古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
●EMP:Q&Abyザヒ・ハワス
http://content.usatoday.com/communities/sciencefair/post/2010/02/q--a-egypts-zawi-hawass-on-king-tut-findings/1
インタビューです。
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◆1
Q:分子エジプト学の役割は?
A:分子エジプト学は我々が多くのエジプト学の謎を解明するのを助けるための大きな見込みを示します。
我々は家族関係について、またいくつかの疾患についても、多くのことを知ることができます。
科学的に調査することで、それはエジプト学の助けとなり、また歴史の再構築のための科学捜査法について、より大きく、新しい役割を開くことができます。
◆2
Q:これらの結果が第18王朝の王家についての見解にどのように影響するでしょう?
A:18王朝には多くの謎があり、
ツタンカーメンの属していたアマルナ時代は特に曖昧でした。
ツタンカーメン一族についてのプロジェクトで、我々はツタンカーメンの母と妻の識別するため調査を続行し、また他の家族関係をも研究するつもりです。
◆3
Q:ほかの王族(王族でないものも)についての同様の検査の前途はどれくらい有望ですか?
A:ええ、我々は他の家族関係も研究するつもりです。
次にはラムセス2世の一族(いくつか明らかにしなければならない謎がある)を研究する予定です。
我々はアクエンアテンやティイにしたように、
王のミイラの隠し墓に、新王国時代(ツタンカーメンやラムセス2世の時代)が終わった後隠された、他の、はっきり識別されていないミイラの、名前を特定できればと望んでいます。
これらのミイラは、後の神官によって夜中に隠されたのです。そのため、いくつか間違えてしまっているのです。彼らも我々と同じ、人間ですから。
我々は、真実を写し取るために、科学を用いられればと考えています。
◆4
Q:この研究について他にどの点が重要だと考えますか?
A:私はこの研究をエジプトで、エジプト人のチームによって行えたということも、とても誇りに思っています。
国際的なコンサルタントの参加は、これらの過程に欠かせませんでした。しかし我々のチームはエジプト人のチームであり、これはこれからにとって非常に重要なことです。
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名前の分かっていないミイラに名前を与えること。
エジプト学のためであり、また、故人のためでもあるのかなと。思いました。
●EMPこれまでの成果(簡単に)
http://drhawass.com/blog/press-release-press-conference-be-held-egyptian-museum
簡単に訳すと、こんな感じ。
↓
ザヒ・ハワス博士率いるエジプシャン・マミー・プロジェクト(EMP)では、
2005年にツタンカーメンのミイラのCTスキャンを行い、
彼が19歳でなくなり、それは後頭部の強打が死因ではないということ、
後頭部の穴は18王朝のうちに、ミイラ化のための液体を挿入するために開けられたのだろうということを明らかにしました。
また同時に、若い王が死の直前かもう少し前から、左足を骨折していたことが分かったのです。
また、第2プロジェクトでは、王家の谷60号墓で発見された異物の中から、ハトシェプスト女王のミイラの識別に成功しています。
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カイロ博物館で、日本時間の今日夕方6時くらいに、記者会見があるとか。
(くうっ、忙しいときに……)
また記事があがったら訳したいです。
●ツタンカーメンの父と死因
これまでいろいろと議論の的になっていたことについて、
分かってきたことがあるようです。
17日付の米医学誌「ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション」によると、
ツタンカーメンについて、科学的な調査の結果以下のようなことが分かったそうです。
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http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2696217/5331084
「これまでに多くの研究者たちが、戦車からの落下、馬などの動物に蹴られた、敗血症、大腿骨骨折に伴う脂肪塞栓症、後頭部殴打による殺害、毒殺などの仮説を立ててきた」
が、
威厳のある王というこれまでの描写よりもむしろ、「若く虚弱で、骨壊死症のために歩くのに杖を必要とし、ときにフライバーグ病(第2ケーラー病)の痛みに苦しみ、右足は欠指症で、左足は内反足だった」
父親については
遺伝子指紋法によりY染色体の部分情報から、古代エジプトで宗教を改革しようとしたアクエンアテン(Akhenaten)王(紀元前1351~1334年)が、ツタンカーメンの父であると特定。母はアクエンアテン王の姉妹であるとした。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100217-00000027-jij-int
「歩くのにつえをついていた虚弱な王だった」としている。
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●ナショナルジオグラフィックの記事
