古代エジプト関連限定ブログです! 宗教思想関連多め
長らくご無沙汰していてすみません(涙)
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●サッカラで第6王朝の墓が発見
エジプトで第6王朝(古王国時代)の墓が発見されましたね!
見つかったの二日ほど前らしいですが。
とりあえず日本語のニュースをそろえました。
NHKの。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100709/k10015624981000.html
動画が一番長いです。
http://www.teny.co.jp/nnn/news89042020.html
名前はシェンドワとその息子ホンスだそうです。
http://mainichi.jp/select/world/news/20100708dde007030054000c.html
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ラー信仰、オベリスク。さすが第6王朝!
ジェセルのピラミッド(最古のピラミッド)側に墓を作らせてもらえるってことは、かなり王様に気に入られてたんでしょうか。
まだ英語のサイトチェックしてないので、これから行ってきます!
ヒエログリフ読んでみたい!
http://www.sanspo.com/shakai/photos/100707/sha1007072028023-p1.htm
死者の世界へ魂が行き来するための扉(偽扉)です。
画像の左上のカルトゥーシュを見ると、ネフェルカーラー(ピラミッドテキストも残ってるペピ二世)とあります。この人はペピ二世の時代の高官のようです(はい今調べました・笑。王名は頭に入ってない!)。
その行の一番下にある、横長の四角(sh)、波線(n)、星(dwa)、葦(今はもう読まないのかな)でシェンドゥワ、墓主の名前。
あとは一番上の、右から始まるヒエログリフ。決まり文句なんで、慣れれば誰でも読めますが(笑)、「ヘテプ・ディ・ネスウト、アンプゥ、テピジュウエフ、イミイウト、ネブタァジェセル」=「アヌビス神《彼の山の上にあるもの、ミイラ師、聖なる地の主》へ王による供物」。
真ん中をはさんだ二行、同じ単語で始まってますが、これが「スメル・ワアティ」=「王の唯一の友」、宮中の廷臣を指す様子。
一番左の一行を見ると、「ペレト・ケルウ」=「声による供物」の下にやっぱり同じ称号があります。その下が王を表す「ネスウト」と似てるんですが、はっきりしないのですみません!
(はっきりした画像を調べると、ネスウトらしいものの下にあるのは横顔「tp」でした。その下のも、なんだかよく分からない!)
さらに下にはパレットがあって、書記を表しますよね。王の書記、だと思うんですけど(ニュースの説明を読んでも)。
その下も決まり文句で「イマアキィウ・ケル・ネチェルアア、シェンドゥワ」=「大いなる神によって尊厳を与えられしもの、シェンドゥワ」
こうやって見ると、単語があまり使われてないので、
偽扉って勉強にちょうどいいかもです……。
それでもまだ全部読めないんだもんなあ……。
はい、機会があるごとにちょっとずつがんばるです!
19王朝プタハメスの墓、発見
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http://drhawass.com/blog/press-release-discovery-tomb-ptahmes
訳します。
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カイロ大学考古学学部がサッカラで新しい墓を発見しました。
調査隊はサッカラのウナス王のピラミッドの傾斜路の南側にある、第19王朝のトップの官僚たちの埋葬地で、プタハ-メス、軍の指揮官であり王家の書記だったという人物の墓を見つけました。
文化大臣ファルーク・ホスニが今日加えた内容によると、
その墓は第19王朝の後半(BC1203-1186)に位置づけられるといいます。
エジプト考古最高評議会(SCA)の事務局長ザヒ・ハワス博士が説明するには、
墓は70mの長さで、多くの通路と礼拝堂を備えており、
この構造はアクエンアテン王の治世に生きた、王の印章持ちプタハ-イム-ウイヤ(Im Wiya)のものとよく似ている、ということです。
プタハ-イム-ウイヤの墓は2007年にサッカラにおいて、オランダの調査隊に発見されました。
カイロ大学考古学学部の前学部長Ola El-Egezi博士は、
墓の所有者がいくつもの政治ポストについていた――世継ぎの王子、王家の書記、プタハ神殿の監督官などを含む――ことによって卓越した形をしているといいます。
続けて、この発掘でステラもいくつかみつかったといいます。
それらの中に、テーベの三柱神(アメン、ムトそしてコンス)の前に死者とその家族のいる場面画で特徴付けられる未完成のステラが含まれています。
このようなステラは、El-Egezi女史が言うには、19王朝の後半に、アメン信仰が復活したことを明らかにするそうです。
調査隊の代理人であるアフメド・サイード博士は、
発掘の間に、墓主やその妻の彫像の破片がいくつか発見されたといいます。
彩色された、彼の妻かまたは娘のものらしい頭部像も、死者のものである石灰岩の像の下部と一緒に発見されています。
陶製の容器、シャブティの小像および護符もまた砂の中から見つかっています。
調査隊の一員であるヘバ・ムウスタファ博士は、
墓の柱はキリスト紀元に礼拝堂を建てるために再利用されたといいます。またこの墓は19世紀に強盗に遭い、それが壁に悪影響を及ぼしました。墓の破片のいくつかは墓内部の残骸の中で見つかりました。ムスタファ氏は、復旧のためにこれらの欠片をすべて集めている、といいました。
プタハメスの墓の発掘作業は、
死者の石棺とその葬祭道具の置かれた埋葬室へ通じるメインシャフトを見つけるために、続けられるでしょう。
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もう一つニュース記事(下記URL)があるんですが
新しい内容が合ったら、明日以降に加えます。
タップオシリス・マグナでプトレマイオス朝の王像が見つかったり、
ルクソール西岸のアメンヘテプ3世葬祭殿の近くでトト神像が発見されたりしていましたが
記事にしなくてすみません……。
画像があったのでちょっとだけまとめます。
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●エドフ神殿の多柱室
http://drhawass.com/photoblog/hypostyle-hall-temple-edfu
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鷹の神ホルスにささげられたエドフ神殿は、
エジプトの神殿のうち最も大きく、最もよく保存されている神殿です。
この神殿は紀元前237年から57年にかけて、プトレマイオス朝の複数のファラオの治世をまたいで建造されました。
この神殿ではホルスの勝利がはっきりと表現されているため、ホルスとセトによる戦いの地にと建てられたのでしょう。
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●メレルカのマスタバ内部
http://drhawass.com/photoblog/tomb-mereruka
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サッカラの共同墓地にあるメレルカの墓は、古王国時代の墓の中で最も美しく装飾されたものの一つです。
このマスタバはテティ王のピラミッド近くに位置し、四季を描くメルレカを表したもの※1や、おもしろい野生動物の場面など、ユニークな場面で飾られています。
画像では墓の大広間に置かれたメレルカの等身大のカーの像が見えます。
※1
四季だけど三つしかないです。いい訳し方ないのかなあ……。
ペンを持つメルレカ(左の大きいの)、
その先に描かれた神格化された季節。
(右からアヘト(アケト)、ペレト、シェムウ。左端のシェムウだけ男性名詞なので男神とのこと。一つの季節が4ヶ月なので、それぞれに4つの月が描かれている様子です)
ご指摘そして画像の提供、ありがとうございました!
