設し始めました。このとき、屈折ピラミッドでは作業を中断していました(スネフェルの作業員たちは仕事を終えた後にここに戻ってくるのですが)。
スネフェルはさらに、ピラミッドの東側に、河岸神殿だけでなく(これはまだ発掘されていませんが)、小さな記念神殿をたてました。彼の参道(通常は死体仮置き場と河岸神殿をつなぐもの)は、どうやら構築されていないように思われます。これらの要素は、時の経過とともにピラミッド複合体のスタンダードとなっていったのでしょう。
赤のピラミッドの入り口は、北側の壁の28m上方に見つけられます。ここから、狭いシャフトがピラミッドのなかを、地表面に着くまで62m下ります。ここから、水平のシャフトが、12m以上の高さの「持ち送り式」の屋根を持つ大きな部屋につながっています。さらに水平のトンネルが似たような持ち送り式の屋根をもつ部屋に続きます。この二つの部屋の主な違いは、第二の部屋の場合、次の部屋に続くトンネルは地表面ではなく、屋根より8m上にあるということです。
こんにち、訪問者はこの短い通路への木製の階段を上ることができます。うずくまって通り過ぎると、王の埋葬室にたどりつくのです。この部屋もまた持ち送り式の屋根を持っていますが、床は、財宝を求めた古代の人々によって剥がされていました。
幾人かの学者は、これがスネフェル王の最後の休息の場だったと信じますが、私は、彼は実際には近くの屈折ピラミッドに埋葬されていると信じています。というのは、彼の葬祭儀礼が彼の死後にここ(屈折ピラミッド?)で続けられていたからです。
私がギザでの考古物の長となったとき、私はダハシュールのこの遺跡を公開したいと望んでいました。私たちはこの願いをかなえるためにかなりの努力をしなければなりませんでした。なぜなら、この遺跡は警備上の理由で閉じられていたからです。しかしながら、しばらくのちに、私たちは一般の人たちにこの地域の公開を許可するようになりました。
この地域が非武装化されるようになったあと、はじめに公開しようと決めていた記念碑は、赤のピラミッドでした。わたしは、レイナー・シュターデルマンのそこでの発掘のために、このピラミッドに魅了されていたのです。そのため私は、この入口と内装を清掃し始めました。これはとても重要な仕事です。
プロジェクトが完了すると、我々は盛大な開催式を執り行いました。それはよき日で、あらゆる報道機関は彼らが見たものにまったく驚愕しました。よく覚えているのが、有名なTVの司会者が、彼はとても背が高いのですが、ピラミッドから出てきたときに歩くこともできなかったことです。というのも、彼は狭いシャフトでずっとしゃがんでいなければならなかったからです。
赤のピラミッドに入ることは、苦楽を備えた一つの冒険です。
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「corbelled」を、持ち送り式、と訳しましたが、
せり出し……とか、他に言い方があったかも……すみません。
ザヒ博士のサイトの、右下に、その図があります。よく見るやつですよね。
なのに、日本語でどう言われていたか忘れてしまってすみません。
マイケル・ジャクソンに激似の像
●http://www.artknowledgenews.com/2009-08-11-00-58-32-the-field-museum-egyptian-bust-is-look-a-like-of-super-star-michael-jackson.html
うわー!
似てる。似てますよ!!
マイケル・ジャクソンに!!
とっくにご存知の方もいらっしゃるかもですが……
シカゴのフィールド博物館http://www.fieldmuseum.org/にある
約3000年前の胸像だそうです。
女性っぽいですが……。
この像は新王国時代(1550~1050BC)のものだそうです。
鼻が欠けているのは、初期のキリスト教やイスラム教が偶像崇拝を禁止していたため、こういった胸像の95%は壊されたりするもので、鼻を欠けさせることで「人ではない」とみなされた、と書いてあります。
記事、面白いです。
"It's uncanny," a Chicago girl wrote on Flickr. "Maybe Michael saw this and told his plastic surgeon, "make me look like this!"
マイケルがこの像を知っていて、整形医に「こんなふうに」と要望したんじゃないか、と。
とはいえ、この博物館にマイケルが来たかどうかは分からないそうですが……。
フィールド博物館には、
1988年から常設で古代エジプトを扱っているそうで、
ウナス王の息子、ウナスアンクのマスタバがフルサイズで再現されて、「体験できる」そうです。
なるほど「フィールド」博物館。行ってみたいですね……。
エジプトはごく一部で、他にもいろいろあるみたいですね!