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2010021701
ツタンカーメンの母のミイラ(名前は不明・アクエンアテンのきょうだい)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2010021702&expand
ツタンカーメンの母親は、アクエンアテンの正妃で美しい胸像で有名なネフェルティティだとの説もあった。しかし、ネフェルティティとアクエンアテンに血縁関係があったことを示す史料が無いため、今回の発見でこの説は見直しを迫られそうだ。
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パパはアクエンアテンでしたね……。
女性のような体つきを実際にしていたという証拠は発見されていない、とのことです。
ツタンカーメンとアンケセナーメンは普通に姉弟婚ということだったのですね。
また記事探してきます。
※2/18追記
フライバーグ病(第2ケーラー病)は、
足の人差し指にあたる指の、付け根の部分の骨に異常が起こる病気で、
10代の、特に女性に多いと(現代では?)されています。
うずくような痛みを伴い、歩行が困難になるとのこと。
そして、骨折は、左大腿骨でしたよね。
亡くなる数日前かそれくらいに骨折しただろうというし、
杖は、骨折するより前から(フライバーグ病のために?)使っていたかもですよね。
足の障害が多いですね……。
18王朝って、近親婚のし過ぎで滅びちゃったのかな。
サア・イセトの墓を開く
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http://drhawass.com/blog/opening-tomb-sa-iset
(ザヒ・ハワス博士のブログ)
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最近私は、ダハシュールへゆき、大臣サア・イセトの墓を調査しました。
巨大な石棺の蓋を動かし、そこに含まれていたものを発見しました。
この墓は1890年代にジャック・ド・モルガンによって発見され、その後長い間失われていました。
エジプト人考古学者が2006年、ダハシュールのこの遺跡を調査中に、再び発見したのです。
我々がこの墓を再発見し、この石棺の蓋を開くことはとても重要なことでした。
ドモルガンは4つの葬祭ステラを1890年代に発見しています(現在はエジプト博物館にある)。
ステラと墓の銘文から、サア・イセトが中王国時代、第12王朝の王アメンエムハト2世の治世に大臣であったことが分かりました。
不完全な記録から、我々はドモルガンが石棺の蓋を開いていたことを理解しましたが、これを確かにし、またもし何か中に残っていれば発見したいと考えたのです。
サア・イセトの埋葬室はアーチ型天井を持っており、ピラミッドテキストが刻まれています。
埋葬室のスタイルとヒエログリフの特色は、ウナス王(第5王朝最後の王)のピラミッドの複製です。
ピラミッドテキストが刻まれた中王国時代の墓として、この墓はユニークで、とても興味深い例を示してくれます。中王国時代にはコフィンテキストがずっと一般的で、ピラミッドテキストが刻まれるのは非常に稀だからです。
コフィンテキストとは、古王国時代のピラミッドテキストが、中王国時代に変化した(非エリート層に人気だった)ものでした。
新王国時代には、これらの葬祭テキストは墓壁に刻む葬祭書にふさわしいものに変わっていきました。
サア・イセトの石棺の蓋を開けることはとても難しい状況となっています。というのは、13トンもの粗い花崗岩が四面すべての壁に接しているからです。蓋を注意深く開けないと、壁の銘に傷がつくでしょう。
私はこの遺跡担当の考古学者と、巨石の扱いに慣れた家族出身のReis Talalとに相談しました。
彼とその兄弟アハムドはいままで重い石棺を動かすのによく協力してくれています。彼はバハリヤ・オアシスにある知事ジェドコンス・エフアンクの石棺を動かすのを助けてくれましたし、テティの衛星ピラミッドの石棺の蓋も動かしてくれました。
Reis Talalは、墓の外側に相当する重りを備えた滑車システムのプランを提示しました。これを用いれば、蓋はまっすぐ持ち上がり、壁は保護されるでしょう。
作業の準備に数日費やしましたが、いったんすべてが適切に準備されると、石棺を持ち上げるのには10分足らずですみました。
我々は何か驚くべきものがあるのではと期待して中を覗きました。
しかし、そこは空でした。
ドモルガンは確かに、どうにかしてこの蓋を持ち上げ、真下にあったものを発掘したのでしょう。
忘れてはならないのは、
この墓はそれでも、このデザインとピラミッドテキストのために、とても価値あるものであり、
この墓を完璧に研究することは、アメンエムハトにせいの治世と中王国時代など、サア・イセトの生きた時代についての多くの情報を明らかにしてくれる、ということです。
***
中王国時代の墓にピラミッドテキストがあるなんて! とびっくりして訳してみました。
ウナスのそのままなんですね……。まったく同じにしてあるのかな。
入って行って写してきたんですね~……。
ウナスのピラミッドテキストは、あのカーエムワセト王子が復旧したと聞いたのですが、
文字はそのまま彫りなおしたのか、文法とか変わってるのかとか、密かに気になっています……。
これと比べれば分かるのかな(比べなくても新王国時代の文法ではないってすぐ分かるんだろうな……たぶん)。
とにかく、綺麗ですよね。
写真が綺麗だったので、つい。
素朴な疑問2。
サア・イセトのイセトってイシスですか。
ありそうな名前だけど……。
☆追記。
名前はやはり「イシスの息子」だそうです! ありがとうございましたっ!