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●アビドスのセティ1世葬祭殿
http://drhawass.com/photoblog/seti-i-temple-abydos
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アビドスのセティ1世葬祭殿はエジプトで最も美しく装飾された神殿の一つで、完全な王名表の一つを残しています。
セティ一声の神殿の後ろに構築されたオシレイオンは、古代エジプト人によって神オシリスの埋葬された場所であると信じられていました。
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イスマイリアで19王朝の墓発見
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http://drhawass.com/blog/press-release-new-tomb-discovered-ismailia
2010年4月14日の記事です、すみません!
イスマイリア=スエズ運河西岸中部の県(県っていうんだ!)。
途中から訳します。
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ザヒ・ハワス博士が報告するには、
これは下エジプトで始めて発見されたラムセス時代の墓であるということです。
墓はとても高質で、ラムセス時代から知られている場面を刻み、美しく飾られているといいます。
この墓に加え、発掘ではローマ時代の墓を35もみつけています。
発掘では、ヒクソスの首都アヴァリス(Het-Waretヘト‐ワレト?)の名を刻んだ石灰石のステラも発見されました。そこには、19王朝の王(名前は記されていない)の前にセト神を表現しています。このステラはヒクソスの首都アヴァリス(シャルキーヤのテル・エル=ダバ)とテル・エル=マスクタ(イスマリア)との関係を示しています。
下エジプトの遺物管理者モハメド・アブデルMaqsud博士は、
この墓の中から大きな石灰岩製の棺が発見され、それは墓主ケン・アムンのものであったと伝えます。
彼は19王朝の王の記録の監督者でした。棺はその内側と外側の表面に銘を残していました。墓壁には、墓主のやその妻イシスの肩書き(イシスは「アトゥム神の歌い手」)が刻まれていました。
墓には異なる宗教・信仰の場面が浮き彫りで刻まれています。そのうち最も重要な場面は、死者を悼む一人の女性のものと、死者の書の第125章(審判の儀式)でした。それ以外の重要なシーンは、ホルスの4人の息子のものや、牝牛の姿をしたハトホル女神がデルタの湿原から姿を表しているものです。
墓の中のこれらの場面や肩書きは、ケン・アムンが王の記録を担当していた重要な人物であったことを示します。
この墓の発見は、
この地域とエジプトの東部境界の関係と共に、デルタの歴史とこの地域の配置に関する情報を提供するでしょう。
この遺跡での発掘調査は続けられ、この墓の復旧と保存が始められるでしょう。そしてこの墓と景観はモハメド・アブデルMaqsud博士の監督の下、完全に文書化され、登録されるでしょう。
テル・エル=マスクタはスエズ運河に繋がるナイル川の東の支流近くのWadi Tumilat に位置します。
スエズ運河が構築されていた時、多くのスフィンクス像(ラムセス二世の)およびステラが発見されました。
古代のテル・エル=マスクタはラムセス時代、アトゥムの神殿を備えた居住区であったことはよく知られています。そこには守備隊も備えられ、それはエジプトの軍隊が東へ遠征するための装備を供給しました。
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アトゥム神殿がデルタの東の端にあったんですか……(知らなかった)。
お墓の壁画の写真、もっとほしいですね……。
●他の記事。
お墓は日干し煉瓦で造られ、石のドームの型天井を備えた長方形のものだそうです。
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同じ記事の下のほうに、アクエンアテンのつま先が戻されたとか書いてるのは……なんだろう。
あ、これだ。
http://news.discovery.com/archaeology/king-tuts-dads-toe-returns-home.html
1907年に骨を検査している間に盗まれたとか。
うわー……。本当につま先なんだ……。
センネジェムの息子コンスの外棺
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http://drhawass.com/photoblog/coffin-khonsu
黄色いです、これは色を塗ってるそうです。
綺麗ですよね。金に似せてるんですよね……きっと。
棺に書かれた絵、よく見るんですけど、
これだけ綺麗だから、本などにもよくのっているんでしょうね。
あれでしょうか、デル・エル・メディーナの職人の墓の、センネジェム?
新王国時代ですよね?
はい、景気付けの画像でした。
今まで拍手をぽちっとしてくださった方、ありがとうございました!
もう少し頑張ります(汗)