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http://blogs.discovery.com/news_archaeorama/2009/08/jackson.html
こちらは「キング・オブ・ポップス」ならぬ「ファラオ・オブ・ポップス」としてます(笑)。
こんなことも書いてありますが……
Nevertheless, the late pop singer cut a video titled "Remember The Time" which is set against an ancient Egyptian backdrop.
ビデオ「Remember The Time」はエジプトっぽかったそうで。
エジプトモチーフにPVって珍しくない気がしますが。
というか見たことないので見てみたいです(笑)。エジプトって言っても、ギリシャ・ローマ風味の、クレオパトラちっくなイメージなんだろうなあ。
↑
いま見てきました。
マイケルがネフェルティティな王妃様を誘ってました。
途中でラクダとか、アラブな雰囲気入りまくりでした……。
えり飾りについみとれちゃいましたが、それから下はアラブっていうかベリーダンス?
胸だけ隠すような服、古代エジプトにはなかったと思います……。
いや、全然いいですけど! ダンスかっこいいし!
でも壁画、あれはないでしょう(笑)。
最後のでぶ猫が可愛かったので、ヨシです!
●最古の染料
http://www.msnbc.msn.com/id/32362118/ns/technology_and_science-science/
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今日まで使われている色の、もっとも初期のものとして有名な例を発見した研究者によると、
4000年前エジプト人はアカネ染料(赤色色素)を作る過程をマスターしていたそうです。
ごく微細な量の染料からでも研究できる洗練された技術によって、メトロポリタン美術館のマルコ・レオナ氏は、古代エジプトの矢筒の革の破片に付着した色を分析することができました。
この色がアカネ染料だったという発見は、植物から染料を抽出し、それを色素に変えるために必要とされる複合科学の知識の、もっとも初期の証拠である、と、火曜の国立科学アカデミーの会報でレオナが報告しています。
この発見は今まで知られていたアカネ染料の使用より約700年も早いものになります。
アカネ染料は中世でもっとも人気となり、オランダの画家ヨハネス・フェルメールが多くの赤い色合いや艶出しに用いました。
「有機的な着色剤の使用法の写しは、貿易経路を追い、また考古学的なオブジェクト間の関係を識別し、偽物を検知し、芸術品に帰着する方法を提供します。」
とレオナは記しました。
レオナはラマン分光学と呼ばれる技術を洗練しました。それは光の散乱に依存します。その工程は、一般的にはアカネ染料やその他の染料にふさわしくありません。しかしレオナは発見物を増幅することができ、低レベルの化学物質さえ検知できる小さな金属粒子を使用し、結果を高めることができました。
アカネ染料を写すことに加えて、彼はイタリア・フィレンツェの1500年代初頭の画家フランチェスコ・グラナッチのワークショップから、『Saint John the Baptist Bearing Witness』(http://www.flickr.com/photos/peterjr1961/3448761019/)の絵画に用いられた赤がケルメス(ケルメスナラという植物に寄生するカーミンカイガラムシの雌から作る赤色染料)であることを突き止めました。
ケルメスは昆虫の体から取れる染料で、新大陸からコチニール(コチニールカイガラムシの雌から採る赤色色素)が輸入されるまでヨーロッパで一般的でした。
そして1150年~1210年に位置づけられるモーガン・マドンナの赤色はラック染料(ラックカイガラムシの雌から分泌される天然樹脂)であることが分かりました。それはアジアから始まり、おそらくイスラム教の商人によって南ヨーロッパに輸入されたのでしょう。
レオナによると、これは15世紀より前にヨーロッパの芸術でラック染料が用いられたことについて初めて文書化された例です。
彫刻ははじめプロバンスの堺にあるフランスのオーヴェルニュ地方で保管されただろう(そこは数十年後のラックの輸入の貿易記録がある)と記しています。
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ドレスの帯紐の赤はアカネ染料なのでしょうか。
アカネは根から朱赤~赤紫の染料をとるようです(それで茜=赤根)……。種類によって鮮やかさなどにも違いが出るとか。セイヨウアカネは赤が濃いとのことですが、エジプトではどんな茜が用いられたのでしょう。
花は赤くないですね。色がないというか。(白というより緑がかってます。小さいし)
http://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_1323.htm
この植物もあったのでしょうか。それとも根を輸入?
染料の話、もう少し知りたいなと思いました。
それにしてもカイガラムシばっかり……。
カーミンカイガラムシのカーミンが、赤色の名前の元だとかいう話があります。カーマイン、クリムゾンなど。
カーマインとクリムゾンは、イメージ的には違う色だけどなあ(後者の方が紫がかってる)……。
天然の色素は虫を使ってるからどうか、なんて話が時々取り上げられますが、
虫を使ってるからって何が「どうか」と。
植物ならよくて虫ならダメなのかな……。
あ、でも気持ちは分かります。私も虫さんと仲良くしたいわけではないので……。でも、それとこれとは別ですよね。
●ダハシュールの屈折ピラミッド
http://drhawass.com/blog/pyramids-dashur-bent-pyramid
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第四王朝のスネフェル王は一生のうちに三つの記念碑的なピラミッドを建造し、ファイユームのセイラに四つ目のより小さな階段ピラミッドを建てました。
メディウムのピラミッドをあとにして、彼はロイヤル・コート(王の宮廷)をサッカラのちょうど南にあるダハシュールへと移し、新しいプロジェクト――現代、屈折ピラミッドとして知られるようになっている記念碑で、古代エジプト人に「スネフェルは輝く、南」とよばれていたもの――をはじめました。
スネフェルは大ピラミッドを建造したクフ王の父親で、ヘテプヘレス王妃と結婚していました。ギザのシャフトから王妃の美しい葬祭用具が発見されており、後に修復され、今ではカイロ・エジプト博物館で見ることができます。
われわれは「パレルモ・ストーン」と呼ばれる石のブロックの刻印から、彼の治世の間の多くの重要なイベントを知っています。ここから、彼の西方との戦争(※ヌビアとの戦争の記録はみられるが、西方、リビアとの記録は見られないとのこと。)と、レバノンの木材取引の命についてを学べます。
このピラミッドは実際、はじめから、滑らかな側面を持つものになるように計画されていましたが、屈折ピラミッド建設の初頭には、ちょうど、もっと早期の階段ピラミッドでされたように、ブロックは内側に傾斜するように置かれました。
そして、ざっと半分ほど積み上げた時、ブロックを水平にし、次に傾斜の角度を緩めることが決定されました。これは、ピラミッド内部の部屋に対する圧力を縮小し、そして特殊な屈折を導きました。さらにそれは、ピラミッドを完成させるために必要な石材の量を減らしました。
ピラミッドの地盤は不安定であったため、その崩壊を防ぐためには思い切った手段を取らねばなりませんでした。
ピラミッドの内部もまた変わっています。そこには二つの入り口があります。ひとつは北側にあり、もう一つは西側です。
北側の入り口は地面の下に約11.8mの高さであり、そこから長く細い軸が約80m下ります。そして、「持ち送り式の」壁の部屋に出ます。そうして、南の壁より6.25m進んだ先にある、より低い埋葬室に着くために、ここで木製の階段一式を上らなくてはなりません。
西側の軸は、北側のものよりも傾斜が緩く、別の埋葬室に向って約65m下がって、北の入り口からのものよりもピラミッドの内部でで高い位置にあります。
古代のスギ木材はこの部屋で見られ、部屋の圧力を取り除くのを助けるためにおかれました。
私は以前、カイロ・アメリカン大学の生徒たちとともにここを訪れ、私の良き友人であるレイナー・シュターデルマン博士を紹介しました。彼は人生をピラミッド研究に捧げ、当時ダハシュールで発掘作業をしていました。
このピラミッドに入ると、我々は屈折ピラミッド特有の奇妙な体験をします。またいくつか、初期の探検家らによって記されてきたようなことも。
ピラミッドの中に立つと、ときどき内部から出口へと流れ出る冷たい空気を感じるでしょう。これは部屋のうちの一つが外側と通じていることを意味し、発見されるべき秘密の部屋がまだ残っている可能性を示しています。
スネフェルの治世の30年目くらいに、屈折ピラミッドの作業が止まり、ダハシュールの北で新しいピラミッドの建造がはじまりました。この重要なピラミドについては、次の記事で学びましょう。
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